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『門付』について『日本の演劇史に脱落した、芸術になってやらぬ芸能の系譜』

2021-03-05 | Weblog
門付(かどづけ)は、日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能の総称であり、およびそれを行う者の総称である 。表記は門付け(かどづけ)、読みは「かどつけ」とも 。門付する(かどづけする)という動詞としても使用し 、芸については門付芸(かどづけげい)、行う者については門付芸人(かどづけげいにん)ともいう。多くは予祝芸能である。

門付の発祥の根本には、季節に応じて神が祝福に訪れるという民間信仰があった 。「祝言人」(ほかいびと)の芸能に由来するとも言われ、これは神を装い、民家の戸口等に立って祝福することば「祝い言」(ほかいごと)を発することで金銭を乞う者である 。平安時代、934年(承平4年)ころに成立したとされる『和名類聚抄』(934年ころ成立)には、「乞児」(ほかいびと)の文字で解説されており、物乞いであると10世紀の時点で定義されている 。

室町時代(14世紀 - 16世紀)には、寺に属しあるいは没落して民間に流れた職業芸人である声聞師(しょうもじ)が行った読経や曲舞等の芸能や 、神社に隷属して雑役を行っていた下級の神人 たちが、一定の季節に各戸を回って行っていた芸能である 。これも次第に転落して、物乞いになっていった 。この時代には、新春の予祝芸能である「千秋万歳」を声聞師らが行い 、同じく「松囃子」を声聞師のほか若党(武家奉公人)、町女房つまり一般町人の女性らが行い、平安時代、9世紀には存在したという漂流民「傀儡子」たちが、「人形回し」(操り人形による人形劇)等を行っていた 。

江戸時代(17世紀 - 19世紀)には、正月に門口や座敷でその一家の予祝の祝言を謡う「萬歳」 、同じく養蚕の予祝の祝言を謡う「春駒」 、同じく農耕の予祝の祝言を謡う「鳥追」(鳥追い) 等の門付歌の類が広まった 。萬歳は、千秋万歳の流れを汲むものであり 、鳥追は、江戸初期(17世紀)に京都・悲田院の与次郎(頭のこと)が始めたとされ、江戸中期以降には、女太夫(、女性芸人)たちが日和下駄に編み笠のスタイルで三味線を弾きながら「鳥追唄」を歌いながらの門付を行うようになった 。なお、萬歳(三河萬歳)や猿まわし、傀儡師、神事舞太夫、梓巫女などの一部の門付、予祝は陰陽道宗家であった土御門家の配下に置かれる事になる。
Wikipedia より



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