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ワコウの心をえぐった死刑執行

2008-04-15 | 死刑問題
これは昨年の11月にアカショウビンさんのブログにコメントしたものです。

ティモシー・マクベイ 2001年6月11日 死刑を執行されました。
当時その一部始終をテレビの実況放送で見ました。国家がその国の法に基づいて国民を合法的に殺すのを目の当たりに見ました。インディアナ州テレ・ホート連邦刑務所で薬物による死刑執行でした。お茶の間の空間でマクベイが殺される瞬間を傍聴席の遺族と共にわたくしもブラウン管を通して見ました。
人が殺される正にその瞬間をデス。
現に今起こっている実写なのデス。 
フィクションではありません。
遺族の数が800名を越えたため全員を死刑執行に立ち会わす事が不可能になり、立ち合いをする遺族は抽選で選ばれ、その他の遺族はテレビ放送を見ることになったのだそうです。 
ティモシー・マクベイは、1995年4月19日、168名の人命が失われ850名以上の負傷者がでたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の首謀者です。
CNNの調査では国民の実に80%以上が死刑を希望したという統計が出ていました。
また、意見の多様性を誇るアメリカでここまで意見が一つにまとまったのは日本軍による真珠湾攻撃以来だと日本人としては聞き捨てならぬ耳の痛いことをいっていました。
(何かに付けて良くも悪くも今だに日本軍の真珠湾攻撃が引き合いに出されます。ですが、広島、長崎の原爆のことは決して言及されません。たいへんUnfair です。)
この事件は9.11まではアメリカ史上最悪のテロ事件といわれていました。
(ティモシー氏が処刑されて3ヵ月後に9.11が起こりました。)

ティモシー氏の実写処刑場面を見ていて永山則夫のことを思い出しました。
永山則夫氏は、わたくしが日本を離れる一年程前の1997年8月1日に死刑を執行されました。当時、聞くところによると確定死刑囚は50数名いたので、順番からすればずっと後であったはずなのに。しかし、少年による神戸連続児童殺傷事件が社会的に大問題になっていたため、その見せしめと言うことで早められたということでした。当時は、「まさかどうしてこんなに早くなの?」とそして極秘なのと憤りが込み上げました。
彼は、最後の最後まで、抵抗するといっていたとおり、当日の朝、隣の棟にいた同じ死刑囚の大導寺将司氏が永山の最後の絶叫の抗議を聞いていたということです。
最後にブルーノ・リチャード・ハウプトマンについて。
リンドバーグの息子の誘拐犯の冤罪で1936年4月3日死刑を執行されました。
それをドキュメンタリータッチの映画で克明に知りました。3割がたしか英語が理解できませんでしたが、全体の要旨は理解しました。
ハウプトマンは最後まで無罪を主張し、最後には殆どの関係者はハウプトマンの無罪を確信していましたが、死刑にされる流れを誰も止めることが出来ませんでした。
ハウプトマンは屈強で、たくさんの立会人が見守る中、最初の電気ショックでも、2度目の電気ショックでも蘇生し、3度目の電気ショックで殺されました。彼の布をかぶせられた顔がすべてを物語っていました。
映画とはいえ、実際にあったことです。
あまりのむごい光景に、ワコウは硬直してしまいました。

これらのそれぞれシッチュエイションの異なった三つの死刑執行が『死刑とは何か』をわたくしに身近に感じさせ、心の奥をえぐりました。
彼らの死刑確定後の日々を思うと、
いつ来るか分からないが、いつか「その日」がやってくる恐ろしさ、
また、「その日」当日のことを思うと、
また顔に布を被せられる瞬間を思うと、、、。

言葉を失います。

国家が、どうであれ生きている人を、生きたいと思っている人を死刑にするコトには、国家が合法化して殺人をするコトには、わたくしは、絶対にくみしません。
犯した罪は罪です。償わなければならないでしょう。
ですが、命でもって償う必要がどうしてあるのでしょうか???

また、その法が一人歩きして、国家に不都合な人間を冤罪で死刑にしてきた経緯は
歴史がそれを物語っています。
また、無実の罪で死刑にされた人々が少なからずいることも明らかになっています。