真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~四十六、初めは精進し、後に怠る

2024-06-18 17:15:36 | 性理題釋

四十六、初めは精進し、後に怠る

先哲が常に『道を得るは容易にして道を修めるは難し、道を修めるは容易にして道を了するは難し』と申されました。

これは人の終始一貫し難いことを説かれたのであります。

古の人が世を教化するのに、元来先に覚(さと)ったものが後覚者を覚らし、後覚者は先覚者を效(なら)う所の法を用いました。

普渡された今日、各地の成敗は、皆伝道に携(たずさ)わる者が全責任を負わなければなりません。

俗に『金鐘(きん賞)は敲(たた)かざれば響かず、世人は説かざれば醒(さめ)ず』と申されます。

また古聖は『人能く道を宏む。道人を宏むに非ず』と申して、人の努力によって道を宏める事が出来るのであると申されました。

昔の仙仏や文士も、なお師の導きを待たれたと申されるのに、まして今日の多くの俗人においては、より以上の導きがなければなりません。

領道者はすべて衆生を化せんと欲れば、身を以て則(のり)となさねばなりません。

例えば、学ぼうとしても教えねばならず、教えを受けずして自らなし遂げた者は万中一人もおりません。

故に各引保師へ教導を催促して“道を立てて命を守り、嗜好(しこう)を除き、姦淫(かんいん)を戒め、人道を尽くし、天命を畏(おそ)れ、意志を堅め、坐工(ざこう:静坐の行)をし、勤倹(きんけん)でお燈を点じて焼香し、節険(せつけん)して、斎戒(さいかい)を持ち、徳を立て、非を除き、過ちを改め、参悟(さんご)する”などの十六宗旨を勤めて講和し、均(ひと)しく人々にこれを遵守(順守)せしめて変えぬようにせねばなりません。

前人が申されるのに『功なければ、果を結ばざるなり』とありますが、人を育てて成就(じょうじゅ)せしめることが、実は己を成就せしめることであります。

故に終始一貫して修行せねば結果を得られないのであります。

続く

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