
[待って、お父さんやお母さんはゲイじゃないよね 画像はRecovering Agency]
10月25日、LDS教会は新しいウェブサイトMormon and Gayで、教会にも両性愛者や同性愛者が存在することを認め、教会員は自分がLGBTであることを認め、教徒として留まることができる、と一歩受容の方向に向かう姿勢を見せた。ただし、独身でなければならないし、同性愛の行動は罪であるとくぎをさすことを忘れていない。基本的な姿勢に変わりはない。
このサイトはこれまで Mormons and Gays と複数形であったのが単数形に変わり、「教徒たち(われら)と同性愛者たち(彼ら)」と読めるところを、「モルモンであり同性愛者である」と読める名前に変わっていて、大きな変化であると見る人たちもいる。新しいサイトは同性愛者で会員である人たちや教会指導者のビデオがいくつも紹介され、前の排斥的調子から丁寧な、受容の調子に変わっている。米CNNが「画期的な転換」と報じている。
なお、25日、教会員で米教会本部からe-mail を受け取った人は、Ministering to People with Same-Sex Attraction という見出しで、上記記事に関連した指示と協力依頼のメッセージを受け取っている。内容は以前に公表された一連の「福音のテーマ」のエッセーを更新したもの(英文)と思われる。
Sources
・http://edition.cnn.com/2016/10/25/living/mormon-gay-website/index.html
・https://mormonandgay.lds.org/
そして一定割合の人間ががそのように生まれつくことが証明されてしまったあかつきには、神殿結婚が異性婚だけしか認めない方針の方が「不自然」となってしまうので、この問題については大管長会も真剣に考え始めているのではないでしょうか。
分かりやすく解釈、補足していただきました。ありがとうございます。そういった方向に進んでいくことを私も期待します。
そうですか?
以前から同じ姿勢のように思えます。
https://www.lds.org/youth/article/common-questions-people?lang=jpn
わたしたちは誰にも反対していませんし,嫌ってもいません。 クリスチャンとして,わたしたちはその人の信条,生活様式,習性などに同意するかしないかに関わらず,全ての人々に思いやりと親切を示すように教えられています。 同意しないことは,嫌うことでもさげすむことでもありません。
婚外の性的な関係は(異性愛者か同性愛者かに関わらず)罪であり,神は結婚を男女間のみのものとして定められたと信じています。
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「結婚は男女間のみのもの」という方針は今後も貫いていくのではないでしょうか。
http://youpouch.com/2011/09/23/080026-4/
出生時と異なる性別を名乗るには、フランスやカナダなどは性転換手術が必要としていますが、アメリカとイギリスでは手術していなくても医師の証明があれば可となっています。日本では性転換手術後、家庭裁判所で戸籍の変更が認められればパスポートの性別も変えられます。
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アメリカには戸籍制度がなく出生証明書で決められた性が生涯付いて回る傾向にあったようですが現在は医師の証明によって性が変えられる時代です。
本来の性によって神殿の儀式が受けられるようになる日を望みます。
LGBTが社会の中に増える一要因の中にはストレスによる妊娠初期の性ホルモン異常が原因とも言われます。
女性の社会進出と無関係ではないわけです。
伝統的な家族関係を原則に据えて強調することはモルモンの役割であるかもしれません。
しかし、原則だけで全てを割り切らず、柔軟に対処するものモルモンの伝統ではないでしょうか。
たとえば、ローマ書1章 26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、
27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。
とかってありますが、
ジョセフ霊感訳では1章はほとんど変更ないみたいなもんですが、32節には、inexcusable の付加があって、そうした知ってて是認さえしているのは、全く弁解の余地なしであるといった訳でしょうか。
また、教会でジョセフの時代では、同性愛行為というのはほとんど問題、話題にのぼらなかったみたいで。
ジョセフは説教では、ソドムが滅んだのは預言者たちを拒んだためというのがあるそうな。
また、ソドムの罪を同性愛者の行為としたのは、6世紀のユスティニアヌス帝のローマ法大全だと。ウイキ
同性愛を嫌っているから同意しないのではないでしょうか?
教会側の立場ではそう言えても、当事者側から見ると同等の権利がないのは差別以外の何物でもないと捉えることでしょう。
学校のいじめ問題でもいじめっ子はいじめているという認識をもっていないこともあります。
そのような言い分に聞こえます。
同等の権利が与えられないことは、そこに分け隔てをする意識があるからそうなるのではないでしょうか?
ピーターセン長老の<黒人は来世でも僕である>といった考えに共通するものです。
啓示以前の解釈では、黒人は僕として天に行くという制限がありました。
現世におけるLGBTの方が、来世における黒人の立場のように一般的な権利を有さないのであれば、このようなさげすんだ考えと同等であると感じます。
少なくとも教会外部の方はそう受け止めるのではないでしょうか?
当事者にとって何が<思いやりと親切>に該当するか
彼らの立場で考えてあげなくてはいけないような気がします。
出生証明書でもなく戸籍でもパスポートでない、本人たちが意識している性によって家族としての儀式を受けさせて欲しいですね。
聖書に罪について「心に思ったものは・・・」って書いてありますよね?
同性愛って、思う事は行為じゃないんですか?
オムナイさんの思ってる、同性愛の行為ってどんなことですか?
それと、「・・・ではないという見方が伝統キリスト教の間でも広まりつつあるようです。」って言うのは、どのような根拠からですか?
自分の心や体の状態を、「私は異常なんだろうか?」って思い悩まなければいけないって、残酷ですよね。
それが、罪だって言われると、更に残酷です。
その人に何の落ち度があるって言うんでしょうかね?
--引用1---
1:14わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。 1:15そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。 1:16わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 1:17神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
1:18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 1:19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 1:20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 1:21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 1:22彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 1:23不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
---引用2----
1:24ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。 1:25彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
1:26それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、 1:27男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
引用終わり
引用2だけを読めば誰でも同性愛のことだと疑問を持つ余地はなさそうですが・・・・引用1についてのテーマは明らかに「非キリスト者でも被造物である以上は真の神を知っているはずであり、それなのに彼らは、神としてあがめず、感謝もせず・・・不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。」ということから見て、「彼ら」が指すものが、偶像礼拝を中心とした異教全般の警告でしょう。
そこから突然「彼ら」が「同性愛者を含むソドミー行為を行う者」という解釈が当然に成り立つのか?という疑問です。
この場合の解釈では、引用1ゆえに引用2にはならないですよね。
「ゆえに」が成立するならば、引用2の男とか女とかは象徴表現であって、個人の性行為を指さないことになる。