日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

コブシのこと

2014年06月30日 21時10分33秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

コブシの果実

所沢航空記念公園



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池の東側に一本のコブシの木がある。

私たちが園内を歩く時は必ずこの木の下を通って池周りの遊歩道に向かう。

今日、その(もと)でふと見上げると写真のような果実がいくつも成っているが、葉の緑と同じような色なので見つけづらい。

植物にはそれに応じた名前が付いているが、このコブシだけは人間の素直な感情がそのままに付けられているようで私には興味深いものがある。

コブシの果実は 「にぎりこぶし状のデコボコ」 があり、この果実の形状がコブシの名前の由来とも言われている。

また果実の形状が子供のにぎりこぶしに似ているところからこの名前になったとの説もあるが、私は小さな子供のにぎりこぶしを想うとこの由来説に同調したくなる。

じいっと見上げているとコブシの果実と正に可愛らしい ”子供のにぎりこぶし” がダブって想い出される。

コブシと言えば千昌夫さんが唄う 「北国の春」 の出番だ。

  ♪ こぶし咲く あの丘 北国の ああ 北国の春 ♪

コブシの果実は秋になると自然と割れて中から赤い種子が出てくる。

コブシは年間通じて私たち夫婦を楽しませてくれる友達のような木でもある。





見知らぬ人からの挨拶

2014年06月29日 16時24分24秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

米栂 (コメツガ) の球果

所沢航空記念公園



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妻とこの公園を歩くようになってからもう何年も時が過ぎた。

歩く時間帯もほぼ同じだと、言葉は交わさないが何人もの顔見知りもできた。

だが時々、全く見知らぬ人から 「おはようございます」 とか 「こんにちわ」 と、挨拶を受けることがあるが、その人は行き交う人には誰でも挨拶をしているようだ。

通常は知り合いの人だけに挨拶するのが一般的なのだが、このような人は違った感覚で誰にでも挨拶している。

どのような心境で誰にでも挨拶するのか問うてみたいようにも思うのだが、私には到底その真似はできそうにもない。

だがそのように挨拶している人は皆穏やかな顔で笑顔を絶やさないから、挨拶された私たちもおのずと和やかに受けることができる。

日本人が(こまや)やかな感性を持っているのは、小さい時から教えられた 「礼儀作法」 の種が心に蒔かれて芽吹いたからだ。

しかし今はどうであろうか? 誰でも持たなければならない一般的な常識も失われた結果、様々な事件が多発している。

公園でいただいた見知らぬ人からの挨拶、ただ受け流すことのできない大切なことが含まれているようだ。





もしも私に・・・・・

2014年06月28日 10時56分51秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

名知らずの花

空堀川沿いにて



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要介護の妻との二人暮らしは考えようによっては幸せな時が過ぎていると感じているが、それには妻の容態が安定しているとの条件が満たされていることが前提でもある。

そんな私も時にはどうしようもない不安の気持ちに陥ることがある。

それはもし私に何かが起こった時には、妻は外部へSOSを発信できないことへの不安だ。

いわゆる世間で言う 「高齢者の安否確認」 は私たちにとっては最も重要なことでもある。

特に私のように身内との関係が薄い場合は余計にその不安が増すばかりだ。

ここに転居した時、私はその不安が少しは減るような施策が行政側にあるのか確かめたのだが、残念ながら妻の年齢が低いために適用されることは無いとのことだった。

極く近くには老人相談員を兼ねた民生委員がいたので電話で訊ねてみた。

だが来宅したその女性が持ってきたのは 「宅配弁当業者のリスト」 だった。

宅配弁当を利用してその業者に 「安否確認」 を頼めと言うのだろうか?

 「何でも相談してください」 がキャッチフレーズの老人相談員だが、そのような態度にはいささか不満な私だった。

もし 「行政としては何もできませんが、私が近くに住んでいるので見守っていますから」 と、言って貰えたらどんなに安心したことだろうか。

私は過度なサービスを求める気持ちは毛頭ない。

そして男は妙なプライドがあって困ることがあっても何とか自己処理しようと我慢を続け、SOSを発信するのは余程の時だけである。

そんな経緯(いきさつ)があった後は私は行政側に頼ることを諦めて自らに誓ったことがある。

それは ”これからも私が元気であること、妻より先に逝かないこと” を目標にすることだった。

でもそんな目標も神様からは ”保証する” とのお墨付きは貰っていないので少し不安なのだが、私が頑張るしかないと思いながら毎日妻を介護している。





妻が見つけた花一輪

2014年06月27日 21時00分10秒 | 花模様
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

山吹の花

所沢航空記念公園



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いつも散歩している所沢航空記念公園でも季節毎の花の変化を私たちは楽しみながら歩いている。

今日、池の北側の遊歩道を歩いていたら妻が ”あっ、山吹が咲いている” と、声を上げた。

 ”えっ” と私もビックリしたが、そこには大きな山吹の植え込みがあるのだが、春先に咲いて終わったからもう花は見ることはないと思っていた。

妻の言葉によく見ると何と二輪、山吹の花が開いていた。

こんな大きな株に二輪、それもかなり離れて一輪ずつ咲いている。

今、咲くのは二番花だろうか? と、考えながら撮ったけれども、よく撮れていたでだろうか?

でも山吹の花は綺麗で、何か勲章のような花です。

思えばこの花は春先に皆と一緒に咲きたかったのかも。

でも ”貴方は二番の花で頑張りなさい” と開花センターの先輩から指示があったのでしょうか?

いろいろな花がありますが、黄色い花は目立って綺麗です。

 ”山吹の花一輪” 、今日一番の思いは妻との散歩でこの花を見たことでした。






我が母校は 「化成小学校」

2014年06月27日 16時41分56秒 | 街角から

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

東村山市立化成小学校

母校の門前にて



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昨日は私の通院日だった。

終わった後は駅前のスーパーで買い物の予定だが、懐かしい場所を見たくなって道を迂回して訪れてみた。

その場所とは 「東村山市立化成小学校」 、私の母校だ。

まず目に入ったのは広い北側の校庭。丁度休み時間なのか多くの後輩が思い思いの動きをしていた。

だが昔は校庭の北側には二階建の校舎があったが、今は無く広々としている。

それとこの学校のシンボルのような存在だったのがその校舎と本校舎を繋いだ50メートルもあったと思われる通称 「長廊下(ながろうか)」 があったのだが今はそれもない。

また本校舎がある場所より校庭は低い場所にあったので階段とスロープ状の坂があったが、今はその高低差はあまり感じられない。

その後正門前でこの写真を撮ったが、もう昔の面影は全く無い。

当時は正門から入ると、目の前は広い校庭があり、左側には講堂、着き当たりには職員室、右側には本校舎があった。

今は正門から右側の近い距離に校舎、着き当たりにあるのは体育館だろうか?

当時は門扉などは無かったが、今は突発的な事故に備えて鉄の扉が閉まっているのは寂しいような正門の姿だった。

この 「化成小学校」 が開校したのは明治8年 (1875年) 1月、多摩地区では最も古い学校らしい。

私が卒業したのが昭和27年 (1952年) 3月だから77期生になるだろうか?

在校中の想い出はたくさんあるのだが、今でも忘れないのは講堂で行われた寒い日での卒業式のこと。

司会の先生から私の名前を呼ばれて直立不動の姿勢で立っているこの私、小学校の時は意外と成績が良かったのです。

 「成績優秀者」 として貰ったのは当時誰も持っていなかった長めの算盤(そろばん)でした。

想い出すと懐かしい。あの頃は先生には威厳があって怖かったけど、優しさを生徒に分かち合う気遣いも忘れてはいなかった。

特に忘れられないのは5、6年時の担任の先生、本が好きでよくシェークスピアの 「ハムレット」 などを読んで聞かせてくれた。

その先生の影響で私も読書が趣味になりました。

私が小学生の頃は物質的に貧しい時代でしたが、振り返るといい時代でした。

食べる物が無くても人々の温もりが感じられた時代でしたから。

久しぶりに母校の門前に立つと、昭和と言う時代はそれなりに価値のある時代だった、と私は想った





朝刊の 「人生案内」 に思う

2014年06月26日 15時25分33秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

クレマチス

空堀川沿いの民家にて



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行動範囲が狭くなっている私にとって朝夕の新聞は欠かすことのできない情報収集の手段でもある。

今はパソコンで見ることのできる新聞の電子版もあるが、私は紙に印刷された文字を見ないと気が済まない昔風な男でもある。

新聞の隅から隅までじっくりと見るタイプではないが、私の読書態度と同じように多分に乱読気味に一面からめくりながら新聞を読んでいる。

私が購読しているのはY新聞だが、その朝刊連載の 「人生案内」 だけは記事の最初から終わりまでじっくりと読む。

この記事はいわば 「人生相談」 だが、その相談者の内容を見ると実に様々な悩みがあることに気付く。

 「そうか、世の中にはそういうことで苦しんでいる人がいるんだ」 と、私も感慨深げな気持ちになるが、それに比べて私が置かれている立場を考えると ”まだまだ幸せの範疇(はんちゅう)だ” と今の環境・状況に有難さを感じることもある。

だが相談の中には私が驚いた内容もある。

それは 「要介護のご主人が施設に入ってもセクハラを繰り返す」 との相談だった。

それが原因でいくつもの施設に置いてもらえない、との内容は奥さんとしてはやり切れない切実な問題であろう。

私が驚いた理由は、高齢者で要介護の人が介護ヘルパーさんなどにセクハラ行為をすることは無いだろう、と思っていたからだが、現実にはそうでもないらしい。

この相談に対して示された案内者の回答がどのように効果があったかは判る(すべ)もないが、私にはまだ釈然(しゃくぜん)としないものがある。

それは ”介護の世界でもセクハラがある” との信じ難い現実に対して、私はまだ半信半疑のままで理解できないからだ。

でも考えてみれば幾つ歳を重ねても女性より男性の方があの欲ばかりは抑え切れない人もいるのだろうか?

この 「人生案内」 を読んでいると一件ごとに実に複雑な要素が絡み合いながらも、相談者はその悩みの中で毎日を生きながら何とか活路を見出そうと必死に努力している姿が想像される。

いつも使わせて貰うがやはり 「人生いろいろ」 の四字熟語はまだまだ私たちの周りから消えることは無さそうだ。





新芽鮮やか

2014年06月25日 19時29分45秒 | 花模様
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ドウダンの新芽群

所沢航空記念公園



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 「ドウダンの新芽」 のことを何でブログカテゴリーの 「花模様」 に投稿するのですか?

と、(いぶか)るでしょうが、この新芽の勢いを見ていると(あたか)も花が咲いてくるような錯覚に陥るほど見事な芽吹きなのです。

五月の始めボランティアのみなさんがこの植え込みのドウダンを刈り込みました。

刈り込むと植物は本能的に新しく芽を産み出しますから、あっと言う間に沢山の新芽が誕生しました。

どの新芽もひたすら天上に向かって真っすぐに伸び、写真のようにまだ伸びているようで言わば ”直立不動” で頑張っています。

それを見ていたら小学校運動会で全員参加で行う ”駆けっこ” に例えたくなりました。

運動会では隣の友達に ”負けるもんか” と誰もが全力で駆けていますが、この新芽たちも隣の芽を気にしながら ”隣に負けるか” と、一生懸命伸び続けているのではないでしょうか?

そんな新芽群を見ていると ”お見事” と、拍手でもしたくなります。

よくよく見ていると全体が緑の花のようにも感じられて、独断でカテゴリー 「花模様」 に仲間入りさせました。悪しからず。





今日はいい日でした

2014年06月24日 20時43分09秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

百合の花

空堀川沿いにて



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今日はいいことがあった。だから今日はいい日だった。

先日妻が通院した時、私は妻の気になることを医師に相談した。

私が持っていったパソコンで作った少しばかりのデータを見ながら医師は 「そうですか? では血液検査をしましょう」 と、私の不安を取り除くように対応してくれた。

診察後、妻は採血、だが結果は24日午前10時、医師に電話して確認することになった。

さて、私はその後判らない妄想に苦しむことになった。

私が気になることが現実に結果に表れたらどうしようか? その後はどうなるのか? 

私は最悪の事態を想定、そしてやり場のない苛立ちの中でも何とか生きる(すべ)を見つけようともがいていた。

そんな苦しさを私はいつも独りで背負(しょ)い込んでいるが、私には助言を求める親しい人がいないのが不安に輪を掛けているのだ。

だがいつも結論は決まっている。それは 「成るようにしか成らない」 という当たり前の教訓でもあった。

今日10時が過ぎても私は医師に電話するのを躊躇していた。それは結果を知ることが怖かったからだ。

やっと電話すると医師からは 「全ての項目に異常ありません」 と静かすぎる声で答えがあった。

私は気の抜けたように ”ホッ” と安堵すると、傍にいた妻の手をギュッと握りしめた。

これからもいろいろなことがあるだろうが 「今日はいい日だった」 と私も久しぶりに穏やかな気持ちになった。






ある民家の物語

2014年06月24日 16時13分43秒 | 街角から

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

左岸の住宅地を望む

空堀川右岸にて



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散歩しているとたくさんの民家の庭を見る機会が多い。

興味深いのは各民家ともその家特有の雰囲気があるが、私は庭の手入れが整っていると垣間(かいま)見るように中を覗いてしまう。

だが最近は充分に庭の手入れをする家は少なくなったようで寂しくなった。

昔はどの家も大家族だったから、年寄り (高齢者) の仕事といえば庭の樹木の剪定や草むしりを時間が経つのを気にせずにすることだったから、どの家でも庭の(おもむき)はすっきりとしていた。

ところが今はその良き風潮が(すた)れて、樹木は延び放題、庭は雑草に占領されて荒れ模様となっている家が多い。

そんな中で私が絶賛したくなる一戸建ての民家が空堀川沿いにある。

この家を見るととにかく庭がよく手入れされていて、数本ある樹木もいつもさっぱりと立ち並んでいる。

勿論私はこの民家のことは全く知らないが、推測できるのはまだ50代と思われるご夫婦が小まめに庭の手入れを怠らないことだ。

奥さんは時々日中に刈り込み(バサミ)を使って器用に樹木の剪定などをしている姿を見たことがある。

土、日曜日になるとご主人がこれまた小まめに庭の手入れを続けているが、誠に良い夫婦だと私は陰ながら感心している。

そしてこの家の手入れの良さを証明する事実があるが、それは市の 「燃えるゴミ収集日」 を見ると判る。

その収集日、この家では必ず落葉や剪定後の枝などが入った大きなビニール袋が三個必ず門前に用意されているが、この三個のごみ出しはほぼ毎回続いてる。

 「お前はよくそんなことが判るなあ~」 とお叱りを受けるかもしれないが、実は我が家の二階ベランダからこの民家の一部がよく見えるのです。

でも気持ちいいですよ。いつもこの家の整った庭を見ながら私の散歩が始まります。






二つの出来事

2014年06月23日 14時31分33秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

花菖蒲

北山公園菖蒲苑にて



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最近起きた二つの出来事に対する ”私のちょっと一言” です。


● セクハラ野次 ●

都議会で女性都議が質問中、セクハラともとれる野次を飛ばしたのはどうも自民党男性議員らしい。

都議会自民党も対応に乗り出したが、一番の問題は飛ばした議員の幼稚さである。

おそらくは 「ヤジがここまで問題になるとは思わなかった」 と甘い考えで野次を飛ばしたのだろう。

しかも飛ばした本人が名乗り出るか、それとも 「知らぬ存ぜぬ」 で押し通すのか? 議員の素質が問われることになる。

でもね、情けないですね。こんな議員が都政の審議をしているなんて。

それでは野次を飛ばした議員さんにお聞きします?

貴方が演壇で質問中、貴方が飛ばしたような野次を受けたとしたら貴方は何事も無く、受け流すことができますか?

おそらくは貴方も感情的になるはずです。

とにかく野次った張本人を探し出して、即辞職するように追求することです。


● ワールドカップ・日本対ギリシャ戦 ●

日本の勝利を願いましたが、残念ながらドローとなりました。

私はサッカーのことは皆目判りませんが、16本シュートして一本もゴールしないって当たり前のことなんですか?

シュートの多くがゴールバーの上を飛んでいきましたが、私は狙い過ぎの感じがしたのですがどうでしょうか?

もう後が無い日本、対コロンビア戦ではどのような戦いを見せてくれるのでしょうか?





T4中等練習機とエンジン

2014年06月22日 20時12分52秒 | ひこうき雲

日暮らし通信
■□ 撮影場所 □■

航空自衛隊入間基地にて



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T4中等練習機


T4に搭載されているエンジン




飛行機好きな人でも搭載されているエンジンのことに興味はあまり湧かないだろう。

逆に私は機体を見るとまず 「どんなエンジンが搭載されているのか?」 とあくまでもエンジン優先の飛行機好きである。

それは私が永年ジェットエンジン関連の仕事をしてきたので当然のことかもしれない。

空港で見る機体でのエンジンはカウリングと呼ばれる外板で覆われているから中身を見ることはまずないことであり、辛うじて見えるのはエンジン入口のファンブレードくらいであろう。

実際に裸のエンジンを見る機会は少なくて、航空会社の整備部門を見学するか、自衛隊などの航空ショウなどで展示される以外にはお目にかかれないのが実情でもある。

ここで私がかつて 「航空自衛隊入間基地航空祭」 で撮った資料を参考に機体とエンジンを見比べてみましょう。

写真左はジャッキアップ中のT4中等練習機、中央日の丸左側の空洞のような部分がエンジンインテークになります。

この機体には写真右と同様のエンジン (F3-IHI-3) が二基搭載されています。

あのブルーインパルスの機体もT4中等練習機と同じですから、航空祭で人々を圧巻する曲技飛行の数々もこのエンジンパワーによって成り立っています。

でも私はこのエンジンには開発初期から携わったことがありますから懐かしさが募ります。

エンジンと機体は一心同体です。その二つがいつも仲良くフルパワーを出して飛んでいる姿は最高です。

そんな姿を見ると私はやっぱり飛行機が大好きです。





北山乙女

2014年06月22日 14時40分58秒 | 四季の花と風景

四季の織りなす 花 と 風景 をお届けします



 タイトル : 菖蒲繚乱
 花名 : 北山乙女 
 撮影場所 : 北山公園菖蒲苑 (東京都・東村山市)



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私のホームページ ”飛夢人の ひとり言” もご覧ください


雨の日、私は何を?

2014年06月22日 14時21分53秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

雨の紫陽花

隣家の庭にて



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今日は朝から雨、梅雨に戻ったのであろうか?

当地の天気予報を見ても火曜日頃まではお日さまの出番が無いようだから、日課の散歩もあまり出来ないかもしれない。

8時半過ぎ、妻を誘って二階の部屋へ。
この雨降りを利用して日頃やりたいと思っていたことを実行することにした。

(かたわ)らに妻を椅子に座らせてラジオを聞かせながら、私が始めたのは妻の下着の整理。

冬物を整理して夏物をすぐ使えるようにするだけだが、こんなことを男の私がするなんて全く ”人生いろいろ” です。

一生女性の下着を扱うなんてあり得ないと思っていたのだが、妻が病気になってからそんなプライドは何の意味も無くなった。

しかしまだ近くの衣料スーパーで妻の下着を買うのは何となくバツが悪い心境でこっそりと品定めしているから、不要になったはずのプライドはどうも根強く残っているらしい。

思いがけずに主夫になってつくづく感じたことがある。

それは主婦の仕事量は無限大にあると実感したこと。炊事、洗濯、食事作り、その他の雑用と大変な領域で仕事をこなしている主婦の皆さまには頭が下がります。

私のように妻との二人暮らしでもそのように感じるのだから、大家族や子育て中の主婦の仕事はさらに奥深いことだろうと推測すると、私の主夫業なんてたかが知れていると思うばかりです。

でも今はどこの家庭で電化製品が完備されているから少しは労力も減ったことだろうが、昔の主婦、特に大家族に嫁いだお嫁さんはよく仕事をしていたものです。

昔の洗濯を想い出すと 「(たらい)と洗濯板、そして固形石鹸」 が道具。あれでよくも衣類を洗ったものです。

 「雨の日に妻の下着を整理する男」 と名付けてみたが、あまり絵にはなりそうも無い私でした。





転居してから五年が経ちました

2014年06月21日 20時42分05秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

花菖蒲

北山公園菖蒲苑



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6月14日、この日はここに転居してから五年目だった。

永年住み慣れた所から転居する? このことは私にとっては人生最大の ”大仕事(おおしごと)”だった。

先祖伝来の土地を離れることへの葛藤は私を充分に苦しめたが、同時に妻の介護と言う終わりの見えない先行き不安の将来への布石をどのようにするのかを定めるのが最優先でもあった。

転居を決断するまでは精神的な重圧が()し掛かったが、決めた後は物理的な仕事に悩まされることになった。

それは業者に家を明け渡す時は空家が条件だから、衣食住に関わる不用品を整理しなければならないことだった。

不用品は屋内だけでは無く、物置小屋や車庫、私の趣味であった洋蘭を育てる小さな温室、そして庭と、手を付ける前は気の遠くなるような膨大な量のように思えた。

さてその不用品はどのように処理するか? と悩んだが取りあえず市のゴミ処理ルールに従って始めることにした。

しかし不用品整理を始めてからすぐ私の考えが甘かったことに気付いた。
市のゴミ収集だけではとても追いつく量ではなかった。

どうしようか? でも神様は私の味方だった。偶然の成り行きで、若いリサイクル業者との出会いがあった。

その若者曰く 「何でもいいです。分別も必要ありません」 と言う。
助かったと、私は思った。とにかく袋詰めにすれば不用品処理が(はかど)るからだ。

でも永年住んだ家から全ての不用品を整理するのは大変な作業量だった。

前述で私は人生最大の ”大仕事(おおしごと)”だと言った。

正しく私の大仕事の多くは不用品整理だったが、この大仕事は今だから振り返ることができる。

この時期、朝から晩まで一生懸命不用品を整理することに私も没頭した。だから今も想い出せるのだろう。

私が転居したことを中傷するような噂があることを知人から聞いた。
でも私はこの転居が妻を介護するためのベストの道だったと信じて実行した。

今は私の思い通りに朝から晩まで妻の介護に専念できる。

転居してから五年、これからも妻の容態が穏やかであることを祈るばかりだ。





もう七年半が過ぎました

2014年06月21日 15時18分19秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

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花菖蒲

北山公園菖蒲苑 (東村山市)



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6月20日・金曜日、天候晴れ。

その日は妻の通院日。予約時間が早いので目覚まし時計にお願いして3時半に起こしてもらった。

普通病院の診察は9時開始だが、妻の担当医は8時から診察するので、その日は8時26分予約だった。

丁度6時半車で家を出発、病院までは12キロくらいなので道路が空いていれば最短35分くらいで着くのだが、時間帯によっては1時間以上かかることもある。

この時間帯だといつも空いているが、私は運転しながら妻が入院した当時を想い出した。

妻が二度目の入院をしたのは8年前の6月19日日だった。

それから退院までの約四カ月、私は毎日病院へ通うのが日課になった。

ある看護師さんから 「こんな永い間毎日来るのは○○さんだけです」 とお褒めの言葉をいただいたが、毎日妻を見舞う心境は複雑そのものだった。

それは妻の病名が定まらぬことだった。この病院での検査だけではなく、地方大学の研究機関へ検査依頼をすることも何度もあった。

その度に私の同意が必要なので医師から説明があったが、その中に出てくるのは私が驚くような病名ばかりだった。

そんな私が救われたのは看護師さんたちの対応だった。

私が何を言っても看護師さんは穏やかで優しく真面目で、その好意の中に妻を任せることは私にとっては安心できることでもあった。

この公立病院の看護師さんたちは廊下ですれ違っても必ず頭を下げるのが私には爽やかに感じたが、そんな礼儀正しさを私が通院している病院の看護師たちに見せたいくらいだった。

そして退院、しかしそこには薬漬けになった妻が安定するのには約一年以上の時を要したが、とにかくいろいろなことが私たち夫婦を巡って通り過ぎていった。

そんな様ざまな出来事・苦労も今ではほとんど忘れたが、妻の退院からもう7年半が過ぎた。

 ”早い” と、また私は時の流れのスピードに ”光陰矢の如し” と綴った先人たちの教訓に(うなずく)くばかりだった。