BLOG STATION『ブログの向こうには「人」がいる』より引用~~~~~~~~~~
僕は、少なくとも巡回先のブログに関しては、書かれている情報よりも、それを書いた人のほうに興味を持ちます。その人ならではの意見が読めるからこそ、そのブログを読みに行くのです。そして、相手とコミュニケーションを行いたいと思うから、コメントを書いたり、トラックバックを送ったりするわけです。
必ずしも、プロフィールなどの個人的な部分に興味を持つわけではありませんが、「この人が書いた記事だから面白い」、「この人が読んでいるブログは面白い」と思うからこそ、僕はそのブログを読み、そして、記事を書くのです。
~~~~~~~~~~~~~~引用終わり
上記の記事でブログ作者のkenさんにとって、誰かのブログを読むという行為のベクトルは「ブログ記事そのもの」ではなく「ブログを書く人」へ向かっているという話です(と解釈しました)。
自分は、どちらかというとおそらく前者かなぁと思います。
ブログを始めた当初は、ブログランキングの海外カテゴリーからブログを探しにいったり、見つけたブログのブックマークを見にいったり、「旅行記 タイ」「アンコールワット 写真」などで検索して新しいブログの開拓をしていたのですが、そういう行為は数ヶ月で落ち着き、それからは一定数のお気に入りブログを巡るだけです。
現在、毎日とはいかないまでも週に三回以上チェックするブログは、30~40程度あります。
新規開拓しなくなったのは、質の高い もしくは自分に興味のある記事をコンスタントに公開しているそれらのブログを読むだけで充分満足だし、時間的にも一杯一杯だからです。
それらはどちらかというと、そのブログの作者に興味があるというスタンスで「この人が書いた記事だから面白い」として読んでいるのではなく、何個かの記事を読んで「この人が書く記事は面白い確率が高い」というわけで定期読者になっているという感じです。
どちらにしろ、どの巡回先も半年以上読み続けているものばかりで、なんとなくそのブログ作者の人物像を無意識的に自分の中に作り上げている場合が少なくありません。
記事の内容はもちろんのこと、改行の仕方・レイアウト・字体・文章量・写真の撮り方(対象物の選び方)・テンプレートの選択のセンスなどから作者の性格がにじみ出ます。
毎日かかさず更新する人・「しょこたん☆ぶろぐ」みたいに一日に10~20記事もUPする人もいれば、10日に一回くらいの割合しか更新しない人もいる。
更新頻度が一定のブログの場合、ある時期にその規則性が崩壊した際、読者が勝手に作者に何かあったんじゃないかと心配するコメントを書き込む人がいます。読者が勝手に更新頻度から作者の生活環境の「正常」「異常」を想像してしまうのでしょう。
僕は、このブログ内で2004年の11月から約一年半に渡って旅行記・エピソード・旅の写真などの記事を書いてきました。
少ないながらも、有難いことに このブログにも定期的に読みにきてくれる読者さんが存在しています。その読者の中で僕と面識がある人はほとんどいません。
僕はこのブログの中で自分の写真も載せないし、コメント欄も含めてプライベートな情報は書き込まないようにしてきました。
プライベートなことを書かないのは、そんな日常のことを書いても、読んできてくれる人を楽しませることが出来ないからです。「僕」という存在やその感受性や文章力が平凡であっても「旅」というある特殊体験を書き込むことで、いくらかこのブログに興味を持ってくれている人がいてくれるわけです。
しかし、この記事を読んでいる人は考えて下さい。
はたしてこのブログに書かれている体験は本当のことなのでしょうか?このブログに載っている写真は本当のものでしょうか?「僕」という一人称で書いているが作者は本当に男でしょうか?年齢は60歳を越えているかもしれないし、日本人ではないかもしれない。
読者はそれらの真偽を確認する術は無いでしょう。
僕と一緒に一時でも旅をした人でさえもリアルな僕がはたしてこのブログの「僕」と同一かどうかなんて分かりはしない。ネットがここまで普及し、一生かかっても見切れない情報が溢れている中で、例え海外を旅していなくても現地の情報を集めるのは難しくない。旅行記はガイドブックやネット上の他人の旅行記を見て書くことも出来る。他人の旅写真を拝借してきて載せようがよほど有名サイトで無い限りバレはしないでしょう。漫画「ヒカルの碁」のsaiのように実体の無い人格が書いているのかもしれない。
ネットの特徴の一つが匿名性と言われるが、たとえ「僕」が山田太郎という実名をだそうが、リアル世界の僕を知らなければそれは限りなく匿名に近い。ブログで個人情報を書いてあっても本当のところは本人以外 誰にも分からないのです。
その分からないところがネットの醍醐味であるし面白いところだと言えるでしょうが・・・。
前置きはこのヘンにしておいて。
このブログ上では内緒にしていましたが、2006年1月30日~3月15日の45日間、南米を旅していました。
<日本>名古屋⇒成田
⇒<カナダ>トロント(トランジット)
⇒<ペルー>リマ→ナスカ(地上絵)→アレキパ→クスコ→マチュピチュ→クスコ→プーノ(チチカカ湖)
→<ボリビア>ラ・パス(ティワナク遺跡)→ウユニ塩湖
→<チリ>サンペデロ・デ・アタカマ→カラマ→サンティアゴ→ビーニャ・デル・マル→サンティアゴ⇒プエルトナタレス(パイネ国立公園)
→<アルゼンチン>エル・カラファテ(ペリトモレノ氷河)
→<チリ>プエルトナタレス⇒サンティアゴ⇒イースター島(モアイ三昧)⇒サンティアゴ
⇒<カナダ>トロント(トランジット)
⇒<日本>成田⇒名古屋
※「⇒」;空路 「→」;陸路
上記のように移動しました。
南米は危険といわれ、当初ドキドキでしたが、結果的に特に事件はありませんでした。
子供の頃からの憧れのナスカの地上絵・空中都市マチュピチュ・モアイのイースター島にいくことができ充実した旅でした。
ナスカはネットなどでは がっかり観光地として有名ですが この目で実際に見ることが出来てよかったです。
マチュピチュは、晴天ではなかったのですが、霧のマチュピチュは幻想的でした。
そしてイースター島はは飛行機チケットが高かったのですが思い切って購入。最終日の「夕日withモアイ」は感動で涙しました。
ブログは記事を未公開状態で前もって沢山アップロードしておき、現地のネットカフェでポチっと公開ボタンを押して更新していました。
旅以前も1週間から10日に一度くらいのペースでしか更新していなかったので、それほど更新頻度において違和感はなかったのではないでしょうか?
いかんせん、日本語が使えないところが多くコメントの返事が遅くなりました。旅前はいつも翌日にはコメントの返事を書いていたのでこのあたりでおかしいなぁと思われた方もいたかもしれません。
旅に出たのを秘密にしていたのは、インド・中国のネタ記事が途中だったために流れを途切れさせてしまうのが惜しかったからというのが理由です。
今回のこの記事のタイトルの『ブログの向こうには「人」はいない』は、冒頭引用した記事のもじりですが、
タイトルの真意は『ブログの向こうには「読者が無意識的に想像している場所に人(作者)」はいない』という意味です。
いつもどおり記事を更新していたのだから、読んでいる方は「作者は日本にいるのだろうなぁ」となんとなく思っていたはずですが、僕は海外を旅していました。
今日は4月1日エイプリルフール。
ちょうど一年前「イースター島に着きました 」というタイトルで嘘記事を書きました。ありがたくも何人かが一瞬信じてくれて自分的には成功でした。
イースター島に行ったという、一年前に半分願望で書いた嘘記事ですが、意志さえあれば叶うものですね。
今日はエイプリルフール、あなたはこの記事信じますか?
[中国・敦煌]
[ペルー・マチュピチュ]
[チリ・イースター島 モアイ]
結構好きです^^
さて、微妙な(微妙か?)感じですね。
妄想なのか、ホンとに南米行ったのか。
う~ん、どっち?
というのが、こないだありました。
でも、実はその一言は筆者の作り話だったのかも…と、前書きを読んで思いました。
姿を知らないのにその人を知っているというネット社会はお互いに錯覚している社会なのかもしれませんね。
もっとも、リアルに会っていても錯覚は繰り返されますが(笑)
ドラえもんの初期の作品を読み直したくなってしまいました。
のりさん、お久しぶりです。
この記事も含めてしかけ・返し、ともに十分に同一性が認められるので、嘘であっても構いませんよ、私の場合。作者集団だったらそれはそれで面白いし、女性であったら旅と視点に性別は関係ないと自分が言い切れる様な気がしてきた。あれれ、嵌った(嵌められた)か?
橙色の豚さん、こないだって書き方、いいですね?私は口語的な、音声をそのまま書くってのを色々なブログの記事やコメントでみかけるとついつい嬉しくなります。
それにしても、一番上の写真、足長っ!
まあブログってイロイロあるやね~。(´-`) ンー
ナンベイウラヤマシス
のりさんが70歳の婆さんでも18歳の少年でもそんなことはどうでもいいのです。(笑)
わたしはこのブログが楽しいのです。
南米に旅してきたことは、本当です。っと言っても このコメント欄の記入も4月1日だから 信用するかは読んでいる人次第ですが。
エイプリルフールの日に あえて今まで隠していた事実を公表するという仕掛けというのは、結構 何が真実なのか?という既成事実に対する感情を揺さぶられないでしょうか?って そこまで真剣に読む人いないか・・・。
●こめしさん
>妄想なのか、ホンとに南米行ったのか。
う~ん、どっち?
多分 草剛が選んだほうが 負けます。
●橙色の豚さん
>リアルに会っていても錯覚は繰り返されますが(笑)
むむむ、深いですねぇ。
直接会って話す・手紙・電話・Eメール・チャット・手話・・・
誰かと話す もしくは読む 行為をする手段は、それぞれに特徴がありますね。
直接会うというのは 顔が見える代わりに他の手段より話す相手との利害関係が強くて本音を言っていないかもしれない。手紙は字体から個性がでる変わりに顔や声が聞こえない。電話は・・・(以下略)
どの手段も 特徴的だが何かが欠けている。それが相手のイメージを作り上げ 良くも悪くも 錯覚を生み出す。
●macさん
>女性であったら旅と視点に性別は関係ないと自分が言い切れる様な気がしてきた。
うーん、例え話をすると、僕の母は 僕の旅写真に写っている女性を見て「これ誰?」と尋ね 僕が「あぁ 宿で会った一人旅している女性だよ」というと「え~!女の子が一人で海外旅してるの!?」と驚きます。それもいままでに何度も・・・。一般的には(?)、僕のようなバックパッカースタイルで旅する女性が存在することが信じられないようです。
だから、僕のブログの記事が、「僕」という一人称でなく「わたし」なら 多分macさんが このブログを読んでいるときの感情は すこし別のものになると思います。
また別の例えで、自分に対して仲間由紀恵が「好きです」というのと山田花子が言うのとでは 同じ言葉でも印象が違うはずです。外見やらなんでもいいのですが、相手のイメージというのはなんらかの影響があると僕は思っています。
いずれにしろ、楽しみ方は読者次第ですね。
●Kenさん
記事引用させてもらってありがとうございます。
一月中旬から仕込んでいる(未公開記事を書き溜めた)ので確かに手が込んでます。エイプリルフールに南米の旅をカミングアウトしようと思ったのは3日ほど前ですが。
隠していた事実を エイプリルフールに発表するという手口で、読者を揺さぶってみたかったです
足が長くみえるのも写真と影のトリックで、「実」とは変質してますね。
ちなみに 以前、「クセになる「葉っぱ」」というタイトルの記事を書いたのですが、Kenさんの 昔の記事のマッサージ店のネタの手法を真似たものです。
http://blog.goo.ne.jp/notra08/e/c854e57f274b44d8e665f1941b34791b
●ヒカリンさん
以前ヒカリンさん、「チベット行ったなんて うらやましい」みたいなコメントをしてくれたことがあったのですが、アレ?ヒカリンさんチベット行ったこと無かったっけ?と思ってブログの横の国名一覧を確認しに行ったことがあります。
僕の中で、ヒカリンさんは世界中の国にいってそうなイメージが勝手に作られていたわけです。
ちなみに僕のヒカリンさんの外見イメージは、「白いワンピースを着た丸坊主のアンジェリーナ・ジョリー」です
●紗吏さん
>のりさんが70歳の婆さんでも18歳の少年でもそんなことはどうでもいいのです。(笑)
僕は「ガラスの10代」ですが何か?
>やられた!って感じで何がなんだかわかりませんが、このブログを書いている人は存在しているのは事実です。
どこまで 信じてどこまで 嘘だと思いましたか?
ネットにおける情報で 安易にイメージするのは、ある意味危険であるともいえるし、一方で情報を受け入れ 純粋に楽しむという選択もアリなわけです。前半の文章は、ネットの情報は虚ろなモノだといいたかっただけ(ただの前フリ)ですが、コメントもらってうれしいと感じている「僕」は 確実に存在しています。
長く読み続けているBlogって、その作者の人間性が大きいのかなって思います。
それはそうと霧のマチュピチュうらやましい。
やっぱり快晴のマチュピチュよりも雰囲気ありますね。
って今日 どこかのブログで読みました。
霧のマチュピチュというのは、まさしく幻のようで 実か虚か。果たして僕があそこにいたことは本当のことだったのか・・・。
僕が良い景色に出会ったときに写真を撮りまくるのは その体験の存在証明かも。
確かに巡回先は固定化している気がしています。
RSSリーダーには数十のブログは登録しているものの、
それら全てを巡回するのは限界がありますし。
のりさんのブログは以前から拝見させていただいていましたが、
コメントをするのは今回が初めてです。
「どんな人がこの写真を撮っているんだろう」なんて想像するのがけっこう楽しかったりします。