goo blog サービス終了のお知らせ 

電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2005年06月18日(土) 敦煌 公安 日本の味

2006年06月18日 | '05中国旅行記
ウルムチ→敦煌
7:50AM頃、敦煌駅に到着。
タクシー運転手やら いろいろな人に声をかけられるが、ある男が指さしたマイクロバスに人がたくさん乗っていたので、これは安全だなと そこに決める。町から130kmも離れている、15元ならOKだ。

敦煌
8:30AM頃出発し、延々と荒涼とした土地を走り続け、11:00AM頃、バスターミナルに到着。
すぐ目の前の「飛天賓館」へ。ドミトリー20元(約260円)。ロビーのある建物ではなく、別館へ。
カギのない8人部屋。広い室内に扇風機一つ。夜 寝るときに暑くないか心配だ。

敦煌・Ying Ying Cafe
すぐに外に出て、Ying Ying Cafeに向かう。ここのホテルから歩いて10分程のモールのそばにある。ここは旦那が日本人(このとき日本に住んでいる)で奥さんが中国人のお店。日本語の上手な奥さんが切り盛りしている。
ここには日本のメニューがある。中華料理に飽きてきた自分達…この店にくるのが楽しみだったのだ。
Sada氏はお好み焼き(20元)、自分は好物のしょうが焼き定食(28元)を注文。
おそらく一人で作っているのだろう。結構 出来上がるまで時間がかかった。まずはSada氏のキャベツお好み焼き…上に載っているカツオブシがおどっている…。次に 自分のしょうが焼き…キャベツがこんもり、ご飯と玉子スープ、きゅうりの漬物。う…うまい…!!しっかりと日本の味だ。

敦煌・Ying Ying Cafe
しばらく冷たい水を飲みながら、まったり過ごし、ネット屋へ。

Windows98のパソコンのネットする。一時間後突然ログイン画面に。どうやら1時間のみ申し込んだと思われたんだろう。ちょうどよいので、他のネット屋を探す。

次に入ったところは、パソコンなどが新しく、WindowsXPだ。日本語が使えるのでメールの返事やブログを更新したりする。2時間30分ほどやったあと、パソコンが止まってしまったのでこれで終わりにしようと、カウンターへ。
すると店の男が50元だという。聞き間違えたと思い5元をだすと(相場は1時間2~3元)、違う50元だという。Sada氏とは別会計だというジェスチャーをすると25元(約325円)になる。それでも高い。
しかし、自分の性格のよくないところで、こういうときにいまいち状況が冷静に判断できず とりあえず払ってしまう。そして後で時間が経つにつれ、後悔と怒りがこみあげてくるというのがいつものパターン。
自分が店を出て一分後、同様に25元払ったSada氏が出てきた、…彼の目は燃えていた…。「紙とペンを貸して」そういってカウンターに戻る。

Sada氏が 英語のまったく通じない店の男(25歳くらい)に筆談を始める。
「中国人2元、日本人10元なのか?!」始めは取り合おうとしなかった男も 苦笑いでうなずいた。
それから自分はYing Ying Cafeに行き、このあたりの相場を確認すると、やはり2~3元とのこと。奥さんも怒って「9元(3元×3時間と計算して)にしないと警察を呼ぶぞ」と紙に書く。
それを持って店に戻ると、お客の若い長身の男が「Can I Help You?」と言ってきた。どうやら通訳をかってでてくれたようだ。彼に本当の値段を聞くと1時間5元とのこと。お店の男と友達になると2元になるとのこと…本当かなぁ…。
Cafeで書いてもらった紙をその長身の男に見せると「なぜだ?なぜだ?」と動揺していた。
いろいろ長々と交渉した挙句、店の男が 渋々それぞれに10元返却した。粘り勝ちだ。
しかしSada氏の店の男に対する怒りが収まらないらしく、男に公安にいくと伝え、店を出る。

しばらくすると店から長身の男があわてて駆け寄ってきた。てっきり公安に行くのを引き止めるのかと思ったが「公安どこだ?」の問いに 素直に答える。Sada氏もこの男の素直さ(?)にだんだん冷静になってきたが、いい経験だということで公安に行く。

長身の男と一緒に入り、警官と話をする。ここは日本で言うところの交番に当たるところのようで、パトカーに乗り大きな建物へ。
入口の横の部屋でしばらく待たされる。英語を話せる警察の人間を呼んだとの事。
その間、長身の男と会話。「なんで僕達にさっき高い値段を要求してきたと思う?」と尋ねると「うーん」と悩んだ挙句、「自分の友人の知り合いの外国人は中国旅行にきた最後に、中国人嫌い、と言った」とのこと。それを話した後、すぐに自分は日本が好きだとか日本製品は凄いとか…。あぁ、なんとなく彼の言いたい事はわかった。店の男は日本人が嫌いだったんじゃないかということだ。
直接的にそういうこと言わないし、かなり少ない英語のボキャブラリーで言葉を選んで話している。この長身の男は非常にいいやつなんだな。

もう自分達は気がすんだので帰ろうとすると、バイクに乗った禿げたおっさんがやってきた。彼が待っていた「英語が話せる男」のようだ…そのハズだった。来てからも長身の男と中国語で話続ける。確認すると、彼は英語が話せる訳でもなく、ただのPolice Officerとのこと…。なんだそれ…。
どこかに携帯で電話をかけ、突然それを渡された。聞くと受話器の向こうは物凄く片言の英語。なんとか聞きとると「今日の夜、例のネット屋の営業をストップさせる。それと値段表を壁に貼るようにさせる」とのこと。
長身の男は 長い時間がんばてくれいろいろ困らせてしまった。でも僕達はあのネット屋の男を困らせたかっただけだ。今日の夜だけでも営業停止にできたという結果になったが、中国でもちゃんと警察が動いてくれるということで少し意外だった。内陸の人間という気質も関係しているのかな。
ホテルはどこか?と聞かれたが答えたくなかったので、夕食をとるからということでごまかした。するとモールの手前まで警察の車でおくってくれた。

敦煌
ここのモール、昼間来たときは何も無く殺風景だったが、このときは多くの屋台がずらっと並び壮観だった。
ある 人がよさそうなおっちゃんに「シシカバブ~」と声をかけられたので、いくらか尋ねると「1元(約13円)」さっそくSada氏とあわせて4本注文。
焼きながらいろいろな肉の説明をしだす。調子に乗って白い皮のよな肉も2本追加。

その後 屋台街を練り歩くが声をかけてくれる人達の愛想がいい。少しここ敦煌で長居してしまいそうだ。

Ying Ying Cafeに行き、Sada氏と二人でカレーライス(30元=約390円)を注文。
日本からカレーのルーを輸入しているだけあって、そのまんま日本のカレーの味だ。こういう単純なことだが、日本ってやっぱりいいなぁとおもってしまう。

ホテルに戻り、同じドミトリー内の日本人やオーストラリア人と会話して就寝。



[関連記事]串屋でアタマ


['05中国旅行記]

2005年06月17日(金) 天池一日ツアー

2006年06月17日 | '05中国旅行記
天池
チェックアウトし、荷物を預け、9:00AM ホテル横の旅行会社でツアーバスを待つ。
ホテルの横に旅行会社があるなんて気付かなかった。昨日 市バスで人民公園にいかなくてよかったのか…?窓口として旅行会社はたくさんあるがバスをだす会社は限られているだろう。

9:30AM頃、バスが到着。20人程度のマイクロバス。
バスガイドとして若い女の子がなれない英語でいろいろ説明してくれた。英語が使えるということで安心した。二つほど他にホテルに立ち寄り、客をピックアップ。二人のアメリカ人女性(後に姉妹と判明)も乗ってきた。

11:00AM頃 天池の入口に到着。
何か様子がおかしい、駐車場に止まったままで何人かお客が降りていくだけ。外で30歳くらいの丸坊主で横縞シャツ着たガリガリ君のような男が中心にトランプを始めたり…。
状況を聞くためガイドに尋ねると、天池までの道がガケ崩れか何かで通れなくなっているらしい。まったくやってくれるぜ中国!駐車場に数台観光バスがたまっていく。

結局12:00PM頃 出発。少し走ったところの駐車場で降り、別のバスに乗り換える。

クネクネと山道を登り、売店などが並ぶ一角でおりる。そこの大きなゲルの中で昼食。働いている人の顔は漢民族系のようだ。お茶をつぎにきてくれる人がいたが積極的にテーブルを周る。無愛想で職務怠慢な上海人とは大違いだ。
一時間ロスしたというのに非常にゆったり時間をとる。

天池
ガイドと一緒に歩いて天池へ。
ここは中国のスイスと呼ばれ親しまれているらしい。確かにそれなりに湖は綺麗だし遠くに雪山もみえるが、うーん…。Too much Chineseが無ければもっと良かったかな。
遠くにお寺が見え、そこまで歩いていくかボートにするか選択。歩くと非常に疲れるというガイドの言葉を信じ、26元(約340円)を払いボートへ。

天池
天池
非常に早いスピードで一分程で岸につき、階段を登ってお寺へ。拝観料に10元取られる。意外に出費が重なる。
ちょっとスイス風の風景に中国的なお寺はなんか変だなぁ。

天池
再びボートに乗り、池の内周をものすごいスピードで走り、もといた場所にもどり終了。

それからツアーバスに戻り なぜかバラバラになったツアー客が ほぼ同時に集合することが出来た。

4:00PM頃 出発。
数十分走ったときツアー恒例のお土産屋めぐり。まず漢方のお店。周りにまったく家などがない所だが、これで本当に商売が成り立っているか不思議だ。簡単な漢方の説明を受けた後(当然 中国語なのでさっぱり分からない)、奥の売店へ。必要以上に店員がいっぱいいる。20人くらいいただろうか、もちろんスルー。
天池で始め一時間足止めをくらった関係もあり、あまり時間が無い。自分達は、7:55PMの敦煌行きの列車に乗らなくてはいけない。

心配をよそにウルムチの町の近くなのに今度は 和田玉と書いてある宝石の店へ。
自分が九寨溝のツアーの時に買った5元のブレスレットと同じようなものが30元~300元(なぜか極端に高いものがある)で売られている。材質が違うと言われればそれまでだが、こういう霊とか運気というものでプラスアルファの値段をつけるようなお店というのは、まったく買う気がしない。
ガイドに一応ウルムチの町に戻る時間を確認すると「多分 大丈夫」と楽観的。

そこから10分後くらい走って何人かホテルで客を降ろす。ガリガリ君が降りるとき、ニコニコしでながら日本語で「さよなら」と言ってくれたのが嬉しかった。

7:10PM 新疆飯店の前に到着。ガイドが急いでとせかす。ここでてっきり ホテルに預けておいた荷物を取りに行った後、すぐにこのバスに戻り駅まで送っていってもらえると思っていたのに(少し前の宝石店でそういう約束をしてくれたのに)、荷物を回収した後、バスはいなかった。どうやら英語でうまく意思疎通ができていなかったようだ。
今日一日親切に対応してくれたから、ひとことお礼を言いたかったのに…。

急いで駅へ。前回駅に行ったときは車道を遠回りしていったが、今回は駅までつながっていると思われる地下道を突き抜けることに。

本当にいけるか不安だったがなんとか到着。
手続きをすませ列車に乗ったのは7:40PM。中国の列車は発車前20分くらい前でもゲートが閉まったりするそうで、まさにギリギリだった。
今回は3段ベッドの一番上。上下の高さの空間もそれほど狭すぎるというわけでなく、むしろ通路などの「下界」から隔絶されたような空間でGood。

乗った後しばらく車窓からの眺めを楽しむ。沿線はかなりゴミが散乱していて汚い。いくつかの建物が廃墟になっていて、ここは「北斗の拳」かよ!という世界が広がっていた。

夕食は前回のようにワゴン車で運ばれてくる弁当を買うつもりだったが、いつまで経ってもドリンクやらカップラーメンの商品を売りにくるワゴンしか来ない。まわりの乗客もほとんどカップラーメンを食べ終わっていた。あきらめておととい買っておいたカップラーメンを食べることに。
お気に入りの「今麦郎」…辛くなくて良い。ここでよく見たら「日清」製だと判明。

11:00PM頃 ベッドに横になっていたら寝てしまった。



[関連記事]通常より3倍ほどデカイ


['05中国旅行記]

2005年06月16日(木) ウルムチ観光

2006年06月16日 | '05中国旅行記
ウルムチ
朝食にカップラーメンを食べ、8:20AM発のウルムチ行きのバスのチケット(30元=約390円)を購入し、出発。

何も無い荒野を走り続ける。
道中のバス内のテレビでやっていた映画。最初はいかにもウイグルな映画をやっていたが、それが終わると中国人(ジェット・リー?)が演じている日本人が主人公の映画をやり始めた。
時代は戦争中、「はいからさんが通る」のような格好のむちゃくちゃかわいい女の子も出てきた。映画の主人公が日本を離れる時 見送りの人々の日本の国旗が舞うシーンとかがあって、このシチュエーションやばいんじゃないか?と思ったが結構アクションが主体の映画で、舞台も上海に移り中国人がたくさん出てくるようになる。
バスの人たちは皆すごく夢中で見ている。まあ、ほとんどウイグル人だし大丈夫だ。主人公は学生服を着たまま柔道やら空手のような技で次々と中国人の拳法家(?)を倒していく。
それにしてもこんな映画が存在することが驚きだ。台湾映画だろうか?

ウルムチ
3時間ほどでウルムチに到着。
バスターミナルから市バスに乗り駅のそばの新疆飯店にチェックイン。ツインベッドルーム、一人30元(約390円)。
すぐに駅に行き、明日の夜の敦煌行きの列車のチケットを買う(169元=約2200円)。近くの食堂でチャーハン(5元)とショウロンポウ。

市バスに乗り人民公園の北あたりで降りる。明日、「天池(テンチィー)」に行く一日ツアーに申し込む為だ。このあたりに旅行会社がありそうとSada氏がいうので来てみた。
バスを降りてすぐに目に入った小さな建物に○○(?)旅行会社と看板があったので入ってみると、なぜか中は花屋。若いおねーさんが一人いる。恐る恐る天池の話をもちかけると、簡単な説明が書かれた紙(中国語)を見せてくれた。なぜ花屋になっているんだ??いろいろ筆談などで説明を聞いたりSada氏が知っている中国語を駆使して会話。
そして近くのビルの事務所に連れて行かれる。花屋はただの出張所のようだ。

ここの事務所はかなりしっかりしていて なかなかイイ感じ。一人だけ英語が話せる女性がいて丁寧に対応してくれた。珍しくツアーに関して渡される書類もしっかりしている。昨日のトルファンのツアーなんてタダの口約束だったもんなぁ。ツアーは100元(約1300円)。天池の入場料が60元(約780円)であることを考えるとそれほど高いものではない。

市バスでSada氏が行きたいと言っていた新疆ウイグル自治区博物館へバスで行く。
新館が建設中のようだ。有名なキンブル美術館をまねたような外観だ。
矢印にしたがって奥に進むと、仮(?)の展示館になっていて非常に粗末な建物だ。入場料25元(約325円)。中にはウイグルで発見された品物やミイラなどを展示してある。
中に入って5分ほどすると 突然停電…。館内の全ての電気が切れ、あたりは真っ暗。一応緊急の為に自分のカバンの中にミニ懐中電灯(100円)が入っている。これはアジア旅行では必須アイテムといっていい。結構日常的にあるのだろうか、係員がツアー団体客のガイドに大きな懐中電灯をすぐに渡していた。
しばらく復旧しそうにないので自分のミニ懐中電灯で観賞。まっくらな中、ミイラを照らしながら見るというシチュエーションは なかなか楽しかった。

ウルムチ
またバスに乗り、町の中心部を歩く。あまりに暑いので、どこかでお茶して休もうかと思ったが、なかなかそれらしい店が見つからない。KFCかマックもない。そういえばトルファンにもマックがなかったなぁ。ウイグル自治区には出店してないのか?
しかたがないので うろうろしていたら屋台でシャーベットを売っている店を発見。0.5元(約6円)のオレンジジュース(?)と1元(約13円)のシャーベットを買って日陰で休憩。

二道橋市場で漢方の「紅景天」を3元(約40円)で購入。チベットに行く前の高山病対策だ。

ウルムチ
外へ出ても暑いし、夜の屋台街が開くのにはまだ時間がかかるので、一端ホテルに帰る事にした。
少し町を見ながら歩いてホテルへ。

たまっていた洗濯物を手洗い。少し夏バテのようなだるさを感じる。少し仮眠をすることにした。

Sada氏にとんとんとたたかれ起こされる。もう10:00PMだ。寝すぎ…!

外へ出るが屋台はもう片づけ中。近くの店で麻婆豆腐と餃子で夕食。コンビニのようなところ買出し。

ホテルに戻り、日記を書くなどして過ごし、5:00AM頃、就寝。


['05中国旅行記]

2005年06月15日(水) トルファン1日ツアー

2006年06月15日 | '05中国旅行記
トルファン・蘇公塔
起床、どうやらカテキン君が悪玉菌と相打ちしてくれたようで とりあえずお腹はOK。

約束の8:40AM、ロビーで待つとすぐに一人の男が日本語で話し掛けてきた。彼はウイグル人、日本語ペラペラのドライバー。

古いBMWの車に乗り、一端マーケットのあたりでカップルを乗せる。
彼らは香港人。英語は当然のように話せる。なかなか感じの良い二人だ。
もともと今日のツアー外国人がもっといてマイクロバスでの移動だと昨日言っていたのだが、結局ドライバーを含めた5人のツアーとなる。

まず近くの蘇公塔へ。

トルファン・蘇公塔

トルファン・蘇公塔

トルファン・蘇公塔
イスラム建築のすごくシンプルなデザインの建物だ(入場料40元?)。

トルファン・高昌故城
そこから東へ進み、高昌故城へ。
入り口を入ったところで ロバの馬車(?)の客引きぜめに会う。皆20元と言い張り、値段交渉になかなか応じない。
もう歩いていくよとアクションを起こすと、若い少年が「10元!」と言って小走りに駆け寄ってきたので、その子に決定。後でドライバーに確認するとやはり相場は20元とのことだったので、これはお得。
この少年もほんの少し日本語ができる。よたよたと走るロバに日本語で「がんばれぇロバァ」と言ったりしていてかわいい。
10人ほど外国人を乗せている馬車と競争になったが、こちらは自分とSada氏と少年の3人しか乗っていないので楽勝。

トルファン・高昌故城

トルファン・高昌故城
4,5分くらい乗っていただろうか、そこには何かの城跡がった。あたりは土だけで出来た建物…というより壁だけだったりするのだが、なにか太古のロマンを感じる。
10分ほどうろうろして馬車に戻り帰る。

出入口を出たところで日本のツアー団体客がぞろぞろやってきた。町では全然みかけなかったが、日本人がこのようにたくさんやってくるようで、ウイグル人が日本語を勉強する理由がよくわかる。

次にアスターナ古墓群に行くが、いまいち興味がわかないので入らなかった。

トルファン
次の目的地に向かう途中、山々の眺めが非常に良かったので、ドライバーに頼んで車を止めてもらう。
乾いた山の谷間に緑があってすごく不思議な景色。ドライバーは見慣れていると言っていたが、自分達にとっては非日常だ。

トルファン・ベゼクリク千仏洞

トルファン・ベゼクリク千仏洞
次にベゼクリク千仏洞。いくつか洞窟内に仏画などが残っていたが、感想としては微妙。


トルファン・ベゼクリク火焔山
次に火焔山という山肌がヒダ状になっているところへ。
博物館のようなものがあったが、入らずに遠くから眺めただけ。

トルファン・ぶどう園
トルファンの市街に戻り、ぶどう園と呼ばれるあたりのレストランで昼食。
サービス(?)でスイカやらメロンやらを出してくれた。屋根の部分にぶどうがたくさん生っており それが強い日差しを遮ってくれているし、席のぞばに水路が流れていて涼しくて気持ちがいい。
焼きうどんのようなメニューを注文。すごく美味かった。
ドライバーはウイグル語はもちろんだが中国語(マンダリン)と簡単な英語と日本語を話せる。日本語は時々こちらが言ったことに対し「?」な顔をするが、それほど問題は無い。聞くと日本語を勉強して5ヶ月とのこと。彼曰くウイグルの言葉と文法が同じだからとこのことだが、たったの5ヶ月で…。
香港人カップルの公用語が広東語。英語が上手な理由は幼稚園の頃から英語を習っているからだそうだ。料理を選ぶ時は自分とSada氏の間で日本語。香港人の二人は広東語。具体的にメニューがどんな料理か確認する時は香港人はドライバーとマンダリンで相談し、そのふたりから英語で僕達に通訳をしてもらい、最後にお店の人にドライバーがウイグル語を使って注文。つまりこんな狭い空間で5つの言語が飛び交ったことになる。

トルファン・トルファン博物館
昼食を済まし、トルファン博物館。
地下水路カレーズ目当てで行ったのだが、なんか安っぽい小さなテーマパークのようなところでがっかり。

トルファン・交河故城

次に交河故城。ここはトルファン観光のハイライト的な存在で自分もテレビなどでここの映像を見たことがあった。結構 期待していたのだが、なんだろう…空の色がいまいちということもあるのだろうが、どうもピンとこない。あまりにも破壊されすぎていて、ただ単に土壁や奇岩などがたくさんランダムに並んでいるだけ、という感じ。

トルファン・交河故城
敷地は物凄く広く、照りつける太陽と乾燥した空気で心も身体もドライになってきた。最終地点で Sada氏と「たそがれ写真」を撮ったりして過ごし戻る。
売店でジュースを購入。涼しいですよという言葉に惹かれ建物にはいると、そこはお土産屋だった。しばらくイスに座って涼んでいると、日本語をしゃべるツアーガイドに連れられ、日本の団体客のおばさん達がトイレ目当てで中へぞろぞろと入ってきた。
店のサービスでスイカを切ってもてなし、サービスしていた。便乗して少し頂く。

香港人カップルもちょうど帰ってきたので、車に乗り町まで帰る。
一人たったの50元(約650円)。昨日 ホテルのロビーで声をかけられたという怪しさ抜群な勧誘だったが。ドライバーもいい人だったし、少人数で気持ち良く効率的に周れた。トルファンの遺跡などはびっくりするほどのものでもなかったが、ここ独特なものだし楽しかったからいいかな。バザールの辺りで降ろしてもらい、香港人と別れツアー終了。

トルファン・ソフトクリーム屋
そこの麺の店で夕食。
ついでに2元(約25円)のシシカバブーも注文して食べた。

トルファン
帰りに昨日きた交差点角のソフトクリーム屋に再び顔をだして、おやつタイム。
まずは冷たいアイスティーを頂く。昨日 何人かがここにソフトクリームを載せてフロートにして食べていたので、それをジェスチャーでお願いする。「ソフトクリーム汁だく」とでも名付けよう。(注;写真はアイス部分を食べた後)
食べている最中でも途切れることなくお客がやってくる。隣にも同様の路上ソフトクリーム屋があるが全然人気が無い。
アイスティーもおかわりしたし、ソフトクリーム乗っけてもらったので1元を払おうとすると。二人で1元でいいというジェスチャー。おっちゃんイイ人!このソフトクリーム屋は最高!

トルファン・ソフトクリーム屋
ここは トルファンに行く人にお勧め。盛城百貨大楼の角にあります。

ホテルに戻り、ゆっくりしていると日本人の55歳のおじさんが入ってきた。4ベッドルームを今日も二人で独占だ と思ったのに。いろいろ海外旅行をしているようで、定年前に会社を辞め上海からモロッコを目指して旅するようだ。

話し好きでなかなか会話が終わらない・・・一時間ほど話して就寝。



[関連記事]フレームイン


['05中国旅行記]

2005年06月14日(火) トルファン到着 ここは本当に中国か?

2006年06月14日 | '05中国旅行記
成都→トルファン
7:00AM頃、目を覚ます。景色は相変わらず荒れた土地が続く。

7:30AM頃、カップラーメンの朝食。残りのパンも食べた。トルファンに到着するまで、列車の旅の余韻を楽しんだ。やはりバスより断然、列車の旅がいい。

11:00AM頃、係員が来て、切符の代わりにもらったカードを交換。システムがしっかりしている。

トルファン
11:50AM頃、ほぼ予定どおりトルファンに到着。ここはトルファンの町から60Km離れている。
駅を出ると白タクのドライバーに取り囲まれる。始め15元(約195円)と言われるが、町までのミニバスを見つけ、そのドライバーに尋ねると7.5元とのこと。これをネタに交渉すると10元(約130円)になった。バスターミナルではなく宿まで行ってくれる為 こちらにした。

110km/h~130km/hで、何も無い荒野を走り、40分程かかり12:50PM、トルファンの町に到着。

一緒に乗った中国人二人を降ろした後、バスターミナルでなぜか車を止める。変な日本語を話す男が出てきて、トルファン近郊の一日ツアーの勧誘をしてくる。60元(約780円)とのことだが名刺をもらい後で連絡するということにした。

始めドミトリー目当てで、緑州賓館に行くがドミトリーは無いとのこと。ツインベッドルーム90元(約1170円)なので諦めてトルファン飯店まで走ってもらう。白タクにした利点を利用させてもらう。

ドミトリー30元(約390円) ここに決めた。
ロビーのカウンターで手続きをしていると、ある男が声をかけてきた。地球の歩き方に載っているJohn's Cafeの人間のようだ。日本語を上手に話す。そんなに日本人観光客が多いのだろうか。トルファンツアー50元(約650円)とのことなのでSada氏と相談しここに決めた。

レセプションは綺麗だが、案内された部屋は結構 格が下がる感じの別の建物へ。まあ30元だからこんなもんだ。それにしても成都の交通飯店の30元のコストパフォーマンスは凄かった。

荷物を置き、さっそく町の散策へ。外に出ると暑い!むし暑い!日差しも刺さるようだ。迷わず帽子を被る。

トルファン
南に少し行ったところでウイグルのおっちゃんが作っていた麺に目がとまり、それを指差し、注文。ウィグル版冷やし中華か。うまかった!

トルファン
おっちゃんや周りにいる人々の顔はもう中国人のそれではない。建物に掲げられた看板などの表示はウィグル語(又は中国語と併記)になっている。

トルファン
少し南に歩いたところの交差点の角でソフトクリームを出しているおっちゃんがいた。眺めていると次々とお客がソフトクリームやアイスティーを買っていく。そのソフトクリームはすごく背高く積み上げる。2元くらいかな?と思いお札をだすと二人分で1元、安い!暑いトルファンではありがたい存在だ。
イスを出され座って食べているとSada氏のデジカメで写真を撮ったりして、おっちゃんも楽しそう。冷たいアイスティーもなぜかおごってくれた。それもおかわり付!もうウィグル人イイ人!まわりで食べているお客も凄くいい感じだ。

トルファン
そこを西に行ったところにバザールがあった。売っているパンなどが独特だ。パンを味見してくれたりイイ感じ。

トルファン・シシカバブ
シシカバブ1本5元(約65円)で買う。

トルファン
ハミウリという黄色い果物を味見しさせてもらうと1個2元(約30円、安い!)で買った。

帰りにバスターミナルの位置を確認しホテルに戻る。シャワーを浴びて部屋でまったり。
よくみるとポケットの携帯電話がない。どうやらタクシーでなくしたようだ(短パンのポケットから落ちた)。なぜかキーデポジットのレシートも無い。

プチ鬱になり、8:00PM頃 夕食の為 外へ。外はまだ明るいが だいぶ気温が下がった。
南へ向けて歩き、あるコンビニのようなところでお菓子を買ったところで、急にお腹が痛くなり、Sada氏を残し、ホテルに急遽もどりトイレへ。
ウンコは少ししか出なかったが、痛みは治まった。ついにアジアの洗礼「下痢」がきたのかと思ったが、そうではなかった。

トルファン・屋外ビリヤード
Sada氏と合流し、体育場の少し北あたりに、屋外なのにたくさんのビリヤード台が置かれている一角があり、その脇にいくつか屋台が並ぶ。

トルファン
8:50PM頃なのに開店していたのは手前の屋台のみ。若い角刈りのにーちゃんがやっているその店に決めた。
その屋台はいろいろな串を油で揚げるところ。皿を渡され いろいろなネタの中から自分達で選ぶ。それをにーちゃんに渡し、揚げてもらう。テーブルにつき、別の店でビールを注文。

トルファン
日本から遠く離れたこの土地で、外の屋台で串とビールを飲めるなんて最高。二人でいろいろなことを語り合い、ビールと串を追加。

トルファン
周りはようやく暗くなり、ビリヤード台もたくさんの人。ビールを飲んでる客もだんだん増えてきて、日本のビアガーデン状態。
人々も中国(上海など)とうってかわって人柄がやわらかい。この雰囲気はどこか日本的で居心地がいい。

二時間くらいそこにいただろうか、会計を済まそうとすると再び急激に腹が痛くなってきた。
前かがみになりながら歩き近くのホテルのトイレへ。自分でも血の気が引き顔が真っ青になっていったのがわかるくらい。トイレに駆け込むが やはりまたウンコが出ない。しばらく休んだら、楽になった。
よくわからんが、お腹の中に悪さをしている菌がいるに違いない。

ここで思いついたのが「緑茶」。さっき入ったコンビニで黄山製の緑茶を購入。ちょっと他のお茶より高い8元だったが、日本のお茶の葉っぱ似ているものの方が利きそうだったのでそれにした。
これは中国旅行する前に予習しておいたブログ「橙色の豚」のmlsenyouさんが下痢を止めたのが緑茶だったからだ。

ホテルに帰りさっそく部屋に備え付けのお湯でお茶を飲む。

微妙に腹の痛みに苦しみながら、明日のトルファン一日ツアーが心配で、あるお願いをしながら眠りにつく

「カテキン君、がんばれ!!」


['05中国旅行記]

2005年06月13日(月) 丸一日列車の中

2006年06月13日 | '05中国旅行記
成都→トルファン
8:00AM頃、朝日とともに目が覚める。
朝ご飯として買出しをしておいたカップラーメン。辛くないヤツを選んだだけありなかなか美味い。
インスタントラーメンは日本の発明。今現在、中国人にとってカップラーメンは欠かせない存在だ。街中でも売っている店がたくさんあるし、なぜか道端とかでも食べている人がいたりする。
中国のホテルにはお湯の入ったポットが必ず置かれている。これはおそらくお茶を飲む為だろうが、このカップめんを食べる際にも役に立つ。それは列車でも例外でなく各ベッドの間のちいさな机の下にポットが二つずつ置いてある。もっと熱いお湯が欲しければ車両の後部にタンクのようなものがあり、それを利用する。カップめんの中にプラスチック製のフォークが入っており非常に便利だ。

しばらくSada氏とおしゃべりし、ベッドに横になり本を読む。15分ともたずに眠りの中へ。

10:30AM頃 起きて車窓を楽しむ。

12:30PM、Sada氏が起きないが弁当売りが来た為 二つ購入。先に食べ始める。
隣のベッドのおっちゃんがSada氏をおもしろがって起こす。二人で昼食。

また車窓を楽しんだ後、読書タイム。下川祐二の「アジア漂流記」を全部読む。中国の内容など少し時代が古いが納得することが多い。

夕食は7:00PM頃。毎回ついてくる肉が同じものだ。朝の時点からだが車窓からの眺めが すでにウイグル地区っぽい。
乾燥した風景。時々背の低い草のような塊がたくさん生えている光景はオーストラリア アデレード→アリススプリングス間の列車から見た風景と被る。建物が焼成レンガ・周囲の塀が土壁という景色が時間が経つに連れ、建物までも土壁になっていく。

夕日が沈んだのが9:00PM。中国は国土が広い割に(基本的に)時差は無い。西に進むに連れ日の沈む時間が遅くなり、一日の体感時間が長くなる。

おっちゃんが嘉(?)関の駅で降りていった。変わりに別の乗客が乗ってきたが、シーツと布団を変えた形跡が無い。

10:00PM、周りの中国人がトランプを始める。その中の一人が横になって本を読んでいるSada氏のベッドに勝手に座っている。いつも思うことだが中国人というのはプライベート空間への不可侵という考え方が薄い。日本人の感覚からすると割り当てられたベッドには友人や親族以外、許可も無く座ることはないだろう。仕切りが無い(扉が無い)ニーハオトイレの存在が示すように人に見られる事を問題にしない。物理的にも精神的にもプライベート空間という考え方は中国人にはないのかも。
このあたりは中国人の民族性なので外国人である自分がとやかく言うことではないのだが。

成都→トルファン
自分は中段のベッド、CDプレイヤーをこの旅初出陣で英会話レッスンを聴く。これは究極の子守唄となり あっというまに寝れた。

どれくらい時間が経ったかは知らないが、英語レッスンがケミストリーに代わった頃、目を覚ますと、すぐそばでトランプをしていた3人がブツブツしゃべっている。翌日Sada氏に聞いたところによるとトランプから2時間以上しゃべっていたらしい。
その声が気になって眠れない。なんども咳払いをしたり、日本語で「うるせーなぁ」とつぶやくがいっこうに止めようとしない。
15分くらい我慢したがとなりの女を睨みつけ、手摺をコンコン「うるせーよ!」というと彼女も男二人に「シィー」というジェスチャー。
それから3分程ささやき声が続いたあとやっと治まった。この隣の女は、セクシーなぽっちゃりと前に書いたが、鼻ペチャデブうっとおしい女と名付けることにしよう。

声が消えて数秒で眠りについた。


['05中国旅行記]

2005年06月12日(日) 成都発 トルファン行 列車の旅開始

2006年06月12日 | '05中国旅行記
成都→トルファン
「笑いの大学」が終わった頃、目が覚める。3人とも もうお疲れモード。
洗濯物を取り込みパッキング。Sada氏 以外は寝てしまう。

7:30AM頃 起きて再準備。ワカナ・マイちゃんとお別れして、8:10AMチェックアウト。この二人と九寨溝ツアー一緒に行けて楽しかった。

バスに乗り成都北駅へ。9:45AMの列車に乗る。

列車に乗ると駅員のおばさんに切符を渡し、なにか別のカードに交換する。
進行方向左側に3段ベッドが並ぶ。チケットのクラスは「硬臥」。硬いといってもそこそこのクッションの上にシーツが敷いてあり 特に問題はない。自分は3段ベッドの中段、Sada氏は下段だ。
昨日から寝ていないSada氏はすぐに爆睡状態。自分もベッドに横になっていたら寝てしまった。
12:30PM頃 起きて、通路側にあるイスに座って過ごす。お腹がすいたので あらかじめ買っておいた食パンにミルクをかけて1枚つまみ食い。

Sada氏が起きた1:30PM 車内の弁当売がまだ巡回していたので10元(約130円)で購入(トレーのデポジット10元)。ステンレスのトレーにご飯・肉・野菜の炒め物がのっている。味はまあまあ悪くない。

二人でずっとおしゃべりして過ごし、再び昼寝。

見回り警官IDチェックをしているらしく起こされる。寝起きでわけもわからずパスポートを見せる。

隣のベッドの下段にいる安部譲二似のおっちゃんがSada氏に興味を持ち、寝起きの彼に中国語でずっと話し掛ける。中段のお水系っぽいねーちゃんも それに参加するなど 奇妙な時間を過ごす。
隣にいる4歳くらいの男の子がかわいくて この車両のアイドル的存在になっていた。

夕食は再び車内弁当をたべることに決める。かなり遅い時間で トレーの回収をしているおばちゃんに二つ注文すると どうやら新たに作ってくれたようだった。

トレーの回収がなかなか来ないので、10:00PM頃 落ち着かないまま仮眠のつもりで横になっていたら寝てしまった。トレーのデポジットはSada氏が回収してくれた。


['05中国旅行記]

2005年06月11日(土) 九寨溝・黄龍ツアー4日目 成都へ

2006年06月11日 | '05中国旅行記
黄龍→成都
6:30AM 朝食の為 荷物をまとめてレストランで待つが、ワカナ・マイ ペアが来ない。二人は寝坊したようだ。
6:50AM頃 ようやくやってきて自分達のテーブルに食事が運ばれる。
このツアーで特に感じたが中国人は時間には意外に正確だ。7:00AMになりガイドが呼びに来て、早く朝食を食べ終わるようにけしかける。
食べかけの饅頭を口に入れバスへ。

黄龍→成都
今日はただ成都に帰るのみの行程だが、次々とお土産物屋に立ち寄る。
ヤクの角で作った工芸品の店・水晶の店・お茶の店(実演付で試飲できた)など。安いツアーの秘密はこういうことね。

途中バスが急ブレーキ。前を見ると左の崖からプチ崖崩れ…。砂埃が舞う…。危ない危ない、こんなところで死にたくないぞ。

道路工事中などで10分くらいバスが全く動かないことが2度あったが、ほぼ予定どおり4:20PM頃、成都に到着。

ツアーの皆とお別れ。

タクシーに乗りSiam Cozy G.H.へ。うっかりして予約をしていなかったので、15元のドミトリーが空いておらず、このメンバー4人で四人部屋に泊まることに(25元)。
洗濯(1回8元)などして過ごし、7:30PM頃、Sada氏と宿を出て、市バスで駅へ。

420元(約5460円)のトルファン行きチケットを購入し、再びバスでツアー前に買い物にきた登山グッズの店へ。フリースを購入(188元=約2400円)。
店の中に「抗日15周年」Tシャツが売っていた(なぜ15年?)。それをネタにSada氏と盛り上がっていたら、矢口真里似の小さい女の子店員が、そっと奥に隠していたのがかわいかった。

中国銀行のATMでお金をおろす。

成都
ここのところ中華な食事盛りだくさんだったので、夕食としてマクドナルドへ。ビックマックセット(18元=約230円)とタロイモパイ(4元=約50円)。
普通10元でお腹いっぱいになる中国の食事としては少し高めだ。店内は結構混んでいるし、中国人にとってもそれほど高級でないのかも。

宿の近くのトラストマート(スーパーマーケット)で明日からの約50時間の列車の旅の備えの為、ドリンクやカップラーメンなどを買い込む。

宿に帰ってSada氏のパソコンにデジカメデータを入れてもらう。
Sada氏の持っている「隠し剣 鬼の爪」のDVDをテレビ室で観る。なかなか良い映画だった。
観終わった時間が3:00AM頃。Sada氏が出発の時間まで起きているというので、他の3人とともにもう一本付き合うことに。
「笑いの大学」だったが まったりとしたBGMのせいか 開始30分程で寝てしまった。


['05中国旅行記]

2005年06月10日(金) 九寨溝・黄龍ツアー3日目 黄龍トレッキング

2006年06月10日 | '05中国旅行記
黄龍
6:20AM 朝食。朝のメニューは昨日とほぼ同じ。

6:50AM 出発の時間。ガイドがルームカードキーを回収したりする。
周りを見ると、ツアー客が大きな荷物を持っている。3泊この同じ宿に泊まると思っていたが、どうやら違うようだ。
ある程度パッキングを済ませていたので、自分はすぐに用意は出来たが、女の子たちは必死になっていた。

5分遅れで出発。
黄龍に向かうまでの道中、みやげ物やに立ち寄るのは、ツアーの宿命だ。

途中、富士山より高い標高3800mの地点を通過。雪山が周りを取り囲む。

黄龍

黄龍
昼食を済ませた後、1:00PM頃 黄龍に到着。
ガイドからチケットを貰い、1:30PM頃 ウォーキングを開始。
五彩池と呼ばれるパンフレットなどでよく使われる美しい池まで片道4kmのウォーキングコース。鍾乳洞の内壁が外部に出てきたというか、見たことも無い不思議な光景が続く。

黄龍
ワカナちゃんとマイちゃん 二組と途中ではぐれる。しばらく待っても二人が見つからないので、Sada氏と二人で一緒に五彩池を目指す。

あいかわらずのToo much Chinese!いたるところで変なポーズで写真を撮ったり、かなりじゃまくさい。日本人はもちろんヨーロピアンも見えない。

黄龍

黄龍

黄龍
3:30PM頃 五彩池に到着。限りなくブルーに近いエメラルドグリーンの水と白・黄色い石灰岩(?)との色のコントラストが美しい。やはり最終目的地だけあって途中にあったところよりも規模も大きく より美しい。高度が高いせいで少し息苦しいところがんばって来た甲斐があった。

4:30PMに駐車場に戻るために ここから4kmの道をノンストップで降りていく。基本的にこの戻り用のコースは川から少し離れているので脇目もふらず1時間程で降りることが出来た。

女の子二人は既にバスに戻っていた。疲れたので五彩池まで行かず途中で引き返したようだった。

5:00PM出発。
もと来た標高3800mの地点を通り、8:30PM頃 ホテルに到着。

黄龍
部屋に入る前に早速夕食。
今回は魚料理など今までとは違う料理が並ぶ。いつも思うが円卓に6,7人座り、運ばれてきた大皿を皆で好きにとって行くシステムは大量に料理が余る。一人一人に料理が与えられる訳でないので、日本人でも残すことによる罪悪感が薄い。食べ終わったテーブルの残飯をバケツで次々に回収していく。

食べ終わり、渡されたカードキーNo313に従い、この建物の3階に行くがドアがカードキータイプでない。従業員に確認すると、隣の建物とのこと…。どうりでここはボロい訳だ…。

黄龍
隣のホテルに移る。シャワー室がオールドフューチャーなカプセル状で笑った。設備が立派に見えるのだが照明やテレビなどなぜか動かない。どうも少しずつ抜けているところが中国らしい。

黄龍
外に出て商店街にかけて並ぶ露店でブレスレットなどを物色。どの露店も似たようなものが置いてあるが、きれいなおねーさんのところで気に入ったものがあったので値段を聞くと7元とのこと。
他の露店を見たあと、買う気満々でもう一度 ねーさんの店に戻ると、別のおばさんが出てきて、今度は5元(約65円)とのこと、交渉せずに値下げした…。
即 購入して、雨がぱらつきだしたのでホテルに戻り就寝。



[関連記事]理想郷の背後には


['05中国旅行記]

2005年06月09日(木) 九寨溝・黄龍ツアー2日目 九寨溝ウォーキング

2006年06月09日 | '05中国旅行記
九寨溝
5:00AM頃 自然と目を覚ますが、うだうだ…。

7:00AM 朝ご飯。饅頭やおかゆなど。7:30AM出発。ホテルから10分程バスで走ったところが九寨溝のバスターミナル。
ガイドから入場券や園内のバスチケットをもらう。

大勢の中国人の中を掻き分け入場。
まずガイドと一緒にミニバスで15分ほどバスに乗り「長海」へ。降りるとまたもやたくさんの中国人が。人多すぎ。
ここからガイドなしの自由行動。すばらしく青い湖。ゆっくり眺めたいがうざったい。

九寨溝
どの観光地でも思うが中国人は記念撮影が大好きのようだ。

九寨溝
①被写体が 奇妙なポーズをする。
②撮影者がアングルなどを決めるのが長い。
③被写体と撮影者の間にスペースができるので他の中国人が通行していく。
④撮影者がそれを何度も制す。
⑤やっとシャッターを押す。
⑥ようやく終わったと思ったら、被写体とカメラマンが交替。

①に戻る

なげーよ。早くどいてくれ。

九寨溝
チベットの民族衣装を着た人たちの押し売りも多い。

九寨溝
散策路を歩き次の池へ。

九寨溝
そしてバスに乗り一端降りて再び違うバスで原始森林(?)へ。パンフレットにはレッサーパンダの写真が載っていたが、リスくらいしか居なかった。
すでに日本を離れてから5ヶ月くらいのsada氏は、日本で話題になった風太君のことを知らない。

九寨溝

九寨溝

九寨溝
そこから遊歩道をあるきウォーキングを楽しむ。信じられないくらい透き通った水に皆感動。小川や滝なども楽しんだ。

集合時間に間に合わないのでバスで一挙に戻る。
5:30PM、バスターミナルでの集合時間にギリギリ間に合わなかった。

タクシーに乗りホテルへ(1人2元)。そしたら途中で自分達のツアーバスを追い抜きホテルに30秒先に到着。

ホテルに着いて30分程休み、夕食。
なぜかメニューが昨日の昼に食堂で食べたものと被ってる。でも うまい。ホント中国では食に関しては満足だ。

部屋に戻り、すぐにシャワーを浴びようとするがお湯がでない。sada氏はもうすでに寝ている。

九寨溝 中国反日番組

九寨溝 中国反日番組
テレビをそお~と 観ていると、日本との戦争の歴史に関する報道番組をやっていた。下に中国語の字幕がでるが、中国人・韓国人の識者などのインタビューなど、明らかに日本批判(当たり前か)。日本人も出てくるが なぜか日本語の声が消されて聞こえない。吹き替えと字幕だが やはり日本批判だということが分かる。まあ、バカ左翼のインタビューだろう。
こんなの毎日 観させられたら洗脳されるよなぁ。


['05中国旅行記]