泉南市長慶寺山門力士像(左)
毎朝長い階段を上って本堂に至る
本堂では毎朝信者さんが集まって長い読経の行が行われている
私は雲水をまねて本堂の外縁に座り読経を聞きながら同じ時間瞑想する
ささやかな千日行を思い立ったのが3年前
それが700日を越えた頃からなんとなく心が変化を始めた気がするのである
毎朝上り下りする階段の途中に山門、 ☟ ちょうど100段の . . . 本文を読む
生誕1250年記念特別展
簡単な弁当を作って奈良へ
天気良好でシカは相変わらずのんびりしていました
空海展は工夫がされて見やすかった
子ども向けに解説が付けられており
今までなかったような展示方法に好感が持てました
大きな胎蔵曼荼羅を観ながら
五次元宇宙を思い起こすと
たくさんの仏達の姿が素粒子に思えて
人間の思い描く世界観は
何 . . . 本文を読む
道は進むほどに狭くなっていく
そんな実感が今の私にはある
思考の立体化とは面白いことを考え付いたものだと自身思うのだが
なんのことはない、思考のただなかにあって
その方向をベクトルに言い変えただけだったのだ。
何故至福は長く続かないのか
その思いは今も私の中にあって、それだけのことなのである。
一方でこんなこともある
至福がやって来るとその大きさに破裂しそうになって . . . 本文を読む
面白いものだなあと、ふと笑えてしまうことがありました
前回の思考の立体化について考えた図のことです
一週間も経つと意味のない図表に変わってしまいました
作成したときの、心が膨らみすぎて破裂しそうな喜びはもうありません
ではあれは嘘だったのか?
そうではないと思います。
これが人間の心の姿なんだと思えるようになった
すると繰り返しやって来る苦悩の姿に
つい笑いも出てく . . . 本文を読む
思考の立体化とは何か
それは自分の中に生まれてくる思考を立体的に捉えるということです
何故そんな考えが生まれたかというと、思考にはベクトルがあると気づいたことからでした。
悟りに向かおうとする意志の元に現れる思考にはベクトルがあるということです。
そして前回書いたように、様々な入り口から悟りに入りながらその直後から忘れ去っていく事実がありました。
その忘れ去ってしまう事実 . . . 本文を読む
私にとってこの数週間は転換点を感じる時期となりました。
PCからも遠ざかって、五次元を再確認する機会にもなり、
一歩階段を上った実感があるのです。
それを確かめる期間はまだ少ないのですが、
いつものように達観が薄れて、再び這い上がる日常から解放された気がいたします。
そのきっかけが、思考を立体的に捕えることに気が付いたことです。
不思議なことに、その気付きにまつわる思い . . . 本文を読む
心
出発点が空だとしたら
私達に何もないのは当たり前のこと
さ あ さ
考えて みよう
何もないことに恐れを持っていなかったか
何もないことに焦りを感じていなかったか
何もないことに未熟を感じてなかったか
何もないことにいら立ちがなかったか
何もないことに恥辱はなかったか
何もないことは苦だろうか
何もないこと
そこから逃げようとしていないか
逃げよ . . . 本文を読む
人間とは何なのか
今、知り得る人間像を内照して自らを観る
::
観自在菩薩(般若心経)と
科学的宇宙観
*
得体のしれない感覚もある
これらは予期なく発生し
意味なく私を去っていく
しかし内観を鋭く見つめれば
得体のしれない感覚は
発生し去るのではないことが分かる
それは一つの同じ波なのだ
⁑
不生・不滅
それは一つの波
エネルギーの実相である
そして人間という実 . . . 本文を読む
大リーグの彼が
降ってわいたような渦中にさらされた
心技体の心が動揺して
待望のホームランが出ない
空の思想は
そんな彼を救えるのだ
もちろん救うのは私ではない
彼自身である
彼が
己の空を意識するだけで
すべてのしがらみから解放される
心が
広大無辺の空と一心同体だという事実に気付いたら
心は自然に囚われから解放され
無になって技と体を自由に働かせることが出来る
し . . . 本文を読む
思考
思考という言葉を
目覚めて意識するすべての感覚にまで広げて考えると
自分が幸せかどうかは
すべて思考にかかっているし
それ以外にはない
すると思考の出発点が
物(色)なのか
空間(空)なのかによって
その人の生涯が
苦にまみれるか
福に至るのかが
決まる
つまり思考は
頭脳が引き起こす以上に
物の思考を父とするか
. . . 本文を読む
のしてんてん「希望」
サムホール
2024/3/14
:
:
空間絵画が
少しずつ
心を納得させてくれる質を
持ち始めて来たかもしれない
新たなものが現れるのか否か
作家の活力が私の中に
あるのか
❓
. . . 本文を読む
遺跡は抜け殻だろうか
遺跡は静寂だろうか
遺跡は過去だろうか
遺跡は物質だろうか
遺跡は過去だろうか
遺跡は私ではないのだろうか
遺跡は忘れ去られたものだろうか
遺跡は捨て去られたもの達だろうか
遺跡はただ記録だけのものだろうか
遺跡に命はないというのだろうか
遺跡に心はないのだろうか
遺跡は愛だろうか
遺跡は過去と今を結ぶのだろうか . . . 本文を読む
永い眠りから
薄い意識が現れる
まるで岩のようだった
私の存在の表面に
なんとなく気付く
かすかな線
革命の象徴
気付いたときにはすでに
爆発のごとく動き始めるのだ
線は強くなり
くっきりと表れたと思う間もなく
亀裂となり
段差が生まれ
破断面となり
激しい勢いで
壊れていく
剥がれ落ち
飛び散るもの
つい今しがたまで
私だったものが
冷たい物質に還っていく . . . 本文を読む
生まれる
それは循環の
最初のインパクトだ
そこには
役割を終えるものと
役割を担うものの
一瞬の
邂逅がある
だが
その奥に
邂逅を眺めるものが
大いなる気付きを与えている
その正体は空
その実体は波
波はつながり
それは今ある
あなたの眼と
心に至るのだ
よくも悪くも
あなたの波動
そして気付きだ
. . . 本文を読む