先日降臨したネタの種。
『心を持たないはずの人形が人形遣いという人間と触れ合うことによって徐々に心を持つようになる』、ということは少なくとも『喋ったり動いたりできる人形』ということになるが、果たしてそれは如何なるものなのか、と考えてみた。
ドラマや映画に出て来る、所謂『人造人間』の類は以前の作品で書いたことがある。
『クローンのような技術によって卵子のみから産み出された一種の人造人間』という設定だった。
『自らの血肉を核として、妖術によって人形に命を与える』という、所謂『生き人形』という設定もあった。
『人間ではあるが、自らの意思を持たず、他者の恣意によって操られる』という、所謂『比喩としての人形』という設定もあった。
厳密に言って生命と言えるかどうかは別として、とある作品のおまけ的なエンディングで、初期化されたはずのアンドロイドのメモリーに何故か残っていた所謂『前世の記憶』、とでもいうようなパターンもあり、広い意味では学習機能のあるAIロボットのようなものも一種の人形と言えるかも知れない。
では、一体、今回のネタの種でいうところの人形は如何なるものなのか。
それを考えるヒントとなるものはやはり、人形そのものではなく、人形遣いの方にあるのではないか。
人造人間であれ、生き人形であれ、ロボットであれ、『人形』即ち『人に非ざる存在』に影響を与え、「人間のことを知りたいと思い、人間に憧れ、人間に近づきたい、人間になりたい」と願うようになるのは、人形遣いから受ける影響に起因する訳であるから、寧ろ人形遣いとは如何なる人物であるのか、が問題である。
元ネタの少女漫画に沿って『人形遣い』と言ってはいるが、ぶっちゃけて言ってしまえば、『人形遣い然とした人形遣い』でなくても良い訳で、例えて言うなら『人形の庇護者』のようなもの。
言うなれば『人に非ざる存在を庇護せざるを得ない立場にあるもの』。
漠然とではあるが、それは産みの親ではなく育ての親的な存在だと思っている。
『人形』が産み出された時に意図されていた『存在意義や存在価値、目的や使命のようなもの』とは全く違う価値観で接する『人形遣い』に、『人形』は最初は混乱させられるが、次第に『人間とはどんなものか』、『心とは何か』、『自分は何者なのか』などと考え始めるというような大まかな流れ。
まだ双葉も出ていない、発芽すらしていないネタの種ではあるが、次に雷に撃たれたような閃きがあれば、或いは物語が動き始めるのかも知れない。
『心を持たないはずの人形が人形遣いという人間と触れ合うことによって徐々に心を持つようになる』、ということは少なくとも『喋ったり動いたりできる人形』ということになるが、果たしてそれは如何なるものなのか、と考えてみた。
ドラマや映画に出て来る、所謂『人造人間』の類は以前の作品で書いたことがある。
『クローンのような技術によって卵子のみから産み出された一種の人造人間』という設定だった。
『自らの血肉を核として、妖術によって人形に命を与える』という、所謂『生き人形』という設定もあった。
『人間ではあるが、自らの意思を持たず、他者の恣意によって操られる』という、所謂『比喩としての人形』という設定もあった。
厳密に言って生命と言えるかどうかは別として、とある作品のおまけ的なエンディングで、初期化されたはずのアンドロイドのメモリーに何故か残っていた所謂『前世の記憶』、とでもいうようなパターンもあり、広い意味では学習機能のあるAIロボットのようなものも一種の人形と言えるかも知れない。
では、一体、今回のネタの種でいうところの人形は如何なるものなのか。
それを考えるヒントとなるものはやはり、人形そのものではなく、人形遣いの方にあるのではないか。
人造人間であれ、生き人形であれ、ロボットであれ、『人形』即ち『人に非ざる存在』に影響を与え、「人間のことを知りたいと思い、人間に憧れ、人間に近づきたい、人間になりたい」と願うようになるのは、人形遣いから受ける影響に起因する訳であるから、寧ろ人形遣いとは如何なる人物であるのか、が問題である。
元ネタの少女漫画に沿って『人形遣い』と言ってはいるが、ぶっちゃけて言ってしまえば、『人形遣い然とした人形遣い』でなくても良い訳で、例えて言うなら『人形の庇護者』のようなもの。
言うなれば『人に非ざる存在を庇護せざるを得ない立場にあるもの』。
漠然とではあるが、それは産みの親ではなく育ての親的な存在だと思っている。
『人形』が産み出された時に意図されていた『存在意義や存在価値、目的や使命のようなもの』とは全く違う価値観で接する『人形遣い』に、『人形』は最初は混乱させられるが、次第に『人間とはどんなものか』、『心とは何か』、『自分は何者なのか』などと考え始めるというような大まかな流れ。
まだ双葉も出ていない、発芽すらしていないネタの種ではあるが、次に雷に撃たれたような閃きがあれば、或いは物語が動き始めるのかも知れない。