日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

第17回 国際バラとガーデニングショウ

2015年05月16日 15時56分17秒 | 日暮らし通信

14日、久しぶりに電車に乗って 「西武プリンスドーム」 に行き
折から開催中の 「第17回 国際バラとガーデニングショウ」 を見てきました

何せイベント名に ”国際” と付いていますから、大規模なんでしょうね?

西武線・西武球場前駅の改札口を出ると目の前に 「西武プリンスドーム」 見えてきました




バラの歴史は古いそうですが
会場にはたくさんの愛好者や企業からバラが展示、出展されていましたが
バラの種類は何百種類もあるそうですね?

ところで私は20代の頃から園芸などには特別な気心を持ちながら
いろいろな草花や樹木に興味を持っていましたが
バラだけはあまり関心がありませんでした

自分でも良く判らないのですが、バラのあの(とげ)が何となく怖かったからで
子供の頃、あの棘で痛い怪我をしたことがバラを遠ざけることになったのでしょう

でも何で 「国際バラとガーデニングショウ」 に行くの? と、聞かれるかもしれませんね

実は私、バラの花よりも普段は野球場として使われている 「西武プリンスドーム」 が
多目的なイベントに対応していることに興味津々(きょうみしんしん)なのです

まず入場して一塁側から場内をぐるりと見てみましょう

まずはバックネット裏で、中央にあるのは特別席です




次は会場の中心部です

これが野球場なんて信じられません






次は 「西武プリンスドーム」 のバックスクリーン付近です

野球の時の数少ない外野席はシートでカバーされています




目線を上にしてみましょう

 「西武プリンスドーム」 の天上はこんな感じの光景なのです




ところでグラウンドは人工芝のはず
このようなエベントではどうなっているのでしょうか?

今度は目線を下にすると
写真のように歩くと少し弾力性のある敷物が
この会場全体に敷かれていましたが
それは膨大な数になるはずです




どこのドーム球場でも野球だけでは無く
多目的にエベントを行える機能を備えていることに驚きます

でも野球場からこのようなショウを行うには
組織力、企画力、実行力、そして行動力が必要なはずです

私は12時前にはもう帰ることにしたが
後から後から入場者は増えるばかりでした

でも入場者の多くは女性、どうしてなのだろうか?

ご主人が働いているのに、奥さんはバラ見物か?

まあいいか、バラの花を見て楽しめれば




このショウでいろいろなバラの花を見ましたが
印象に残ったのがこの写真のバラでした

花名は 「モーリス・ユトリオ」 とラベルに書いてありました




このショウにはたくさんの企業も出店していましたが
 「ホンダ」 のブーツもありました

そこに展示されていたのが 「ホンダS660」 でした
なぜバラショウに車が? と少し(いぶか)りました

最近売り出したばかりのS660ですが
実物を見ると素晴らしいカー姿でした

これが軽自動車とはとても思えない格好の良さです
私ももっと若かったらこんな車に乗って見たいものです






この日は久しぶりに外出していろいろな新しい事を見てきましたが
やはり人間は世間の風に当たらないと脳が活性化しないようです

でも野球場がエベント会場になるなんてやはり ”凄いなあ~” と実感しました



    写真説明: 国際バラとガーデニングショウで見た光景
    撮影場所: 西武プリンスドームにて



田毎の月

2015年05月15日 15時44分04秒 | 四季の花と風景

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします



 イベント名: 第17回 国際バラとガーデニングショウ
 バラの花名: 田毎の月 (四季咲き中輪系)
 撮影場所: 西武プリンスドーム


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● 私のひとり(ごと) ●

昨日、 「西武プリンスドーム」 で開催中の 「第17回 国際バラとガーデニングショウ」 を見てきました

素敵なバラがたくさん出展、展示されていました

いずれはその時の模様をブログアップする予定ですが、とりあえず私が興味を持ったバラをお届けします

バラの歴史は古く、地球上に現れたのは5000万年以前とか? 高等植物としてはかなり早くから登場したようです






三大関全滅

2015年05月13日 20時54分28秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

クレマチス

空堀川沿いの民家にて



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10日から大相撲五月場所が始まったので、時間が許す限りテレビで見ている

初日、横綱・白鵬が若手の小結・逸ノ城に敗れる一幕もあったが、白鵬ファンの妻としては少し不満な幕開けのようだった

そして四日目の今日、三人の日本人大関全滅。何とも不甲斐ない結果である

私は再々言っているのだが、大相撲を盛り上げるのは大関陣の奮闘次第だと思っている

それが四日目で揃いも揃って三大関が平幕力士に敗れるとは、大関の実力とはこんなものかと慨嘆するする気持ちにもならない

本来なら優勝戦線が混とんとなるような場所内容で、最後まで大関が絡んでの優勝争いになるのが大相撲ではなかろうか?

横綱の次に位置するのが大関、それは平幕と同じレベルであるとは一般的には考えないものだ

だからその位置に応じた白星をファンが期待しているのは当たり前のことでもある

それ故、平幕でも大関でも8番勝てば安泰なんて考えていたら大間違いでもある

平幕の8番はともかく、大関ならば二桁の白星を条件として、それ以下だったら降格させるような厳しさを持たせて、大関の相撲内容を標準化することが必要でもある

私はある大関に久方ぶりの日本人横綱を期待して応援してきたが、もうそれは諦めている。余りにも相撲内容にムラがあるからである

時には横綱には勝こともあるが、場所早々に平幕に簡単に転がされているようではとても横綱にはなれないだろう

とにかく 「大関陣が弱すぎる」 、それが私の大相撲への雑感でもある





C子さんからの電話

2015年05月12日 16時17分30秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

アジサイももうこんな蕾になりました

空堀川沿いにて



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昨夜、妻と夕食後の食器を洗っていると固定電話のベルが鳴った

受話器を取ると妻の友人であるC子さんの懐かしい声がした

お互いにご無沙汰を詫びたが、いつも妻の容態を心配してくれるC子さんだった

いろいろと世間話になったが、私にとって多いに参考になる内容だった

それはある時期からC子さんが歩けなくなるほど、足に痛みが出てしまったそうだ

ご主人にオンブされてやっと車に乗って、整形外科で診察して貰ったら 「左足膝の半月板損傷」 との診察結果だった

半月板が50%も損傷しているので、最悪の場合は手術することになりそうだったが、幸いにも注射などの処置で歩けるようになったとのことだった

だが、それはかなり太い注射器のようで、その注射による痛みもかなりのものだったそうだが、電話でもそれが通じてくるようなC子さんの話ぶりだった

そして少し回復したので電動自転車に乗ったらまた再発したそうだが、自転車でペタルを踏む時に足首を回転させる行為がその原因になったと言っていた

現在はまた回復したそうだが、以前のように自転車で何処へでも行った元気さは消えてしまったと、残念そうだった

さらにC子さんの知人は両足共、半月板損傷で松葉杖の生活になったそうだ

かつて私も左膝に痛みがあって通院した話をすると ”痛みがあったらすぐお医者さんに行った方がいいよ” とアドバイスしてくれた

皆誰もが若いころから一生懸命働いてきたが、その体重を支えて元気さを守ってくれたのが 「両足の膝」 だった

だが歳を重ねてくるといろいろな部品も(ちから)尽きて機能を果たせなくなってしまう

足が痛くて歩けなくなると、寂しくて悲しいがもう少しの辛抱だから、私の体を支えてくださいと 「膝さん」 にお願いするしかない

妻も久しぶりにC子さんと少し話した。 「その内にお邪魔します」 とのC子さんの声はいつもと同じ元気な響きが籠っていた





私の買い物感覚

2015年05月11日 14時31分59秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

薔薇鮮やか

空堀川沿いの民家にて



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今日も妻と近くのスーパーへ買い物に行った

買い忘れの無いようにと書いたメモ書き持参だが、そこには 「果物」 の文字があった

妻が元気な頃からの慣習で朝食時にはバナナ、そして夕食後にも必ず果物を食べるのが決まりとなっているのだが、その果物は時によって代わることもあるがほとんどがリンゴを食べている

一個のリンゴを二人で食べるのが当たり前のようになっているが、今日はそのリンゴを買う予定だった

だがお目当てのリンゴの 「サンふじ」 は三個で498円、バラ売りでも一個158円 (税抜き) もするので、少し財布の紐がギュウッと締まってしまった

半月前は五個で498円だったのに、何でこんなに価格が変動するのであろうか?

とりあえず今日はリンゴを買うのは止めることにしたが、さて今夜の夕食後の果物は何を食べようかと考えてしまった

こんな時に妻と相談できればいいのだが、それが叶わないことに少し苛立ちを憶えてしまった

仕方ないと諦めて今日はミカンとマンゴー、そして白桃の缶詰を買うことにしたが、個別の値段もそう安くは無かった

しかし一個の缶詰を二人で二日で食べれば少し割安かもしれない

私の買い物感覚なんてこんなものなのですが、(みつ)のたっぷり入った美味しいリンゴを食べたいものです

ところでバナナの値は案外安定しているように思うのですが、(にわ)か主夫の見当違いでしょうか?






「母の日」 に想う

2015年05月10日 14時56分03秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ゼニアオイ

空堀川沿いにて



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今日は 「母の日」 。でもこのように呼ばれる日はいつ頃から始まったのでしょうか?

だがこの日が来ると必ず我が母を想い出す

昭和18年3月、父若くして逝く。その後三人の男子を抱えて母の苦労が始まった

子供心に母を自慢できることは山ほどあるが、その中でも ”オフクロは凄い” と感心したことがあった

それは50歳を越えてから自転車乗りに挑戦したことだった

当時母は家から歩いて15分ほどにある大手企業が経営管理する療養所で働いていたが、その15分を短縮することを母は考えたのであろう

でも自転車は高価なものだったが、当時はいろいろな人の善意が有難く母を包んでいた

知りあいの自転車屋のご主人さんは ”お金はいつでもいいよ。ある時払いの月賦でいいから” と新車を用意してくれたそうだ

それは新型デザインのハイカラな婦人用自転車だったが、当時、そのような自転車に乗っている女性はいなかった

さて、それから母の自転車乗りの練習が自力で始まった

いつもの練習コースは田圃(たんぼ)に沿った家近くの道路だが、その田圃は道路から1メートル下に一面に広がっていた

私も心配になってなるべく見るようにしていたが、50歳越えの母には難しい道具だった自転車なので何回も倒れてひっくり返った

時には倒れて道路斜面を転がって田圃の中に。 「ああ~ 危ない!! もう自転車は諦めたらあ~」 と絶句したこともあった

でもだんだん慣れて、やがて自転車と友達になって便利な道具になってしまったが、50歳を越えて自転車乗りに挑戦した人は少ないだろう

颯爽と自転車に乗る母は正しく 「どんな壁にも挑戦する明治生まれの逞しく優しい母」 の姿だった

その母も平成18年4月に逝ってしまった

今はあの世で運転免許証でも取得して、スポーツカーで父と一緒にドライブしているかもしれない

たいした親孝行もできなかったことが、今でも悔やまれてならないが、父亡き後、戦後混乱期を通して我ら三人の男の子を育ててくれた母はやはり 「世界一の良き母」 だった






ペチュニアを活ける

2015年05月09日 16時09分23秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

卓上のペチュニア

自宅DKにて



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庭のプランター10個にペチュニアを植え付けたのは3月26日のことだった

それから一カ月も経つと満開となり、道行く見知らぬ人からも 「綺麗ですね」 と何回もお褒めの言葉を貰った

だが5月に入ると満開だが茎が間延びしてきたので、思い切って切り戻しのために短く整えた

今度はそれを見た人が 「どうしてそんなに切るんですか?」 と(いぶか)しげに聞かれることもあった

切り戻しの時、ふと 「このペチュニアは活花(いけばな)でも水を上げるのだろうか?」 と思った

そこで勢いよく延びている茎を選んで切り取り、写真のように小さな花瓶に活けてみた

それから四日が過ぎたが、以前として花の勢いは衰えていない

主夫と妻の殺風景な二人暮らしだが、食卓に置いたペチュニアの花が少し明るさを振り舞いてくれた






私の名前はハリーです

2015年05月08日 15時25分26秒 | 日暮らし通信

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ポピー

空堀川沿いにて



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英国のウィリアム王子夫妻に生まれた第二子の名前が 「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」 と命名されたので、これからは 「シャーロット王女」 と呼ばれるだろう

この名前に(あやか)ったのか、日本のある動物園で生まれた子猿の名前を公募して付けようとしたのが 「シャーロット」 だったが、それに対して多くの抗議の電話やメールがあったとのことで、園側は再考を余儀なくされているらしい

さもあろう、もし外国にある動物園にいる猿の名前に日本の皇族の方の名と同じものが付けられたら、日本人としてはあまり良い感情を持たないであろう

ところで英国人は名前についてはある独特な感情を持っているのを、私は始めての海外出張 (1977年) で知ったことがあった

出張目的は日本で開発中のターボファンエンジン (ジェットエンジンの一種) を英国の特殊な運転場 (王立ガスタービン研究所) で実機運転して高空性能を確認する試験だっので、英国人の技術スタッフと現場の人たちとも付き合うことになった

スタッフの皆さん方は私をミスター○○○と呼ぶのは当たり前と思っていたが、後者の現場の人たちは最初の挨拶の時に、私になんと 「ハリー」 との別名を付けて、ミスター○○○とは誰も一言も言わなかった

 「どうして私がハリーなんですか?」 と、聞きたかったがそれを話せるだけの英語力が無かったので、言われるままにそれからは現場では 「ハリー、ハリー」 と呼ばれて付き合っていた

後に調べてみると 「ハリー」 の正式名は 「ハロルド」 で、主に英語圏の男性名、姓とのことで、古英語では 「英雄的な導き手」 を意味するそうで、その愛称が 「ハリー」 だった

後になって想うと私には過ぎたる名前のようでもあった

その時、私は38歳、大男揃いの現場の英国人からすれば小兵タイプの私は小供のように写ったのだろうが 「日本からエンジンと共にやってきた男」 として大いに可愛がってもらった

それから38年が過ぎたが、そのハリーさんも今では少し太り気味になってしまいました

 「シャーロット王女」 のニュースを聞きながら、あの出張の時は英国人の皆さんには本当にお世話になりました、と、懐かしく蘇ってきました

この写真、私はポピーだと思っていますが、あまり自信がありません






桑の実

2015年05月07日 15時58分44秒 | 四季の花と風景

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします


 タイトル: 桑の実
 撮影場所: 空堀川沿いにて





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● 私のひとり(ごと) ●

9時過ぎ、独りで空堀川沿いを散歩していると、見知らぬご老人から 「あそこに実がたくさん成った木があるよ」 と私に言ったが、私がカメラを持っているのを見てそのような言葉をかけたのであろう

その人が指差す方向を見ると河川敷に居座った大きな桑の木 (写真上) があった

実は私はその木の存在を知っていたのだが、せっかくのご好意にお礼の言葉を返した

この河川敷には何故か何本かの桑の木が大きく繁っている

河川敷内は年に一度は雑草などを刈り取っているが、この桑の木だけはいつも現状維持を続けているから、木も大きくなってしまった

そのご老人の言う通り、その桑の木にはたくさんの実がなっていた (写真下) が、桑の木は雄雌があるので、実の無い木もある

戦後の甘い食べ物に飢えていた子共の頃は、桑の実は熟すと赤黒くなり、甘くて美味しいのでよく食べたものだった

この辺りではこの実を 「ドドメ」 と呼んで子供たちにとっては貴重な果物だった

散歩しながらこの実が熟したら一度食べて見ようかと考えているのだが、河川敷内だからその実を収穫する方法をまだ決めかねている







記念艦 「三笠」

2015年05月04日 17時03分40秒 | 日暮らし通信

巷では只今、大型連休中なり

それに比べて私たち老夫婦はいつも大型連休のようなその日暮らしだ

今日は 「みどりの日」 、明日は 「こどもの日」 とまだまだ休みが続くので
各地の行楽地も多いに賑わっていることだろう

旅行とは縁が切れてしまったような私たちだが
想い出せば子供たちが小さい頃は5月連休にはよく旅したものでした

ニュースなどで高速道路が ”何十キロも渋滞している” との情報を聞くと
それにもめげず行楽地に向かう人たちは体力も忍耐も必要だろうと
余計な心配をしてしまう

昔は家族のために渋滞にも耐えて車を運転したが
今ではそのような体力も何処かに消えてしまった

この連休中、娘夫婦が横須賀方面へ日帰り旅行すると聞いたので
停泊中の自衛艦や米軍の艦船を撮ってくるように頼んだが
送ってきた画像は今は記念艦となっている 「戦艦・三笠」 の画像だった

遠出が出来ない私たちだが、娘からの画像を見ながら
暫し、旅行した気分になることにしました














    写真説明: 記念艦 「三笠」
    撮影場所: 三笠公園にて (H270502 撮影者:HT)




どうした? 鯉のぼり

2015年05月03日 15時47分36秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

名知らずの花

空堀川沿いにて



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今日も天気は快晴、いつものように妻と空堀川沿いを散歩したが、陽気は ”風薫る五月” の言葉にぴったりだった

途中、最近、若いご夫婦が越してきた民家の二階ベランダに小さな鯉のぼりが風を受けているのを見て、ふとやはりあの歌が浮かんできた


  (いらか)の波と 雲の波

  重なる波の 中空(なかぞら)

  (たちばな)かおる 朝風に

  高く泳ぐや 鯉のぼり


この歌を想い出して、この辺りでもかつてはあちこちに上がっていた ”鯉のぼり” の情景が懐かしくなってきた

土地持ちの農家の母屋の前では必ず(ひのき)のポールに何匹もの鯉が五月の空に舞っていたものだった

それが今では全く様変わりして、鯉のぼりにはお目にかからなくなってしまった

少子化のせいか? それとももう鯉のぼりを上げてのお祝いは(すた)れてしまったのかは判らないが、何か寂しい気がしてならない

だが私が知る範囲でも旧家の惣領の方々が婚期を過ぎてもまだ独り身であることが多い

かつては多くの家庭では男の子が生まれると競って大きな鯉のぼりを上げたものだが、それが過去の風物詩になってしまったことは世の中の変遷と片づけられる単純な問題なのだろうか?

今日の写真は都営住宅・前庭で咲いていた花

またまた ”名知らずの花” だが、不思議な魅力のある雰囲気を漂わせて咲いていた






矢車草 と 王妃アンケセナーメン

2015年05月02日 14時07分21秒 | 街角から

日暮らし通信

■□ 写真タイトルと撮影場所 □■

咲く矢車草

ある民家の庭先にて






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ある民家の庭先に矢車草が咲いているのを見つけた

弱い風に少し揺らぎながら咲いているこの花を見ていたら、エジプトの若いファラオ・ツタンカーメン王の墓を発見・発掘した考古学者であるハワード・カーターの言葉を想い出した

この世紀の大発見の時、彼がツタンカーメン王の棺の上に置いてあった矢車草を見たときに次の言葉を残したそうです

『墓の中は、どこも黄金で輝いていました。しかしどの輝きよりも、その枯れた花の方が美しいと私は思いました。そして、その花が教えてくれたのです。三千年といっても、それはわずかな時間に過ぎないのだと・・・』と、矢車草を見た時の衝撃的な感動を述べています

それはツタンカーメン王の葬儀が終わって埋葬する間際に、野に咲いている矢車草の花束を王妃アンケセナーメンが手向(たむ)けたもので、ゆえにこの花は王妃の深い愛情を示していると言われている

だが何故、そこに矢車草があったのか? の真意については諸説があるようです

しかし、若いツタンカーメン王の死を悲しむ王妃が矢車草を添えて永遠の別れを惜しんだことは充分に考えられます

また、この花があったことで考古学上いろいろなことが判ったそうですが、その花が三千年後に発見されたことは重要な意味を持っているようです

かつて私はエジプト古代史に魅せられて、その奥深さを理解しようと熱中したことがありました

エジプト古代史に欠かせないミイラ、他の内蔵は取り除くのに、何故心臓だけは残すのか? 

その理由は? そんな疑問に挑戦するだけでも楽しみでした

通りすがりにふと見た矢車草、その花からツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンの非運の物語にも想いを馳せてしまいましたが、それは三千年前にも(さかのぼ)ることなのです