今日ご紹介するのは、【ガッコの先生】やった人(教師だった方)達です。
髪を短く刈り上げ、車椅子だけど、背筋を伸ばしキリッとしたお姿です。
もうお一方も、短みの髪を宝塚の男役さながらにまとめ、背筋をスッと伸ばして姿勢の良い方でした。
まず、隣で食事をしていた車椅子の方。ご自分用の新聞を朝夕とも取っていらっしゃいました。
ホールに新聞が置かれていますが、自分用にとっていう方も いらっしゃいました。
母の習字クラブの先輩です。「とっても字がお上手なのよ。」
「手のしびれがあって、もうダメですよ。」と、仰いますが、練習は欠かさないようです。
出かけるときカーテンの隙間から、何か書き物をしてらっしゃるような姿が見えました。
なぜか?長生きについての話になった時、
「百歳まで生きたいと思ってるんですよ。百歳になった時の時代を見てみたい。」と、目を輝かせていらっしゃいました。
耳が遠いこと、足が不自由なこと、手に痺れがあることなど、不自由はあるのです。
でも加齢により多かれ少なかれ請け負わなければならない事、軽く受け止めて、颯爽と生きていらっしゃいます。
と、見えました。
もう お一方は席が離れていたので、接点は無かったのですが、
私が食器を片付けて戻る擦れ違い様、「あの方の食器も片づけてあげて」
命令調でもなく、
生徒に優しく指導する風です。「はい」と、其の方の分も持とうとすると、「私のは良いのよ。」
「ついでですから、、」「ありがとう。」優しい憧れの先生に褒めていただいた気分です。
今日は帰ります。と、ご挨拶しました。
「寂しくなりますね。お母様は、お寂しいでしょうが頑張られますよ。」
「お元気でね、また、いらっしゃい。」
チョッと、小学生に戻った気分で「はい、よろしく願いします。」って、ご挨拶いたしました。
帰ってきたら、一斉に咲き出してた感じの庭の花たち、
正式名称は知らないのですが、糸水仙と呼んでいます。細い葉と強い香り黄色の元気な花です。
母の施設で見聞きした事、考えさせられたり、感動したりを記録しておきます。
当然ですが、いろんな方がいらっしゃいます。加齢により、アチコチ不自由も出てきます。
目・耳・手足。
ホールにある大きなテレビは字幕が出るように設定してありました。
これは良いと、母の部屋のテレビも字幕が出るように設定しました。
でも、大きなお世話だったようです。 文字が邪魔だそうです。
大音量に設定されたテレビがある部屋で過ごすのは、私は、かなり苦痛ですが、、母の部屋なのです。
耳の遠いのは母だけではありませんが、とっても遠くって耳の傍で話しても聞こえないって方がいらっしゃいました。
勝気な性格の方で、新聞に目を通し、「ボケないようにしなければ、」と、ゲームをして
お洒落さんでもあります。いつも綺麗にされてるし、
「あんたも、しっかり やりまっし、」と、訓告を受けました。
でも、悲しいことに耳が遠いので人の話が聞こえません。周りの様子がわからなこともあるようです。
時に邪推してしまい、腹を立てていました。
悪口なんか言っていない。後回しにしたわけじゃない。の説明も聞こえません。
母も何度も聞き返すことに遠慮して、面倒がって、、解らないまま済ますことがあります。
私は母だけを見ていられたので、納得してないことを察して、じっくり説明しますが、
忙しい時には気が付かないで済ませてしまうでしょう。
お仲間は、なおさらでしょう、、納得いくように何度でも聞いてって言うのですが、
でもまぁ~~、そんなに重要な話も無いので、 適当に仲良くしててくれることを願います。
耳が遠い人に認知症のリスクが大きいと聞いたことがあります。
姑も酷い難聴で、、それも認知症の進行を進めたのか?とも思っていました。
自分の解釈で判断することが多く、人との会話を避けるようになっていったのかも、、
確かに、人との関りに制限ができ、自分の中に閉じこもってしまいがちですよね。
補聴器は、評判が良くないですよね。とても耐えられない音だそうです。
でも、耐えられない音はどれか?探して一つづつ取り除く作業をして行くと快適な物になるそうです。
母はその作業に耐えられないと言います。
説得はしました。後は母が選択すべきことです。
私はトライしてみようと、、、、今は思っています。
母の入所に荷物を運び入れに行ったとき、
「貴方、お若いのに真っ白にしてるのも良い物ね。」と、声をかけてくださったOさん。
やはり、白髪のご婦人です、今月、お誕生日で85歳になられました。
母がベットカバーを欲しいと言い出したのは、彼女の部屋のベットカバーを見ての事です。
お話してて、私も手芸好きと知って お部屋を見せてくださいました。
壁には力作のタペストリーは、まず、籠の様な、藁で編んだ 赤ちゃんを入れてた物を中ほどに配置。
そこから、色々足していったんだそうです。
ミシンを置いて縫物や編み物などを楽しみ、観葉植物も置かれ、、お部屋中、作品がいっぱいです。
朝食の時、「クロッカスが4つ咲いたのよ。見に来て」とお誘いを受けたので、裏に回ってみました。
咲いています。4つ、水仙も蕾をつけてるし、、リュウキンカの蕾も見えます。
眺めてる私を見つけて、嬉しそうに出てこられて、、
写真では判らないでしょうが、兆度目の高さの位置に咲いてるんです。
誰か手伝う方がいらっしゃるのでしょうか。聞いてみると、あれを使ってと指さす先にあるのは梯子。
「A(職員)さんに見つかると叱られるから、居ないときにやるのよ。」って、悪戯っ子のように笑いますが、、
つられて笑っちゃいましたが、、「そりゃー叱られますよ~~」
現在 無職の私に、「勿体ないわぁ~~」と、仰います。
元気なのだから、何かしら社会とのパイプを持つべきとお考えのようです。
オランダミミナグサ 長い名前ですが、葉っぱがネズミの耳の様って事でついた名前だったかな?
スズメノエンドウの中から顔を出しています。
畑のエンドウもスズメノエンドウぐらい大生な成長を見せてくれたらいいのにね~~
術後、1日2度のリハビリ以外する事も無いことだし、楽しめたらいいし、飾っても綺麗。
と、お手玉を持って行きました。「出来る?やってみる?」と、言うと勿論とばかり始めましたが
全くできませんでした。
ケアハウスの同じテーブルの皆さんに、「やってみませんか。」って、お見せしたことがありました。
皆さん、懐かしがって、昔はやった物だけど、出来るかしら、、と、挑戦なさいましたが、
皆さん、出来ませんでした。残念 さらに挑戦する方、すぐに諦めちゃう方、、、それぞれでした。
でも昔話に花が咲いて、歓声も上がってテーブルの賑やかに華やいだのが嬉しく感じました。
昔は、3つも4つも出来たのに、片手でだって出来たのに、
悔しそうでしたが、「また、やってみたい。」とのリクエストが無かったので、母の部屋に納まっています。
タイトルのオジャミ、方言でしょうか?お手玉の事です。
お手玉って言うより、私にはしっくりする オジャミ。
作っていらっしゃるのを見たとき、オジャミ って、すっかり忘れてた言葉が飛び出ました。
里から帰ってきて、畑を見に行くとエンドウの花が咲いていました。
けど、安心して洗濯物が干せる日がありません。つまり毎日、家で過ごしています。
で、体操クラブの日は何にも片付いてないけど、行ってきました。
もう~~、身体中 ボキボキ、ギシギシ 言っていました。
母の入院中、ケアハウスの母の部屋に宿泊して。毎日病院に通ったのですが、朝夕の食事はご一緒しました。
6~8人掛けのテーブルで母の席は決まっています。そこが私の席となりまして、
おしゃべりもするわけです。
ご高齢の方が多いので耳の遠い方もいらっしゃいまし、歩行器や車椅子、シルバーカーの方もいらっしゃいます。
でも、ここは自立が原則なのです。
食事の時、歩行が不自由な方の所には職員さんが運んでくださいますが、基本各自、配膳された盆を取りに行きます。
食後は、歩行器で膝の上に載せたり、シルバーカーに載せたり上手に運んでいらっしゃいました。
自分の食器を片付けるついでに、一つ運び、さらについでにと、
同じテーブルの食器は私が片付けることにしました。
居るときだけ、だったらしない方が、の考えもあるでしょうが、、、私は、居るときだけね。と、手伝いました。
「じゃぁ~~甘えよう~~。」と言う方や自分でやりたいって方も
私より、早く済ませてサッサと片付けてしまう方も、、それぞれではありましたけどね。
母が退院する前日に泊まって、翌朝、部屋の掃除をし、シーツを替え(この朝まで私が使っていました)
完成したベットカバーをかけ、母を迎えに行きました。
片付ける食器が一つ増え、運んでくる食器も一つ増えました。
ここでは、母が最高齢のグループ。母よりも少しお若い80代の方が多かったのでしょうか?