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光市判決のやり取り

2008-04-26 | 死刑問題
nosubject 2008年04月24日 00:56
> 殺人を犯した人間にも人権があるのです。

大事な点ですね。
被害者からすれば八つ裂きにしたい心情はわかります。
しかし死刑にして何の意味があるのか。

死んだら、責任は負えないのです。

決して許されざる絶対的破壊を犯したものでも、責任をとり続けさせるという裁きの可能性はなかったのでしょうか。

ワコウ 2008年04月24日 14:42
nosubjectさん
どんな人間でも、改心する可能性を秘めています。
それを暖かく認めたいです。
18歳でした。
非常に辛い家庭環境だったということです。

「お涙頂戴」で言っているわけではありません。

スカイタンク 2008年04月25日 01:22
死刑に値すると判決を下したら、
判決を下した人も人を死に至らせしめたという事で、
全員が死刑の対象になってしまいます。

ワコウ 2008年04月25日 02:39
スカイタンクさん
本当にそうですね。
自分で自分の首を絞めているのが分からないのです。
いずれ何らかの形で自分に跳ね返ってくるのですから。
法律や制度というものは、そういうものです。
ある意味で、国民をがんじがらめにする怖いものです。

ピエロ 2008年04月25日 03:16
本来、近代法とは復讐を否定する所から始まってるはずなんですがね。
メディアはこの事件を機会に、死刑廃止、死刑存続どちらかの立場ではなく法とはどういうものか、死刑とはどういうものかをデータを提示して視聴者に問題提起を即す裁判報道をすれば公共性にかなった報道になったと思うのですが。
日本国中が「つるせ!!」の空気に包まれていましたね。土人の国ですかここは。

しかし。コメンテーターが意見をそれも非常にデリケートな問題に対して断言するのは如何なものかと思いました。

この社会がどちらを選ぶにせよ、もっと公平かつ客観的な情報を元に冷静に公共性の観点から議論されるべき問題だと思います

ワコウ 2008年04月25日 13:11
ピエロさん
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。
日本人は、公共性という概念には非常に弱いです。
残念ながら、市民という感覚があまり育っていません。
歴史的に見て、明治維新のあり方を見ても、市民という観点からすれば、かなり怪しい部分もあります。徳川から明治になったというだけで、以前市民は日の当たる場所には登場しませんでした。その後の自由民権運動も悉く敗北の歴史ですし、そしてそれに続く軍国時代には、市民は完全になくなり、国民は総て国家の言いなり、総犬化しました。お国のためにならないものは、生きていけない時代でしたから已む得ない情況でしたが。
終戦、敗戦を機に、「この戦争はナンだったのか」と国民が総内省して、それぞれに禊をしなければならなかったのに、総て軍人の所為にして、ぬくぬくとそれを厚顔にもやり過ごした我々日本人ですから。
そこには、個、主体、責任がまったくありません。これは日本人にとって決定的に欠落した大きな問題です。このような流れの中では、民主主義や近代的市民や公共性等が育つよすがはありません。

だから直ぐ、総犬化して、本来は我々市民のための権利をお互いに守るために連帯して、国家権力に向かわなければならないのに、反対に体制に加担してちくりやお互いを牽制するような情況を作ってしまうのです。本当に情けない話です。
今回もその言い例です。
また、日本のメディアは、非常に低俗ですし、報道という倫理観や使命や誇りを持っていません。

<日本国中が「つるせ!!」の空気に包まれていましたね。土人の国ですかここは。>
本当におっしゃるとおりです。
日本人は、非常に国家が操作し易い国民性があります。

<この社会がどちらを選ぶにせよ、もっと公平かつ客観的な情報を元に冷静に公共性の観点から議論されるべき問題だと思います>
同意です。