真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~七十六、易経(えききょう)の乾(けん)元(げん)亨(こう)利(り)貞(てい)

2022-09-02 19:55:04 | 性理題釋

七十六、易経(えききょう)の乾(けん)元(げん)亨(こう)利(り)貞(てい)

乾とは老陽(ろうよう)であり、即ち天の理であって、又人の性でもあります。

老陽は物を生じない事はなく、又物を化さない事もありません。

元(げん)・亨(こう)・利(り)・貞(てい)は、天に於いては申せば四時(四季)であって、春は元、夏は亨、秋は利、冬は貞であります。

貞が終ると、再び元が起こり春となりますが、このように生々してやまないのであるから、これを天の道と申したのであります。

地球に於いて申せば、四端(したん)をなしますが、その四端は仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)であります。

戊己(ぼき)は中央にあり、中は土に属し、黄中(こうちゅう)は正位(せいい)であって、性の竅(きょう)であります。

万善は、これに由(よ)って生ずるので、世俗では、これを心田(しんでん)と申すのでありますが、ここで心田の田の字を詳しく見ますと、四面に四つの土の字で構成されております。

故に善の種を蒔(ま)けば福が現れ、悪の種を蒔けば禍(わざわい)が起こる道理も知る事が出来る訳であります。

禍福(かふく)と吉凶は、自ら種を蒔き、自ら収穫する訳でありますので、路祖(ろそ)様は『我が命は従来(じゅうらい)元(もと)自然にして、果然(かぜん)我に由(よ)りて天に由らざるなり』と説き、人々の運命は天に由るものではなく、自分の前世の行いによるものである事を明らかにされました。

故に福を修める者は、来世の事業をなすのであり、性を修める者は、万代の事業をなすのである事を知らなければなりません。

これはすべて個人個人の問題であり、自分の修めたものを自ら収穫するのみであります。

続く

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