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日本語・日本語言語文化・日本語教育

言語学復習15-24

2012-02-12 21:59:42 | 日本語学
2006/02/23 木
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(15)恋のマイアヒ

 「恋のマイアヒ(原題「菩提樹の下で)」」は、モルドバのボーカルグループ「オゾン」が歌ってヒットしました。
 モルドバという国があること、この「♪マイアヒ~」で、人々にやっと知られました。

 モルドバ共和国、旧ソビエト連邦のひとつの共和国でしたが、連邦解体により独立。
 ヨーロッパの東端のルーマニアとウクライナ(旧ソ連)の間にあります。
 モルドバ語はルーマニア語とほとんど同じ。(大阪弁と京都弁の差くらいだそうです)

 「恋のマイアヒ」は、歌詞のモルドバ語(ルーマニア語)が、「飲ま飲まイェイ」や「キープだ牛」などと聞こえるフレーズで人気になりました。
 まったく系統もちがうことばだけど、歌をきいていると、「ちょっとなまった日本語で歌っているかのように」聞こえてくるところがとてもおもしろいですね。

 何語でも、あてはめようと思えば、自分の知っていることばとしてこじつけて解釈できることがよくわかった、という点で言語学の教材にはぴったりかも。

 ルーマニア語は、インド・ヨーロッパ語族のひとつで、古代ラテン語から派生した言語ファミリーのひとつです。イタリア語、フランス語、スペイン語などといっしょの家族、イタリック語派(ロマンス語)です。
 
 祖語から、何千年何万年の時を経て、さまざまな言語が枝分かれしていった。もとはひとつの言語だったことすら忘れられて、互いに通じない言語と思って暮らしている。
 でも、言語ファミリーを調べてみたら、モルドバ語ルーマニア語はフランス語やイタリア語と近い家族で、古代インドのサンスクリット語とは遠い親戚。
 ことばのあれこれを考えているのは、ほんとにおもしろいです。
 
 最古の人類が話していた言語はどんなことばだったのだろうか、どの言語が一番古いといえるのだろうか、ということに興味を持つ人もいます。

 原生人類であるクロマニヨン人は、最初から言語でコミュニケーションをとっていたことは確かでしょうが、古人類であるネアンデルタール人になると、意見がわかれます。

 クロマニヨン人と同等に話せた、という説もあります。
 一方、発掘された人骨を詳しく研究した結果、ノドの骨などのようすから、ネアンデルタール人は、あまり高度な調音ができなかったろうという説もあります。

 原生人類は、のどの声帯、舌、歯、唇などを利用して、どの言語も最低で100以上の音韻(言語の構成に必要な音声)を調音することができます。
 日本語は、母音5つ(aiueo)と半母音2つ(w y)、子音12(k s t n h m r g z d b p)の調音によって、100前後の音節をつくって話しています。

 しかし、ネアンデルタール人はのどの構造上、調音できる数が少なくて、言語音としては不十分だったろうとみなされています。

 m***********さんからのコメントです。ありがとうございます。ことばへの興味はつきないですね。

 「 聖書によると、神がアダムにエバをお与えになった時アダムは”私の骨の骨、私の肉の肉、これを女と呼ぼう”って言ったそうな!最初の言語はヘブライ語となってるそうな!  」投稿者:m*********** (2006 2/21 23:34)

 残念ながら、ヘブライ語が人類最古の言語ということはできません。
 ヘブライ語は、アフロアジア語族(かってはセムハム語族と呼ばれた)のなかの、セム語族のひとつです。

 今から3000年くらいまえに、現在のイラク地域からパレスチナ地域へと移住した人々が、セム語の祖語から枝分かれしたヘブル語、ヘブライ語をはなすようになったのが、古代ヘブライ語のもととなっています。

 もとになったセム語祖語はヘブライ語が成立するよりずっと前にメソポタミア地方ではなされていました。

 古代ヘブライ語を母語とする民族が離散し、ヘブライ語を母語とする人はいなくなりました。それぞれが各地の言語を利用し、イデッシュ語などを話すようになったからです。
 社会の中で「生きた言語・生活語」として用いられることはなくなったけれど、「ユダヤ聖典」など文献の中の記述は残されました。

 1948年のイスラエル建国以後、世界各地から集まってきたユダヤ人たちは、共通語としてヘブライ語を復活させました。
 今では、現代ヘブライ語を母語とする子どもたちが成人しています。一度死語となった言語が復活した、めずらしい例です。
 復活おめでとう!かんぱ~い!飲ま飲まイェイ!!

 明日は言語学と日本語学について
<つづく>
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2006年02月24日


ぽかぽか春庭「言語学と日本語学」
2006/02/24 金
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(16)言語学と日本語学

 ヘブライ語のように、「聖典」として古代語の文献が残されている言語は、資料があるので、祖語研究も比較的容易に研究することができます。
 しかし、8世紀の「古事記」以前の文献がない日本語や、15世紀以前の文献がごくわずかである朝鮮語の源流探求は、なかなかうまくいきません。

 ある言語学的な計算で、日本語と朝鮮語に共通する祖語があったとして、ふたつが別々の言語に別れたのは、1万年前から8000年前のことになる、という論を見たことがあります。しかし、1万年前に根っこが同じだったかどうかの証明は今のところ見つかっていません。

 ことばの親戚関係を調べるのは、とてもたいへんな作業で、「似たような単語がいくつも見つかった」程度では家族でも親戚でもありません。
 隣近所や知り合いの家から味噌や醤油を借りてくることがあったとしても、その家が親戚だと限ったわけではない、というのと同じだし、たまたま洋服ダンスに同じワンピースと同じスーツと同じジャケットをしまっている二軒の家があったとしても、その二軒が親戚であるという証明にはなりません。

 ふたつの言語がファミリーや親戚関係であったかどうかを研究することを「比較言語学」と呼びます。
 親戚関係でもなんでもないふたつの言語の似ているところ、違うところを並べてみる研究を「対照言語学」と言います。
 日本語と英語を比べてみるのは、「対照言語学」です。

 私の専門である日本語学は、言語学の中の一分野である個別言語学のひとつ。
 言語学は基礎中の基礎ですが、しごとに追われる毎日の中では、ゆっくり言語学の教科書を読み返す余裕はありません。
 日頃、「応用言語学」「第二言語習得法」を中心とした「日本語を教える」という仕事を自転車操業でやっていて、日々すぎていきます。
 
 日本語学と国語学とどうちがうのか、と聞かれることがあります。
 国語学は、日本語を母語とする人が中心になって、日本の古典文学の文法解釈を中心として発展してきた学問です。内側から日本語を研究します。
 江戸時代は「国学」とも呼ばれていました。本居宣長やその息子の本居春庭などが研究してきた分野。

 日本語学は、言語学を基礎として、世界の言語の中での日本語を中心に研究します。外側から客観的に日本語をみつめます。

明日は、言語学のたのしみ、について
<つづく>
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2006年02月25日


ぽかぽか春庭「言語学のたのしみ」
2006/02/25 土
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(17)言語学のたのしみ

 「第二言語としての日本語=日本語を母語としていなかった人への日本語教育」が、現在の私の仕事です。
 私は、現在の自分の専門を「日本語言語文化研究」と思って留学生の教育にあたっています。
 日本語学の中心である言語学的な研究からは離れてしまいましたが、日本語の産みだしてきた言語文化全体を広く見渡すことも、大切な分野であると思っています。

 言語学などの「学問の王道」的な研究をしている人から見たら、私のしていることは、「広く浅く」でしかなく、結局のところ、学問とはみなされない分野になるのだろうとは思いますが、深く深くひとつのことを追求し、研究する人がいてもいいし、私のように「中途半端に広く浅くことばの世界を楽しむ」人がいてもいいと思っています。

 言語学の研究とは遠く離れてしまいましたが、私はとても幸運なことに、言語学に関しては、斯界の碩学といえる先生方に教えていただいてきました。浅学菲才の身には贅沢なことでした。

 言語学概論は、1971年に徳永康元先生に教わりました。学園闘争真っ盛りのころで、何回か授業を受けると、すぐに学生ストライキ学園ロックアウト封鎖となって、授業が中止になった時代だったから、徳永先生の授業を何度くらい聴講することができたのか、覚えていません。

 しかし、「言語学って、なんておもしろい学問なんだろう」と思ったことだけは忘れません。
 「サピア・ウォーフの仮説」という言語学史上とても有名な説についてレポートを書いて提出し、優をもらいました。

 言語学概論の授業を受けていたころ、私は東京にでてきたばかりのお上りさんだったから、徳永先生が言語学でとてもえらい先生だということなど、まったく知りませんでした。私に優をくれるくらいだから、とても優しい、イイヒトなんだろうと思っただけ。

 言語学は楽しかったけど、「語学」は相変わらず苦手で、英語などはようよう「可」で通過、言語学をやるには、英語をはじめ、他の語学もできなければやっていけないだろうと、言語学を専攻することはあきらめました。
 言語学は好きでも、語学に関してずっと劣等生のままでした。

 日本語だけでやれる範囲で、できるだけ言語学や文化人類学に近づけることをやろうと思って、「神話学」をターゲットに『古事記』を卒論にしました。指導教官はの山路平四郎先生でした。山路愛山の息子である山路平四郎先生、古代文学に造詣深い方でした。代表作は『記紀歌謡の世界』など。

<つづく>
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2006年02月26日


ぽかぽか春庭「手はださない」
2006/02/26 日
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(18)手は出さない

 中途半端に神話学的なアプローチをした私の卒論『古事記』は、日本文学としての『古事記』を研究すべきだと考えていた山路先生にはお気に召さず、卒論面接も手厳しいものでした。
 卒業後は中学校国語科教諭になりました。
 中学校で国語を教えていることを手紙に書いて山路先生に報告すると、とても喜んでくださり、丁寧な励ましのお手紙をいただきました。厳しかったけれど心温かい先生でした。

 1985年に2歳の長女を保育園に預けて、もう一度大学に入ることにしました。
 言語学を西江雅之先生と千野栄一先生に教わりました。英語音声学は竹林滋先生、英語学や論理学は、松田徳一郎先生に教えを受けました。

 言語学はとってもおもしろい分野なので、千野先生の『言語学の散歩』『言語学のたのしみ』、また、西江先生の『ことばの課外授業』などをぜひご一読ください。

 西江先生には学部と大学院で4年間教わりました。言語学については先生の直弟子ですが、スワヒリ語に関して、私は西江先生の孫弟子にあたります。
 西江先生が、アジアアフリカ語学院でスワヒリ語講師をしていたときに教えを受けた弟子たちが、私にスワヒリ語を教えてくれたのです。

 西江先生と私のケニア滞在について、また、千野先生の思い出については、
 http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/oi0310b.htm
にも書きましたので、ご笑読くださいませ。 

 千野先生が学生に常日頃教えていた「言語学を研究する者の心得」を、「おい老い笈の小文」で紹介したことがありました。
 「言語学をやる者は、三つのものに絶対に手を出してはならない。すなわち、日本語起源論と語源探索と教え子に手をだしてはならぬ」という御法度です。

 千野先生は、学生には禁じたが、ご自身はすでにこのような御法度を超越していた方だから、堂々25歳年下の教え子と再婚なさった。
 むろん私は、しっかとこの教えを守って、日本語起源論や語源学などには手を出さないでいます。もちろん教え子にも。
 って、出したところで誰も私の手にはひっかからないが。

 明日は、世界一周ことばの旅
<つづく>
01:09 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2006年02月27日


ぽかぽか春庭「世界一周ことばの旅」
2006/02/27 月
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(19)世界一周ことばの旅

 言語学も日進月歩。ちょっとさぼっていると、最新の学説についていけなくなる。
 私の言語学は30年以上も前に教わったことがおおもとになっていて、最初に教わったことの影響が大きい。

 だが、近刊の言語学入門書を見て、あれれ~、でした。
 「いまだに日本語はウラル・アルタイ語族に属しているなどと言う人が残っている。そんな古い学説を信奉したままの人がいたら、その人の言語学は信用するな」と、書かれていたので、「ウッ」とつまってしまいました。

 私、去年まで、学生から質問された場合「日本語の系統はわかっていないけれど、ウラル・アルタイ語族の系統に近いという説があります」って答えていた。ごめんねー、古い学説を頭の中に残存させたままで教えていて。

 「ウラル・アルタイ語族に近いところに位置することはわかっているが、この語族と系統的につながりがあるかどうかは、まだ分っていない部分が多い」と答えるのが、正確なようです。

 すなわち「日本語の系統はわからない」というのが、最新の言語学説による一番確実な情報でした。

 言語学を教えていただいた千野栄一先生は多方面の活躍をなさった方です。チェコ語を中心にスラブ語研究の第一人者であったほか、言語学の楽しいエッセイをたくさん書き、ユーモアたっぷりに言語学のエッセンスを伝えてくれました。

 千野先生の仕事のひとつにCD『世界一周ことばの旅』の監修があります。世界中の言語のコレクション。

 世界に言語がいくつあるか、知ってます?
 母語としてその言語を話す人がいて、生活と社会を支える言語として存在する言語が地球上にいくつくらいあると思いますか。
 答え、「わかりません」
 または、「おおよそ1500から15000の間」あれま、なんておおざっぱなんでしょう。

 言語学者によって、数え方がちがうので、「いくつある」と言えない。たとえば、『恋のマイラヒ』の紹介で記したモルドバ語。モルドバとルーマニアは別々の国家なので、ルーマニア語と別の言語と考えれば、モルドバ語とルーマニア語で二カ国語、言語はふたつになります。

 しかし、このふたつの言語の差が大阪弁と京都弁のちがいくらいしかない、と知ると、それじゃ一方は一方の方言と言ってもいいんじゃないか、ということになる。
 でもね。モルドバ人は「ルーマニア語はモルドバ語の方言」というし、ルーマニア人は「モルドバ語はルーマニア語の方言」というので、ひとつの語として、まとめて数えることも難しい。

 明日は、80の言語コレクション
<つづく>
07:35 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2006年02月28日


ぽかぽか春庭「80言語コレクション」
2006/02/28 火
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(19)80言語コレクション

 同じファミリーのより近いふたつの言語を方言とみなすか、ふたつの国の別々の言語とみなすか、むずかしいところです。

 ポルトガル語で話している人とスペイン語で話している人は、互いに相手の話している内容が分かるといいます。
 しかし、スペイン語とポルトガル語、国が違い、歴史的な経緯もあり、やはり別々の言語と数えることになるでしょう。

 中国語は、文字に書くとひとつのまとまった言語であるとわかりますが、耳で聞いただけでは、南方の広東語・福建語などと北京語のあいだには、スペイン語ポルトガル語のあいだ以上の差が存在しています。それでも、上海語や福建語を中国語のなかに含めない、ということはできない。広東語も上海語も中国語に含めて数えます。

 ポルトガル語とスペイン語をふたつの言語として分けて数える基準でいけば、中国のなかにはたくさんの言語が存在することになりますが、中国政府は「断固、わが国の言語は中国語である」と言うでしょう。

 日本語でもそう。
 琉球語を一つの独立した言語とみる学者もいるし、日本語の一方言である沖縄方言とみなす言語学者もいる。
 
 地球上に、かって存在した言語(死語)と、現在生きて使われている言語をあわせて、学者によって1500くらいと数え、学者によっては15000くらい、と数える。
 一般的に言って、おおよそ3000種前後ある、という程度のおおざっぱな数え方しかできません。

 3000くらいある世界の言語の中の、80言語を集めた『世界一周ことばの旅』は、堅苦しい言語学の学術的な言語コレクションではありません。
 数の数え方、挨拶の仕方を基本として、詩の朗読、自国の概要の解説、ふたりの話し手による対話、など、さまざまな言語文化を2枚のCDにまとめてあります。

 録音に参加したのは、各国からの留学生、大使館員、大学語学教師などさまざまな人々。それぞれの人の部屋で個人的に録音したテープなどもまじっていて、ことばの録音の後方に犬の鳴き声が入っていたり、車の発進音が入っていたり、それがとてもおもしろかったりします。

 『世界一周ことばの旅』のCDには、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアなどのさまざまな言語が集められています。
 残念なのは、南北アメリカ大陸のネイティブの人の言語がないこと。ネイティブアメリカン(インディアン)のことば、南アメリカの少数民族のことばなどは録音されていません。
 東京近辺に在住している留学生を中心に録音されたので、偏りがあります。

 それでも、録音された80の言語を聞いていると、世界のさまざまなことばの表現に、心豊かな思いがこみあげてきます。

 千野先生の解説もついています。ぜひ一度聞いてみて。CDを貸出している図書館であれば、このCDを置いてあるところもありますので。

 明日は「これまでに出会った100余の言語」
<つづく>

2006/03/01 水
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(20)これまでに出会った100余のことば

 『世界一周ことばの旅』に出てくるアフリカのコイサン族(日本では映画のタイトルからブッシュマン、コイサンマンなどと呼ばれてきた)のコサ語、この言葉を聞くことができる音源は、今のところこのCD以外には見つけにくいだろうと思います。

  コサ語、独得の発音があります。
 吸い込む息を使った言語音があるのです。吸い込む音を使う言語、他に知りません。
 それから、舌を上あごにくっつけてから、はじいて鳴らす音。
 コサ語のクリック音(吸着音)を含むおしゃべり、楽しい響きです。
 
 他の言語は、吐き出す息を利用し、のどや歯舌唇口腔などで音を加工して、さまざまな音声を作り出します。
 日本語では、吸い込む息のとき作られる音は「言語音」として使われていません。

 吸着音を私たちが使うのは、失敗したときや困ったときに舌を前歯の裏にあてて「チッ」「チェッ」「ツェ」と表現するときの舌打ち音のみ。
 「不同意の感情表現」「失意の感歎表現」だけに用いられます。

 私が「失敗しちゃったなあ、チェッ、残念」と思っていることがあります。クリック音で、チェッ!チェッ!
 1988年以来この仕事を続けてきて、やれなかったこと。

 日本語教師をしてきて、これまでに80ヵ国以上の国の留学生と出会ってきました。
 でも、日本語を教えることに精一杯で、留学生の母語について、録音をとってこなかったことです。

 教室内で、自国のことばや文化についてクラスメートに発表する機会をつくるようにしていますが、日本語での発表を重視してきたので、それぞれの母語で話しているところを録音してきませんでした。

 ひとりひとりの母語を録音しておいたら、個人的な80言語のコレクションができあがったのに。
 いや、80以上になったことでしょう。私が出会ってきた留学生は、たいてい、家庭のなかで話している母語と、社会生活で話す公用語と、大学や大学院での教育と研究に必要な英語、最低3つの言語は読み書きできる人が多かった。
 
 今期、私が受け持ってきた学生。
 パキスタンのフミ、母語のバンジャビ語と公用語のウルドゥ語と英語を話す。フィリピンのジョセは、母語はセブ島のことば。公用語であるフィリピノ語(タガログ語)と、学校教育での英語を話す。
 
 スエーデンのヤン、スエーデン語ノルエー語英語を話す。
 ネパールのギア、ネパール語ヒンディ語英語。マレーシアのアリ、タミル語マレー語英語。

 私がかって滞在した国でも、そうでした。ケニアでホームステイしたキクユ族の家庭では、家の中ではキクユ語、町の市場にいけばスワヒリ語、かって先生をしていたご主人は英語も話す。それも私のブロークンイングリッシュとは大違いのクイーンズイングリッシュ。

 中国長春市に滞在したときも、朝鮮族の人は、家庭では朝鮮語、社会生活では中国語、内蒙古の人は、モンゴル語と中国語。ほとんどの人がバイリンガルなのでした。バイリンガルを「特別な人」としてありがたがるのは、日本くらいです。

 世界の多くの地域の人々は、生活上ふたつみっつの言語をあやつらなければ、暮らしていけない。
 英語しか話せないアメリカ人と、日本語しか話せない日本人、このふたつの国の人は、語学音痴。

 日本語だけで生活でき、大学院までの教育を受けられる私たちは、便利といえば便利だけれど、あまりにも「他の文化や言語に理解がない」とも言える。他の言語を知ることは、そのことばの背景に広がる文化を知ることです。

 せめて『世界一周ことばの旅』を聞いて、さまざまな言語の音を音楽のように聞いて楽しんでみませんか。

 明日は、各国語版「ことばの世界へようこそ」
<つづく>
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2006年03月02日


ぽかぽか春庭「ことばの世界へようこそ」
2006/03/02 木
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(21)各国語版、ことばの世界へ「ようこそ!」

 このシリーズもあと2回で終了。
 「ことばの世界へようこそ」という気持ちをこめて、「ようこそ」のあいさつを各国語でお知らせします。
 ラテン文字(ローマ字)で表記できるものは、ラテンアルファベットで、ロシア語とモンゴル語はロシアンアルファベット(キリル文字)で、あとは、残念ながら、カタカナ表記。カナカナ表記だけの言語は、独自の文字を持っている言語です。

アラビア語:  アルハバン/
イタリア語:  ベンベヌートBenvenuto/
インドネシア語:スラマッ(ト)ダタンSelamat Datang/
ウルドゥー語:  クシュ アーマーディード/
英語:      ウェルカムWelcome/
韓国・朝鮮語:  オソオセヨ/
カンボジア語:  ソームスヴァーコム/
スペイン語:   ビエンベニードスvienvenidos/
スワヒリ語:   カリブKaribu/
タイ語:     インディートンラップ/
チェコ語:    ビーターメ バースvitame Vas/
中国語:   ホゥアン イン ホゥアン イン 歓迎(又欠 迎)/
ドイツ語:  ヘルツリッシェンヴィルコーメンHerzlichen Willkommen/
トルコ語:  ホシェ ゲルディニズHos geldiniz /
にほん語:  ようこそ/
ビルマ語:  ライライレーレーチョーソーバーデー/
ヒンディ語:  アーイエー/
フランス語:  ビアンヴニュVienvenue/
フィリピン語: マブーハイMabuhay/
ベトナム語:  ノンニエット ドン チャオNog nhiet don chao/
ポーランド語: ヴィタイWitaj/
ポルトガル語:  セージャ ベン ヴィンドSeja bem-vindo/
モンゴル語:  タフタエトリルノーTabtaй topилho yy/
ラオス語:   ニンディートーンハップ/
ロシア語:   ス プリィエズダムC приеэдом

 私が世界中のことばに通じているわけじゃありません。ひさしぶりに訪問した母校の文化祭で買った冊子の中のコピーです。上記の言語のうち24のことばを教える専攻があるのです。
 スワヒリ語は、母校の専攻学科にもありません。25年前にわたしが習って覚えたケニアの公用語です。

 ケニアにいたころ、知り合いの家を訪問して「カリブカリブ(ようこそ、どうぞお近くに)」と、招き入れられると、とてもうれしかった。わたしにとっては思い出ふかい挨拶のことばです。
 「ことばの世界へようこそ、カリブー!トゥタオナーナ(また会いましょう)」

 明日は、絶滅危惧言語
<つづく>
00:27 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2006年03月03日


ぽかぽか春庭「絶滅危惧言語」
2006/03/03 金
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(23)絶滅危惧言語

 言語の数を知ることは難しいのだ、と紹介しました。1500以上という人、3000以上という人、6000以上あると言う人。15000と数える人。言語をどのようにとらえ分析するかで、意見はまちまちです。
 言語の数を知ることは難しいことですが、今、確実にわかっていることがあります。世界情勢の大きな流れの中で、少数言語が消滅の危機にあるということです。

 k******さんからのコメントありがとうございます。
  「 アマゾンでは多数の言語が滅び去っているのだそうですね。
二人の青年だけが持っている言語のドキュメンタリー番組を見たことがありましたけど。」
投稿者:k****** (2006 2/27 23:47)

 アマゾンだけではありません。世界中から少数言語が消え去り、絶滅の危機に瀕しているのです。
 ひとつの国のなかで、ほとんどの少数言語は不利な立場においやられ、その言語を母語とする人々が社会の中で不利益をこうむってきました。
 親は子どもが将来不利益を受けないように、経済的に有利なことばを使わせようとするので、2世代か3世代、つまり100年たらずのうちにひとつの言語が消滅してしまうのです。

 少数言語の話者が不利益を受けない措置をとらない限り、多くの貴重な言語が21世紀のうちに消滅してしまうでしょう。
 現在の社会で経済的に有利な生活を求めようとするとき、圧倒的に有利な言語となっているのは、英語です。

 アメリカ合衆国やオーストラリアで、英語が圧倒的に有利なため、先住民(ネイティブ)のことばの多くが死語となってきました。アメリカで、少数言語が母語としてつかわれているのは、20ほど。すでに70のネイティブアメリカンのことばが生活の中で使われなくなってしまいました。

 日本でもそうです。アイヌ語という豊かな言語文化を保持してきた人々に対して、明治以後、急激な同化政策が施かれました。
 10年以上前の調査で、アイヌ語を流暢につかいこなせる、という人は樺太千島を含めても、10人~15人で、すでに高齢の方々でした。この人たちが亡くなると、子どものころ習い覚えた言語、母語としてのアイヌ語は消滅します。

 現在、アイヌ語を母語として生活に使用している家庭は、日本国内では皆無だと聞きます。
 趣味や生涯学習のため、また祖先のアイヌ文化を守るために、学習によってアイヌ語を学んでいる人は、少しずつではあるけれど増えてきました。

 しかし、まだ母語として復活するところまでは至っていません。アイヌ文化保全に勤めている人々も、家庭や社会生活では日本語によって暮らしています。

 私の「春休み読書」のひとつは、白水社から出ている『CDエクスプレス・アイヌ語』という本。ことばを覚えるまではできないけれど、CDを聞いてアイヌ語の響きを楽しんでいます。

 アイヌ語には濁音(有声音のうち、ガザダバなど)がありません。全体とてもやさしいあたたかい響きです。
 原日本語ももともとは濁音がなかったのだけれど、さまざまな言語の影響を受けつつ、濁音が必要になってきたのだといいます。

 最後のアイヌ語母語話者という浅井タケさん(1902~1994)の語る昔話54篇がCD11枚(草風館 )になっているそうなので、いつか聞いてみたいです。

 1997年7月に『アイヌ新法』が制定されました。それまでは「旧土人法」だったんですよ。「土人」って今の感覚ではすごい言い方にきこえますね。もともと住んでいた人々を征服者の側から見て低くみなす感じがします。

 1997年まではそれが正式な法律名称で、やっと改正されました。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間「ひと」の意味。

 アイヌ語をなんとか記録に残すことができ、復活させられるかも知れないだけの資料を残すことができたのは、この言語を愛し記録に努力を重ねた何人かの人がいたおかげです。

 明治のお雇い外国人であったチェンバレンの研究をはじめ、アイヌの血をひく知里真志保らが研究を続けてきました。
 金田一京助らのアイヌ語に関する仕事も、批判点もあるでしょうが、評価すべきことが多いと思います。

 明日は、豊かなことばの世界をめざして

<つづく>
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2006年03月04日


ぽかぽか春庭「豊かなことばの世界めざして」
2006/03/04 土
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(24)豊かなことばの世界をめざして

 ことばのひとつやふたつ、世界から消えていっても、自分らの生活に何も影響しないし、その人たちだって、英語や中国語、スペイン語など世界的に有利なことばを使えるようになっていれば、何も問題ないじゃないか、と考える人たちもいます。

 少数言語消滅が、直接私たちに生活に関わらないというのは、そうかもしれません。
 しかし、言語の研究は、まだまだ全部のことばを解明できていないのです。語彙全体の記録もできないうちに消滅してしまうことばが、言語研究の大事な要素をふくんでいるのかもしれないのに。
 
 また、たとえ、他の分野の役にたたなくても、言語とその言語がもつ文化はそれだけで人類にとって貴重なものなのです。文化の多様性は、存在を保証されるべきものです。

 日本語は世界のなかでも1億人以上の母語話者がいる大きな言語のひとつです。
 しかし、もし日本で、「英語を使えるほうが、よい暮らしができそうだ。子どもが英語をおぼえるためには、学校で学ぶだけでは不足だろうから、家のなかで両親も英語を使うよう努力しよう」と、考える家庭が出てきて、子どもが母語として日本語を使わないで育つようになったとしたら、21世紀中に日本語は消滅します。
 ことばが消滅すると言うことは、その言語がはぐくんできた文化が消滅するということです。

 英語ができて、コンピュータ使えて、今より収入が多くなるなら、『万葉集』を誰も知らなくなっても、ひとりも『源氏物語』を読めなくても、575の俳句つくれなくても、生活には困らない、と考えるでしょうか。

 ことばは、人の生き方暮らし方、ものの考え方、アイデンティティの根元です。
 私は、私の母語を大切にしたい。自分の母語を大切にするのと同じ気持ちで、他の言語を母語としている人に対しては、その人の母語を大切にしたい。

 多様な言語、多様な文化、多様な生き方を認め合い、尊重しあえる社会を築いていくにはどうしていったらよいのだろう。
 狭い「仲間意識」の輪の中に入れてもらえず、孤立してしまう人がいるような場所で、日本語が上手ではない人、日本的な集団になじめない人、さまざまな人が暮らすこの国で、どうやったら互いを尊重しつつ共に生きていけるのだろう、と、日本語を教えながら、日々考え続けています。

 とても優秀な女性だったと報道されている中国生まれの女性、日本語朝鮮語中国語英語を使いこなす才女として、評判のお嫁さんだったそうです。日本人の妻となり子どもの母となったのに、しだいに心を閉ざし、孤立して悲しい事件を引き起こしてしまった。
 そんなニュースを聞くと、胸いたみます。

 日本語と日本語言語文化を大切にしていくことと、世界中の多様な言語さまざまな文化を互いに知り、尊重していくことを、どちらも意識的にすすめていかなければならないと、肝に銘じています。

<言語学復習おわり>

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