電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2005年7月30日(土) ガンガーボート

2006年07月30日 | '05インド・タイ旅行記
インド バラナシ
夜明け前に目が覚める。
ドミトリーの他の人たちは誰も起きていない。腰が刺すように痛い。おそらくこの痛みで起きたのだろう。扇風機が止まっている。また停電か。
昨日はシャワーも浴びずに寝てしまったのでトイレ・シャワー・歯磨きと済ませていく。当然バスルームの電気もつかないので日本の100円ショップで買ったミニ懐中電灯をフックに吊り下げて用を済ます。
本当はその後ガートに行き沐浴を見に行こうかと思っていたが、外を眺めても天気が良くなく朝日が綺麗でなかったので二度寝。

ベンガリーレストランにバナナラッシーを飲みに出かけるが店は閉まっていた。
チャイ屋はやっているが、ジュースを売っている店は結構歩いた先でやっと買えた。宿に戻り、シュウさんと宿のオーナーのラジャの所に行きコルカタ行きの列車のチケットの手配をお願いする。

シュウさん・シロウと三人でマニカルニカー・ガートを目指し歩く。
乾季なら水位が下がっていて川沿いのガートの上を歩いていけるそうだが、今は無理。三人で迷路のような路地をさまようことに。

何度か人に道を聞きながら進む。
この角を曲がればいけるかなぁという角にじいさんがいたので尋ねると、しっかりとした英語で答えてくれたのだが、こう聞こえるから不思議だ、「そうじゃ、汝この道を行けば辿り着く、ゆめゆめ曲がることなかれ」。


インド バラナシ スィンディヤー(SINDHIYA)・ガート

インド バラナシ スィンディヤー(SINDHIYA)・ガート

インド バラナシ スィンディヤー(SINDHIYA)・ガート
川が見えたとき念のためカメラを仕舞う。火葬場は撮影禁止であるし、妙なトラブルを避けるためだ。
しかし、到着したところはスィンディヤー(SINDHIYA)・ガートでマニカルニカー・ガートより二つ行き過ぎていた。しかし、素晴らしい天気も手伝いなかなかいい眺め。少し斜めに傾き水没した寺院はまるで世界滅亡の風景のよう。ここにいた人たちは沐浴というより、ただ水遊びをしているように見える。
少し上流に戻ったところに火葬場があり、三箇所から煙が上がっていた。上のバルコニー状になっているところからその燃やしている場所を眺める。そばには二つの綺麗な布をかけられた遺体が置いてある。火を燃やしているところをぼんやり見ていたら、木で全く見えないと思っていた「ソレ」が突然「人の形」を認識し「見えて」しまった。人の向かい合った絵が壷に見えたりする有名な絵があるがそんなかんじ、はっと「形」に気づく。
近くにいたじいさんにここはファミリープレイスだから、あそこの塔に行けなどと、この場を離れるように言われる。うわさだがマニカルニカー・ガートでは見物のためにある建物に入らされた後、閉じ込められお金を払うように脅された、などといろいろ聞いていた。それよりも遺族からしてみれば、自分の親族が焼かれているところを興味本位で見学されるのはいい気持ちがしないのは間違いない。塔にはのぼらず、帰ることに。

帰りはすんなりと戻れ、ベンガリーレストランで昼食。
自分はお腹の調子が悪いのでお気に入りのバナナラッシー(18Rs)だけ。注文してから思い出したが下痢の時は植物繊維の多いバナナはNGだ。

宿に戻り、日記を書くなどして過ごす。宿の窓からガンガーで沐浴する人々を眺めたり。


インド バラナシ ボート

インド バラナシ ボート

インド バラナシ ボート

インド バラナシ ボート
6:00PM宿のラジャさんに頼んでおいたボートに乗りに行く。宿のすぐ脇からガートに降りる。窓から見ていたが降りるのは初めてだ。ボート漕ぎ一人・操舵一人とシュウさん・シロウと三人で乗り込む。
まず流れに逆らい南へ。雨季でガートが沈んでおり、不思議な世界。神殿か宮殿のように見える建物もあり、夕日に照らされて美しい。火葬場で煙が上がっていた。
あるところで船頭が指差し「Baby」と言う。見ると一才にも満たない大きさの子供の死体がさかさになりガートの階段に引っかかるように放置されていた。「もっと見るか?」と言われ船をその死体に近づけるが、自分は直視することが出来なかった。


インド バラナシ ボート
日も沈んだ頃Uターン。流れの速いこの雨季、まったく漕がなくても進んでいく。
宿のそばのガートで夜のセレモニーがやっていて船側から見ることが出来た。

宿の下のガートに戻りお金の支払い。1時間三人で100Rsなので船頭に100Rs札を渡す。すると「MORE」と言う。「1時間30分やったんだ、150Rsだ」と。時間的には1時間とちょっと。「1時間100Rs」というのは船頭の言い分として船の運行時間が一時間ということでなく、「一時間あたりの値段が100Rs」だということなのだろう。しかし、話が違う そんな言い分に乗るわけにはいかない。シュウさんが「ラジャとの約束だから」と両手を合わせペコリとしながら丁寧に言うと何故かすんなり引いた。「More」という時の高圧的な態度を思い出すと・・・ムカついてくる。
まったくぅ、いつもインド人は気持ちよく「買い物」をさせてくれない。余計なことが無ければ「ありがとう」といって気持ちよく別れられるのに・・・。

夕食は三人でモナリザへ。
同室のベンガル語を話す日本人と韓国人女性もいた。SweetLassiとカトマンズにいたときにある情報ノートに良い評判であったチーズスパゲティ。食べ終わった後パイナップルジュース。全く下痢が続いているというのに、よく食べよく飲んだせいで腹が痛くなってきた。トイレを借りてウンコ。
同じ席に座っていた日本人と会話していると、今度は物凄い腹痛。しばらく店でうねうね我慢していたが、横になりたかったので暗闇の中一人で宿まで帰ることに。

自分の手持ちの100円懐中電灯では道の地雷(牛のフン)がはっきり見えない。腹の痛みに耐えながら前かがみになりつつ、なんとか宿へ。一応サンダルのウラを確認するが「地雷」は踏まなかったようだ。
そのままトイレへ。ずっと飲まないで我慢していた中国の下痢止めを飲む。そして苦しみながら布団の上で横になっていたら、そのまま寝ていた。



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