[Hugh Nibley around 1970 or earlier]
今年5月号のサンストーン誌が、今年2月24日
逝去したヒュ-・二ブレ-について特集を組んでいた。
享年94歳であった。
プロボで行われた3月2日の葬儀で、大管長会の
弔辞(ホランド長老代読)やオークス長老、ジョン・
ウエルチの弔辞が読まれている。
私が’74年ブリガムヤング大学に留学した頃、もう
64歳でちょうど今の私の年齢に達していた。二ブ
レ-の授業を幾つか受講した私は長年の夢が実現した
ようで、難しい内容の講義を一生懸命聞いた。教室
はいつも受講生であふれるばかりで、床にすわって聞
く学生もいた。いつも一番前で聞くアブラハム・ギレ
アデ(ユダヤ人改宗者)の姿が印象的であった。
唯一単位を取った彼の授業で、私は対話風のレポート
を出してAをいただいた。寛大な判定にありがたく
思った。(他は言語学専攻のため、聴講生であった。)
二ブレ-教授はほかの人が話す講演会にも姿を見せて
いた。会の後、帰りかけると同じ方向に彼も歩いて
いたので、歩調を合わせて並んで少し歩いたことが
あった。一言二言言葉を交わしたが、彼は赤く空に映
える夕焼けを指して、きれいじゃないか、君!という
ふうに気さくに話してくださったことが思い出に残っ
ている。
授業以外にも私は滞在中できる限り、参考になりそう
なモルモニズム関連の講演やシンポジウムに出席した
が、二ブレ-教授の占める割合がやはり大きかった。
留学前から「クモラ以降」「高価なる真珠の新研究」の
長いシリーズの記事を読んでいたので、二ブレ-教授か
ら直接授業を受けられたことは正に私の生涯にとって最
良の時であった。
[補] 私が強い印象を受けて、影響を受けた言葉。
「ヒュー・ニブレー: 指導者としての横顔」(BYU教授ルイス・C・ミッジレー)
ニブレーは、好奇心にあふれ、何かが問題となっている時、すでに言われていることを越えてさらに論じることができるはずだと考える。ほかの人が興味を失うか、もう決まっていると考えても、ヒュー・ニブレーはその根拠を別の角度から見られないかと忙しく可能性を探る。
彼は陳腐なこと、よく知られたもの、些細などちらでもよいことに関心がない。彼は未知の領域、難解なこと、深遠なこと、重要なことを探索する。彼は未開の分野に踏み込み、いつも本能的に独創を目指している。
彼は非常に多作な学者である。彼は既知と未知の境を歩むので、その論考は常に新鮮である。
教会員ができる限り知ろうとすることは大切である。福音を理解しようと知性を用いることは適切である。
(インプルーブメント・エラ誌、1970年5月号, pp. 79-81)
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もし、不満であればタイトルを書き直して、出直してもらいたいと思います。
管理者 NJWindow(J)
おかげさまで多くの方がコメントをくださり
うれしい限りです。
世知辛い地球を離れて、人々がつっくたインターネットという第2の地球のブログ国の住人になれることはと幸いなことです。
ありがとうございました。
いいのか、知りたい。
David John Buerger,
"Mysteries of Godliness: A history of Mormon
Temple Worship," 1994, Smith Research
Associates
が詳しく参考になりました。邦文ではモルモンフォーラム誌21号(1998年秋季)に Buerger を主として参照しながら、メーソンとモルモンの関係を記述しています。
もし、ご希望でしたらコピーを差し上げたいと思います。
サイエンスエンターテイナーで漫画家の飛鳥昭雄氏が著書の中でメーソンを取り上げています。モルモンの事も書いていました。学研ムーからの出版です。驚きと奇想天外の説ですが、真実であると言ってます。影の秘密政府とメーソンとの関係には驚きです。モルモンも関係あるのかが謎です。どうなのでしょう?
また。モルモンフォーラムとは、現在あるのでしょうか?
現在も関係があるのか、私にはわかりません。あるかもしれないし、(表面上感じられるように)ないのかもしれません。
モルモンフォーラム誌は2000年冬季号で廃刊になりましたので、現在ありません。しかし、バックナンバーの一部がありますし、記事の指定があればコピーを提供することができます。
として知られるようになったが、初めはむしろ既
存の定着した考え方、例えば教会の福音や教義の理解に対しても新しい視点で臨むように取り組んだ挑戦的とも言える学者であった。
「未知の分野、困難かつ本質的な問題、重要な点
を追求した。既知と未知の境い目を探求し、常に
研究成果は新鮮であった。・・彼は教会員がもっと研究心を持つように切望していた。」(ミッジリー、エラ誌 ’70. 5月)
古代の言語を始め、研究に必要な外国語に通じ、読者を圧倒する資料を駆使してその典拠を脚注に添える彼の記事は異彩を放っていた。知識を渇望する多くの若い学徒が多大の影響を受けた。このようにしてヒュー・二ブレーは長らく末日聖徒の知識人のシンボルであり、模範(role model)であった。