世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

騒々しい

2017-11-18 | 政治家を選良と思うのはやめよう

 

📌

世の関心の渦中に手を突っ込むことで、シタリとどや顔の人がいる。

公に発言する機会を得ている人が、酔ったように目立つ言葉を発する。

これからあれへと刺激的に手を突っ込んで、どこかで破綻している。

いったい何を言いたいんだ。もっと分かりやすく。

 

政局いじり、話題いじりで論評好みの人物になり果てていないか。

果たして、世に何を知らせんとしているのか。

社会全般に訴求する論理性が見えない。

詰まるところ、社会の裾野を動かしてるのは彼らではない。

 

📌

一人立場の強い人間がいると、

周りの取り巻きがフニャフニャ、ホにゃホにゃになってしまう。

調子に乗って追随するもの、せいぜいうっすらとした抵抗を示す程度だ。

そんな現象を社会の至る所でみかける。

 

それが政治家であれ企業家であれ著名人であっても、彼らを仰ぎ見てはいけない。

彼らは、自分には自動的に敬意が払われるものと思ってるかも知れない。

人々は忘れがちだが、その経歴と人格または品性は、別物と警戒していた方が良い。

職業人としてだけでなく人として、節度や自制心があるのか、目線はどこにあるのか、

状況が変わると図らずとも、彼らの本態が見えてくるものだ。

選ばれた人であっても、心の半分は俗物性タップリとみていた方がいい。

 

📌

市民に説得力のある話が出来る政治家がとても少ない。

ひとたび選良として職責を得るや、まもなく立場を背に軽薄かつ恣意的な

言動をする政治家が頻発している。

その姿勢を問われると、私人としての言動だと愚かなことを言い張る。

政治家は、動くだけで公人としての影響を持つ。

多数を得た選挙民に委ねられている責任が重いからだ。

私人としての行動枠は厳格でなければならないのは、イロハである。

劣化した政治家たちは、発言の撤回や粗末な弁明を恥とも思っていないようだ。

その人格や政治家として資質がすぐに露見していく。

だから人々は、議員を見て優れた人たちと恐れ入ったりしてはいけない。

 

📌

選挙民がどこまで真摯に候補者を選択し、その活動に関心を払っているかは

もっと疑問である。多くの投票者は、選挙公報か選挙期間中の演説以外で彼らを

知る機会がない。名前の連呼に終始する候補者の多い選挙戦で何を知ることが

出来るだろう。

支持政党が明らかな投票者であれば、党派を選択しているのだから、なおさら

当該候補者の政治活動を個別に採点しないのではないか。

さらに、今時の選挙は、無党派層の投票動向がほぼ大勢を決めていく。

だが、候補者に最も遠い存在の無党派層には、その時点で多少とも共感出来る

党派を手がかりとして選択するしかやりようがない。

詰まるところ、候補者の資質優先で投票される要素は希薄なのである。

 

📌

政治家が他の市民より優れているということは全く無い。

だが政治家はそう思っていない。

市民も政治家であるというだけで仰ぎ見る人がいる。

そうした浅見が政治家の活動を歪めていく。

どんな実績を披露されても、人格を保証するものではない。

そうした目線を持っていないと、行政は汚濁していく。

 

📌

自民党には妄動、妄言の軽薄議員が多いが、

党を潰そうという人はいない。

ところが野党には、

加えて党を潰そうという人がいるから不思議だ。

 

 


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