にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

日本語教師養成1-7

2011-01-07 08:15:00 | 日記
2006/09/20 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(1)模擬授業

 私の「日本語教育研究」の授業では、日本語学を復習しつつ、さまざまな第二言語教授法も学び、日本語教授法を考えていけるよう指導しています。

 学生たちが、一人前とはいかなくても、半人前くらいの日本語教師として通用するように、1年間ふたつの学期で授業を続けます。
 半人前めざして、四分の一人前くらいでおわるのが関の山なんですが。

 半年コースの最後の2回は、一人10分程度の模擬授業を実施します。
 50分授業の指導案を書き、指導案に基づいて10分間、教師として授業をやってみます。

 今日20日は、日本語教育研究のクラスの模擬授業発表後半をおこないます。先週の水曜日にクラスの半分が発表を終えています。

 クラスを4つの班に分けてあります。発表班のひとりが日本語教師の役を演じます。
 モデル授業案をもとに、自分が割り当てられた文型の教え方、ドリルの仕方を「50分授業の教案」としてまとめ提出します。

 そのなかの10分間分を「授業シナリオ」にします。映画のシナリオのように、場面、時を設定します。どれくらいの人数のクラスなのか、生徒の国籍、レベル、これまでにどのくらいの時間日本語授業を受けてきた学生なのかを自分たちで設定して、教室の準備をします。コースデザインをするのです。

 この設定によって、教師役のセリフ、生徒が答えるであろうことばを予想し、教室でやりとりされるすべてのセリフを書き込みます。
 現実の教室では「アドリブ続出」となり、シナリオどおりに授業が進むことなどないのですが、はじめて教師役を体験する学生には、まずは、シナリオ執筆と、シナリオにそった授業展開を体験してみることが必要です。

 授業を行う先生は、「シナリオライターであり、演出家であり、俳優であり、生徒という出演者の演技指導係であり、プロデューサーでもあり、いわば、教室という劇場のすべてをとりしきる、統括者なのだ」と、学生に話しています。

 教室の主人公は日本語学習者ですから、脇役の教師は、主役の日本語学習者のよい表情、よいセリフをひきださなければなりません。

 発表班の学生は、ひとりが先生役を演じ、他の学生は生徒役になります。同じ班なので、お助けの「よくできる生徒役」を演じます。
 他の班の学生は、何人かが「まったく日本語ができなくて、理解もおそいし、リピートのおうむがえし練習も口がまわらない役」を演じます。

 残りの学生は、コメンテーター役。です。模擬授業をじっと観察して、よい点と改善点をみつけ、コメント表にかきこみます。この書き込みも「第3レポート」として、成績評価の対象になりますから、学生たち、コメントもいっしょうけんめい書き込みます。

<つづく>
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2006年12月21日


ぽかぽか春庭「日本語教師の役を演じる」
2006/09/21 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(2)日本語教師の役を演じる

 日本語教師養成コースの「教育実習」では、ほんとうの日本語教室へ出向き、さまざまな外国人に教えるところもありますが、私の模擬授業では、教える相手は留学生ではなく、学習者の役を与えられた日本人学生なので、実際の日本語授業とは異なります。

 しかし、学生達はかなり緊張しながら、それぞれ苦心して授業案を書き上げ、皆の前で「日本語の先生役」を演じます。
 
 10人前後の「学習者役」になった学生へは、「あなたたちは、はじめて日本語を習う学習者の役なんですから、中学一年生のときはじめて英語をならったときのことを思い出してね」といってあります。

 しかし、みんな自分が不出来な中学生だったことを忘れて(いや、彼らはきっと優秀な生徒だったのかもしれないが)、スラスラと先生のあとについてリピート練習をしたり、初級なのに難しい漢字が読めたり、どうも優秀すぎます。

 学習者役の日本人学生たち、日本語を母語としているのだから、日本語ができるのは、当然なんだけれど、実際の日本語をはじめて習う学習者に教えるときは、そんなスラスラと授業は進まないのが現実です。

 私ひとりが「不出来な学習者」の役を引き受け、先生がいっしょうけんめい教えても、発音を間違えたり、先生のことばが理解できなかったりのふりをします。
 初級の学習者に新しい文型(新出文法事項)を教えるのに、日本語で説明してはいけないと、何度言っても、日本語で説明をしてしまうのです。

 「ここにいます。そこにあります」という「こそあど」表現と、「ある、いる」の文型を教える授業。
 「私の周りは、ここ、といいます」と、日本語先生役の学生が授業をはじめました。
 出来の悪い生徒役がたずねます。
 「先生、マワリ、なんですか?トイイます、なんですか?トイイます、わかりません」

 「ここにあります」という基本の文型を習う初級者には、日本語で「周り」という言葉を聞いても理解出来ない。「と、いいます」などの引用の言い方を習うのも、初級の後半になるので、「トイイマス」がわかりません。
 多くの先生役のミスは、日本語だけで日本語を教える際、学習者がまだ習っていない日本語をつかってしまうことです。

 「では、わたしが言ったとおりのまねしてください」なんて、学習者に呼びかけても、「わたし」はわかるけれど、「では」も「言ったとおりに」も「まね」も、まだ習っていないことばですから、わからないのです。
 「先生のいうのをくりかえす練習をする、リピート練習をする」ということを、学習者にわからせるところから授業がはじまります。
 
<つづく>
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2006年12月22日


ぽかぽか春庭「直接法」
2006/12/15 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(3)直接法

 クラスの全員が英語を知っていれば、「リピート アフター ミィ」と言ってしまえば簡単。クラス皆がわかる言葉を補助的につかって教えられます。クラス全員が韓国人なら、韓国語を使っておしえてよい。
 この教え方を「媒介語を用いる教授法」と言います。

 日本国内の日本語教室のように、様々な国から集まった学習者がいるクラスで、クラス全員が共通して理解している言語がないばあい、日本語だけで日本語を教える方法をとらなければなりません。この方法を「直接法」といいます。

 なかには、「そうそう、うちの中学校に英語のアシスタント・ティーチャーが英会話のクラスを受け持っていて、英語だけで教えてくれたなあ」と、思い出す学生もいるけれど、その学生も、英会話を英語だけで教わったのであって、文法を教わるときには日本人の先生が、「エー、三単現のSというのはだねえ」とか「不定詞のtoには、三つの用法があって」など、日本語で説明を受けてきています。

 日本の中学校で、日本人の先生が日本語をつかって説明し英語を教えている方法が、この「媒介語を使う語学授業」です。
 日本人が英語をはじめて習うとき、ほとんどの中学校では、日本人教師が日本語を使って英語を教えます。このやり方でのみ英語を教わってきた日本人学生には、「日本語だけで日本語を教える」というやり方が、なかなか理解できません。

 クラス全員が同じことばを理解していれば、媒介語をつかってもOK。
 しかし、クラスのなかに、英語も韓国語も中国語もわからないロシア人とモンゴル人がいたら、どうします?
 ロシア語とモンゴル語の本を探し出して「私のあとにつづけて言ってください」という教室指示用語だけでも丸暗記しようか。ま、それでもいいでしょう。
 じゃ、ボスニアヘルツェゴビナ人とコスタリカ人がいたらどうします?

 えっと、コスタリカはスペイン語だから、なんとかなるかもしれないとして、えっ、ボスニアヘルツェゴビナって、いったい何語を話している国なんだ?
 イランと、ベトナムとハンガリーとベルギーとクエートとモロッコだったら、、、、ってことになって、すべての言語をカバーするとなったら、、、、不可能ではないけれど、たいへんです。

 教室指示用語だけなら、教室にいる学生の国の数だけ準備することも、たいへんではあっても不可能ではありません。
 しかし、、日本語を初めて習う人に、新出項目を理解させるために、すべての文法説明を、すべての言語で行うことなど、少なくとも私には不可能です。

 「私は、英語得意だから、英語を媒介語として使うなら日本語教師できるだろう」っていう人、英語で日本語の「受け身形」を教えてみてください。
 「猫が鼠を食う」を「鼠が猫に食われる」という受身形にするのは、説明できるかも。
 では、次に、「雨にふられる」は?

 「雨がふる」という英語自動詞文は、受動態に翻訳できません。
 英語では、受身形にできるのは目的格が存在する他動詞文だけ。自動詞は受身形にできません。

 英語で文法解説(文型の構造)を理解させていく方法もありますが、英語にたよると、英語式の発想から抜け出さず、なんでも英語に翻訳して理解してしまう学生も出てきて、「雨にふられる」のような、英語にない表現が出てきたとき、理解できなくなることも起こります。

 「赤ん坊が泣いた」を「赤ん坊に泣かれた」という受身形にできる言語の人にはすぐ理解できることですが、「翻訳式」に他の言語を覚えようとすると、自分の母語にない概念を理解することがむずかしくなります。
 さあ、どうしましょうか?

 日本語のことばのルールを日本語だけでわからせていく方法がさまざまに工夫されています。

<つづく>
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2006年12月23日


ぽかぽか春庭「ダイレクトメソッド」
2006/12/23 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(4)ダイレクトメソッド

 この教授法「直接法」、日本語を日本語だけで教えるダイレクトメソッド、各段階の文法項目、「文型」を教えるテクニックが工夫されてきました。
 教師達は工夫を重ねて、日本語だけで日本語を教える教授法を開発してきました。

 日本語教授法には、いろいろなやり方があるけれど、学生達に身につけてほしいのは、まず、この「直接法」です。が、なかなか理解してもらえません。

 日本語教師として仕事につく場合、まずキャリアのスタートは、日本国内の日本語学校で教える、という場合が多い。
 多国籍の学生がクラスにいたら、ほとんどが直接法の授業となるので、この教授法の習得が大切になります。

 外国で教えるなら、媒介語が使えます。
 たとえばブラジル・サンパウロにある日系子弟のための日本語学校で教えるなら、ポルトガル語を習得した日本人が教えるか、日本語を習得したブラジル人が教えることが多い。
 韓国で教えるなら、韓国語を習得した日本人か、日本語を習得した韓国人その他の国の人が教えるほうが、効率がいいでしょう。

 日本国内の日本語学校には、在籍者が中国人のみ、という学校、韓国人のみと言う学校もありますが、いくつかの国の人が混じったクラスになったとき、ひとつの言葉を媒介語にすることはできません。

 中国人が多数のクラスにひとりでもタイ人がまざっていたら、中国語で説明したら、タイの人は置いてけぼりになってしまいます。韓国人が多いクラスにひとりインドネシア人がまじっていたら、韓国語で教えることはできません。
 全員に等しく理解させるために、直接法と言う教授法が重要になるのです。

 外国語教授法として、文法訳読法やら、オーディオリンガル法、VT法TPR法など、さまざまな教授法を教えます。
 「直接法」を、ことばでは理解できても、実際の模擬授業になると、直接法で教えますと言いながら、日本語を初めて習うはずの学習者に対して、日本語で説明をはじめてしまう学生も多いのです。

 模擬授業をするのも、適当な準備で適当な授業をやって終わろうとする者もいるし、本格的に教材を準備し、しっかりと教材研究をして模擬授業を行う学生もいます。
 最初は「緊張する。やりたくない」と、しぶっていた学生も、10分間の発表をおえ、他学生からのコメントをもらうと、「やってよかった」と、晴々した表情になります。

 真剣に取り組んだ発表なら、教え方が下手でも、うまく授業が進行しなくても、それなりの達成感が残るのです。

 教育実習の模擬授業や研究授業ではなく、あくまでも日本語教育研究の一環としての模擬授業ですから、明日からすぐにでも日本語教師ができるほど完成されている授業でなくてもかまいません。
 なかには、「できの悪い生徒役」の私がおかしな答えを繰り返すので、わらいころげてしまう教師役もいます。

 でも、とにかく、日本語の授業はこんな感じ、というイメージをつかみ、「日本語をおしえるのって、思ったより難しいことだったんだな、でも、教えてみるのはたのしいなあ」と、思ってもらうことが私の目的です。
 だから、私からは「ここがわるかった、この点もまずかった」という論評はあまりしないようにしています。

 「日本語を教えることは、むずかしいけれど、楽しい」ってことがわかってもらえれば、私の授業目的のひとつは達成できます。
 日本語教師養成コースには、日本語の音声、文法、語彙、日本の歴史や文化、学ぶべきことはたくさんあります。
でも、知識を得ることはむろんのこととして、まずは、「ことばを通じて人と関わることは楽しい」という気持ちを味わってほしいと思っています。
 
<つづく>
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2006年12月24日


ぽかぽか春庭「模擬授業コメント」
2006/12/24 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(5)模擬授業コメント

 模擬授業のコメンテーターは、授業を観察し、感想をコメント表に書き込みます。
 自分で先生役をする以上に、他の学生が先生を演じているのを観察することが、多くの「気づき」をもたらします。

 先生役をしているときは、夢中でシナリオの内容をこなそうとして気づかなかったことを、観察者の学生は冷静に見つめています。
 コメンテーターには、よかった点をひとつ以上、改善点をひとつ以上書くことを義務づけている。

 「ちょっと声が小さく、自信がなさそうでした。先生が不安に感じていると、生徒も不安になってしまうので、もっと大きな声を自信をもってだしたほうがいいと思います」

 「スムーズに予定の授業はおわったところは、良かったと思います。しかし、順調に予定をこなすことにいっしょうけんめいだったせいか、顔がこわかったです。生徒にはもっと笑顔をむけたほうが、教室の雰囲気がなごやかになりますよ」

 「自分で作った絵カード、文字カードを準備したことは、とてもよかったです。でも、カードをつかうことでせいいっぱいになってしまい、あまり生徒を見ていなかったように感じました」

 など、かなり手厳しくも的確なコメントを書いてくれます。
 先生役、生徒役、コメンテーター役の3つをこなすと、だいぶ日本語授業のイメージがわかってきます。

 教育実習の他クラスでのことですが、模擬授業を終えた女子学生が、指導教師からこてんぱんな批評を受けて泣き出してしまうこともあった、という話をを耳にしました。熱心なあまりの厳しさとは思いますが、私はそうしたくない。
 学生ははじめての先生役体験で、緊張しています。不出来ではあってもいっしょうけんめいやった学生には、できるだけよい点をみつけて、ほめてあげたい。

 私の方針では「楽しく続けていきたいという気持ちを醸し出すことが第一。よい点をほめれば、続けているうちに悪い点は必ず自分できづき、直せる」
 悪い点をあれもこれもと指摘すると、指摘された悪い点にはその場で気づき、対症療法でその部分は改良できるかもしれません。が、たぶん、楽しく日本語授業を続けていこうという気分は損なわれてしまうでしょう。

 これは、日本語学習者を相手にしたときも同じ。
 日本語の発音がまずい学生がいたとき、悪い発音を直そうとして、きつく訂正させてもあまり効果がありません。少しでもうまくできたときをとらえて、「うん、いまの言い方、よかった」とほめると、だんだんよくなっていくものです。

 日本語の授業も、日本語教師養成の授業も、たぶん、ほかのすべての教育も同じ。わたしの信念。「ほめて育てる」「悪い点をしかるだけでは育たない」

 「教」という字の旁(つくり)の「攵(のぶん)」は、鞭を象形化した文字です。老人が子をムチでたたきながら教えるのが「教」
 漢語の「教育」を和語でいうと、「教え、育てる」です。大人が持っている知識を子供に詰め込むイメージが「教える」にあります。それも、教育のもつ機能のひとつだといえるでしょう。

 もうひとつ、教育に関する語の語源を。
 英語の「education」
 語源はラテン語で 、e(out外へ)+doctus(引き出す) = 子供の資質を引き出す行為
なのだそうです。
 子供・生徒は、本来さまざまなよい資質を持っています。その鉱脈を探り出して、引き出してやることが教師の役目。

 学生たちが心の中にもっている鉱脈を今年、どれだけ探り出し掘り出すことができたかしら、と、自問自答しながら、1年を振り返る年末です。

<おわり>