野良耆の見聞記

いなか暮らしの野良着生活

古びていくものには味わいがある。そこに小さな歴史があるから・・・・・

旧官幣中社 井伊谷宮

2018-06-26 | ひとりでぶつぶつ

訪れるまで全く知りませんでした。

龍潭寺に並んであったのがこの井伊谷宮です。

御祭神は後醍醐天皇第四皇子の宗良(むねなが)親王です。

南信州にゆかりの深い方です。

南北朝時代にあって吉野朝(南朝)方のために

長い間 三河、遠江、信濃、甲斐、美濃などで戦をしていました。

由緒にある「信濃宮神社」は下伊那郡大鹿村大河原の上蔵にあります。

宗良親王を祀っている神社です。

 

さて、本殿は東向きですが、

本殿裏にある宗良親王のお墓は西(京都)方向を向いて建てられています。

もちろん 宮内庁が管理していますから立入禁止です。

 

余談で、参道横の池のほとりの現代的な金次郎(?)。

本殿前の献木の「榊」の花です。榊には雌雄があることを知りました。

 

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大山田神社

2018-05-23 | ひとりでぶつぶつ

先日、このブログに書いた「鎮西の大滝」へ行った帰りに

近くの「大山田神社」にも立ち寄りました。

石仏が主体なので神社を書くことがないのですが。

実は 参道に「ホウチャクソウ」が多く咲いていたので

写真を撮ったために神社のことに触れたのです。

この時期は 「アマドコロ」「ナルコユリ」「ヒメイズイ」などユリ科の

白い可憐な花が参道に咲いていることが多いんです。

また、ここは南限と北限の植物が繁茂する貴重な場所と言われています。

さて 大山田神社にも触れておきましょう。

社殿は重要文化財で、室町時代の永正四年(1507)に下條氏が、

京都から招いた工匠によって造り、貴重な様式を残しています。

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伊那坂東三十三番札所

2018-05-15 | ひとりでぶつぶつ

昭和54年に飯伊百観音事務局から発行された

「飯伊百観音」に伊那坂東三十三番札所について記載されています。

下條村の龍嶽寺を1番札所として、巡路を西に進み、

阿智村村内をめぐり、飯田市山本より川路を経て、

飯田市街地に入り、飯田市毛賀の照月寺を打ち止めとしている。

飯田市久米の光明寺や阿智村長岳寺の記録によれば

延宝八年(天和元年)(1680)に下條村の某という人が名づけた

とされています。(当時、下條村はないのですが)

その後61年後の寛保元年に開帳が行われた記録があります。

その後は、嘉永二年(1849)、明治十三年(1880)、明治四十三年

(1910)、昭和十五年(1940)、昭和五十四年(1979)に行われています。

この冊子はその時に発行されたもののようです。

60年に1回の御開帳では、1世代1回の御開帳ですから

忘れ去られることになるのでしょうか。

 

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伊那十二薬師の御開帳(5)

2018-05-05 | ひとりでぶつぶつ

伊那十二薬師の御開帳(5)

伊那十二薬師について書いてきましたが

よく考えれば「伊那十二薬師」の縁起には触れていませんでした

1番運松寺によれば

今から500年ほど前 松尾城主小笠原定基が軍陣を構えたとき

陣中で眼病に罹り やむなく帰城して 当薬師の尊前に参籠を重ね

満願の夜に近隣の薬師の霊跡12か所を祈願すれば平癒すると

お告げがあり 一心に巡拝して祈願すれば完治することができた

このためお堂を直して十二薬師として代々伝え信心した

しかし織田と武田の戦の戦火によってお堂などが大破して

以降70年余り放置されていた

再び城主が病気やけがが重なったために 寛文2年(1662)に

当寺の住職がこれを歎き庄屋とともに同志を集め 伊那十二薬師を

再興して今日に至っている

これが伊那十二薬師の縁起にようです

現在は それぞれ保存の状況が異なり 地域の集会所に併設されて

管理されているところが多く見受けられますが 何れにしても地域の

みなさんの手によって保存されていることはよいことだと思います

 

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伊那十二薬師の御開帳(4)

2018-05-04 | ひとりでぶつぶつ

伊那十二薬師の御開帳(4)

前回につづいて

十王像にいくつか出会ったことです

十王というよりは

地獄の閻魔様や三途の川の奪衣婆が知られています

4番 駄科 阿羅多堂  

本尊横の木造の奪衣婆と閻魔

細かく彫刻されて彩色もしてあります

 

9番 上郷黒田  正命寺  本堂よこのお堂

石像の奪衣婆と閻魔

石のため彫りはあらいけれども形や表情に個性があります

閻魔はほかの王と変わりないのですが彩色があったので

閻魔だと思われます

 

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