goo blog サービス終了のお知らせ 

電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2005年06月28日(火) ジョカンとポタラ宮

2006年06月28日 | '05中国旅行記
ジョカン

ジョカン
9:00AMホテルを出発しジョカン(大昭寺)へ。
正面の扉は開いていた。午前中はタダと聞いていたのに係員に止められ、払うようにいわれる。入場料70元(約910円)!高すぎるぞ。
入場券の変わりに変なCDを渡される・・・いらねぇ。
30分ほどして中で会った日本人に聞くと何も言われずに入れたとのこと。くやしい。

中は ものすごい人数が列を作っている。はじめ正直に20分ほど待っていたが考え直し列をはずれ見学することに。並んでいる人々は各小部屋に入り一つ一つお参り(?)や五体投地をしているのでこれをやらない人は並ぶ必要は無いのだ。


ジョカン
簡単に見て周る。たまたまきていた中国人ツアー団体客の中にさりげなく混ざって、中央部の仏像を近くで見ることが出来た。


ジョカン

ジョカン

ジョカン
2階の内庭のような空間はおもしろい。一端、一階に戻り、別の階段で屋上へ。
Sada氏とサンポ氏は、ぼらないと噂の 屋上の売店で数珠を買っていた。

大通りを出たところの店で昼食。炒面5元(約65円)、包子1.5元(約20円)。

3人で強引に一つの人力車に乗り(4元=約50円)、ポタラ宮へ。雲がポタラ宮の上に乗っかっているような状態だが空は青く、なかなかGood。
写真を撮りまくり。

ポタラ宮

ポタラ宮

ポタラ宮

ポタラ宮
西側の扉から入り工事現場で埃っぽいところから入場。少し階段を上がったところにチケット売場。入場料100元(約1300円)。もう高すぎ!
しかし しょうがない・・・。なにか整理券が必要だったっぽいが、サンポ氏が交渉し購入。

ポタラ宮

ポタラ宮
12:40PM、タクマ君と原君とここで合流。1元(約13円)のジュースを飲み休憩。

ポタラ宮

ポタラ宮

ポタラ宮
内部は各々のペースで拝観。内部の写真撮影は基本的にダメだが、中で飼っているネコはOKしてくれた。知る人ぞ知る出口付近にあるトイレ(穴が開いていて遥か下に落とすだけのシステム)で 小便。
西の通路を通り出口を出たのはちょうど2:00PM。いままで中国で会った人や情報ノートなどでは、ここポタラ宮はショボイと聞いていたが、自分は充分楽しめたし満足だ。

Sada氏とサンポ氏、自分とタクマ君で人力車に乗り、宿へ。
人力車の兄ちゃんが非常にがんばって早くついたので値切って4元のところを5元(約65円)渡した。とりあえず宿の部屋で昼寝。

7:00AM頃起きていつものバナクショーホテルの前の店で夕食。酢豚と卵トマトスープ。ナスの炒め物(一人12元=156円)。

2時間ネットして宿へ。無料洗濯サービスの服を回収。下着類は頼めないのでオケで洗濯。
サンポ氏は頭が少し痛いらしい、軽い高山病のようだ。それぞれの時間を過ごして就寝。


['05中国旅行記]

2005年06月27日(月) セラ寺潜入

2006年06月27日 | '05中国旅行記
チベット・ラサ ヨーグルト
朝イチでジョカンに行くつもりだったが、タクマ君が午前中予定を空けてくれたので、4人で キレーホテルの旅行会社に西チベットのツアーを組む為の具体的な打ち合わせをしにいく。

サンポ氏がほとんど細かな交渉をしてくれた。大変ありがたい。
各エリアのパーミットもここで取得してくれる。2日必要なので、出発を6月30日に決定。1人当たり3400元(約44200円)。この時点でパーミット代として400元(約5200円)を支払った。

交渉が長引いたのと、またサンポ氏の体調が悪いので、ジョカンは また今度ということにした。
午後のポタラ宮もサンポ氏が行けないので、今日はセラ寺に行くことにした。

タクマ君の推薦のバナクショーホテル前の店で昼食。
日本語で書かれたメニューも置いてあり、味も美味しい。

1:30PMにタクマ君と出かける約束をし、ホテルでマッタリしていると、タクマ君がもう一人男を連れてきた。
その男は部屋に入るなり、こっちを見向きもせずに この部屋スゲーというだけ。タクマ君が「彼を今回の西チベットのツアーの車で、シガツェまで乗っけてくれないか」という申し出。詳しい話を聞こうとしたら、その男は「あ~やっぱり一人で行こうかなぁ~」とのこと…。勝手に行け!と心の中で思う。もう彼と話す気が無くなった。
ちょうどサンポ氏が部屋に戻ってきたので、相手をしてもらう。

1:30PM 自分・Sada氏・タクマ君・無礼なヒゲ男の4人でセラ寺に行くことに。
歩いて西へ向かい、昨日も食べたヨーグルトを交差点で食べ、503番のバス(2元)をつかまえセラ寺へ。

チベット・ラサ セラ寺
諸事情で、裏技を使う。外側をぐるりと歩き、寺の塀と隣接している住居(?)のようなところの扉から侵入。2コ目のドアを開けようとしたとき、寺の坊主と遭遇。一度追い返されるが、タイミングを計り強引に中へ。潜入成功。

チベット・ラサ セラ寺

チベット・ラサ セラ寺
適当に境内を散策した後、セラ・チェ学堂の隣の林で3:00PMから始まるというこの寺名物の「問答修行」を待つ。

チベット・ラサ セラ寺
結構待たされた後、30人くらいは居ようか、坊主たちが集まり「問答修行」を始める。
一人が地面に座り、もう一人が立って何かブツブツ言いながら、独特のモーションで手を体の正面で打ち鳴らし「攻撃(?)」。座っていた側も「やられたぁ」という顔をするときや、なにやら反撃の言葉を投げかけていたり…。笑いながらやっている僧もいれば、妙に観光客のカメラを意識している僧もいる。
なにやらとりとめもなく延々続けているので、15分ほど見たあと帰ることに。

バスに乗るまでの参道で2,3人の子供に物乞いをされる。ズボンを掴んできたり強烈だ。

チベット・ラサ ポタラ宮
503番のバスに乗り町へ戻る。他の3人と別れ、一人ポタラ宮へ。
ラサへ来て3日目なのに、まだ遠くから眺めただけで悔しかったので、しっかり近くで見ておきたかった。
天気は晴れているのだが、ちょうどポタラ宮のバックが大きな雲がかぶさっている。反対側は絵に描いたような素晴らしい雲なだけに残念。しばらくポタラ宮を眺めながら雲が晴れるのを待つが諦めた。

西側に小さな丘があり、5,6人いたのが見えたので行ってみる。丘に登る前、アクセサリー売りの女に捕まり、丘の上までついてこられる。相当しつこい。しかも、まわりの4,5人の物売りは皆グルなのか協力して売り込みにくる。ポタラ宮の写真を撮る際にカメラの前に立ちふさがるほどのしつこさ。
ここはポタラ宮を眺めるという絶好のロケーションのはずなのに特に整備をされておらず登り辛かった。この奥にもさらに高い丘があるが無粋な電波塔のようなものが建ってしまっている。こういうところがツメが甘いというか…中国らしいというか…。

ひたすら歩いて宿へ。
二人ともお疲れ中。Sada氏が「ヤバイ!38度!」といううなされるような言葉を発した。朝鮮戦争の夢でも見ているのかと思ったら、体温計で測ったようだった。
大事をとって、Sada氏はホテルで休むことに。

自分とサンポ氏はバナクショー前の店で夕食。豚肉麺(5元=65円)。

二時間ネットしてホテルに帰り、就寝。




[関連記事]湯沸しはタダで


['05中国旅行記]

2005年06月26日(日) 西チベット準備日

2006年06月26日 | '05中国旅行記
チベット・ラサ
9:00AM頃、目を覚ます。昨日までの軽い頭痛はもうない。朝も快便。トルファンからなにかしら問題のあった体調だが、どうやら調子が戻ってくれたようだ。(↑写真はバナクショーホテル)
Sada氏とサンポ氏はノートパソコンをいじる。

チベット・ラサ
サンポ氏がユースのカウンターで値引き交渉。4ベッドルームを3人で使わせてもらい30元としたようだ。ありがたい。パッキングをしてユースに移動。

チベット・ラサ
非常に綺麗な部屋だ。バナクショーに居た分 余計にうれしい。

チベット・ラサ
ジョカンが午前中 入場無料と「旅行人 チベット」に書いてあるので慌てて出発。
ジョカンに着いたのが11:30AM頃だったが 扉は閉められていた。
門の前で五体投地をおこなう人達がいた。

チベット・ラサ
門に向かって右側から入場できるが、入場料70元。高すぎだぞ!「旅行人 チベット」には35元とある。中国の入場料の上昇は尋常ではない。とりあえず今日は入場を諦めた。

チベット・ラサ
ジョカン前の広場に並ぶ。露店でお土産としてネックレスを買う。

ちょうどお昼なので、広場から南へ行ったお店でホイコーローチャーハン(5元)、美味いなぁ。

そこを出て、サンポ氏が知っていたスノーランドレストラン前の「光明」というチャイのお店へ。ここはたった3角(約4円)でチャイ(ミルクティーのこと)が飲める。
店の中は細長く広い、長い机に向かい合って座っている男達が、ただただチャイを片手に語り合っている。なかなかおもしろい空間だ。
じいちゃんに促された席に座り、3角分のお札を机に置き 待つ。やがて小さなグラスが置かれ、やかんを持ったおばちゃんがチャイをついでくれた。甘くて美味しかった。

ここでサンポ氏はいろいろな旅行会社へチベット西への車チャーターの値段などを聞く為、別行動。Sada氏はラサの北にある阿里事務所あたりにラサ→アリ間のバスのチケットの値段を聞きに行くという。一人何もしないわけには行かないのでSada氏についていくことに。

北京東路でバス503(2元)に乗り、阿里事務所あたりで降りる。
そこのバス会社っぽい所にいた片言の英語ができるおばちゃんに話を聞くが、外国人はバスでアリまではいけないの一点張り。
いきなり男が現れ、自分はドライバーと言う。彼のランクル(?)が明日ここを出発し、アリに行くらしい。1人650元~750元とのこと。
明日というのも突然だし、なんだかこのドライバーも怪しい。

とりあえず宿に戻り、サンポ氏と合流。彼がキレーホテルで聞いてきたチャーターの話が一番信用できそうだ。
ランクルチャーターするにはもう一人メンバーがいたほうが安くなる。ここのユースのドミトリーに行き、カイラスに行きたい日本人がいないか尋ねると、ヤクホテルに一人いるらしいということを聞けた。

さっそくヤクホテルのドミトリーに行くが不在。

そのままの足で西に向かう。
歩いている途中の交差点でヨーグルトを売っていた。竹の筒に入ったもので2元。アジアの食事に対抗するため、ヨーグルトは強い見方になるはずだ。美味かったぁ。

トレッキング用品が立ち並ぶ通りで、3人それぞれ買い物。
サンポ氏はNorth FACEの帽子。Sada氏はコロンビアのズボンを買った。自分はウィンドブレーカーを90元(100元から値引き)で購入。カイラス山のコルラする際に、寝袋も欲しいところだが、既にオーストラリアで買ったもの(家に置いてきた)を持っているし、今は夏なので何とか大丈夫ではないかということで、自分は買わなかった。

スーパーで少し買出ししたあと、再度ヤクホテルに行くと、カイラスに行くという日本人がドミトリーのベッドで寝ていた。起こして話を聞くと、成都のSiam's Cozy GHでSada氏と会っていたようだ(ちなみにSada氏は忘れていたが)。彼も西チベットへ行くメンバーを探していたところでちょうどよかったようだ。性格も良さそうだ。一緒に行くことに決定。

彼が西チベットへ行くドライバーを紹介してくれる中国人女性と少し顔見知りとのことなので一応話を聞いてみることになり、彼女と会い交渉したが、どうも内容が怪しい。
今夜10:00PMに値段などを連絡をもらうことにした。

彼を含め4人でスノーランドレストランの向かいの店でネパールカレー(20元)を食べる。インドカレーを頼んだSada氏はかなり待たされていた。

3人でキレーホテルの旅行会社に立ち寄り、西チベットの話を聞く。対応が誠実でここは信用できそう。やはり西チベットツアーはココで申し込むことにする。
ランクルも見せてもらう。新しい型のランクルは座りごこちが良い。しかし、お金との相談で古い型の方で行くことにした。

宿に帰る。
シャワーのお湯が出ない…。おっちゃんがテープで直してなんとかなおった。ここはシャワーは湯沸し器のようなものが各ブースについており、ガス臭くて、その点だけは このホテル難有か。

1:30AM頃、就寝。


['05中国旅行記]

2005年06月25日(土) 憧れのラサ

2006年06月25日 | '05中国旅行記
ラサ・バナクショーホテル
9:00AM頃 起床。

それぞれの時間を過ごした後 宿を出る。少し頭が痛い。高山病対策として適度な運動も必要だ。深呼吸しながら歩く。

ラサの町は整備されていて道が広い。あらかじめラサは想像するより都会だよ とか聞いていたので別にガッカリすることはなかった。それよりもしっかりと建物の窓のデザインなどしっかりと「チベット」な感じで好感触。久々にちゃんと「外国に来たなぁ」という印象。

まずは各ホテルチェック。
ユースホステルが無茶苦茶綺麗で広々としていた。シャワールームやトイレもGOOD。従業員の対応も良かった。

チベット・ラサ
ヤクホテルの部屋はまあまあ。屋上からの眺めは良かった。ここからポタラ宮が見える。色使いなど純粋にかっこいい。
チベットの空は本当に青くてGOOD。雲の散らばり方なんかシンプソンズのオープニングのようだ。

そこを離れ、旅人の情報ノートがあるというTASHI1へ。2階にレストランがありヨーロピアンが5人ほどいた。朝食としてBANANA PAN CAKE(12元)を食べた。

そこを出て、今度はキレーホテルへ。ここのホテルは今 泊まっているバナクショーとそれほど変らないレベルだが(布団はこちらの方が綺麗)、トイレを観てきたサンポさんの話だと「狭い、汚い、流してない」のとってもステキな三拍子がそろっているトイレだったらしい。ここのホテルはNGだ。

ラサのベストホテルはユースに決定。後で分かったことだがユースは4月頃にできた(改装した?)ばかりらしい。それにあまり知られてないらしく客もほとんどいない。

TASHI2で昼食。ボロネーゼを注文。
中国のスパゲティは最悪だと有名だが、この店は外国人旅行者対応のレストラン。美味しいものが食べれると思ったのに、何だこの麺は!!??沢山種類のある中華麺のどれかを使っているとしか思えない…。ソースは悪くないだけに残念。半分残した…。

ユース近くのネット屋で3時間近くネット(1時間 3元=約40円)。

一端宿に戻る。
Sada氏は本屋に行くと出かけ、サンポ氏は寝るということで、自分はカメラを片手に写真を撮りにそぞろ歩くことに。

チベット・ラサ
宿の近くの路地を曲がるとずっとクネクネ路地裏別世界へ。

チベット・ラサ
そこにいた子供達にカメラを向ける、最初警戒していたが一人の女の子が興味を示し近づくと次々と周りの子供達が集まってきた。年長らしい帽子を被った子が皆をまとめ記念撮影状態。デジカメのモニタを見せたら皆 興奮して何枚も撮るようにせがまれた。

一度バイバイと言って離れたのに しばらく追いかけてきた。また記念撮影となる。こういうのはこっちも楽しい。

チベット・ラサ
宿に帰り3人集合したので夕食へ。
初めサンポ氏がどこかで仕入れてきた情報で、3元(約40円)のメニューがある食堂に行く予定だったが見つからず、路地を彷徨うことにした。
ジョカンまわりのバルコルに行き着く。そこでなぜか大勢の人々が同じ方向に歩いている。僕達だけ その中で逆走している形になる。ここでSada氏が気付く「コルラしているんだ」。
ここはいつもこんなに沢山の人がコルラしているのか!?その中で二人「五体投地」をしながら進んでいる人達がいた。犬も一匹コルラしていた。

チベット・ラサ
いろいろ見ていたら9:00PM近くになっていた。周りはまだ暗くはなっていたんかったが、お店がだんだん閉まっていく。

しょうがないのでスノーランドレストランに入るがメニューが高いのですぐに出た。

チベット・ラサ
宿の方に戻り食堂を探し、砂鍋の店で麺を食べることに。Sada氏は餃子、サンポ氏はチャーハンを余分に注文、つまませてもらう。
お店のおっちゃんも良い対応だったし、旨かった。

バナクショーホテル(八朗学旅館)に戻り、それぞれの時間を過ごし就寝。



[関連記事1]消え行くチベットらしさ
[関連記事2]路地裏からの贈り物(前編)
[関連記事3]路地裏からの贈り物(後編)


['05中国旅行記]

2005年06月24日(金) チベット潜入の為に

2006年06月24日 | '05中国旅行記
ゴルムド→ラサ
5:20AM、ゴルムドに到着。
多くの中国人は降りていったが、辺りは まだ暗いのでバスに乗ったまま二度寝。

6:00AM頃、外に出る。当然、待ち構えていた数人の男達に「ラサにいくか?」と絡まれる。無視してバスターミナルを離れる。一緒にきていた上野君は別行動に。

3人でとりあえず荷物を置く為にホテル探し。
ここゴルムド…しっかりと道路が整備されていて整然とした町になっている。早朝で人通りが少ないということもあるだろうが、殺伐としていて町としての魅力はゼロだ。

歩いて北へ15分くらい行ったところで、向かっていたホテルでないが、サンポ氏が「とりあえずここで値段聞いてみるか?」と言ってあるホテルに入る。華?賓館(HIAFENG BINGUAN)。

レセプションの奥の部屋で寝ていた女の子が寝ぼけ眼で出てきた。菅野美穂似のかわいい子だ。
交渉の末98元値引きの80元(3ベッドルーム 一人27元=約350円)。
なかなか綺麗な部屋ですぐに三人はトイレとシャワーを済ませた。

チベットに潜入するため車をチャーターしなければいけない。本来ラサへは正規の方法だとパーミットをとらなければいけないのだが、お金がかかるので、僕達はパーミット無しで検問をすり抜ける形でチベットへ行くことにしたからだ。

ドライバーを探す為、駅前に向かう。
するとSada氏とサンポ氏が、ある中国人男性をみつけ 喜んでいる。彼に声をかける。
彼はERICといって、二人が麗江の宿で会っていたらしい。今朝、ラサからココへ来たばかりとのこと。
彼を仲介にドライバーとの交渉をしてもらうことになった。なんて運がいい。

駅を歩いていると、ERICがある女性に声をかけられ店に行く。
そこは普通の飯屋。僕らはのんきに朝食をとっている暇なんてないんだよ と思っていたら、どうやらここの店員がドライバーを電話で呼んでくれているらしい。
お粥を食べ終わった後、「究極な角刈り男」と「目の小さい男」がやってきた。
サンポ氏が値段交渉。最初ラサまで一人あたり800元を要求されたが、交渉の末600元(約7800円)にした。本当は粘れば500元くらいまでいけそうな気がしたが、向こうも押し引きがうまく その値段で落ち着く。
違法行為なので店の奥の部屋で詳しい条件などを交渉。すると今すぐ出発してもOKとのこと。まさかこうも話が上手く進むとは思っていなかった。30分後の10:30AMに出発とのことに。

ここの店に車(上海VW サンタナ)があるのに、なぜかタクシーに乗せられホテルへ。ここのホテルに30分後集合ということを再度「究極な角刈り男」に再度伝え降りる。

近くのスーパーでスポンジケーキのお菓子などを買出し。

ホテルに帰ると菅野美穂似の子とおばちゃん達の様子がなにやらおかしい。どうやらここは外国人は泊まれないホテルのようで他へ移ってくれとのこと。最初OKだったのは菅野美穂似の子のミスだったようだ。
「お金は?」と聞くと返金してくれた。内心 3人ともラッキーと思ったが、「It's OK…」~まあ 仕方ない 気にしないよ~というそぶりを見せておいた。
結局タダでトイレやシャワーが使え 荷物置きとしても利用できたということ。

パッキングをすぐに済まし、ホテルから出ようとすると、菅野美穂似の子が 代わりのホテルを電話帳で調べてくれたらしく本を指差し紹介してくれた。
なんていい子だ…(つД`) 。

レセプションから見えない場所でピックアップを待つ。
10分程遅れて、10:40AM頃、あずき色のサンタナがやってきた。さっきいた「目の小さい男」がドライバーだ。
助手席に一人中国人の男が乗っている。交渉のときに言っていた男だ。
ラサまでにある3ヶ所のチェックポイント(検問)の対策として、乗客として一人中国人を乗せておくのだ。検問の時は僕らはしゃべらないという作戦だ。
サンタナの後ろに三人。自分は身体がちいさいので真中だ。
一路ラサへ!

乗ってすぐにガソリンスタンドへ。
最初の契約どおり、お金は後で払うということにしているので支払いを断ると、助手席の中国人からお金を借りていた。ドライバーはガス代も払う金を持っていなかったのか…。

最初のチェックポイントを過ぎたところでドライバーに1000元を渡す。

ゴルムド→ラサ
12:30PM、小さなお店で昼食。3人チャーハンを食べる。

ゴルムド→ラサ
その時 外は軽く雹が降った。1時間程過ごし、出発。

途中、人民軍の長い車列とすれ違う。

ゴルムド→ラサ
道路を少し工事しているところで止められる。車の調子がおかしいらしい。
車を路肩に止めてSada氏のペットボトルを奪いエンジンに水をかける。近くの水溜りで水を汲んでさらにエンジンを冷やしていた。

ゴルムド→ラサ
しばらく走り突然Uターンして、ある小さな町で修理することに。

ゴルムド→ラサ
エンジン周辺の何かを交換したようだ。修理代で5元しか払ってなかった…。

そこから夜な夜な延々と走り続ける。

ある町で夕食。ここで麻婆豆腐とホイコーローを食べる。

本当は高度順化の為 車内では寝ない方が良かったんだが、暗くなってからウトウトと7割くらいの時間寝てしまった。チェックポイントもあったようだがスルーできたらしい。
4:00AM頃、ラサに到着。
中国人の男を降ろしたところで、なぜか「ここからはタクシーに乗ってホテルへ行け」と言い出す(英語が話せないので、タクシーを指差しジェスチャーしている)。あと少しなのに、なぜここで仕事完遂することを放棄するんだ…。
サンポ氏が怒って交渉。タクシー代をドライバーに払ってもらうことで解決。

初めヤクホテルに泊まる予定だったが、ドミトリーも3ベッドルームもFULLだったので、バナクショーホテルへ。3ベッドルーム、一人20元。建物も凄く古い…。トイレもう~ん…。ベッドの布団も何か怪しげな匂いがする…。これが「チベット」か…。まあ、しょうがない。

シャワーを浴びるのは血管を急激に広げてしまうので(高山病予防)、とりあえず就寝。



[関連記事1]中国と黄色
[関連記事2]中国小僧が現れた!


['05中国旅行記]

2005年06月23日(木) 名残惜しい敦煌

2006年06月23日 | '05中国旅行記
敦煌
今日、敦煌を離れる日。
適当にパッキングをし、昼食として隋さんの家へ。キノコと豚の炒め物とゴーやチャンプルーなど食べる。

まだチェックアウトをしていなかったので食べ終わった後 すぐにホテルへ。ここで荷物を預かってもらう。

いつものおっちゃんの店でヨーグルトを買い、ネット屋へ。ここで調子に乗ってネットを3時間。
一度、隋さんの店に立ち寄り、その後 市場などを散策。

以前、Sada氏と見つけた「行列のできるマフィン」のお店でマフィンを購入。500gの袋に入って、たったの5元。焼き立てでセサミをまぶしてあり香ばしい。

敦煌
普段 アクセサリーやお土産などの出店がならんでいる通りの様子がおかしい。通りの端に申し訳なく営業しているという感じ。そこをプラプラひやかしながら歩いていると、突然の大粒の雨。
店を慌てて片付けたり、傘をかぶせたり…。いつもの店の様子がおかしかったのはそのせいか。雨を見に、扉や窓から沢山の人々が顔を出している光景は面白かった。ひさびさの雨なのだろうか?自分達は大きな屋根の下、5分程 雨が小降りになるまで待ち、Ying Ying Cafeへ。

しばらくゆっくりした後。3人でお好み焼き、とんかつ定食×2を注文してシェア。本当にうまいなぁ…。
ここでの食事も最後、日本食もしばらく食べれないだろう。店の前で記念撮影し、お別れ。

隋さんのところで、サンポ氏がゴルムド→ラサ間のドライバー用にと作成した契約書を隋さんに中国語に翻訳してもらう。
隋さんの店でも記念撮影してお別れ。

スーパーで移動の為の買出しをして、バスターミナルへ。
ゴルムド行きということで、かなりボロいバスを想像していたがかなり綺麗だ。バスの寝台席もちゃんと番号が振られていてチケット通りのところに寝ることが出来た。

敦煌→ゴルムド
7:30PM 出発。
なぜか 何度も止まり、なかなか敦煌をでなかった。車中「深夜特急5巻」の残りを読みきる。

夜、一度 トイレ休憩…といっても そこにトイレがあるわけでなく、バスのライトしかない荒野で立ちション。女性も少し離れたところに行きしゃがんで用をたしていた。といいてもさすが中国人、物陰に隠れるのでなく、遠くに行くだけ…見えるよ…。
さすがに外は相当寒くなってきた。

おやつにマフィンを食べ、寝る。



[関連記事1]ほぼ定点観測
[関連記事2]ずんずん色紙
[関連記事3]


['05中国旅行記]

2005年06月22日(水) 敦煌まったりDay

2006年06月22日 | '05中国旅行記
敦煌
朝、それぞれがムクムクと起きだし、それぞれの時間を過ごす。
全員、選択をして明日の移動に備える。

昼食として、昨日Sada氏とサンポ氏が隋さんの店でうさぎの肉を使った料理を注文したらしい。それにあわせて隋さんの店へ。

月の砂漠ツアーで一緒だった上野君と4人で食事。うさぎなんて初めて食べたかも。小骨が多かった…。スープとあわせて一人15元。

自分は仕上げに、いつものおっちゃんの店でお気に入りのヨーグルト。

その後、ネット屋で2時間(6元)、ひさびさのネットでメールとブログの返事に時間がかかった。

ホテルに帰り、サンポ氏は読書、Sada氏はサンポ氏のノートパソコンでゲーム。自分はSada氏のノートパソコンを借りてDVDの「スウィングガールズ」を観賞。特典の別音声分も見てしまう、合計3時間以上。

夕食としてYing Ying Cafeへ。
二人はとんかつ定食、自分はお茶ずけ(12元)。とんかつを一切れつまませてもらったが、めちゃめちゃ旨かった。豚の肉質が違うのだろうか。この旨さはヤバイ。
自分は、味に酔いしれている二人を眺めつつ、お腹が全快でないので、少しでもお腹にやさしくということで お茶ずけ…。でもなつかしい味で良かった。

隋さんの店に立ち寄り、ビール。
ルーマニア人(?)が来ていて会話。彼はガイドブックでバス5時間と書いてあったのに、ここまで10時間かかって さっき到着したばかりとのこと。彼は、自国語・英語・中国語・日本語・スペイン語を話す…、凄すぎ。言語系の学生なのかと思えば、アメリカで物理専攻のこと、変なヤツ。

宿に帰り就寝。


['05中国旅行記]

2005年06月21日(火) お腹のターニングポイント

2006年06月21日 | '05中国旅行記
敦煌
昨日食べたお粥の店で朝食。杏皮水も飲む。杏がお腹に効くかもという想いを込めて。

9:00AM 隋さんの店に集合。
今日の午前中は、莫高窟に行くツアー(20元)。昨日の月の砂漠ツアーで一緒だった原君を含め4人。
今日は天気が悪い。かなり砂が舞って周りの景色が見え辛い。

30分程(?)で到着。
日本語ガイド付(120元=約1500円)、日本語じゃなくても100元、非常に高い。中国各地の入場料高すぎだぞ!
ちゃんとトイレを済ませてから、ガイドと共に中へ。

敦煌
撮影は禁止。ガイドブックなどで仏像や壁画のクローズアップ写真しか見たことがなかったので、内部のことは、ほとんど無知に近かった。それゆえ、ある部屋で突然現れたデカイ大仏には本当にビックリした。鎌倉の大仏みたいなものが内部に突如現れればそりゃぁビビるでしょ。
ガイドの説明丁寧は分かりやすい。10ヶ所くらいの石窟を見て終了。
パンフレットでよくみる中央部の木造の建物に関しては立派だが、それ以外の外観はショボかったので、入る前はあまり期待していなかっただけに、非常に満足だった。

宿に戻り二人は昼食。自分はホテルのベッドへ。

Sada氏が帰ってきた時、彼が以前飲んでいたという中国の下痢止めの薬の空箱を貸してもらい、ホテルの近くの薬局へ。
実は二日前Sada氏と一緒に別の薬局で購入しようとしていたが、店で同じモノだと言って出された箱に書かれた効能が違っていて、怪しいので買わなかった。しかし、今日 再チャレンジで尋ねた薬局のおばさんの対応が非常に親切で安心して買うことが出来た。

一応 食後とあるのでバナナ一本もも二つを食べ、薬を4錠飲み、再びベッドでぐったり安静。

サンポ氏とSada氏は隋さんの家で夕食。自分はその先にある人のいいおっちゃんの店でヨーグルトを買い、隋さんの店で一緒に食べる。しばらく一緒にいて、その後ネット屋に行こうかと思っていたが、お腹が急に痛くなったのでホテルのベッドに戻り、うーうー 言いながら横になる。ネット屋から帰ってきた二人が来てから、みんなの写真を見たりして過ごす。

薬効果がありすぎたのか、夜 トイレに行くが出ない…。しゃがめば水道の蛇口をひねるようにシャーとでていた昨日までの状態がウソのようだ。


['05中国旅行記]

2005年06月20日(月) 天の川ツアー

2006年06月20日 | '05中国旅行記
敦煌
朝はまったりごろごろ。昨日アレだけ寝たのに(眠りは浅かったけど)、夜もしっかり熟睡できた。
Sada氏はずっとノートパソコンをいじっていたが、彼の「二人とも もう寝すぎッス」という言葉で朝食(昼食?)を食べに行くことに。

隋さんの店でオムライス(10元)をなんとか押し込む。ここで今晩の天の川ツアーを申し込む。

自分は下痢がひどいのでホテルで休む。
あとで二人ともホテルに帰ってきてそれぞれの時間を過ごす。

5:30PM頃夕食へ。僕だけまず市場に向かいバナナ3本ともも5個(5元)で購入し、先にYing Ying Cafeに先に向かった二人と合流。
サンポ氏はしょうが焼き、Sada氏はキャベツお好み焼き、市場で果物を買ったのは下痢への効果を期待したため。

帰りにYing Ying Cafeの奥さんから聞いた下痢止めの薬を購入し(2.5元 二つ買う)、宿で飲む。
7:00PM頃 隋さんの店に集合。
自分達3人の他に二人の日本人。車が出る直前にもう一度ホテルに戻りトイレに行く。
集合場所に戻ると隋さんがつめたいアイスをくれた。隋さんに「のりさん、こんなの食べるから下痢治らないんだよ」といわれたけど、だったらそんなサービスするなよ!って目の前に出されたら欲しいので食べる。大丈夫か?お腹…。

ワゴン車に隋さんとドライバーが乗り、40分くらい走り砂漠へ。
目の前に広がる砂漠に皆 大興奮。近くに見えたこの辺りで一番近い砂丘は、見えているのに歩いても歩いてもなかなか近づかない。

敦煌

敦煌
各々 自分のペースで頂上を目指し、バラバラになる。この砂の足場の悪さは、ただでさえ体調の悪い自分にはきつい、手前の小高い丘でほんの休憩のつもりで休んだが、夕日まで時間も無いことだし諦めることにした。

敦煌
沈み行く赤い太陽と反対側から登る白い月。ゆっくりと流れる時間の中 周りは誰もいない。自分の動きを止めれば耳が痛くなるようなまったくの無音状態。
始めにサンポ氏が頂上に到着したのが見える。それから最後の一人が到着するまで30分くらいの差があった。不本意ながら手前でギブアップしたが砂漠で一人きりというシチュエーションに浸ることが出来た。ここからがちょっと汚い話…。

やはりお腹が言うことを聞かず、便意を催す。砂丘の谷へ降りていきウンコ。昼のオムライスの一部がそのまま出てきた。そして 砂漠に紙を捨ててきてしまいました(すいません…)。




ここで一句・・・

「月光よ お前は見たのか オムライス」




あたりは真っ暗になり、始め出発した地点に小さい焚き火が見える。あそこへ向かって戻ればいいんだね。皆が自分を見つけて合流してから帰ろうかと思っていたが、あまりに遅いので帰る事に。

焚き火についてみると 皆は既に到着していた。あとで聞くと、実は出発の際に「焚き火がみえたら戻ってこいよという合図だ」と隋さんが皆に言っていたらしい…知らんかった。
用意されていた 生暖かいスイカを焚き火のまわりで皆で食らいつく。
星空の下、皆 大の字になる。隋さんは 動いていく光の点を 皆が人工衛星だと言っているのに、ひとりでUFOだと主張していた。

車のカセットで わけもわからない日本のヒット曲を聞きながら町へもどる。中島みゆき もどきの「時代」の曲が終わったと同時に到着。

ホテルに戻りシャワーを浴び、すぐさま就寝。



[関連記事]砂漠でいいとも


['05中国旅行記]

2005年06月19日(日) サンポ氏 合流

2006年06月19日 | '05中国旅行記
敦煌
今日サンポ氏が合流するので、3人部屋(一人30元)に移動する。
起きた朝イチのトイレで下痢だった。とうとう来た。

朝食として近くのメシ屋で黒米粥と豆腐と焼き肉まん(?)を食べる。

一端宿に戻りお昼寝。

昼食は、昨日から気になっていた宿の近くの「旅人の家」なる日本語を上手に話す隋さんがいる店で、玉子とトマトの炒め物、Sada氏は豚と?の炒め物を食べる。ここには情報ノートが置いてある。

どうも体調が悪いので再びホテルのベッドで静養。下痢が続く。

Sada氏はパソコンをいじった後、夕食として隋さんのところへ行き、他の日本人と語り合ったようだ。自分はこのまま寝る。

11:30PM頃、目が覚め電気をつけると、ちょうどノックの音。サンポ氏到着。身体もでかいがバックもでかい。西安から蘭州経由でバスでやってきたとのこと。

さっそく一緒に近くのスーパーで買い物をする。もどった直後Sada氏が帰ってきた。

ほぼ自分が上海についてメールで確認し予定を立てた通り、Sada氏と成都で合流、サンポ氏と敦煌で合流することができた。
これでチベットへの旅のメンバーがそろった。


['05中国旅行記]