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『門付』について 『日本の演劇史に脱落した、芸術になってやらぬ芸能の系譜』

2021-03-05 | Weblog
門付
先日のウキペディアの説明とは違う、 日本大百科全書の方も大変興味深い内容なのでここに記事として貼り付けました。

大道芸、巷間(こうかん)芸能の一つ。人家の門口に立って芸能を見せ、報酬を受ける芸能と芸能者の総称。古くは時節を定めて門ごとに神が訪れて祝福を垂れたという民俗信仰に端を発し、その神の姿をして来訪する神人の印象が色濃い芸能であった。門付の芸能の歴史は、古く宮廷に芸能をもって仕える来訪神(まれうど)であった祝言人(ほがいびと)を発生の源とする。「正月を祝(ことほ)ぐ」などという用語例にその昔のこれら下級神人の性格の残影がうかがわれる。荘園(しょうえん)制度が強固になり、土地経済が主流を占めるようになって、雑芸(ぞうげい)、雑伎(ざつぎ)をもって宮廷や大寺社に属していた民たちは流浪の雑芸者となっていった。中世においては「七道者(しちどうもの)」と称されて、猿楽(さるがく)、アルキ白拍子(しらびょうし)、アルキ御子(みこ)、鉦叩(かねたた)き、鉢叩き、アルキ横行(おうこう)、猿飼(さるかい)の7種がその代表的なもの(大乗院寺社雑事記)であったが、戦国時代から近世に入ると、にわかにその種類を増してくる。そうなると、もともとはある特定の季節とか、「ハレ」の日などの定まったときに限って訪れたものであったが、生活のために芸能の代価を求めるようになると「常(つね)」の日にも門々を訪れるようになり、ついには乞食(こじき)芸に堕落してしまった。
 江戸時代、頭(えたがしら)の弾左衛門の支配を受けていた多くの門付芸人がいたが、千秋万歳(せんずまんざい)や猿回しなどといったごく一部のものを除くと、ほとんどが近世に入って発生したか、もしくは古い芸種の名を用いながらも内容のさま変わりしたものであった。その数は膨大であったし種類も多いが、芸内容によって分類すると次のとおりである。
つづく
[織田紘二]日本大百科全書

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