Pieces of My Life♪ ニューヨーク近郊の暮らし

子育て専業主婦から脱出!ニューヨークで医療従事者しながらコロンビア大学大学院在籍。ニューヨークのお弁当も頻繁に更新中。

捧げるということ

2011-04-21 | 夫婦・家族

不思議な流れ.

被災地への義援金ね,他の人にとっては少額かもしれないけれど,私的には精一杯の金額をしました.正直ちょっと痛いくらい.でも,何かしたかったし,何か捧げたかったし.

そうしたら違うところから,25倍か,それ以上の金額になって,私の元に戻ってきました.とっても不思議.

嬉しいから,ここからまた少し義援金に回します.

売名行為とか,自分の損得ではなく,自分の持っている余りを差し出すんでもなく,自分の中の「良心」に響いて惜しまず動いたり,捧げたりすると,こういうサイクルになるものなのかな?神様が「痛みを伴っているところ」をしっかり見ていてくれたような気がするほど.

これまでの私の人生の中で,ときどきこういうことに出会う.

自分が楽しむチャリティ活動も,売名行為も,あっていいとは思ってました.アメリカではそういう形も多いから.でも,全く日本に縁のない人たちを引っ包めてしまうときはそういうやり方でもいいけど,個々が捧げるときは楽しんでるだけじゃだめなのかもしれない.「捧げるとは痛みを伴うこと」と言うくらいだし.

日本で何億という貯金を持っている私の知人は,TVをみて毎日涙を流しているけれど,寄付は1円もしないと言い張ったし,同じく日本のお金持ちの奥さんは「1000円も寄付してあげたわよ!」と言ったんです.なんか同じ日本人で,しかも日本に住んでいるのに,そんなこと言うんだ…と悲しくなったのだけど,人それぞれだから仕方がないな…と思いました.でも彼女たちは,こういう「捧げること」に伴う不思議な流れを経験することは一生ないんだろうな….

きっと私だけじゃなく,募金やチャリティー活動を懸命にされた方々にも,時間や労力を惜しまず行動された方々にも,何か違う形で,お金や人脈,人生のサポートが何倍にもなって返ってくるのだと思う.素敵な流れよね.

でも,味を占めて,見返りを期待するようになったら,これまたダメなんだろうけど.

捧げることで広がる波紋が,日本中,世界中に続いていきますように.

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