真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~濟公活佛の自序より、「疑問があればその都度質問して、明白に了解できるまで究めることが必要!」

2023-12-28 05:28:56 | 道すなわち真理

済公は南宋の紹興18年(1148)に生まれ、嘉定2年(1209)に61歳で卒した。台州の人で、俗名は李心遠(または李修元)、出家して道済との法名を名乗りました。 始め、杭州の霊隠寺にいましたが、後に浄慈寺に移り、そこで亡くなりました。

老水還潮《これより天命が再び中国に戻る》と言いますが、インドから東に道《真理》を伝承した達磨大師より18代目、師による厳粛な運びが、これからの新たな道を見極める大切な指針になります。

=濟公活佛の自序=

道は理であります。

理を知らなくて、どうして道を修行できましょう。

故に道を修行しょうする者は、まづ先にこの理を理解せねばなりません。

理を理解するには、疑問があればその都度質問して、明白に了解できるまで究めることが必要です。

惜しむべきは、世人はとかく人に物事の理を尋ねるのを恥じることです。

それ故、疑問が重なって遂に迷路に陥入り、迷ってしまったことすら自覚しないばかりか、又、それ故にますます道から遠ざかってしまいます。

大道がこの世に降り、普く世人を済度する道が拓かれて以来、道を得た原仏子《以前に天から降って人間になった者を佛子、又原子とも呼ぶ》は少なく、その道理をよく究めて道を修行する者は暁の星のように少ない。

どういうわけでしょうか? 

それはすべて疑問があっても質問せず、又質問しても理解し得ない故であります。

このような状況に鑑み、平常よくうける疑問を例題として解答を与えました。

その解答に当って、なるべく簡潔明瞭に解釈する様に努め平易な言葉を使用しました。

この書に記載した数十の例題は完璧とは言えなくとも、あらかた理路は整っていて、修道を志す士の参考とするに足るものです。

師の本望とする所は、修道を志す者がこの書を読んで真理を徹底的に理解し得るのみならず、更に進んで修行の指南となし得ることです。

又、道を求める者にはこの書の精読が、疑問を解き道理を理解し進んで道を求めて入門の助力となり得ることです。

世の人がこの書の説く如く実行すると、たとえ最高の天位に到達し得なくても過去の世代に積重なった罪障を消滅し得て相携えて、この世の苦海を離脱して悟への路に登ることができます。

これが師の深く望むところである。


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