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多良間島に来ています(その4-補足)

2012-04-04 21:07:06 | 多良間島にて

 夕方、更新した「多良間島に来ています(その4)」の補足説明。

 

1)淡水レンズ

 島嶼地域の地下水の一形態。 淡水と海水との比重関係で軽い淡水が重い海水の上に浮かんでいるのですが、その形状が凸レンズ(=淡水)を海水に浮かべている形状に似ているので、そう呼ばれている。

2)ガー

 漢字で書くと、「泉」になるのですが、沖縄では井戸(well)・湧水(spring)・河川の元(??適訳無し:私は湧水と同じと思うが・・・)など、水の湧出し口の総称をこう言っています。 ちなみに内地の温泉が湧出する場所(hot spring)は「ワジ(ル)・ガー」になるのでしょうか?(ワジル=お湯が沸く)

3)軟透水層

 透水層の間違いです。

 それでは、次の更新をお楽しみに!


多良間島に来ています(その4)

2012-04-04 17:44:47 | 多良間島にて

 年度末のバタバタでブログ更新をまたさぼっていたら、多良間島のお仕事が終わりました。 したがって、正式お題は「多良間島から帰ってきました」になるはずですが、シリーズ途中ですのでそのまま継続致します。

 

 多良間島は地質・地下水調査というお仕事でいっていたのです。 多良間島は孤島であり、地下水を溜める器(専門的には基盤層・地下水盆という水をほとんど透さない軟透水層)は海面下50mくらいの深さにあります。 その深さまで、「琉球石灰岩」という透水層(帯水層)が続いています。 このため、地下水である淡水は海水の上に浮いているという変わった地下水形態をしています。

 

 概念的にはこんな感じ。

淡水レンズの概念図(沖縄総合事務局土地改良総合事務所ホームページより)

 

 多良間島の淡水(地下水の)水面は地面下12m付近にあります。 もちろん河川などありませんから、水は雨水とこの地下水に依存するしかありません。今でこそ12m掘って水を得ることはたやすいでしょうが、昔は違います。

 

 井戸を掘る技術がない昔は、「自然にできた井戸」(ガー)を使っていました。 これは石灰岩が雨水・流動地下水による溶食作用によって、割れ目ができ、最終的に地下水面に達した結果できたものです。 石灰岩地形ではカルスト地形が有名ですが、岩の割れ目が地中深く、地下水面まで達していると想像して下さい。

 

 

 これは「シューガーガー」と呼ばれる自然井戸です。 比較的規模が大きく、「牛の水飲み場」や男女別の「水浴び場」などがあるそうです。 ちょった中が暗かったですが、結構広そうでした。 ただここは海に近く、やや塩っ辛いそうです。

 

 ここは「アマガー」という自然井戸です。 看板がだいぶ古くなり、見えにくくなっています。 村のおじいちゃんの話ですと、ここは女性だけが入ることができる水汲み場だったそうです。

 草に覆われていますが、ここが入り口です。 入り口から中に入るまでがやや急ですが、その先は緩くなり、水汲み場に達するそうです。 実はこの入り口から先は後ろ向きになって中に入り、水を汲んだらそのまま前向きに入り口に進んだそうです。 何か宗教的(女性のお腹に入る?)な意味合いがあったのかもしれません。

 

 最後は「フシャトガー」という半自然の井戸です。

 これは自然井戸を後に改良して階段や井戸壁を作り、水汲みのための上り下りの負担を軽くしたものです。 逆に言うと自然状態では利用しにくかったガーだったことが想像できます。

 写真でも階段や周辺をくり広げた跡が見えます。 そして井戸底には地下水面が・・・ こうやって、昔の多良間の人たちは雨水と地下水を生活水として大切に使っていたことがわかります。

 

 「開拓の島」として有名な南大東島も明治の頃、八丈島から来た開拓団がやっとの思いで上陸し、二日目に水を発見できたと聞いています。 発見者にちなんで「権蔵池」と呼ばれています。 できた年代は違っても、同じ石灰岩のカルスト地形を要する南大東島ですが、周囲は断崖絶壁の地形。 命覚悟によじ登って、上から見た島内は木がうっそうと生い茂っていた。 密林の中、暗中模索というよりさまよいながら池を偶然発見できたのは奇跡だと思います。

 

 蛇足ですが、南大東島住民の本籍は1位沖縄、2位東京です。 「沖山」・「菊池」姓がけっこう多いです。これは東京八丈島に多い姓です。・・・すみません、また話がぶっ飛びました。