(※この物語は昔話風ダークファンタジーであるため、演出上、不適切な文言・表現を含む場合がありますがご容赦ください。)
神社の参道を歩み寄って来る義平(よしひら)の姿に気づいたのか、姫君は先に立って人形師が姫君の人形を作った森の小屋に義平を案内した。
小屋に入り向かい合って座した姫君が薄絹を外すとその顔はあの人形よりも遥かに美しく、まさにこの世のものとは思えぬ美女であった。
「義平殿、お会いしとうございました。」
「何故私の名を?」
姫君はうふふと笑って答えた。
「 妾(わらわ)の姿を模した人形に恋い焦がれた公卿の若君の噂は都のみならず鄙(ひな)までも届いておりました。それほどまでにあの人形を愛でて下さり妾も嬉しゅうございます。」
「姫君、今こうして貴女を目の前にするとあの人形など霞んでしまうほど貴女は美しい。私は人形ではなく一目本物の貴女にお会いしたかった。せめて貴女の名をお聞かせ下さい。」
「妾の名は時雨(しぐれ)と申します。」
「たった今お会いしたばかりの貴女に唐突にこのようなことをお話しては気味悪がられるかも知れませんが、私は生身の女子(おなご)が苦手で、絵草紙に描かれた美女にしか興味がなかった。あの人形を見に行こうと竹馬の友が誘ってくれていなければ、今も変わらず絵草紙ばかりを眺めて暮らしていたことでしょう。しかし、あの人形を見た時、私は貴女に恋をしてしまった。時雨姫、どうか私と契りを結んで下さい。」
義平の澄んだ瞳や上気した頬を見ると時雨は思った。
(この人は本当に清い心の持ち主。このまま真実を告げず騙し続けることはできない。)
「義平殿、妾には貴方に告げねばならぬことがございます。それを聞けばきっと貴方は妾を嫌いになるでしょう。でも妾は貴方にだけは嘘はつきたくない。何もかも全てお話申し上げます。」
時雨姫は人間(ひと)には非ず。人肉を喰らう喰人鬼(ひとくいおに)の大王の娘である鬼女。
神が大王も喰われる人間の身になるようにと思し召して遣わされたのか、大王の娘の鬼女ながら人間に似た姿で生まれてきたのが時雨であった。
鬼にとっての人間は、言ってみれば人間にとっての鳥や獣と同じく食材となる肉塊に過ぎず、本来ならば大王は人間のような姿に生まれた娘も喰ろうてしまうところであったろうが、意外なことに大王は時雨を喰らうことなく鬼の姫として育てた。
それは娘可愛さからではなく、成長の暁には人間の男を誑(たぶら)かし、騙して鬼の国に連れて来させるために利用しようと考えたからだった。
そして成長した時雨は鬼の国の入口に近いこの森で神社に願かけをする人形師に時雨そっくりの人形を作らせた。
人形師が眠っている隙に時雨は人形に自らの血の一滴(ひとしずく)、肉の一欠片(ひとかけら)を与え、自らの分身として人形に魂を宿らせたのである。
時雨は人形を通して人形を見に来る人間の姿を見、声を聞いていた。
今まではそうして男を物色し、言葉巧みに男を鬼の国へと誘(いざな)ったのである。
男達は時雨の色香に迷い、まんまと乗せられて大王の食餌にされたのであった。
「妾は鬼女。父なる大王に命じられるままに人間の男を狩って来ました。鬼は人間とは別の理(ことわり)に生きるもの。妾は、人間が罪の意識もなく兎や雉を狩るのと同じように、当然の如く数多(あまた)の男を鬼の国に誘(いざな)い、大王にその肉を捧げました。
妾の体は男を殺めた血で紅く染まり、幾ら洗っても血の臭いが取れません。妾の体は穢れております。汚れは洗えば落ちますが一度穢れてしまったらもう二度と浄められはしないのです。
そんな妾でも、元より妾も人形の目から貴方のお姿を見て、人形の耳から貴方のお声を聴いて、貴方を憎からず思うておりました故、こうして直に貴方のような純粋無垢なお方に初めて出会い、身の程も弁えず貴方に惹かれてしまいました。妾も、妾の分身である人形に恋焦がれて命に関わるほどの恋患いをなさるほど妾を恋しく思って下さった貴方を愛してしまいました。貴方だけは大王の贄(にえ)にはさせとうはございません。何卒妾のことは忘れてこのまま都へ戻り人間の女と添うて下さいませ。」
時雨はさめざめと泣いてそう言った。
義平は俯(うつむ)く時雨の手をとってぐっと握り締めた。
「いいえ、時雨姫。貴女が鬼女であろうと、穢れていようと、私は恐れたり嫌いになったりは致しません。
真実を告げて下されたのは私を思うて下さるからこそ。愛しているという貴女の言葉は貴女の心からの言葉だと信じます。
私は一目貴女にお会いできるなら死んでもいいと思うておりました。だから鬼に喰われても構わない。
ただ人間とは勝手なもので一つ願いが叶うと更に貪欲になって新しい望みを持ってしまいます。喰われる前に私と契りを交わして下さい。貴女が欲しい。
私が生身の女に対して初めて抱いた感情です。一夜限りでも美しい貴女を私のものにできるなら、私は今度こそ本当に死んでもいい。」
時雨は泣き止んで義平を見つめ儚げな笑みを浮かべて答えた。
「不思議なものですね。 鬼の国では人間に似た私は鬼女としては酷い醜女(しこめ)。人間の国では絶世の美女と褒めそやされても、所詮人間の男を釣る餌でしかないものと思うておりました。
人間の男の方も妾を求めるのはただ美しい女を我がものとすることで得られる他の男に対しての優越感だけだと思うておりました。貴方のように命懸けで惚れてくれた男は初めてです。
妾を抱きたいと望んだ男は数知れず。それでも妾は体には触れさせても決して心は許しませんでした。妾が体も心も全て捧げられるのは貴方だけ。義平殿、こんな女でも良いのならどうか妾を抱いて下さいませ。」
義平は時雨を抱き締めた。
「ありがとう。時雨姫。貴女を愛しています。」
「今の私は鬼の姫ではなく一人の女。どうか時雨とお呼び下さいませ。」
「時雨っ!…時雨、時雨、時雨。ああ何と甘美な響きだろう。貴女の名を呼ぶだけで私の中に熱いものが滾(たぎ)ってくるようだ。」
「義平殿、妾は人間に非ざるこの鬼女の身が恨めしい。貴方と同じ人間の女に生まれていればと思うと口惜しくてなりません。
この先もずっと貴方を愛し愛され生涯を共に歩めたらどんなに素晴らしいことでしょうけれど、所詮それは叶わぬ夢。
ならばせめて今夜一晩で一生分の愛を妾にお与え下さいませ。お慕い申しております。義平殿。」
その夜二人は激しく互いを求めあい、深く愛しあった。
夜明け前のまだ暗いうちに時雨はそっと小屋を抜け出して、一人で森の向こうにある鬼の国の入口へと向かった。
人間の国と鬼の国を隔てる結界を過ぎればその先は鬼の国。人間だけではその結界を越えることはできない。これで小屋に残してきた義平とは永遠(とわ)の別れと諦めなければ、と思いながらも、未練に後ろ髪引かれる思いで立ち止まり振り返ると、時雨を追ってきた義平が息を切らして時雨の着物の端を掴んでいた。
「なりません。義平殿。その手をお離し下さい。ここより先は鬼の国。妾は夜が明けきる前に国へ帰らねばなりません。貴方も都へお帰り下さい。」
「貴女の居ない都になど帰るものか。貴女が鬼の国に戻るのなら私は貴女について行く。それに人間の男を連れて戻らねば貴女が大王に責められるのではありませんか?」
「確かに贄を差し出さねば妾は大王に折檻されるでしょう。虫の居どころが悪ければ妾自身が喰われてしまうかも知れません。
愛しい貴方を絶対に贄にはしたくないけれど、今は結界が閉じる前にここを潜(くぐ)り抜けねばならないから言い争う暇(いとま)はありません。
仕方がありません。妾と共に鬼の国に参りましょう。」
夜明けと同時に結界は閉じ、義平は時雨に手を引かれて鬼の国へと足を踏み入れた。
時雨の家に通されるとほどなく大王の使いの鬼神がやって来たが、義平は時雨の妖術で鬼の目には姿が映らなくなっていた。
「姫君、大王のお召しにございます。おや、贄は如何なされました?もしやしくじられたのではありますまいな?」
「そのまさかです。妾の不覚にて男を取り逃がしてしまいました。大王には妾からお詫びを申し上げます。」
使いの鬼神はくんくんと鼻を鳴らしてじろりと時雨を見つめて言った。
「人間の臭いがする。まさか何処ぞに人間を匿(かくも)うておいでではありますまいな?」
「何を馬鹿げたことを。きっと今人間の国から戻ったばかりなので人間の臭いが染み付いているのでしょう。」
「左様ですか。ならばお召し替えを済まされたらすぐにお越しください。」
「わかりました。すぐに参ります。」
(怪しい…。移り香だけであれほど臭うはずはない。きっと何処かに人間を隠しているに違いない。)
使いの鬼神は時雨が人間を隠しているかも知れないと大王に報告した。
「お召しにより参上仕(つかまつ)りました。」
時雨は大王の前で深々と礼をして言った。義平は鬼には見えない姿のままそっと時雨についてきていた。
「時雨、贄は取り逃がしたと申したそうだが、今もなおぷんぷんと人間の臭いがする。何処ぞに人間を隠しているのではないか?」
「滅相もございません。妾は大王様に捧げる贄を取り逃がしてしまいました。その責めを受ける覚悟はできております。」
「ほう、殊勝なことを申すのだな。ではまず汝(うぬ)の体を検(あらた)めるとするか。」
大王は下卑た笑い顔で時雨の胸元に手を入れて両の乳房をまさぐったが、時雨は目を閉じてなされるがままにじっとしていた。
「妖術で男を小さくして懐に隠したかと思うたがここではなかったか。ではこちらか。」
大王は時雨の肩を突飛ばし、倒れた時雨の上に逆向きで馬乗りになると着物の裾をかきわけて股を開かせ右手を差し込んだ。時雨は声を上げるのを堪(こら)えるようにぎゅっと目を閉じて硬く唇を閉じていた。
「さすがに体の中にも隠してはおらんか。」
大王はにやりと笑いながら時雨の体から引き抜いた自らの右手を眺めて言った。
「しかし生娘のはずの汝の体にまぐわいの痕跡があった。時雨、汝は昨夜人間の男と寝たな。今までは如何に人間の男に求められても焦らすだけ焦らして最後まで体を許すことはなかったのに。昨夜に限って汝は贄にするはずの男に惚れたのか?鬼にとっては畜生同然の人間に。鬼が人間と交わるのは人間で言えば獣姦。鬼女としての誇りを捨てた愚かな行為だと汝も知らぬはずはなかろう。」
大王は最初からわかっていたのだ。妖術で姿の見えないようにされた義平がその場にいて、一部始終を見聞きしていることを。
だからわざと義平の眼前で時雨を辱しめ、挑発的な言葉を義平に聞かせようとしている。決して口を利いたり物音を立てぬようにと時雨に言われているに違いない義平は悔しくとも何も出来ないであろうことも。
「まあよい。鬼女とて女。まして汝は人間に似た姿で生まれてきた故、人間の男に惚れるのも致し方ないのかも知れん。一日だけ待ってやる。明日の昼までに汝の愛しい男を贄として差し出すか、汝自身が贄となるか、二つに一つのどちらかを選べ。男と話し合ってどちらが贄となるか決めるがよい。もし二人のうちどちらも現れぬ時は人間の国まで追手を差し向けて草の根分けても捜し出し、必ずや見つけて汝ら二人とも喰ろうてやる。」
大王の元を辞して戻った時雨は妖術を解き、義平とひしと抱き合った。
「時雨、やはり明日は私一人が大王の元へ参ろう。今生の名残に今宵再び貴女を抱いたら、もう思い残すことは何もない。願いが叶えば死んでもいいと神に祈ったのだから、私は喜んで贄となろう。」
「それはなりません。義平殿。人間の寿命は長くても百年あまり。鬼の寿命はその数倍以上。貴方が残って妾の居ない人生を過ごされるのに比べたら、妾が貴方なしで生きねばならぬ時間は遥かに長うございます。
それよりも妾はここで死んでも貴方とのご縁さえあればきっと来世は人間に生まれ変わって再び貴方に出会えるでしょう。
妾は自ら贄となることで今まで男たちを騙して鬼の国に誘い喰人鬼の贄とした罪を贖(あがな)わねばなりません。
どうか貴方は人間の国へ戻り長生きをして転生してくる妾をお待ち下さいませ。」
時雨の意思は固く、義平は時雨に従わざるを得なかった。
二人は一生分の愛をその夜一晩に凝縮し、濃密な時間を過ごした。夜明け前のまだ暗いうちに時雨は結界の外まで義平の手を引いて連れて出た。
「これにて今生のお別れでございます。」
「このまま貴女を連れて都に戻り、共に暮らせたら…。」
「それ以上は言うてはなりません。義平殿。別れが尚更辛くなってしまいます。妾も貴方と離れたくはありません。
でも妾は鬼女。人間と鬼とではあまりにも寿命が違い過ぎて、鬼である妾は人間である貴方とは同じ時間(とき)を生きられぬ運命(さだめ)なのです。
それにもしも今妾がこのまま貴方と共に人間の国へ逃げたら、大王はきっと鬼や魔物に人間の国を襲わせ、妾と貴方を草の根分けても捜し出して必ず見つけ、二人とも喰ろうてしまうでしょう。鬼も魔物も目的のためには手段は選びません。妾と貴方を捕らえるために、貴方の家族や友や、他の人間達が命を奪われたり家を焼かれたりすることだけは何としても防がねばなりません。
来世こそは妾もきっと人間に生まれ変わって参ります。そうして再び貴方とお会いできたならもう決して貴方のお側を離れません。どうかそれまで妾のことを忘れないでいて下さいましね。」
「忘れるものか。どうしてこんなにも深く愛し合った貴女を忘れることなどできようか。何ものも貴女と私の縁を断ち切ることなどできはしない。待っているぞ。時雨。さらばとは言わない。きっとまたすぐに会えるであろうから。」
「お名残惜しゅうございますが、もう夜が明けます。妾は鬼の国へ戻らねばなりません。ご機嫌よう、義平殿。どうぞお達者で。」
そう言うと時雨は繋いでいた手を離して結界の向こう側へと後退りした。
「時雨ーーーーーーっ!」
義平の悲痛な叫び声だけを残して無情にも結界は閉じ、鬼の国への入口は消え失せた。
義平は鬼の国から戻ったその足で都に帰る気にはなれず、時雨と出会ったあの神社に立ち寄り、時雨の分身である人形の元を訪れ、人形に向かって語りかけていた。
「待っているぞ。時雨。例え何年後になろうとも生まれ変わって再び会えるその日まで。」
贄を差し出す刻限の正午が近づき、時雨は一人で大王の元へ向かった。
「やはり汝が身代わりとなって男を人間の国へ逃がしおったか。たかが一人の人間の男にそれほどまでに汝が狂うとはな。鬼女とはいえ汝もただの女だったか。遠い昔には稀にではあるが人間の女に狂うた鬼神や、人間の男に狂うた鬼女が居て、人間と交わったこともあったそうな。汝はその先祖返りかも知れぬ。愛しい男のためにその身を擲(なげう)っても構わぬと覚悟を決めたのならそれもよし。贄として男の身代わりに汝の肉を喰らうまでのことよ。」
大王はそう言うと手荒く時雨の着物を剥ぎ取り、一糸まとわぬ姿となった時雨を仰向けにしてまな板に乗せ、四肢をまな板の四隅に目打ちで留めると包丁で生きたままその腹を割いて臓物を引きずり出し傍らの鬼どもに投げ与えると、鬼どもは臓物をぐらぐら沸き立つ鍋の中に放り込み、大王は板前が鮮魚を活造りにするように時雨の全身の肉を切り刻んだ。
哀しいかな人間よりは心も体も遥かに頑丈に出来ている鬼女故に時雨は激しい痛みに気を失うことも許されず白い肌が紅い血に塗(まみ)れ美しい肢体が赤黒い肉塊に変えられて行くさまをただ為す術もなく自らの眼(まなこ)で見続けねばならなかった。未だ時雨の体内に唯一残されていたぴくぴくと脈打つ心臓が大王に抓(つま)みあげられ口中に放り込まれてごくりと音を立てて喉を滑り落ちると同時に時雨は大きな叫び声を上げて絶命した。ちょうどその時、義平は疲れからか人形の前で転寝をしていたが、人形が時雨の声で義平の名を呼んだ気がしてふと目覚め、人形の顔を見ると人形は紅い血の涙を流していた。
(ああ、時雨は今まさに私の身代わりとなって大王に喰われたのだ…。)
義平は大声を上げて号泣した。
(生まれて初めて愛した生身の女の命を犠牲にして自分は生き永らえたのだ。
必ず生まれ変わって再び会えると言って時雨が捨てた数百年の命に報いるために私は生きて待たねばならない。
もう一度転生した時雨に巡り会い、再びこの腕に抱くまで、何年何十年かかろうとこの命果てるまで待ち続ける。)
義平は人形を見つめて固く心に誓ったのだった。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます