真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~六十三、人の三魂七魄(さんこんしちはく)と性

2023-01-11 21:33:00 | 性理題釋

六十三、人の三魂七魄(さんこんしちはく)と性

地点が同じくないばかりでなく、来処も又一様でない訳であります。

魂(こん)は肝に藏(おさ)まり、魄(はく)は、肺に藏まっていて、乃(すなわ)ち人のこの二気の霊は、気があれば則ち存在し、気が敗すれば則ち亡ぶものであります。

所謂(いわゆる)、不増不減(ふぞうふげん)・不垢不浄(ふこふじょう)にして、水に入りても溺れず、火に入りても焚(や)けないもので、房(へや)を換(か)えて主を換えぬものは真性であります。

故に魂魄の二字は、半分が鬼(き)の字になっており、性の字は向かって右から見れは生ずる心とあり、左から見れば直心(ちょくしん)を生ずるとあって、これが性の本来の姿であります。

本性(ほんせい)は玄関(げんかん)内に宿り、そして出づる事なく入る事なく、理により一身の務(つと)めをなしますが、世間では俗に心と言って、象(かたち)を指してこれを申すのであります。

故に道の字は、先に首の字を書くのであるが、首(はじめ)の一件(ひとつ)は大事な問題であるので、首(かしら)の上において功徳を行わなければなりません。(首はすなわち玄関の意味です)

続く

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