真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:進化の原点に還る時、それは新しい人類をつくる時!】人が、神のかたちとして、神に似せて造られた

2023-10-28 18:27:11 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)
 
天が創造主ヤファエーに人間を創造させた時、真理に基く『義と聖』を持って神にかたどり造りだされ、アダムは『義なる性質』を与えられて・・・・云々とあります。
これこそ今までの時代を表現しています。
義は階級を生み偏って物質社会を生み戦争を醸し出しました。
これから神が人を救われる時(今)その人のうちに『元の神のかたち』を復元され始め、新しい人を造ると予言しています。
この心を天は『過去の義』に対して、これからは『真理に基く仁と聖を以て神になる』と唯一絶対の根源創造主が祝福しています。
聖書的に言う「博愛」、スピリチャル的には「完全愛」の世界です。
『人類が神に似せて造られている』ことは、人類進化の基本構造の基本的なファクターです。
宇宙から地球に生まれ変わってくる生命も地底世界の生命も全てこの類まれなる進化に参加するために時を待っています。
類まれなる時を待ち続けてきました。
新しい人類は、インディゴチルドレン・クリスタルチルドレン・ダイヤモンドチルドレンと言われています。
さらに血液型がO型・B型・A型・AB型でもなく新し血液型が顕れます。

転載:日本語版 www.GotQuestions.org  

https://www.gotquestions.org/Japanese/

質問: 人が、神のかたちとして、神に似せて造られたというのは、どういう意味ですか?(創世記1章26-27節)

答え: 創造の最後の日に、神は仰せられました。「さあ、人を造ろう。我々のかたちとして、我々に似せて、、」(創世記1章26節)こう押して、神はご自分の仕事を’個人的なタッチ’をして終わらせました。土地のちりで人をかたち造り、その鼻にご自分のいのちの息を吹き込んで、人を生きものとされました。(創世記2章7節)それで、人間は神のすべてのほかの創造物の中で、特別なのです。物質(体)と非物質(魂/霊)と両方の部分を持っています。

神の’かたち’と’似たところがあるというのは、簡単に言えば、私たちは神に似たように造られたということです。アダムは、肉体を持っているという意味では、神に似ていません。聖書は「神は霊である」(ヨハネ4章24節)といっているので、神は肉体なしに存在するということになります。しかしながら、アダムの体は、完全な健康体として造られ、死なないようにできていたという限りでは、神のいのちを反映していました。

神のかたちとは、人の非物質的な部分を指しています。それは人間を動物世界から遠く引き離し、神の意図されたとおり、”支配”するもの(創世記1章28節)にふさわしいのです。そして、その非物質の部分で、創造主なる神と親しく交わることができるようになるのです。それは、精神的、道徳的、社会的に、似ているところなのです。

精神的に、人は理性のある、意志を持った者です。つまり、人は論理的に考え、選択することができるのです。これは、神の知性と自由を反映しています。 誰かが、機械を発明したり、本を書いたり、景色を描いたり、交響楽を楽しんだり、総額を計算したり、ペットに名前をつけたりするときは、いつも人間が神のかたちに似せて造られた事実を宣言しているのです。

道徳的には、人は義と完全に清く造られました。それは、神の完全な聖さを反映しています。神はご自分の造られたものすべて、(人間も含めて)をごらんになって、「それは非常によかった」と言われました。(創世記1:31)私たちの良心、または、”道徳の羅針盤”は原型の名残りなのです。誰でも法律を作ったり、悪にひるんだり、良い行いを賞賛したり、または罪責感を感じたりするとき、その人は人が神のかたちに似せて造られたという事実を確立しているのです。

社会的に、人は他の人と交わるように造られています。このことは、神の三位一体のご性質と神の愛を反映しています。エデンの園では、人の主な関係は神との関係でした。(創世記3章8節は神との交わりを暗示しています)そして、「人がひとりでいるのはよくない」ので(創世記2章18節)、最初の女を作られました。人が結婚したり、友達を作ったり、子供を抱きしめたり、教会に集ったりする時、私達は神に似せて造られた事実を示しているのです。

神のかたちに似せて造られたということのひとつには、アダムは自由に選択できる能力を持って造られたということです。アダムは義なる性質を与えられていましたが、創造主に対して反逆するという悪い選択をしてしまいました。 そうすることで、自分のうちにある神のかたちに傷をつけたのです。それから、その傷物のかたちをその子孫に(私たちをも含めて、ローマ5:12)受け継がせたというわけです。今日でも私たちは神のかたちに似ています。(ヤコブ3章9節)が、罪の傷跡をも持っています。 精神的に、道徳的に、また社会的に、その効果/影響が見えます。

良いニュースはと言えば、神が人を救われるとき、その人のうちに元の神のかたちを復元され始めるのです。「真理に基く義と聖を持って神にかたどり造りだされた、新しい人」を造ることによって。(エペソ4章24節;コロサイ3章10節も参考)

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