若しもわれわれの天性を明るく圓(まどか)に成就しようと想うならば、この経義を体得して修めるだけではなく、尚、すべからく勤めて礼拝を必要とする。
礼拝は崇拝恭敬の意を表す形容であって常に戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)すべきある。
礼拝はわが心の誠を形で表していることであり、かくして礼拝の習慣が持続されれば自然に身心一如、仙仏同様の意を持することができる。
これも亦、仙仏の法である。
常に持するとは常に保持する意味であり、玄関の一点を常に集中することである。
聡明とは智慧敏達(ちえびんたつ)であり、神通ある霊心のことである。
この一節は念経礼拝の外に更によく常に神通心を保持して容易に仙仏の奥義を領受し、神聖の妙境に入り、正法の真髄深くに精通し、妙処に至らせることを説いている。
智慧心とは本来の霊光である。
続く