真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~四十七、道高一尺、魔高千丈

2024-06-22 19:33:30 | 性理題釋

四十七、道高一尺、魔高千丈

人間は寅の会に世に降りてきてから、度重なる災劫に山の如き多くの悪孼(あくげつ)を積み、前生に終えることが出来ず、今生まで又続いて冤罪(えんざい)が重なり、輪廻して止まないのであります。

天道を一得すれば、多くの魔が皆閻魔王に向かい、冤罪を催促して取り立てますが、それは修道して道を成就し天外に登るような事になれば、要求して取り立てる所がなくなる事恐れるらであります。

閻魔王 公平無私あるので、当然冤罪があれば報い返す事を禁ずことはできません。これ故に悪い祟(たたり)につきまとわれたり、亦横事(よこしまごと)に遭ったり色々疾病(しっぺい)に身を纏(まと)わされたりして皆同じではありません。

陰陽の考魔(試煉と邪魔)が現れて前世の愆(あやまち)を解消して下さる訳でありますが、浅学の人は、自ら自分が入道したのは福を修めるためであったのに、何故、反って害を受けるのだろうかというのであります。

これによってよく俗人の譏(そし)りや笑いを引き起こすようになり、親友からも反論を受けるようになるので志を挫(くじ)く者が非常に多くある訳であります。

古言に『玉も琢(みが)かざれば器を成さず、金も煉らざれば銭に値(あたい)せず』と申された事を知らなければなりません。

もし高い山がなければ、どうして凸凹の地が現れましょうか。

鉄も多くの鉄槌(てっつい)を受けて立派な鉄が出来上がるのであります。

如何なる考魔を受けても忍耐して修道しなければなりません。

孔子様は『小を忍ばざれば則ち大謀(たいぼう)を乱すなり』と申して、小さい事に耐え忍ぶ事が出来なければ、大きい謀即ち大きな事を壊すのであると申されました。

続く

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