
映画は土井敏邦監督によるもので、パレスチナ人がイスラエルか
ら理不尽な攻撃にさらされていた状況とイスラエル兵の中から自
分たちのしていることは間違っている、と沈黙を破る若者たちが
出始めたことを扱っている。

2002年春バラータ難民キャンプがイスラエル軍に包囲されたとき
の映像とジェニン難民キャンプが徹底的な破壊と集団殺りくに遭
った状況が現場からカメラで伝えられる。砲撃が間近に迫る音響
は危険が撮影者の間近にきていることを感じさせた。ジェニンの
破壊と殺りく直後住民が大勢がれきと化した街で埋没した人々を
救い出そうとする場面があった。あまりのひどさに私は思わず息
をのみ涙が出るのを抑えられなかった。ボランィテアで働く米国
婦人があまりのひどさに泣き伏し気がふれてしまう場面があった。
他方、土井監督はイスラエル側に沈黙を破った元兵士たちの組織
(NGO)ができたことに焦点を当てる。兵士たちは考えるのをや
めるか、標的は人ではなくものである、またはテロリストなのだ、
と自分に言い聞かせて引き金を引く。「セキュリテイのため」が
名目になって何をしても正当化される。残忍なことをするのに神
経が麻痺していく。任務に就くときはモンスターになる、と言う。
そんな現実を公表し、これは変えなければイスラエルが病んで滅
んでいく、と警告を発している。60人の元兵士が占領地で撮った
写真の展示会がイスラエルで開かれ、750人の元兵士にインタビ
ューして得た証言を発表したりして運動を起こしている。
右傾化するイスラエルで上のような運動はまだまだマイノリティ
である。しかし、そのような動きがあることに私は一縷の望みを
感じる。同じようなことは、イスラエル側にしかないアルナクバ
関連の資料をユダヤ人歴史学者が整理して発表したり、西岸とガ
ザに派遣されたハ・アレツの女性記者がそこに住民となって生活
しルポルタージュを出したりしていることにも見られる。
末日聖徒やキリスト教徒には親イスラエルの人が多いと思われる
が、現実を直視する必要があると思う。パレスチナ側も容易に解
決されない問題を数多く抱えているが、国家としてのイスラエル
がしていることはおよそ是認されることではない。
参考: 土井敏邦「沈黙を破る -- 元イスラエル軍将兵が語る
<占領>」岩波書店
イスラエルの歴史家 Ilan Pappe 等について Rosemary Sayigh,
“Hiroshima, al-Nakba: Markers of Rupture and New
Hegemonies,” 2008.
アミラ・ハス「パレスチナから報告します -- 占領地の住民とな
って」筑摩書房 2005年
が」・・・・。出エジプトを果たし、乳と蜜の国にたどり着いてから建国と荒廃の浮き沈みを経て、ようやくたどり着いた希望の国「イスラエル」を、なぜか観念主体で動かし、破壊の神を担ぎ出してしまっていますね。シオニズムを動かした人々の想いとは何だったのか?「故無き?弱者ゆえの長い嘆き」を聞き入れた神の慈愛はどこにいったのか?嘆きの涙はそのイスラエルの土に沁みわたっていないのだろうか?その地に流れた「血」の重みは片手落ちであろう「人の観念」をこえるほどの価値が本当にあるのか?考えるべきですね。「土からうまれたヒトを生かし続ける神」の恩恵はあまねく全世界のヒトに降り注いでいるなかで、「土」であるヒトが「土に血を流す」ほどの怒りとか権威とかを与えられたと本気で思うべきであろうか??「土」を観ながら考えてしまいますね。
そのはずですね。コメントありがとうございます。
今、アミラ・ハスの「パレスチナから報告します -- 占領地の住民となって」を読み始めています。イスラエルのユダヤ人側の見方が(厳しく自己批判された形で)よくわかります。[翻訳は直訳的で読みにくいのが残念。英語を予測したり、読み直したり。英語の原文を確認したくなる。]