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 私は大阪外国大学の中国語科生だった時、アラビア語の伴先生から1年間、アラビア語の学生たちに混じって、ヘブライ語の授業を取り教わった。今もその時のプリントとノートを持っている。ヘブライ語を学んだ最初であった。(1918生まれの伴先生は2012年他界されていた。)

 大学卒数十年後、上本町の旧校舎を訪ねた時、偶然先生にお会いし挨拶したら、覚えていてくださった。中国語科の学生がひとり混じっていたので、先生の記憶に残っていたのだと思う。

 伴先生は後にクルアーンの日本語訳に携わられた。2002年中央公論新社「コーラン I」(共同翻訳)。そして、私は思いもよらなかったアラビア語を同じ2002年から学び始めたのであった。(独習)。

 [類似した二つの言語] 

  [クルアーンと聖書]

 



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
豚にも青春 ()
2019-07-17 11:21:07
上本町の大阪外大は、懐かしいです。

と言っても、在籍していたのは、別の大学です。

ある時期サークル活動で、毎週のように、大阪外大の上本町に通ってました。

当時の大学は、どこの誰が入って来ても、文句を言われることも無く、自由に出入りしてました。

税金で運営されてる大学だから、今でもそれが当然だと思ってますけど。

面白いサイトを見つけましたので、貼っておきます。

大阪外大も、完全消滅するんですね。

https://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12040990904.html
 
 
 
まあ、仕方ないと (NJ)
2019-07-17 23:05:57
あの小さく手狭な学舎へ?そんなことがあったのですね。

大阪外大がすっかり影を失う形になるのは、やはり寂しいことです。(しかし、あきらめの速い私は案外平気です。)
 
 
 
弱者切り捨て? ()
2019-07-18 09:28:22
>あの小さく手狭な学舎へ?そんなことがあったのですね。

確かに狭かったですね。
でも、都市の中心部に有って、交通の便が良かったので、勤労学生には有難い存在だったんです。

毎週通っていたサークルも、大阪府下の勤労学生の集まりでした。

やがて、郊外の大きな場所へ移転しましたが、それによって、勤労学生は通学が困難になりました。

金が無くても大学に行ける時代では無くなったようですね。

新しい貧困階級が生まれ、「貧乏人に学問は要らない」と言うのが、政府の方針なんでしょうね。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-07-19 13:45:00
有名人借名詐欺
 
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