若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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「小沢昭一と門付芸人を迎えて」の雑感

2009-03-12 | Weblog
第一部は、1995年頃から、徳島の人形浄瑠璃芝居「箱回し」・木偶文化と門付芸を復活させようと取り組み始められました「阿波木偶箱廻しを復活する会」の顧問辻本一英さんの語りで始まりました。1960年代まではまだ正月の街角を歩く箱廻し芸人の姿を良く見かけられたそうですがその後急速に消滅して言ったとのことです。
吉野川の上流を毎年正月から2月に掛けて、人形を二つの箱に入れ、それを天秤棒で担いでバランスよく険しい山道を歩いて700~800軒ほど門付けする若き女性現役の中内正子さんと南公代さんが、祝福芸の「三番叟まわし」、「大黒まわし」、「えびすまわし」を披露してくださいました。これらは、新年を祝って民家の門先に立って、「五穀豊穣」「無病息災」「商売繁盛」を祈り演じられるものです。
観る前までは、文化の伝統を受け継いだものですから、いささかの暗さや辛さが見え隠れするのではないかといらぬことを少々思っておりましたが、あにはからんや、大変明るくどことなくユーモラスでありまた溌剌として美しい極彩色の羽織袴の出で立ちの妙齢の女性が一人で何キロもある木偶を操り、朗朗と浄瑠璃を語りながら演じられる姿は、真に正月の祝福芸としてふさわしく華やかで堂々としていて圧巻でした。

もうひとつの門付芸、10年位前から向島で続けていらっしゃいます浅草雑芸団による「春駒」が演じられました。失礼かもしれませんが、チンドン屋を思わせる風情で楽しく、子供だったら後をついていきたい気持ちにさせられたことでしょう。
春駒は、手に馬の頭部を持つ「手駒」と、馬に乗った形の「乗馬形」に分れ、手駒が広く伝承されているそうです。これは「蚕の神」として、養蚕地帯の農村に伝承されているということです。
 
第2部の方は、どう観ても残念ながら、お三方の話が咬み合っていませんでした。小沢さんをお招きしたのですから、小沢さんのお話をもっとお聞きするべきです。ご来場いただいた方もそれを聞きたかったのはないかと思います。ですから。モデレイターのお二人が、どうも胡散臭い学術的なご自分の領域やシナリオやセオリーに固執してしまって、そのトークの現場ではどう展開するか予測不能の生な語り口の意外さや危なっかしさや心地良さの醍醐味を全く理解していませんでした。小さくまとめて予定調和に話をもっていこうとする狭量さを感じてゲンナリです。コトを会得した聞き上手に徹した太っ腹になれませんでした。それこそKYでした。
小沢さんのような方は、乗せれば乗せるほど、気持ちよくなればなるほど、その気になって下さる方ですから、モデレイターの遣りようによってはどんどんお話が盛り上り、ご来場の方も氏の話芸を堪能する好機をもてたことと思います。
高橋さんといい、川元さんといいそれぞれにその道ではひとかどの方々ですが、話術では、決して小沢さんの比ではありません。それこそ経験豊富で芸達者で、幅広く大衆、民衆の芸、心に通じていらっしゃる小沢さんの手練れの話芸を引き出すことが、お二方にとっての一番の責務でしたのに。
日本中を行脚しながら日本の放浪芸を掘り起こし、また、昭和時代をこよなく愛してやまない方ですし、また精通していらっしゃる落語、川柳、大道芸、ストリップなどから、どんなにか興味深い軽妙な小沢さんならではの独特の品格のある艶っぽい話も含め、また珠玉のこわいろ芸を交えた貴重なお話が飛び出すか分かりませんでしたのに。返す返すも残念です。
あのような運びでは、小沢さんも、なかなか乗れなかったのが真近にいてありありと解り気の毒でした。また返って小沢さんの方が気を遣っていらっしゃるくらいでしたから。 学者・研究者のダメさ加減です。ですから二次会にはお出でにならないのは当然の事と思いました。せっかくの機会でしたのに。我々の鈍感さ故その機会を失いました。学者や研究者の感覚の欠如、その場に応じた機転の利く臨機大変な対応が出来ていませんでした。
お話は:
川元さんは、各地の今は亡き門付け芸人さん達の事を映像や話題に出して、その当時の彼らの有様をご存知の小沢さんと語り合うという筋書きを遂行なさりたかったようですが、、、。
高橋さんは、日常においては忌み嫌われ蔑まれるの芸人達が、祝祭を司る時は神の使いとして敬れもするという、一見矛盾したこのような現象に対してどう解釈しているかと言う質問に対して、遠い存在であること、他の世界を知っていると言うことで、日常ではない世界を垣間見ている存在がの芸人だからと小沢さんはおっしゃっていました。
本質的には違いますが、ある意味で西欧の中世の魔女のような存在だと思いました。

昔芸人は、河原乞食といって、蔑まれる職業であったことや、今時のタレントに憧れて好きだからなりたいと言うのとは全く違って、生きるために仕方なしにやっていたのっぴきならない「芸」だったのであるということや、傀儡子や傀儡女、神楽ぶち、鋳掛け屋など今や無き物売りのことなど、懐かしく、「こわいろ」を挿みながらの話は尽きませんでした。小沢さんのこわいろは臨場感と艶っぽさがあって絶品です。

二次会では、第一部で芸を披露してくださったお三方のそれぞれの苦労話や嬉しい出会いなどを伺いました。後継者は育っているのかと質問しましたところ、15人ほどいると言うことでした。が、興味深いことには、ただ習って年数を重ねて熟練者になるだけでは、この伝統芸を継ぐことができないと言うことでした。このお二人(中内正子さんと南公代さん)にはその技量があるというお墨付きをその師匠からいただいていらっしゃるそうです。それは、門付け芸の伝統的な「魂」を身体的にも精神的にも会得しているかどうかだと理解しました。

こうした伝統は、個々人の力だけで保存することは大変困難です。代が変われば消滅してしまいます。そういう意味で公の後押しが必要だと思います。それには当然のこと幾つものハードルがあって、それを乗り超えていく忍耐と説得力が肝要と言うことでした。
なぜなら被差別の人々が細々と担ってきて、一度はいわれのない差別ゆえ消滅寸前のの憂き目にあった芸だからです。

辻本氏のご本の「阿波のでこまわし」に次のような箇所がありました。

「箱回しは、仕事や生活様式の変化や、娯楽対象の推移により姿を消したと言われています。しかし、私達が取材したかぎりでは、箱回しが姿を消した直接の要因は差別にありました。差別意識から来るマイナスのイメージと重なり、箱廻し芸人は子や孫が結婚や就職時に差別されるのであれば廃業しようと、木偶人形を押入れに入れて封印したのです。」

歴史から葬り去られ、民衆文化の水面下の下部構造を担ってきた文化をないがしろにすることは、本質的な日本文化、歴史の豊かさの片手落ちになることだと痛感しました。


わたくしは、木偶箱廻しも春駒も知りませんでした。
貴重な体験でした。
歴史は勝者や強者によって書かれることや、人間の心の奥底にどうしょうもなくはびこる「差別」という最も取り除くことの困難なアポリアをまたまた考えざるを得ませんでした。

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