真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (3)観音菩薩(かんのんぼさつ)の證道(しょうどう)

2024-05-31 17:23:15 | 天道推奨

(3)観音菩薩(かんのんぼさつ)の證道(しょうどう)

昔から天命ある天道は単独のまゝ聖者の間で伝承されていた。

たとえ、王者、権力者であっても奥玄(おうげん)を慕い求める以上は、その身を捨てねばなるまい。

私も例外ではなかった。

明師を尋ね得ることは実に容易ではなく、種々雑多の苦や魔の鍛錬を受けるものである。

資性(しせい)が如何に優れていても、生死の関門となる一竅(いっきょう:秘宝の一つ)を点受されないと霊光は被(かぶ)られたままで闇然(あんぜん)たるものである。

若し一度(ひとたび)、その妙戸(みょうこ)を開かれ、更に内攻外功を修めたならば、自在の菩薩性を観じ得て聖賢に証することができよう。

道は貴(とうと)く、理は真にして法門は二つとなく、偉大なる天命は天地を貫徹(つらぬ)き、王者聖者の間だけに道統(道等)が継がれていた。

今日まで経過すること六万余年、白陽の時勢と変わり、普遍済度(ふへんさいど)の機会に恵まれたが、惜(おし)むらくは殆んど世の仮相に惑わされて真道を誤まり、魚の目玉を真珠と混同してしまったようである。

色声(しきしょう)は人を迷わすことが酷(ひ土)く、世道人倫を顚覆(てんぷく)し、道徳礼教を滅ぼす程である。

正に殺気が天を冲(ちゅう)しているが、この現象は人を加害して己に利した寃(あだ)の報いによる。

憐(あわ)れにも罪なき原子等(もとのこら)は恐惶(きょうこう)不安の状態である。

老〇(ラウム)は善悪・玉石(ぎょくせき)が共に焼却されるのを見るに忍びず、天道を降してすべての霊を苦厄から解いて浄土へ度(すく)い還そうとしていられるのである。

(詩)大いなる眠りに落ちている人々の中から賢良を呼び起こす。

   真なる宗旨は二つとなし。

   海の波浪(なみ)は風強きによりて起こり、劫(わざわ)い

   は貪恋(むさぼり)に由りて変わる。

   本性を観透(みとお)せば虚(むな)しき景色を識(し)

   れ。

   恰(あたか)も水に映(うつ)る月、鏡に映る花の如し、

   音韻(音韻)、調律(ちょうりつ)は人を苦の坑(あな)に

   顚(おと)すが道は理天へ引(みちび)いて回(かえ)る。

  (後略)

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