(※この物語は昔話風ダークファンタジーであるため、演出上、不適切な文言・表現を含む場合がありますがご容赦ください。)
今は昔の物語でございます。
古(いにしえ)の都の丑寅(うしとら※作者注:北東)のはずれに小さな神社がございました。その神社の鎮守の森の奥に祠(ほこら)があり、この世のものとも思えぬ美女の姿をした人形が祀られていたのでございます。これは時間(とき)の流れと共に打ち捨てられ忘れられたその人形にまつわる物語でございます。
古の都に義平(よしひら)殿と申される公卿の若君がおわしました。
歳の頃は十八ほど、男子(おのこ)齢(よわい)十五ともなれば契りを交わした女子(おなご)の一人もあるのが世のならい、父君母君も幾度とのう、誰ぞ好いた女子は居らぬのか、と問われましたが、義平殿は絵草紙に描かれた美女にしか興味を示されず父母(ちちはは)は大層気を揉んでおられました。
義平殿には正直(ただなお)殿という竹馬の友があり、父母が正直殿に義平殿が生身の女子に興味を持たれる良い方法はないものかと相談をなされると、正直殿は、
「絵草紙の女子から生身の女子に目を移すにはなかなか一足飛びには参りますまいが、一つ試みては如何かと思うことがございます。騙されたと思うてこの正直にお任せ頂けますか。」
と申されました。
藁にもすがる思いの父母は正直殿のお申し出に大層お喜びになりました。
「義平、そなた知っておるか。都の丑寅のとある神社にこの世のものとも思えぬ美女の姿をした人形があると聞く。そなたは絵草紙の美女にばかりうつつを抜かしておるようだが、実は生身の女子が恐ろしいのであろう?人形ならばそなたを取って喰ろうたりはせぬ故、この正直と連れ立って一目その人形の姿を拝みに行かぬか?」
渋る義平殿も正直殿の熱心な誘いに負けて終に二人して人形を見に行くことになされました。
正直殿に連れられて訪れたその小さな神社で目当ての人形を前にしたお二人は大層驚かれました。
その人形の白い肌や長い黒髪、黒い瞳はあまりに生き生きとしていて、今にも動き出しそうなほどでございました。
陶器の肌、絹糸の髪に硝子の瞳とは到底信じられないような出来映えで、世俗と一切の係わりを経ち人里離れた山奥の庵にて独りで暮らす人形師が丹精込めて作り上げた傑作だということでございました。
まるで人形の黒い瞳にじっと見つめられているように思え、義平殿はその美しさにぞくぞくするような魅力を感じたのでございます。何を馬鹿な、如何によくできているとはいえたかが人形ではないか、というのはその人形を目にしたことのない者の申すこと。一目その人形を見た者なら誰しも、ぞっとするほどの美しさにそのような錯覚を感じたとしても、さもありなん、と首肯することでございましょう。
「これは、何と…。」
義平殿はそう言ったきり二の句がつげられず、目を見開いて呆けたようにただただ人形の顔を見つめ続けておられたのでございます。
その後義平殿はあれほど愛でられていた絵草紙もご覧にならず、 めっきりおやつれになり、案じた父母が医者や陰陽師に診せたところ、これは所謂(いわゆる)恋患いに違いない、しかし、これほどに重い恋患いは今まで診たことがない、このままでは命に関わるやも知れぬとの見立てを口を揃えて申し述べたのでございます。
誰ぞ好いた女子が出来たのならば良いことだが、命に関わるほどの恋患いとはただごとではない、と慌てられた父母は、相手の女子に心当たりはないか、と正直殿にお尋ねになられました。正直殿は口ごもり、誠に申し上げ難(づろ)うございますが、と前置きした上で、先の神社での経緯(いきさつ)を説明され、事の顛末を一部始終子細にお伝えになられました。
「では義平の恋患いの相手は人形だと申されるのか?」
「左様でございます。面妖な、と思われましょうが、それ以外には考えられませぬ。…とはいえ、相手は人形なれば、義平殿が思いを遂げられることは到底叶いますまい。義平殿自身が叶わぬ恋を諦め、見果てぬ夢より目覚めて頂けねばこのまま焦がれ死にしてしまいかねませぬ。元を辿れば絵草紙の女子よりは生身の女子に近い美女の人形を見せれば義平殿も少しは気が変わるやも知れぬなどと思うたのが発端なれば、責めを負うべきはこの正直。何としても義平殿をお救い致さねば義平殿の友として許されざる失態にございましょう。」
正直殿が義平殿を見舞うと、頬が痩せこけた青白い顔を上げ、隈に縁取られ落ち窪んだ焦点すら合わぬ目を正直殿に向けて力なく義平殿が口をお開きになられました。
「正直、あの人形にはその姿を模した生身の女人がおわすのだろうか。もしそのような女人がおわすなら一目で良い、お目にかかりたい。もしもお目にかかれるなら私はその場で死すとも悔いはない。」
「やれやれそなたは困った御仁だ。そのようなことばかり考えているから一向に病が癒えぬのだぞ。」
それでも正直殿は義平殿を不憫に思い、人をやってあの人形について調べさせたのでございます。
あの人形はそもそもとある貴人の命(めい)により人形師が苦心の末完成させたもの。その貴人があまりの出来映えに感動し、我一人のものとするには忍びないとあの神社に奉納したということでございました。
人形師が仕事を請け合うてからあの人形を作り上げまでの詳細について知る者は誰もおりません。
「正直、私のためにその人形師の元へ行って尋ねてはくれまいか。私は知りたいのだ。あの人形に生き写しの女人はきっと何処かに居る、そんな気がしてならぬのだ。」
義平殿はそう言うて譲られず、正直殿は仕方なく人形師を訪ねることにしたのでございます。
正直殿が拒むなら義平殿は自ら人形師の庵へ赴くと言い出されましたが、義平殿の弱りきった体では獣道の如き細々とした険しい山道を登って山奥の人形師の庵まで辿り着くことなど到底できますまい。 正直殿はこれ以上義平殿に人形のことを知らしむべきか否かと迷うておられたのですが、余りに真剣な義平殿を目の当たりにすると、今まで絵草紙の中の女子にしか興味を持たれなかった義平殿が、人形に恋い焦がれるあまり自らの命すら擲(なげう)たんとするまでにすっかりお人が変わられたのも全ては恋の力のなせる業かと思えば、義平殿の気の済むようとことん付き合う覚悟を決められたのでございます。
正直殿が人形師の庵に辿り着くと庵の中は荒れ放題で人形師は酒に酔い高鼾で床の上に仰臥しておりました。体を揺すぶってもなかなか目覚めぬほど泥酔していた人形師の酔いが覚めるのを待ち、正直殿は人形について尋ねられました。
「都におわすとある公卿の若君があの人形への恋患いで今にも命を失おうとされておる。我が竹馬の友なるその若君に代わりこの庵をお訪ね申した。何卒あの人形についてそなたの知る限りの全てをお話し願えぬか。」
人形師の濁った虚ろな瞳に光が戻り、じろりと正直殿を睨んで人形師は答えたのでございます。
「あれは、ただの人形ではござらん。悪いことは申さぬ。関わらない方が御身のため。それでもそなたの御友人のお命に関わる一大事とまで申されるなら、この話を聞かれて如何様になされるかはそなたにお任せ致すとして、儂(わし)は包み隠さずお話し申そう。」
とある貴人の命により絶世の美女の人形を作る仕事を請け負ったものの、その貌(かお)だけがなかなか思い浮かばず、悩んだ人形師は都の丑寅のはずれにある小さなあの神社に願を掛け、何卒一世一代の傑作が作れますようにと一心不乱に祈りを捧げておりましたところ、ある日夢の中でお告げを授かったのでございます。
「明朝再び神社を訪ねよ。さすればそこで一人の姫君に出会えるであろう。その姫君の姿に似せて人形を作れば、そなたの願いは必ずや叶うであろう。」
人形師は喜び、お告げに従って神社を訪れるとまさにその言葉通りに薄絹で貌を隠した姫君に出会うたのでございます。
姫君は神社の裏手の森の中にある小さな小屋に人形師を案内し、そこで人形を作るようにと人形師に仰せになられました。
人形師は庵から道具や材料を運び込み、人形に姫君そっくりの貌をつけて完成させると疲れ果てて眠ってしもうたのでございます。
目覚めた時には既に姫君の姿はなく、出来上がった人形は眠りに落ちる前よりも更に美しく、何処か鬼気迫るほどに生き生きとして見えて、まさにこれこそは一世一代の傑作だと感動の涙が溢れたと申します。
依頼主の貴人に人形を納めたところ、あまりの美しさに驚き、大層お喜びにはなられましたが、暫くして貴人がその人形をあの神社に奉納されたのは、表向きはあまりにも人形が美し過ぎて我一人のものとするには忍びないなどと申されながら、その実あまりにも鬼気迫る生々しい人形に恐れをなして手放されたのではないかと思うたのだと人形師は語りました。
「あの姫君は恐らく人間(ひと)ではござるまい。何しろ本物の姫君はあの人形よりも遥かに美しかったが、何処となく背筋がぞくっとうすら寒く感じた。それに儂が人形を作り終えた時はまだ美しいとはいえただの人形には違いなかったものが、眠っている間に何らかの術でも施したのか、目覚めた時には人形に魂が宿ったかのような気がしてならなんだ。あの人形からは男を狂わす妖しげな気が漂うているように思える。それ故御友人もあの人形に取り憑かれてしまわれたのであろう。儂もあれ以来、いくら作ろうとしてもさっぱり人形が作れぬようになってしもうた。あれこそ儂の生涯における最高傑作で何としてもあれを越えることはできぬ。それで毎日このように酒に溺れる有り様。儂の知ることは全てお話し申した。都に戻り御友人の目を覚まさせておあげなされ。」
正直殿は驚き、俄(にわか)には信じられないと戸惑われましたが、人形師の言う通りに義平殿にお伝えになられました。
義平殿も初めは大層驚かれましたが、例え人間には非ずともあの人形と同じ姿をした生身の女人が確かに居られるのだと知れたことで生きる望みができたのか、何とか命を繋がれたのでございます。
義平殿はまだ見ぬその女人にますます恋い焦がれ、何としても一目その女人に会うてみたいと思いつめ、父母にも正直殿にも告げずに一人であの神社に赴かれ、我が願い何卒叶え給えと祈願されたところ、その夜都に戻って床に就かれると夢の中で義平殿に問いかける声が聞こえたのでございます。
「そなたはその命を賭してまでかの人形がその姿を模したという女人に会いたいと願うのか?」
「せめて一目なりともお目にかかりとうございます。その願いが叶うたなら私は死んでも構いませぬ。」
義平殿は懸命に訴えかけられたのでございます。
義平殿の意思が固いことを確かめるとその声は語り続けたのでございます。
「それほどまでにそなたが姫君に会いたいと望むならば、明朝再びあの人形の納められた神社に行くがよい。さすればその姫君と相見(あいまみ)えることであろう。」
義平殿が夢のお告げの言葉に従い、翌朝再びあの神社を訪れると、そこにはあの人形師の話の通りに薄絹で貌を隠した姫君の姿がございました。
終に義平殿は恋焦がれた姫君に、人形ではない生身の姫君に会いたいという望みを叶えられたのでございます。
(つづく)
今は昔の物語でございます。
古(いにしえ)の都の丑寅(うしとら※作者注:北東)のはずれに小さな神社がございました。その神社の鎮守の森の奥に祠(ほこら)があり、この世のものとも思えぬ美女の姿をした人形が祀られていたのでございます。これは時間(とき)の流れと共に打ち捨てられ忘れられたその人形にまつわる物語でございます。
古の都に義平(よしひら)殿と申される公卿の若君がおわしました。
歳の頃は十八ほど、男子(おのこ)齢(よわい)十五ともなれば契りを交わした女子(おなご)の一人もあるのが世のならい、父君母君も幾度とのう、誰ぞ好いた女子は居らぬのか、と問われましたが、義平殿は絵草紙に描かれた美女にしか興味を示されず父母(ちちはは)は大層気を揉んでおられました。
義平殿には正直(ただなお)殿という竹馬の友があり、父母が正直殿に義平殿が生身の女子に興味を持たれる良い方法はないものかと相談をなされると、正直殿は、
「絵草紙の女子から生身の女子に目を移すにはなかなか一足飛びには参りますまいが、一つ試みては如何かと思うことがございます。騙されたと思うてこの正直にお任せ頂けますか。」
と申されました。
藁にもすがる思いの父母は正直殿のお申し出に大層お喜びになりました。
「義平、そなた知っておるか。都の丑寅のとある神社にこの世のものとも思えぬ美女の姿をした人形があると聞く。そなたは絵草紙の美女にばかりうつつを抜かしておるようだが、実は生身の女子が恐ろしいのであろう?人形ならばそなたを取って喰ろうたりはせぬ故、この正直と連れ立って一目その人形の姿を拝みに行かぬか?」
渋る義平殿も正直殿の熱心な誘いに負けて終に二人して人形を見に行くことになされました。
正直殿に連れられて訪れたその小さな神社で目当ての人形を前にしたお二人は大層驚かれました。
その人形の白い肌や長い黒髪、黒い瞳はあまりに生き生きとしていて、今にも動き出しそうなほどでございました。
陶器の肌、絹糸の髪に硝子の瞳とは到底信じられないような出来映えで、世俗と一切の係わりを経ち人里離れた山奥の庵にて独りで暮らす人形師が丹精込めて作り上げた傑作だということでございました。
まるで人形の黒い瞳にじっと見つめられているように思え、義平殿はその美しさにぞくぞくするような魅力を感じたのでございます。何を馬鹿な、如何によくできているとはいえたかが人形ではないか、というのはその人形を目にしたことのない者の申すこと。一目その人形を見た者なら誰しも、ぞっとするほどの美しさにそのような錯覚を感じたとしても、さもありなん、と首肯することでございましょう。
「これは、何と…。」
義平殿はそう言ったきり二の句がつげられず、目を見開いて呆けたようにただただ人形の顔を見つめ続けておられたのでございます。
その後義平殿はあれほど愛でられていた絵草紙もご覧にならず、 めっきりおやつれになり、案じた父母が医者や陰陽師に診せたところ、これは所謂(いわゆる)恋患いに違いない、しかし、これほどに重い恋患いは今まで診たことがない、このままでは命に関わるやも知れぬとの見立てを口を揃えて申し述べたのでございます。
誰ぞ好いた女子が出来たのならば良いことだが、命に関わるほどの恋患いとはただごとではない、と慌てられた父母は、相手の女子に心当たりはないか、と正直殿にお尋ねになられました。正直殿は口ごもり、誠に申し上げ難(づろ)うございますが、と前置きした上で、先の神社での経緯(いきさつ)を説明され、事の顛末を一部始終子細にお伝えになられました。
「では義平の恋患いの相手は人形だと申されるのか?」
「左様でございます。面妖な、と思われましょうが、それ以外には考えられませぬ。…とはいえ、相手は人形なれば、義平殿が思いを遂げられることは到底叶いますまい。義平殿自身が叶わぬ恋を諦め、見果てぬ夢より目覚めて頂けねばこのまま焦がれ死にしてしまいかねませぬ。元を辿れば絵草紙の女子よりは生身の女子に近い美女の人形を見せれば義平殿も少しは気が変わるやも知れぬなどと思うたのが発端なれば、責めを負うべきはこの正直。何としても義平殿をお救い致さねば義平殿の友として許されざる失態にございましょう。」
正直殿が義平殿を見舞うと、頬が痩せこけた青白い顔を上げ、隈に縁取られ落ち窪んだ焦点すら合わぬ目を正直殿に向けて力なく義平殿が口をお開きになられました。
「正直、あの人形にはその姿を模した生身の女人がおわすのだろうか。もしそのような女人がおわすなら一目で良い、お目にかかりたい。もしもお目にかかれるなら私はその場で死すとも悔いはない。」
「やれやれそなたは困った御仁だ。そのようなことばかり考えているから一向に病が癒えぬのだぞ。」
それでも正直殿は義平殿を不憫に思い、人をやってあの人形について調べさせたのでございます。
あの人形はそもそもとある貴人の命(めい)により人形師が苦心の末完成させたもの。その貴人があまりの出来映えに感動し、我一人のものとするには忍びないとあの神社に奉納したということでございました。
人形師が仕事を請け合うてからあの人形を作り上げまでの詳細について知る者は誰もおりません。
「正直、私のためにその人形師の元へ行って尋ねてはくれまいか。私は知りたいのだ。あの人形に生き写しの女人はきっと何処かに居る、そんな気がしてならぬのだ。」
義平殿はそう言うて譲られず、正直殿は仕方なく人形師を訪ねることにしたのでございます。
正直殿が拒むなら義平殿は自ら人形師の庵へ赴くと言い出されましたが、義平殿の弱りきった体では獣道の如き細々とした険しい山道を登って山奥の人形師の庵まで辿り着くことなど到底できますまい。 正直殿はこれ以上義平殿に人形のことを知らしむべきか否かと迷うておられたのですが、余りに真剣な義平殿を目の当たりにすると、今まで絵草紙の中の女子にしか興味を持たれなかった義平殿が、人形に恋い焦がれるあまり自らの命すら擲(なげう)たんとするまでにすっかりお人が変わられたのも全ては恋の力のなせる業かと思えば、義平殿の気の済むようとことん付き合う覚悟を決められたのでございます。
正直殿が人形師の庵に辿り着くと庵の中は荒れ放題で人形師は酒に酔い高鼾で床の上に仰臥しておりました。体を揺すぶってもなかなか目覚めぬほど泥酔していた人形師の酔いが覚めるのを待ち、正直殿は人形について尋ねられました。
「都におわすとある公卿の若君があの人形への恋患いで今にも命を失おうとされておる。我が竹馬の友なるその若君に代わりこの庵をお訪ね申した。何卒あの人形についてそなたの知る限りの全てをお話し願えぬか。」
人形師の濁った虚ろな瞳に光が戻り、じろりと正直殿を睨んで人形師は答えたのでございます。
「あれは、ただの人形ではござらん。悪いことは申さぬ。関わらない方が御身のため。それでもそなたの御友人のお命に関わる一大事とまで申されるなら、この話を聞かれて如何様になされるかはそなたにお任せ致すとして、儂(わし)は包み隠さずお話し申そう。」
とある貴人の命により絶世の美女の人形を作る仕事を請け負ったものの、その貌(かお)だけがなかなか思い浮かばず、悩んだ人形師は都の丑寅のはずれにある小さなあの神社に願を掛け、何卒一世一代の傑作が作れますようにと一心不乱に祈りを捧げておりましたところ、ある日夢の中でお告げを授かったのでございます。
「明朝再び神社を訪ねよ。さすればそこで一人の姫君に出会えるであろう。その姫君の姿に似せて人形を作れば、そなたの願いは必ずや叶うであろう。」
人形師は喜び、お告げに従って神社を訪れるとまさにその言葉通りに薄絹で貌を隠した姫君に出会うたのでございます。
姫君は神社の裏手の森の中にある小さな小屋に人形師を案内し、そこで人形を作るようにと人形師に仰せになられました。
人形師は庵から道具や材料を運び込み、人形に姫君そっくりの貌をつけて完成させると疲れ果てて眠ってしもうたのでございます。
目覚めた時には既に姫君の姿はなく、出来上がった人形は眠りに落ちる前よりも更に美しく、何処か鬼気迫るほどに生き生きとして見えて、まさにこれこそは一世一代の傑作だと感動の涙が溢れたと申します。
依頼主の貴人に人形を納めたところ、あまりの美しさに驚き、大層お喜びにはなられましたが、暫くして貴人がその人形をあの神社に奉納されたのは、表向きはあまりにも人形が美し過ぎて我一人のものとするには忍びないなどと申されながら、その実あまりにも鬼気迫る生々しい人形に恐れをなして手放されたのではないかと思うたのだと人形師は語りました。
「あの姫君は恐らく人間(ひと)ではござるまい。何しろ本物の姫君はあの人形よりも遥かに美しかったが、何処となく背筋がぞくっとうすら寒く感じた。それに儂が人形を作り終えた時はまだ美しいとはいえただの人形には違いなかったものが、眠っている間に何らかの術でも施したのか、目覚めた時には人形に魂が宿ったかのような気がしてならなんだ。あの人形からは男を狂わす妖しげな気が漂うているように思える。それ故御友人もあの人形に取り憑かれてしまわれたのであろう。儂もあれ以来、いくら作ろうとしてもさっぱり人形が作れぬようになってしもうた。あれこそ儂の生涯における最高傑作で何としてもあれを越えることはできぬ。それで毎日このように酒に溺れる有り様。儂の知ることは全てお話し申した。都に戻り御友人の目を覚まさせておあげなされ。」
正直殿は驚き、俄(にわか)には信じられないと戸惑われましたが、人形師の言う通りに義平殿にお伝えになられました。
義平殿も初めは大層驚かれましたが、例え人間には非ずともあの人形と同じ姿をした生身の女人が確かに居られるのだと知れたことで生きる望みができたのか、何とか命を繋がれたのでございます。
義平殿はまだ見ぬその女人にますます恋い焦がれ、何としても一目その女人に会うてみたいと思いつめ、父母にも正直殿にも告げずに一人であの神社に赴かれ、我が願い何卒叶え給えと祈願されたところ、その夜都に戻って床に就かれると夢の中で義平殿に問いかける声が聞こえたのでございます。
「そなたはその命を賭してまでかの人形がその姿を模したという女人に会いたいと願うのか?」
「せめて一目なりともお目にかかりとうございます。その願いが叶うたなら私は死んでも構いませぬ。」
義平殿は懸命に訴えかけられたのでございます。
義平殿の意思が固いことを確かめるとその声は語り続けたのでございます。
「それほどまでにそなたが姫君に会いたいと望むならば、明朝再びあの人形の納められた神社に行くがよい。さすればその姫君と相見(あいまみ)えることであろう。」
義平殿が夢のお告げの言葉に従い、翌朝再びあの神社を訪れると、そこにはあの人形師の話の通りに薄絹で貌を隠した姫君の姿がございました。
終に義平殿は恋焦がれた姫君に、人形ではない生身の姫君に会いたいという望みを叶えられたのでございます。
(つづく)
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