真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その一

2024-05-06 20:45:59 | 天道推奨

天道の使命と由来が如何に偉大で正しいかは、次の御神事が十分に実証しております。

これは昭和32年12月25日、冬季大典の日の砂文字によるものです。

老〇様の御聖訓中から抜粋したものであります。

【万霊の主宰である、われ老〇は時運に応じて真なる天道を世に使わして、わたしの子、男女等を潤そうとする。

時には隠れ、時には現れたりするが、これは暗に大衆の中から賢良なる聖者を選抜せんとする為である。

われ老〇の霊気は天界・人界・地獄界の三界を貫き、十方に満ち、全知全能を以て天地宇宙の隅々をも包含する。

すべての主宰であり、凡(あら)ゆる理の根本枢軸であって、もろもろの万物万類を変則なく永遠に養うものである。

高くして上なく渊(ふか)くして下なく陰陽の主となり、日月星雲を独手(ひとりて)で運行して息(や)まない。

この奥妙(おうみょう)の妙機(みょうき)は極めて変化不可思議であり、なお虚無霊妙(きょむれいみょう)であって諸子の測り知るところではない。

諸子と別れて、六万余年、人間の道を失い天性を迷わし、愚痴(おろか)なるが故に己の生死(しょうじ)の大事を極め悟らず夢幻でしかない名利に釣られて愈々顛倒(いよいよてんとう)してゆくのみである。

人に道ありてこそ始めて生きられ、活動や智能的感覚ができることが分かっているだろうか。

われ老〇は時代と地域に応じて逐次に聖賢を差(つかわ)し、仙仏に命じて、凡の世に降下せしめ、暮れに晨(あけ)に警鐘を乱打させ真伝及び心法を宣べ伝えさせた。

古来より法は二つとなく、道も二通りはない。何処より生まれ来たり、死して何処に去るのか、亦、生命は身体の何処を関門として出入りしているのか、この理は一に帰さねばならない。

聖者の遺した多数の経典もこれを明らかに立証している筈である。

汝らが、その関門を打破されれば、忽ちにして万法を知り、万端の理に通じ達するであろう。

悲しいことに各聖人共が世を去ってより、すでに二三千年を経過した為、後信者は殆ど正法から遠ざかり、岐途(きと)起こりて分派別門を立て、全く混乱状態に至っている。

今、白陽の時勢となり、茲(ここ)に、道を一般の縁者に普及するのは、生死を超越した悟りの境地に導く為にするのである。

天命を弓長(ゆみなが:達摩大師よりかぞえて第十八代祖)に降して万教を帰一し、収圓を完成し、九十六億の原子霊を共々に救わんとする。

大乗の道は霊妙の宝があって縁份(えんぶん)のある者にはこの秘法が授けられ、更に修めれば神仏としての位に成就することも可能である。縁無き衆生は度し難く、慾海の情の枷(かせ)や愛の鎖につながれて七情(喜・怒・哀・楽・愛・好・慾)六慾(色・声・香・味・触・法)に染まり本性を曇らせて迷って行く。

故に、因果はめぐり寃(あだ)と仇(かたき)が結び合い、止まるところがなく、少年から壮年へ、壮年から老年へと終には苦しい生涯を終わるのみである。

人生、百歳の寿命は長いと思うであろうが、只、三万六千余日でしかない。にも不拘(かかわらず)、霊の故郷に帰ろうともせず、いつまでも迷妄(めいもう)に執(と)ら割れることは、何と悲しいことではないか。

仙仏や神聖も、亦、凡人から成就したものである。

早く儚(はか)ない人生の夢を悟って天道を求めて明師を尋ね、秘宝を受けて四生六道の輪廻の悪循環より飛び出してもらいたい。

現在、天の時は急を告げている。それは昔の比ではない。

天地の運数は至り宇宙の気運も已(すで)に満ちた。

恩ある者は恩に報い、罪ある者は罪の応報を受け、生命でさえも仇を受けねばなるまい。

これは六万年来に積み重ねてきた善悪の応報であって空前絶後の懼(おそろ)しい天災地変や人災による災難となって現れて来るであろう。

四海の内は、みな、わたしの同胞(はらから)であるから当然救い起こさねばならない。】と

続く

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