のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

意識を砥ぐ(蝕覚・体感)

2016-08-30 | 5次元宇宙に生きる(一人旅通信)

意識が照らし出す感覚の中で、もっとも身体に密着したものが触覚・体感だ。

五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と言われる中で、触覚を最後に取り上げたのには理由がある。それが身体そのものを知覚する感覚だからだ。

心の旅をして、常に帰ってくる場所がここにある。

 

私がいつも苦悩を体に感じるのもここだし、至福を味わうのもこの場所にある。

私はこれを体感と呼んでいる。

それは、いわゆる触覚よりも深く、身体内部に及ぶ。

痛み、痒み、圧迫感、清涼感、重さ、軽さ、寒暖、乾湿。

悲哀、至福感さえ、体感として現れる。

 

昔、演劇部の高校生に、心はどこにある?と尋ねたことがある。身体を使って表現する知識のある彼らの答は、一様に手を胸に当てることだった。ひとりだけ、腕の先にあると答えた生徒がいて、それが妙に印象に残っている。

その答えがどうあれ、人は心を、体感しているということだ。

 

私の自己観察では、高校生の反応とは少し違う。

心の体感は、実は全身に及んでいる。

苦悩は胸に痛みを覚える。それはおそらく、苦悩の性質上、マイナス思考が内に向おうとする力が働くからだろう。内に向かう思考は、心臓に向かって集まっていく。しかし全身の体感がなくなったわけではない。苦悩の苦さが表皮の感覚を観えなくさせているのだ。それは至福を観ればわかる。

 

至福は、全身に沸騰感が広がる。

骨も内臓も充実した波動を示し、宇宙とシンクロする。そして全身の表皮が、毛根から揺れるように喜びが盛り上がる。誰かに分け与えなければ苦しいほどの高揚感が来る。

それが治まると、本当の至福感がやってくる。

静かな充実感。どこに意識を向けても、満たされた体感が観える。肉体を覆っているはずの皮膚が外側を、つまり宇宙を覆っているような感覚が意識の中に生まれる。

私の体験では、「吾は空なり」という達観の半分はそこから来る。

 

そして後の半分は、まさにこの肉体から来る。

深く瞑想して、体感を意識のサーチライトで照らしていけばわかる。

 

研ぎ澄ました意識を瞑想したまま体感に向ける。

私は胃を出発点にする、胃から食道をさかのぼり、頭の中の様々な部位の体感を意識に納めていく。頭脳にいたって、その体感を満喫したら、そのまま意識を下に降ろしていく。

胃から臓器をめぐり腸を通って、足の裏に抜ける。そして再び、足の裏から表皮を昇って頭頂に至る。

 

私は何度もこの体感をめぐる意識の流れを観てきた。しかし、そこに物質を感じたことはない。それは皆無だと言い切ることが出来る。

全身に意識をくまなく巡らせて行けば、そこには空間しかないのだ。

 

なぜ?そんなはずはない。そう思ったこともある。

無理やり、体感に物質のイメージを持ち込むと、つまり胃の体感には胃を、肺の体感には肺の形をというふうに。

しかしそのイメージは、臓器の模型のように動かないのだ。その時の私の直観は、物は死なのだということだった。

つまり、死とは物に帰ることであり、命は空間にあるということだ。

 

吾は空なり

この達観は、意識を砥ぎだすことであらわになってくるが、それを論理で理解しようとするのが五次元(のしてんてん系宇宙)論だが、

この思考もまた、意識の対象となる。

 

つまり、思考も空間だということが出来るのだ。

 

ところで体感の中で、体外に向けて開かれたものがある。

表皮に備えられた感覚器、つまり触覚と呼ばれるものだ。

触覚は、体外の空間を認知する。

それと同時に、体外に発する気を意識させる。

 

こんな実験をした。

瞑想して両手を合わせる。

この時、手のひらを密着させるのではなく、両手のあいだに数ミリの空間を開ける。するとその手のあいだの空間が自分に属しているような感覚が生まれる。両手で作った数ミリの空間にエネルギーを感じるのだ。

あるいは、指先を頬に近づけていく、顔に触れない、ぎりぎりの所で指先を止めると、指先から出る気が、頬の触覚を強く刺激するのがわかる。

 

このように触覚は、身体の最前線にあって、体外の空間と、常に交渉して生きている、我がいのちの境界線を意識させてくれるのだ。

 

表皮は常に、気を発し、気を吸収している。

その皮膚呼吸を意識できるか。

 

意識を砥ぐ。

 

その鍛錬の結果を観ると、

人は空であるという結果のほかに導き出す答はない。

 

 吾は空なり

その達観が、人間を新たな次元に導く

新人類が誕生する

それを確かめる一人旅は続く。

 

 

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なつかしくなりました (むっちゃん)
2016-08-30 17:09:59
なつかしくなりました。心は何処にある、と聞かれて胸を指した高校生の1人でしたっけ。おぼろげではありますが。

私が一番印象に残っているその当時の話は、『同じ丸は二度と描けない。この丸だからこそ美しい。その都度その都度、一番美しい丸を描くつもりで、演技しろ』というお諭しでしょうね。

演技の心構え、ではありますが。『吾は空なり』にどこかで通じている諭しの言葉……のように今、感じます。

なつかしくなりました。非常に個人的で申し訳ないですが。
もう何年たつのでしょうね (のしてんてん)
2016-08-30 18:43:19
あのころは、純粋に真剣でした。社会に出る前のいい時代だったということでしょうか。

〇の話し、覚えていますよ。
練習がマンネリになって頭打ち。たまたま練習を見に行ったら、舞台の上でみんな、ゾンビになってました^ね^。

ところでむっちゃん、いいニュースがあります。

セリナ+あなたの二次創作のジョイント公開を近々やりますよ。

知人の芥川作家の先生が、時間があれば読んでもいいと言ってくれました。

忙しい先生なので、いつになるかわかりませんが、むっちゃんの作品を読んでもらえるとしたらありがたいことです^ね^。。
WAO~ (むっちゃん)
2016-08-30 20:13:56
楽しみです、けど。WAO、緊張もします。
新人賞なんかでは『もう一息の作品』として小さく名前とタイトルが載る程度の私ですが……まずは色々な方々に読んでいただければ嬉しいです。拙い私の作品ですが、読者の方々に楽しんでいただければ幸いです。
☆弾力のある透明お団子♪ (真鹿子(まかこ))
2016-09-01 09:03:31
のしてんてんさま、

おはようございます!

確かに、手から体温以外に、

何か、出ていますよ^ね^


私の場合それは磁気力のようにも感じられます。

何故なら、両手を合わせる時、

両手のあいだの空間、2,5センチぐらいから、

磁石の同極を合わせる時に生じる

反発力のような力を感じるからです。

それもその強さは一定ではなく、

その時々日々の状態によって強弱様々ですが、

両手間の空間の力を感じます間隔は、

だいたい、数ミリから2,5センチぐらいの間でしょうか、

しかも面白いことに、

2,5センチぐらいの間隔で両手の手のひらのあいだに
強い反発力のエネルギーを感じている時、
その両手を少しずらしたり元に戻したりするんですよね。

すると明らかに、両手をずらした時は反発力がなくなり、

両手を合わせると再び反発力のようなエネルギーを感じます。

弾力のある透明お団子に触れているようです^よ^

両手の手のひらから、同種の力が放出されていると実感します。

このような力も、

大かれ少なかれ万物が帯びている力なのでしょうね。


歯が痛かったたり、どこか具合が悪いところには、
自然と手を当てていて、なでなでしたりもしますが、
手から出ている力が自然に治癒しているのかもしれませんね。


古来より「手当て」とは
自然治癒力のことなのでしょうね。
現在では医学もまさに日進月歩で発達しておりますけれど、
このような自然治癒力も眠らせてはいけないように思います。


いつも学ばせて戴きまして有り難うございま^す^
今日もどうぞ善き日をお過ごしくださいませ☆
まかこさんの洞察に涙^で^す^ (のしてんてん)
2016-09-01 10:33:39
素晴らしい実験です。
感じることはあっても、そこまで研究したことはありませんでした。

早速やってみました^ヨ^

広げていって、どこまでてのひらで空間を感じることが出来るか。

すると不思議なことに、意識してそれをやると、どこまでもその感覚がついてくるのです。

10センチ、15センチ、30センチ、まだまだ。

腕を一杯広げる。イメージは大きな地球儀をかかえているようです。

その球体をどんどん膨らませていける。

一体どこまで大きな空間の球体をつかんでいられるのか。

球体が大きくなると、両手一杯に広げて、手のひらも伸びきってしまいます。

それでも膨らませ続けると、球体が破れて空間が私の手の裏側にも回り込んで来て、私は身体ごと空間の中にいる感覚に覆われます。

まかこさんの実験から、
思いついてやってみました。

これが神ひと様の意識だと思うと、表現しがたい至福感に包まれます。

この気が、私たちの素粒子同志がいる間にもあって、引きあったり、反発し合ったりしているのでしょう^ね^

こんな空間の実験が、こんな身近に出来るなんて、さすがまかりん師匠です。

ありがとうございます。
お蔭様で、
また新しい風景が見えてきました^ね^。。。
真鹿子さんへ第二信 (のしてんてん)
2016-09-01 13:00:43
自然治癒力は、私もよく意識します。

その実感が、真鹿子さん実験の手の間の空間から観ることが出来るように思うのです。

よくよく考えますと。てのひらに挟まれた空間というのは、我々の消化器官の中と同じなのですよね。口から腸まで、おなじ空間が続いていて、エネルギーが動いている。

濁った池がいつかきれいな水になっるように、この空間にたまったエネルギーの乱れも自然に治まる。

手を合わせることで、その空間のエネルギーを調和させる気(エネルギー)を送り出すことだって出来るかもしれませんね。

手当てというのは、古来からの、その人間の智慧が生み出したことばなのかもしれません。

瞑想して体をきまなく眺めていると、とどこっている場所が見つかるのです。

そこに気を集めて、乱れを整える。
自然治癒力^万^歳^ば^ん^ざ^い^

気を高めていくと、
本当に手当てができる力持ちになれるかもしれません^ね^¥
☆手を合わせること☆ (真鹿子(まかこ))
2016-09-01 15:17:13
まさしく、

手を合わせることは、

ただのポーズではなく、

宇宙と一体!連結・連動・直結を自覚する

☆鍵☆となる行為!大変深く意味のある形なのですよ^ね^

只今、地球中約73億人の人類が、

少なくとも、朝昼晩と手を合わせて世界平和を祈ると

どのような力が湧き起こるのでしょう。

究極的に地球は、

それぞれの国の歴史文化を尊重しながら、

一国にまとまり、地球国となり、

助け合わなければいけませんよね。

わたしは必ずやその日が訪れると

信じていますけれど ^ ^;;

想像は創造と連動!

想像出来ることは創造出来ること☆


自然治癒力も高めましょう^ね^♪
気の力 (のしてんてん)
2016-09-01 20:06:57
もしかしたら、まかこさんの手と私の手をかざし合ったら、その間の空間が動き出すかもしれません^ね^

自然治癒力は、この地上空間にもあって、73億の人たちがこの空間を和らげ、自然治癒する力となるかもしれません。

弾薬を花火に変える力がここにあるのかもしれません。

まかこさん、まず私たちがつながりましょう。
73億分の2の力が、今ここに生まれたのです。

想像すれば創造できる。

気を理解する仲間をを増やしましょう^音^

音のように伝わりますように。。。

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