できるだけ子供に絵本を読んであげるように心がけているのだけれども、近頃の昔話の絵本に関して不満がある。
現代のオリジナルの絵本は競争率が高い(?)理由からか、とてもよく考えられいて大人が読んでも感心してしまうくらい面白い絵本が多い。
対して従来の昔話を扱ったシリーズはマンガっぽい絵も内容も物足りないものばかり。
選者である私たちが安物買いの銭失いしているだけなのかもしれないけれど、アニメマンガ風の絵も毒気が骨抜きされている内容もいけてない。
そんなこんなで最近読み始めたばかりの本(「昔話の深層」河合隼雄著)の中に早速気になる記述を発見。
河合氏はこの本の中で現代人にとっての昔話の意義を解読していく上でまず「トルーデさん」を例にあげている。
この結末が「ええっ~!?」というくらいあっけなく、そして恐ろしい。
http://www.ab.auone-net.jp/~grimms/grimm32/trude.html
以下河合氏の解説が面白い。
昔話は子供たちへ教訓を与えるためにあると思っている人、単純な勧善懲悪式の教訓を考えている人は、この話の凄まじい結末にたじろぐことであろう。
(私は教訓めいた人ではないけれども、かなりたじろぎました。)
あるいはこの物語にたじろぐことなもなく「だから皆さんは親のいいつけにそむいてはいけません」などと平然と教訓を垂れることのできる人は既成の道徳の鎧によって生きた人間としての心の動きを被っているひとだと思われる。
このような人はその鎧を強化するために、もう一歩進んで話のかきかえすら試みる。
この話の結末を「こどもに聞かせるのにはあまりにひどすぎる」ということで柔らかくしたり、時にはハッピーエンドにしてしまったりする。
これってまさに私たちが生きる現代の日本の教育そのものについて書かれているかのようだ。
そして私が最近の昔話絵本に関して感じていた不満そのものだ。
私が見聞きしたかつての昔話は本当に怖かったはずなのに。。。
河合氏曰く、現代人は合理性や道徳性などに過剰に防衛され過ぎている。
だから昔話の「凄まじさ」についてまず知ってほしいとのこと。
同義でいえるのが現代人の死に対するあり方。
現代人がつとめて忘れ去ろうとしている死の戦慄は未開人にとっては真に重要なものであった。
エリアーデによるとある種族では成人する前のイニシエーションの過程で死を凄まじい恐怖と共に疑似体験する訳だけれども、このとき子供たちは初めて宗教的な畏敬と恐怖を感じるのだという。
彼らは超越した存在を実感し、それによって与えられた死を体験した後に成人へと再生していく。ここに於ける死と再生のプロセスは彼らの「実存条件の根本的変革」をもたらす。
昔話は人生における実存条件の根本的変革の瞬間を見事にとらえていることもできる。
よってその背後に存在する死の原型に力によって凄まじいものにならざるをえない。
人生をはいかに言いかえようとも、そもそも凄まじいものなのである~
冒頭からいきなりこれだけ興味深い本なので読み進めるのが楽しみなのだが、子供の絵本に対する不満だけではなく、率直な感想として今回の東北大震災に際してのマスメディアの報道においてもまた以上のような論理が働いて、悲劇的な状況を人々が克服していくことを感動的な論調でくくって終わらせているような気がする。
だからこそ、石鍋さんは「思い切って見に来て下さい。実際に見てもらわないとわからない。復旧したら実際に何が起ったが忘れられてしまう」とおっしゃていたのだろう。