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トゥリバー海岸のもう1つの顔

2012-07-30 19:16:44 | 宮古島にて

 昨日、トゥリバー海岸のサンゴについて書きました。 ここにはもう1つの顔があります。まず、この写真をご覧下さい。宮古島海中公園の近くにあった戦跡です。

 宮古島北部に狩俣地区がありますが、ここには海軍の特攻艇基地(格納秘匿壕)があったそうです。 特攻艇は「震洋」と呼ばれるモーターボートで船先に爆薬を仕込んで、船ごと体当たりするものです。 ある本では「基本的に二艘1組で一艘に爆薬を積み、体当たり前に隊員は海に飛び込む。もう一艘がその隊員を救助して基地に戻るから、必ずしも特攻兵器という意味ではない」・・・人間追い詰められると、空想事が自分に都合のいい解釈となるものです。 空想・ご都合解釈で頭が麻痺した参謀達はこうして兵達を死地に行かせたのでしょうね。

 この碑文に「荷川取(にかどり)」・「久貝(くがい)」にもこの秘匿壕があったと書いてありました。

 前々からトゥリバー海岸に洞窟があったのは覚えていましたが、今回よく見てみました。

 明らかな人口構造物のトンネルです。 ここには大小19の壕があるそうです。 ここも同じく海軍の特攻艇格納壕でしょうか? トゥリバーは平良港本港の西側に位置しますが、荷川取地区は本港の東側にあります。 文献によると、荷川取は「陸軍海上挺身隊」という水上特攻艇の部隊がいましたので、トゥリバーも陸軍の格納壕の可能性があります。 陸軍の特攻艇も海軍の震洋と同じくモーターボートで、一隻作るのに千円かかるので、兵からは「千円の棺桶」と呼ばれていたそうです。

 米軍資料では、宮古島に対し、七回ほど上陸作戦計画が立てられたそうですが、連合軍が直接上陸しませんでした。 これら特攻艇格納壕は実際には使用されなかったのです。 しかし、空襲により多くの兵が戦死した事実は消えません。

合掌

 

 


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2 コメント

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Unknown (ねこ次郎)
2012-08-01 14:29:29
震洋に関しては、島尾敏雄『出発は遂に訪れず』という小説で読んだ事があります。舞台は奄美の加計呂麻島でしたっけ。ベニヤ板の粗末なものらしい。
のどかな風景が、遠い日の悲劇を浮き上がらせていますね。
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Unknown (ねこ次郎)
2012-08-01 17:19:16
島尾敏雄『魚雷艇学生』のほうが適切でした。スミマセン。
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