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「老老介護」・「認認介護」・「がんがん介護」 最後のカギは人とのつながり

2014-09-05 | 梅肉エキス
血液をサラサラにすることにより<br>
        身体の中から活力がわきます<br>
          飲み続けることで<br>
              インフルエンザの予防も・・・





私が高校3年の時でした・・・

父が大阪の仕入れの途中で体調不良になり、

一緒に行っていた母は、

父を近くの病院に入院させて、一人で商品仕入れをやり終えました・・・

容態が安定した父を鳥取まで連れ帰り、

地元の病院で精密検査をしたところ、膵臓に影があり手術ということに・・・


そんな時、輸血用の血液が足りないということを聞きつけた父の友人の一人が病院に来られ

「彼は、商売で私を救ってくれた。彼と同じ血液型だから、採血してくれ」・・・と

本当の友達というものがどんなものか理解していなかった私には、衝撃でした・・・

本当に有難かったですね。


当時、共に苦しかった時代・・・その方は、廃業を考えてらしたようです・・・

そんな時、父は、そんな人達4~5人を集め、組合的なものを創り

地元の銀行に借入の交渉をし、皆の事業を救ったようです・・・


人とのつながりとは、本当に不思議なものやと思います。

私もいろんな友人に助けられて今日まで来られました・・・

京都で再出発しようとしたときの左官業をやってたIさん・・・

彼がいなかったら、京都での再起は叶わなかったように思っています・・・

果たして、私は友人知人達にお返しができているのか・・・答えられる自信ありません・・・


今朝は、「老老介護」「認認介護」「がんがん介護」に焦点を当てた記事を紹介してみようと思います。

~以下、9月5日読売新聞朝刊より抜粋~

 医療ルネサンス
患者家族は今  


がん介護 友人に支えられ
 「老老介護」。認知症の人が認知症の配偶者を介護する「認認介護」。いずれも高齢者2人世帯の風景だ。超高齢社会では、さらに、がんの家族同士の「がんがん介護」が増えるとみられる。

 小学校の教員だった大阪市の男性(64)には、妻に大きな借りがあった。バレーボールクラブの監督として、週末も家を空けた。同じ年で陶芸家の妻は、アルツハイマー病の互いの母、大腸がんの義父、脳梗塞で倒れた実父を通いで介護した。子供も、頼れる親族もいない。自宅にある妻の電動ろくろは数年間、ほこりをかぶっていた。
妻の最後の作品に触れながら想い出を語る男性
妻の最後の作品に触れながら、想い出を語る男性
(大阪市都島区で)=笹井利恵子撮影


2人の父を看取り、2人の母の高齢者施設入りが決まった時、妻が肺がんになった。男性が定年前に退職し、「これから妻のために生きよう」と誓った。入退院を繰り返す妻を、つきっきりで介護した。そのストレスが、思いのほか強いことに驚きもあった。

 そんな暮らしが始まって1年ほどが過ぎた2010年12月の朝。台所に立っていた自分が、激しい腹痛に襲われた。

 大腸がん――。2日後に緊急手術だという。
 妻が大変な時に申し訳ない。通院の付き添いもマッサージなどの世話も出来ない。どうなってしまうのか。いや、これで妻の本当のつらさが理解できる。しばらく休める……。大きなショックの中、心は揺れ、千々に乱れた。

 行政に頼ることなど思いもつかない。頭に顔が浮かぶ人がいた。妻と自分の40年来の友人で、大阪府枚方市でそば店を営む女性(64)。もう数年会っていないが、彼女なら手を貸してくれるかもしれない。すがる気持ちで連絡をとり、「妻のことを頼みます」と訴えた。

 駆けつけた女性の行動は鮮やかだった。妻の主治医に掛けあい、夫婦を一緒に入院させるよう頼み込んだのだ。話はあっさりとまとまった。男性は、妻を近くで気遣いながら自分の治療に専念できた。

 妻の60歳の誕生日。緩和ケア病棟に移っていた妻を、看護師らとともに祝った。数日後、妻は眠るように息を引き取った。

 もしもあの時、彼女と連絡が取れなければと、男性は思う。彼女がこうしたケースにたけた経験者だったわけではない。けれど、支えあう力が弱体化する社会で、頼れる友人の存在がいかにありがたかったことか。

 今後は、高齢で認知症とがんを併せ持つ人も普通になる。そんな時代を生きる最後のカギはやはり、人のつながりなのだ。
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