十九、病の有無と飲食
人間は本来、肉体があれば如何にしても災難をなくすことが出来ないでしょう。
然し、大病は因果応報に依るものであり、小病は自愛せず慎まざる所に由るのであります。
故に陰司(いんし:地獄)には病を散らす鬼が降り、天宮(天国)には災いを降らす神がいまして、皆命を奉って仕事をするのであります。
疫病は厚さ寒さに対して、慎まないので発病するだけではなく、七情六慾も疫病をなしており、又飲食や色欲により傷ついて発病するだけでなく、一切貪求して飽(あ)き足らず、色々と謀(はか)って果たせず、そして身に大きな害を蒙(こうむ)るのであります。
俗に『心安ければ茅葺(かやぶき)も穏(おだ)やかにして、性定まれば青菜や粗飯も香ばしい』と申されました。
又、経典に『富は屋を潤(うるお)し、徳は身を潤す。心広ければ体も胖(ゆたか)に肥え、法身も胖になると申されました。
君子は処世する上に『言葉を出すには理を思い、事をなすには過ちを防ぎ、そして、半は人力を尽くし、半は天命を聞く』のであります。
又、必ず人の命のある所は、天もこれを奪うことが出来ないばかりでなく、天の与うる所は人も強(し)いてどうすることもできないのであります。
故に『君子はその命安らかなり』と申すのであります。
三国時代、洛陽(らくよう)に大不作があり、国民は皆餓え血色を失っておりましたが、或る一人の人だけが平常のように光沢が顔面に潤いましたので、曹操(そうそう)がその故を尋ねますと、その人は『私は戒律を守って三十年になります』と答えました。
故に誠心誠意で修道する人は、葱(ねぎ)・大蒜(にんにく)・酒・肉等を戒め浄めているので、新陳代謝で生ずる血気は清潔であるから、疾病は自ら少なくなるのであります。
続く