にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

日本語学基礎1 

2012-01-15 09:31:00 | 日本語学
09/06 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(1)アイウエオ事始め
09/07 ことばの基礎(2)毎度おなじみ母とパパ
09/08 ことばの基礎(3)アカサタナのヒミツ
09/09 ことばの基礎(4)語彙と漢字
09/10 ことばの基礎(5)魚偏の漢字
09/11 ことばの基礎(6)魚と羊
09/12 ことばの基礎(7)雨のことば
09/13 ことばの基礎(8)春雨氷雨涙雨
09/14 ことばの基礎(9)色彩名詞
09/15 ことばの基礎(10)虹の色
09/16 ことばの基礎(11)ことばと社会制度
09/17 ことばの基礎(12)語種クイズ復習
09/18 ことばの基礎(13)クラゲなす漂へる万葉仮名
09/19 ことばの基礎(13)多啦A夢
09/20 ことばの基礎(15)ニッポンジャパン和製英語
09/21 ことばの基礎(16)文法栓抜き説
09/22 ことばの基礎(17)禅車両ふたたび
09/23 ことばの基礎(18)キツネの嫁入り
09/24 ことばの基礎(19)日本文化プレゼン
09/25 ことばの基礎(20)集中講義の感想


2009/09/06
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(1)アイウエオ事始め

 9月1日から、一日4コマ4日間の集中講義を行いました。半年間中国に赴任している間、私立大学での週1回1コマの授業をお休みした、その分を4日間の集中講義でこなさなければならない。週1回2コマの授業をしてきた別の私立大学では一日4コマを6日間続けることになっている。ふぅ。

 週1回2単位の授業だと、4月~7月でだいたい15コマの授業を行うのが一般的。毎週1回出席するかわりに4日間で2単位分が取得できるなら、「お得!」と考える学生も出てくる。確かに、学生にとっては4日間で2単位は効率いいように思えるのだろうが、教師にとっては、少しも効率がよくない。

 15週の授業のうち、最初の1週目はガイダンスとイントロダクション。最終週とその前週は、試験と試験のフィードバックにあてているので、実質授業は12コマの講義となるのですが、毎週私は次の週の学習項目のための「考えるヒント」という課題を出して、学生に日本語についてより深く知るための宿題を課しているのです。それが、集中講義だと4日間ですから、宿題は3回しかだせなくなる。15週で講義するのとはまったく異なる授業構成をしなければならないので、準備はまたまたたいへんです。

 「宿題」のひとつをご紹介しましょう。1「来週までにノートに日本語の音を全部書いてくること。考えるヒント:まずは五十音表をローマ字で書いてみよう」2「日本語の音の表や五十音表を書いて気づいたことをメモしてくること」

 日本人大学生たちは「な~んだ、宿題っていっても、五十音表なら、小学生でもできることじゃん」という顔をします。その通り。五十音表を書くってのは、小学校でひらがなを習った人なら、思い出せばすぐできる。ただし、学生によっては、「あ~ん」の清音だけをノートに書き、濁音を忘れる学生もいるし、多くは拗音を書いてこない。日本語の「音声」を考えるために、五十音表はよいヒントですが、日本語の「音」は、五十だけではない。
 学生に「日本語のひらがなは音節文字である」ということを理解させるために、ローマ字表記で書かせる。授業での「ワークショップ」として、宿題点検をペアワーク、グループワークで行う。お互いの表の異同をチェックしあい、どこが同じでどこが違っていたか、グループで違いを確認させる。
 この違いの発見から、問題2の「日本語の音声」への疑問質問をだすことが、日本語を知る第一歩となります。日本語学を学ぼうという大学生なら、この「日本語音声の表」を見て、いくつもの「疑問点」を提出できるようでなければなりません。

 ペア・ワークでお互いのローマ字五十音表を点検させ、異同を調べると、違うところがいくつも出てくる。文科省と外務省の表記方法が異なるので、学生はまずそこに気づく。「フ」のところが、「fu」と外務省方式(ヘボン式)で書いた人と「hu」と、文科省方式(訓令式)で書いた人がペアになると、手をあげて「フのローマ字が二人でちがいます。どちらが正しいのですか」と質問してくる。まず、ローマ字表記に二つの方法があることを解説して、さて、日本語の発音について。

<つづく>
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2009年09月07日


ぽかぽか春庭「毎度おなじみ母とパパ」
2009/09/07
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(2)毎度おなじみ母とパパ
 
 日本語は過去から現在までさまざまに変化してきたし、これからも変化していくであろうけれど、骨幹の部分は残されていきます。この「土台」の部分が「言語共同体」の「共同」の部分といえるでしょう。

 さまざまに変化してきて日本語のなかで、私がよく例に出すのが「母はむかしはパパだった」というひとつ話です。
 「母」は、現在は「haha」と発音しているけれど、鎌倉時代にはfawa」であり、平安時代には「fafa」であった。もっと古くは「papa」であった、という発音の変化がありました。こちらは、仮名表記は変化しておらず、発音だけが変化したのです。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d800#comment
 日本語の発音変化について書いてありますので、で復習していただけると幸いです。

 平安初期に漢字草書体から整理されて平仮名が成立したとき、「はひふへほ」の発音は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」でした。録音テープもない昔の発音がどうして現代の人にわかるのか。ひとつには、室町末期戦国期に来日したポルトガル人宣教師が、「はひふへほ」のついた語をローマ字で「fa fi fu fe fo」と記録しているので、室町時代までは「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」だったことがわかります。ポルトガル人は「花」をfanaと記録しました。江戸時代のオランダ人の記録では「hana」に変化しています。

 室町時代から江戸時代は、発音・語彙・文法が変化した時代です。「ぢ/じ」「づ/ず」の発音の違いも、室町から江戸にかけてなくなっていき、江戸中期には「蜆しじみ」と書いてよいのやら「しぢみ」と書くのか、「鼓つづみ」と書くのか「つずみ」と書くのか、書き分けがわからなくなっていました。この件については、何度かお話してきましたが、今回もあとでもう一度申し述べます。
 日本語の音節文字、原則ひとつの音節にひらがなひとつが対応していますが、どうして「だぢづでど」と「ざじずぜぞ」の「じ・ぢ」「づ・ず」は、ひとつの発音に文字が二つずつあるのですか?という質問を学生に投げて「考えるヒント」を与えます。

 さて、「は」の発音が「fa」だったり「ha」だったり「wa」だったりしてきた、ということについて。「は」の発音が平安初期のひらがな成立時には「ファ」だったということがわかる証拠のひとつが、アイウエオ五十音表の「アカサタナの行配列」です。

 平安時代初期に成立した「アイウエオ五十音表」のアカサタナ~の行配列、でたらめに並んでいるのではありません。発音の順序によっています。
 小学校では機械的に暗記させる「あかさたな~」の行の順序。これを覚えていないと、紙の辞書を引くとき苦労します。紙媒体の英語辞典を引くときにabcのアルファベット順を覚えていれば早く引けるのも同じ。

 アカサタナの行の順番を覚えさせられたとき、どなたか「どうしてこの順番なんですか」と、質問した方がいたでしょうか。日本の小学校では、教師に命じられたら疑問など持たずにただひたすら覚えなければならないことになっていますし、質問したとしても、多くの国語教師は文学専攻なので、そもそも教師自身がこの行配列がなぜアカサタナの順番なのか、知らないのです。
 古代文学を専攻して中学校国語教師になった当時の私も、知りませんでした。中学生は「なぜアカサタナの順序なのか」なんていう質問はしなかったからよかったけれど。今はもちろん知っています。日本語学のセンセーだからね。

<つづく>
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2009年09月08日


ぽかぽか春庭「アカサタナのヒミツ」
2009/09/08
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(3)アカサタナのヒミツ

 私がこのアカサタナの配列の意味を知ったのは、日本語史を学び、日本語音声学を学んでからのことです。
 日本語の五十音表はサンスクリット語(梵語)の音声研究に基づいています。
 最初の行がaiueoであるのは、母音だからです。母音はのど奥の声帯を震わせた音が、口腔内のどこにも邪魔されずにまっすぐに出てくる音です。
 子音は口の中で息を止まらせて、音を邪魔してから発します。大まかな分け方で分類すると、息を邪魔する場所は,

(1)声門の前(のどびこがあるあたり)k・h
(2)口腔の上部(口蓋)ch/sh(cha・chi・chu・che・cho/ sha・shi・shu・she・sho)
(3)歯茎の上部と歯、s・t(口から息を出す)、n(鼻から息を出す)
(4)唇、p・f(口から息を出す)m(鼻から息を出す)
の4カ所。のどの奥から唇まで、しだいに前へ進んでいます。

 「k・s・t・n・f/p・m」は、人間の息がどこで邪魔されてから外へ出ていくかという場所の順序を示しているのです。さて、hに注目しましょう。hの音は、現在の発音ではkと同じのどの奥から出されます。それなのに、五十音の行配列では、mと同じ唇の場所にあります。それは、五十音表が作られた当時の「はひふへほ」の発音が「fa・fi・fu・fe・foファ・フィ・フ・フェ・フォ」だったからです。唇をすぼめて息を邪魔してから口から出す発音だったのです。「フ」の音だけが唇音として残り、ハヒヘホは、のどの奥の音に変化しました。

 現代日本語発音の「ハ」と「フ」の音の作られ方が違うということは、手に「は~」と言って息を吹きかければ暖かく、「ふ~」と言って息を吹きかければ涼しいということからも、その違いを実感できます。春庭の日本語音声学授業では、一番先に学生に課すワークです。

 五十音表のアカサタナ「k・s・t・n・f・m」行配列は、人間の発する子音の口の中の状態を科学的に示していた表だったということ、わかっていただけたでしょうか。
 カ行はのどの奥の方から声が出てきて、「フ」は唇で作られる音だということを声を出して確かめてみて。

 ハ行がマ行の前にあることは、元は唇の音だったのに、現在はのどの奥の音へと発音変化したゆえであることを説明しました。
 さて、残りの「yrw」は、音声学上「半母音」の仲間です。ただし、現代日本語発音では半母音は「y・w」だけで、「r」は「はじき音」として子音に分類されています。

 日本語の「r」の音は、世界の多くの言語の「r」の音と少し違っています。英語の「l」や「r」の音の響き、「milk」という発音をネイティブスピーカーが発音しているのを注意深く聞くと「ミルク」ではなく、「ミゥク」に聞こえることに気づいた方もいらっしゃると思います。語頭ではない、語中の「l」「r」は、しばしば半母音の響きに聞こえます。サンスクリット語では、「r」は母音の仲間として配列されています。韓国朝鮮語では、半母音の「w」はありませんから、[ua]で代用します。

 和語は、「ラ行音」が語頭に立たなかったことをお話ししました。和語も最初は「r」音が半母音の位置にあったのだろうと推測されます。この半母音の順番も(1)口蓋y(2)歯茎r(3)唇w、の順になっています。

 「アカサタナの順番、どうしてこの順なんだろう」とか、「一番画数の多い漢字ってなんだろう」とか、「これって、いったいどういうことなんだろうか」と、考えること、脳内活性化の手段です。悩むことが人間をひとまわり大きくすると、姜尚中が『悩む力』で言ってます。
 金儲けのためには役にも立たない春庭コラムですけれど、「忙しい時期こそ、日本語についてあれこれ思い悩むことがきっと人生を豊かにします」、、、って、これは姜尚中じゃなくて、春庭のことば。
 以上、時代によって、日本語の発音も変化していったことを復習しました。
 「は行転呼音」などの、日本語の発音のはなしは、2006年の5月6月7月、3ヶ月に渡って書きましたので、ごらんください。

<つづく>
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2009年09月09日


ぽかぽか春庭「語彙と漢字」
2009/09/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(4)語彙と漢字

 2009年9月の集中講義、最初は「4日間、毎日朝から夕方まで同じセンセーの授業を受けて、飽きちゃわないかなあ、かったるいなあ」という顔でおそるおそる教室に座っていた学生たち、一日目が終わると「あっという間に一日がすぎた」と言い、二日目は「明日が楽しみ」と言い、四日目が終わると「ものすごく充実した4日間だった」「アルバイトばかりでつまらない夏休みを過ごしてきたけれど、授業が楽しかったので、いい夏になった」という感想を口々にかわしていました。

 私としても、90分授業を一日4コマ続けるために、工夫をこらし、楽しく生き生きと学べる方法を模索しながらの4日間でしたが、学生たちがそれぞれに「次々と課題が出るので大変だったけれど、集中して授業に参加し、達成感のある4日間だった」という気持ちを持ってくれたことをうれしく思っています。

 「現代日本語概論」の4日間のシラバス(教授内容細目)は、第一日目「日本語の音声と音節文字(平仮名・カタカナ)」第二日目「日本語の語彙と漢字」第三日目「日本語文法と日本語教育」第四日目「現代社会の中の日本語と世界の中の日本語(社会言語学&対照言語学)」という内容です。
 初日、1コマ目は、クラス内の学生の自己紹介とペアラーニング&グループラーニングを円滑に行うための人間関係作りのコミュニケーション練習。

 机の上に置く名前カードの裏を縦横四つに分割し、に「好きな人、好きなモノ、好きなこと・何でもインフォメーション」を書き込む。相手のカードを見て、書かれたことにたいして3つの質問を考える。互いに質問と回答を繰り返し、オプション質問をする。オプション質問は何でもよいが、質問を思いつかない人は「夏休みのベスト1またはワースト1は何でしたか」と質問する。この4つの質問を1分ずつ交互に行うと約10分ほどで、互いに前よりは相手を理解することができる。
 ペアを2組ずつにして、4人グループにする。ペアの相方について、いっしょになったグループのもう一方のペアに紹介をする。この4人が「本日のグループ学習」の仲間となる。グループは毎日組み替え。

 グループ学習の例。
 第一日目の授業で日本語の音を調べ、[k][a][i]という三つの音素で/a/ /i/ /ka/ /ki/という四つの音節が作れることを確認しました。四つの音節があると、いくつの日本語が作れるでしょうか。グループごとに言葉作り競争です。たくさんの言葉を考えたグループはポイントゲット。

 一人でやるなら「カッタリーよぉ」となることば集めや漢字書き取りも、グループごとに成績がポイントとなって、最終レポートの点数に加算されるということになると、皆真剣にやります。自分一人なら「無理して優(AA)を取らなくてもいい。そこそこ単位とれる点数で十分」と考える学生でも、「自分がさぼっていたら、他の3人の成績も悪くなる」と思うと、「他者に迷惑をかけたくない」と思ってがんばれる、という日本的風土で育った日本語母語話者の習性を利用した、教師の授業テクニックです。

 最初は辞書を見ずに思いついた言葉を書き出します。/a/ /i/ /ka/ /ki/の四つの音節で、胃、愛、赤、秋、烏賊、牡蛎などがすらすらと出てきました。「まだいろいろな語が作れますよ。じゃ、辞書を見ましょう。辞書を使うと同音異義語がたくさん出てきますよ」とアドバイス。かき(柿、牡蠣、下記、夏期、夏季)など、きか(気化、帰化、幾何、貴下、奇禍、机下、奇貨、旗下)など、いか(以下、医科、異化、易化、医家)など、たった4つの音節でも、たくさんの単語が作れることを確認。
 次は音節の足し算。蚊・亀・カメラ・カメラ屋・カメラ屋さん、、、科・医科・医科学・医科学研究所、、、、など、音節を付け足して新しい言葉を作る。

 日本の音の種類は世界の言語の中でも少ないほうから2番目だというと、そんなに少ない音声でたくさんの言葉が作れるかと心配していた学生たちも、日本の音の種類110~120あれば、無限大の単語を作っていけることを確認しました。
 音の単位「音素」と意味の単位「記号素」を組み合わせれば、語は無限大に作れます。これを「語の二重文節」と言います。

 2日目は「日本語語彙と漢字」という内容です。
 課題。「魚偏の漢字をグループでできるだけたくさん集めよう。どのグループが一番たくさん書けるか。一番たくさん書いたグループはポイントゲット」と、「商店街で買い物するとポイントがたまる」方式で、競争します。

<つづく>
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2009年09月10日


ぽかぽか春庭「魚偏の漢字」
2009/09/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(5)魚偏の漢字

 グループ学習。漢字書取りグループ対抗戦。お題は「魚の漢字集め」
 1回戦は辞書を見ないで。魚偏の漢字をウラ紙に書いていきます。鮭、鯉、鯛、学生たち、グループごとににぎやかに、「ほら、寿司屋で見たことあるんだけど、あれ、なんだったけなあ、魚に有るで、えっと、、、」そらで思い出すのは難しい。
 グループで紙に書いた字を発表させ、一番たくさん書いたグループはポイントゲット。

 2回戦、辞書を見ていいことにする。すると鯑、鯰、鰯、鯱、鰰、など、たくさんの魚編の漢字が出てきて、「わぁ、こんなにいっぱいあるんだ」と、寿司屋の湯飲み茶碗などに書かれた魚偏の漢字コレクションのようになった紙をながめる。

 さて、ここからが春庭の日本語語彙論講義です。前期は魚偏で、後期は木偏でやるのです。今年の受講生のなかには、6歳から日本に住んで日本の小学校からずっと日本人と一緒の学校だったので、「日本語については100%知っている」と思っていた北京出身者と、1994年と2007年と2009年、半年ずつ3回も中国に住んだのに、中国語がさっぱりできない私がいたので、中国語との比較を取り入れましたが、他の学生にとってもっとも長く習ってきた外国語は英語なので、英語との比較を中心にします。

 漢字と語彙の課題では、まず、漢字の本場と日本人が考える中国語との比較から。中国国籍のルイさん、中国語と日本語のバイリンガルです。中国語との対照を教えてもらいます。「鮭」とは、中国でどんな魚でしょうか。
 日本で言う「鮭」は、中国語で「鮭魚gui(1)yu(2)(数字は声調)」と書いてある辞書もありますが、たいていの魚屋では「三文魚」という名で売られています。北京語の発音ではsan(1)wen(2)yu(2)(数字は声調)。英語のsalmonサーモンの音訳です。
 「あれ?中国から来た漢字だから、中国語でも鮭でいいのかと思った」と、日本人学生。
 中国語の帯魚は、日本語の何でしょうか。日本語では太刀魚。これは何となくわかる。

 中国語で鮎はどんな魚と思う?日本で「鮎あゆ」を食べたことある人?「はい、居酒屋でバイトしてますが、鮎の塩焼きがメニューにあります」「どんな魚でしたか」「15センチくらい。おいしいです」
 では、ルイさん、中国語で「鮎」という魚を食べたことある?ルイさん首をひねっています。「中国で、鮎はこういう魚です」インターネットで中国語の「鮎」に当たる魚の絵をだします。「あれ?アユじゃない」「ほら、ここにヒゲがあるでしょう。日本ではこの魚を鯰と書きます。ナマズです。中国語で日本語のアユという魚は香魚と書きます。水墨画で『瓢鮎図』と題された絵があったら、ナマズを捕まえている絵です」

 「中国で鮎がナマズというなら、日本の鯰は何ですか。中国の漢字で鯰がありますか」とルイさんに振ると、また首をひねっています。中国語に「鯰」はありません。日本で作られた漢字「国字」だからです。日本で作られた漢字には、畑、働く、峠などがあります。
 魚の漢字調べをした中に、日本で作られた漢字がたくさんあります。
 中国語の漢字と同じで意味も同じ漢字、中国語にもあるけれど意味が違う漢字、中国語にはなくて日本にだけある漢字。漢字と言っても、中国とまったく同じではないのです。
 寿司屋に出ている魚偏の漢字、多くが国字(和製漢字)です。はい、日本語トリビアクイズの個人発表してもらいます。だれか、この和製漢字調べを担当してください。

 最初の日にグループでの「日本語トリビアクイズ」発表。2,3日目には、個人の「日本語発見」発表、4日目に個人の「日本事情発表」。ひとりが4日間に3回の発表ノルマがあり、最終レポートは講義内容と発表内容をまとめて3000字以上書いてメール添付する、という4日間で15回分の課題をこなすのは、学生にとってもきつい内容ですが、アヤさんは、和製漢字について発表し、ルイさんは中国語簡体字について発表しました。

<つづく>
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2009年09月11日


ぽかぽか春庭「魚と羊」
2009/09/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(6)魚と羊

 中国簡体字クイズはルイさんが担当しました。まず、私が例題を出します。繁体字(本来の漢字)「藝」日本では新字として「芸」と書きます。中国語では簡体字として「艺」とかきます。
 ルイさんのクイズ。「术」は日本の漢字の何でしょう。「丰」は、日本の漢字の何にあたるでしょう、というクイズを10題出題しました。「术」は日本の漢字「術」、「丰」は、日本の「豊」です。「え~、省略しすぎだよ」と、学生たち。

 国字クイズはアヤさんが担当しました。
 クイズ、まず魚偏「鰯イワシ 鮃ヒラメ 鮪マグロ」中国語にもあるのはどれでしょう。答え「鮪マグロ」です。つまり、鰯や鮃は和製漢字。中国にはありません。
 次に、魚偏以外の国字。「凪 凩 风」この中のひとつは中国の簡体字、ふたつは日本の国字です。どう読むでしょう。国字はどれでしょう。
答え。凪は「なぎ」 凩「こがらし」国字です。「风」は簡体字=「風」

 国字クイズ。皆、頭をひねりながら、楽しみました。
 鮃ひらめ 鮖かじか鮗このしろ鮴ごり鯏あさり鯑かずのこ鯒こち鯲どじょう鯱しゃちほこ鯰なまず鰯いわし鰤ぶり鰡ぼら鰰はたはた鰹かつお鱚きす
などが魚偏の国字の代表です。

 魚のことば調べ、次に英語との比較。
 寿司屋では、こんなにたくさんの魚をそれぞれ別々にメニューにしてスシをにぎってくれます。「ハマチ」と注文したり、「イナダ」と注文したり。

 じゃ、洋食屋の魚料理、英語では、どんな魚の種類があるだろうか。調べてみると、、、、海鮮料理の店のメニューでも、cod(タラ)salmon(サケ)trout(マス)sole(舌平目)tuna(マグロ)sea bass(シーバス/bassは「スズキ」)swordfish(メカジキ)haddock(コダラ)くらいのもので、寿司屋の魚偏のようには並んでいません。

 洋食の魚料理メニューと寿司屋の魚偏の字を比べて、さて、これはどうして?と、学生に質問。「考えるヒント」の時間です。ペアで答えを言い合い、ペアとしての回答を考える。いくつかのペアをあてて、答えを言わせます。「欧米人は日本人ほど魚料理が好きではない」「日本は海に囲まれた島国なので、魚が豊富にとれる」など、いくつかのペアの回答を引き出します。

 次に、「焼き肉店に行って、ジンギスカン食べたことある人。北海道とか修学旅行に行って、食べた人もいるかな」と、手をあげさせ、ペアで羊肉が好きか嫌いか互いに言わせる。そして「羊の肉注文するとき、なんと言いましたか」と教師が質問。答えは「ラム」「マトン」。「羊という動物の名前、ほかに言い方を知っている人?」教師の質問に、「ええっと、山羊ですか?」と、学生。あらら、ヤギは羊と似ているけれど、別の動物ですね。羊はマトン肉も食べるけれど、毛を刈り取ってウールにします。

 教師は、モンゴル語では「羊」の名詞がいくつあるか、表を見せます。モンゴル語の「羊」は、まず、雄羊と雌羊では別の単語があります。これは英語でも雄牛はox雌牛はcowという別の単語があることを思い出させておく。そして、1歳の羊、2歳の羊、3歳の羊、4歳の羊、5歳から9歳の羊、10歳の羊、10歳以上の羊、それぞれ別の呼び方をすることを教える。

 モンゴルの羊を飼っている牧畜民にとっては、羊は重要な動物なので、羊を表す呼び方は1歳の羊、2歳の羊、3歳の羊、4歳の羊、5歳から9歳の羊、10歳の羊、10歳以上の羊、別々なのです。自分たちの生活や文化に関わりが深いものほどたくさんの名詞があるのです。

 え~!羊にそんなにたくさんの名詞があるの?という学生に、さきほどの魚の日本語を復習させ、「寿司屋ではハマチを注文しますね。さて、ハマチが大きくなると、なんて呼ぶでしょう」とクイズ。答えはブリです。鰤という魚、関東ではワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと成長によって呼び名が代わります。関西ではツバス、ハマチ、メジロ、ブリです。出世魚というので、めでたい魚のひとつになっていますが、日本では魚が身近な食材なのでブリの名前も大きさで区別します。

 シラスが大きくなればイワシです。
 カタクチイワシは地方ごとに別の呼び名があって、ヒシコイワシ、シコ、シコイワシ、田作り(タヅクリ)、五万米(ゴマメ)、背黒鰯(セグロイワシ)、狼鰯(オオカミイワシ)、脹眼(ハンガン)、金山(カナヤマ)、丸(マル)、ヒラレ、泥目(ドロメ)、ドロイワシ、ママゴ、エタレ、クロタレ、シラス、タレクチ、チリメン、タレ、ホオタレ、ホホタレ、ホウタレ、ブト、コシナガ、カエリ、カクハリなど、多様な呼び方で食用にしています。

 モンゴルの羊も同じこと。地方ごとの方言があるし、年齢や去勢しているかしていないか、出産後か未産か、などによって細かい分け方をした単語がそれぞれについています。

<つづく>
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2009年09月12日


ぽかぽか春庭「雨のことば」
2009/09/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(7)雨のことば

 語彙と文化のかかわりについて、さらに。
 日本語ではラクダは「らくだ」一語だけですが、じゃ、アラビア砂漠ではどうでしょう。そう、ラクダを言い表す言葉がたくさんあるだろうと想像できます。エジプト、モロッコ、イランなど地方ごとの方言もいれれば、アラビア語には700ものラクダを言い表す言葉があるそうです。ジャマールは雄の総称。雌の総称はナーカ。さらに、たとえば、「雄の去勢済みの4歳のラクダ」「雌のまだ出産していない3歳のラクダ」とか、細かい区別があり、それぞれに別の単語がある。

 それでは次の課題。日本語で魚のほかにたくさんの種類がある言葉は何でしょう。アラビア語ではたぶん数が少ないと思うけれど、日本ではこれを言い表す言葉がたくさんあるんです。
 答えは「雨」。

 「雨のことば集め」さて、辞書を見ずにどれだけの雨に関わることばを集められるでしょうか。はい、読者のみなさん、ぼけ防止頭の体操。雨がつく言葉、雨を表すことばを、辞書を見ずにできる限り思い出してください。学生たちが集めた数に勝てるかな。

 日本語語彙論課題として、「午後、雨の単語を集めるから、お昼ご飯食べながら、雨を表すことばを考えておいてね。最初は辞書を見ないで集めて、もうこれ以上思い出せなくなったら、インターネットで調べてもいいです」
 午後の授業でグループ順にぐるぐるとひとつずつ雨の呼び方を言わせてパワーポイントに書き込んでいく。

 辞書を見ないで思い出した雨のことば。
氷雨ひさめ 梅雨つゆ 五月雨さみだれ 長雨 夕立 霧雨 春雨 秋雨 にわか雨 通り雨 天気雨 スコール 土砂降り 時雨、雷雨、豪雨。 
雹ひょう 霰あられ、このふたつは雨というより、雨が凍った粒を指すます。

 辞書で調べた雨のことば。 
 霖雨 しのつく雨 花の雨 涙雨 卯の花くたし 鉄砲雨 地雨 丑が雨 やらずの雨 ひじかさ雨 ひと雨 驟雨 虎が雨 涙雨 薬降る わたくし雨 そ知らぬ雨 菜種梅雨 半夏雨 狐の嫁入り 寒九の雨(かんくのあめ)、、、、

 「狐の嫁入り」をはじめて聞いたという学生たちに、え~、今まで知らなかったんだと思うけれど、「私雨」については、春庭も何年か前に知った言葉であることを学生に告白。「狐の嫁入り=天気雨」。「わたくしあめ」限られた区域に降る局地的な雨。
 学生が辞書で調べた雨のことばのうち、私は「半夏雨はんげう」と「寒九の雨(かんくのあめ)」について、知りませんでした。半夏雨は半夏生のころの雨だろうと察しがつきましたが、「かんくのあめ」は「寒九の雨」という文字から寒い季節にふる雨というのは想像できるけれど、初めて耳にした言葉でした。寒の入りから九日目にふる雨なんだそうです。 

 学生たち、他グループの回答の中に、自分たちの知らなかったことばを見つけて、「へぇ、そんな雨があるんだ」と、感心しきり。やらずの雨とか、涙雨とか演歌に出てきそうな名前の雨ですね。若い世代にはなじみがない雨も、こんなにたくさんあるんだということがわかります。

 オバマ米大統領が9・11慰霊集会に出席したときの新聞写真には「涙雨の中、犠牲者遺族をなぐさめるオバマ大統領」というキャプションがついていました。

 英語だったら、「涙雨」にぴったりの表現は何でしょうか。辞書に出ているsprinkiring rainなどだと、スプリンクラーが連想されて、日本語母語話者には、校庭や農園でぐるぐる回りながら水をまき散らすイメージです。とても涙雨のイメージではありません。

<つづく>
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2009年09月13日


ぽかぽか春庭「春雨氷雨涙雨」
2009/09/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(8)春雨氷雨涙雨

 日本は雨が多い国だから、こんなにたくさん雨のことばがあります。さきほどの魚と羊の例から、それでは雨が少ないと思われるサウジアラビアで、アラビア語ではどんな雨の単語があるか、想像してみてください。そう、たぶん、日本のようにたくさんの雨の言葉はないだろうと想像できます。アラビア語で雨は「マタル」ですが、それ以外に言い方がいくつあるのか、いずれにせよ「時雨」「霧雨」「氷雨」「夕立」などの細かい分け方はおそらくないでしょう。

 日本語には雨の語彙がたくさんあることを確認してから、複合語の成り立ちと日本語の音の変化について学習。
 「春雨」は、「春」と「雨」という「単純語=意味の上からこれ以上細かく分けられない語」がふたつ組合わさってできた言葉です。複合語と言います。
 複合語は組合わさると音が変化する語があります。「haru」+「ame」だから「ハルアメharuame」になるはずですが、日本語は母音が二つ続くのを嫌うので、間に「s」の音が入り込んで「harusame」となる。
 「雨+傘」は、母音交代と連濁が同時に起きて「あめかさ」ではなく「あまがさ」になる。

 では「長い」+「雨」はどうでしょうか。「naga」+「ame」で「nagaame」になるところですが、古代日本語の発音では「aa」と母音が二つつながるのを嫌って[a]がひとつ消えて「nagame」になります。
 そのため、平安時代「長雨」と「眺め」を掛詞として小野小町は「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」と歌いました。

 「雨傘」は「雨の傘」、では、雨の靴は?はい、「雨靴あまぐつ」ですね。
さて、同じ「あめ・あま」でも「天下り」という複合語もあります。これは「天の下り」でしょうか。複合語の元の意味を考えると、これは「天から下る」ですね。複合語の成り立ちについては、後期に学習することにしましょう。語構成といいます。
 
 さて、さきほどの小野小町「花の色は~」の色ですが。花と言えば、桜の花を代表とします。それではどんな色だったと思いますか?
 「魚、羊、雨」などの言葉調べで、文化によって言葉の細分の仕方はそれぞれであることを理解し、次に色彩名詞しらべ。色の名前を調べます。

 まず、知っている色の名前。学生が持っていたハンドタオルを取り上げて「これは何色ですか」学生は「ピンク」と答えました。
 「この色を桃色と呼ぶ人がいますか。私のハンドタオルは桃色だ、って言っている人?」学生の中にはひとりもいませんでした。

 課題1「日本の古代語では色の名前は4つだけでした。何色があったでしょうか」
 課題2「私が子供の頃、この色のクレヨンには桃色と書いてありましたが、今、だれもそう言いません。なぜでしょうか」
 課題3「現代日本語では色の名前は500色以上あります。できるだけたくさん集めましょう」
 課題4「虹の色はいくつあるでしょうか」

<つづく>
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2009年09月14日


ぽかぽか春庭「色彩名詞」
2009/09/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(9)色彩名詞

 課題1「古代日本語の色彩名詞は、清浄な白、暗い色の黒、明るい鮮やかな赤、その他もろもろの青、この4色だけでした。この四色は、「い」がついて、赤い、青いなどの形容詞を作っていることからも基本色であることがわかります。『古事記』に出ている色彩名詞は白黒青紅と丹擦り。丹擦りは色名というより、染め物の名称でしょう。

 「緑」はもともとは色を表す語ではなくて、「若々しく萌え出たもの」、新緑の葉やツヤツヤと生え出る髪などを指し「緑の若葉」「みどりの黒髪」などの形容に使われました。そのうちそれらの色を指すようにもなりました。でも、基本色でないので、「みどりい」になりません。紫も 基本色でないから「むらさきい」にはなりません。

 大陸や半島から進んだ染色技術が入ってきたこともあり、色彩名詞が日本語にしだいに増えていきました。中国語では「黄」は陰陽五行思想の中心の色として重要ですから、飛鳥時代には道教や風水思想などの流入とともにこの色彩名が日本にも入りました。

 染色の技術とともに漢字の色彩名詞が入ってきました。「紫草」の根(紫根しこん)で染めた色を「紫色」、「アカネ草」の根で染めた色を「茜色」と呼ぶなど、染め物も発達しました。お茶の葉で染めた色を「茶色」と呼びました。(日本語の茶色は、現代中国語では「棕色」ですけれど)
 『日本書紀』や『続日本書紀』には、紫、真緋(あけ)、紺、緑、黒紫、赤紫、縹(はなだ)、緑青(ろくしょう)、金青(こんじょう)、真朱、朱沙、雄黄(ゆうおう)、黄丹(おうたん)などが記録されています。いずれも、最初は色名というより、染色の材料名だったろうと思います。

 また、「ウグイスの羽の色」は鶯色、桔梗の花の色は「桔梗色」など、具体的に色を持つものから色の名が増えていきました。

 課題2。桃色について。桃の花の色から「桃色」と呼ばれました。中国語と日本語の「桃色」が桃の花の色を差すのに対して、英語のpeach colorは桃の実の色です。「桃の実」について言うなら、中国でも日本でも桃の実には生命力があると考えられて、桃の実は「桃太郎」説話に見られるように、命の誕生に関わるイメージを持っているものでした。桃太郎説話も、命の果物「川から流れてきた桃」を食べたおじいさんおばあさんが、にわかに若い気分になって、夜を元気にすごした結果、赤ん坊が生まれた、というのが元の話です。

 しかし、日本ではある時期から「桃色映画」「桃色遊戯」など男女間の交渉を通俗的に表現する語に使われるようになり、「桃色」というと性的な意味合いを含むようになり、色彩名詞として「桃色」がさけられるようになってしまいました。その語外来語のピンクが色彩名詞として定着しました。

 「ピンク映画」など、ピンクにも性的な意味を含意して使う用例もありますが、「ピンク映画産業」そのものが凋落一途であるせいか、ピンクの語のイメージ価値低下は桃色ほどではありませんでした。「ピンク産業」「ピンク女優」などの用例もありますが、一時代を築いた「ピンクレディ」のきわどい語感が「ピンク」のイメージ零落を救ったと私は見ています。セクシーさを健康的な存在感で覆った見事なアイドルキャラクターの「キャラ設定」定着により、ピンクは桃色ほど性的イメージに席巻されなかった。乳ガン検診啓発のシンボルとして「ピンクリボン」がつかわれるなど、「温かいやさしい色」というイメージを保っています。

 高橋真梨子「桃色吐息」や松浦亜弥「桃色片想い」で、「桃色」復権のきざしか、と思ったのですが、幼稚園のお絵かきの時間に先生が「はい、桃色のクレヨンだして」と表現することは、これからもなさそうです。

 色彩語のイメージでいうと、外来語のブルーというと、日本語ではさわやかなイメージがあり「ブルーなんとか」とつけられている商品名もたくさんありますが、英語だとblueは「憂鬱な・陰鬱な」というイメージがあります。これは日本語カタカナ語にもなって、ブルーマンディ、マタニティブルー、就活ブルー、若者ことばで「今日はブルー入ってる」などと使われます。日本のテレビで戦隊ものでは、絶対的優等生のリーダーレッドに対して、レッドに対立したり嫉妬しながらも最後にはレッドと協調するサブリーダーの役どころ。
 ブルーという語のイメージも文化によって違います。

<つづく>
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2009年09月15日


ぽかぽか春庭「虹の色」
2009/09/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(10)虹の色

 課題3では、グループごとに色彩名詞の発表。
 蜜柑色、檸檬色、若竹色、らくだ色など、どんな色か想像できる色もあるし、弁柄色、納戸色、憲法色など、ことばを発表した学生にもどんな色なのか説明できない色名もある。「憲法色」は吉岡憲法という江戸初期の染織家(元は兵法家)が作り出した茶系の色です。「瓶のぞき」は、「藍染めのうち、藍の染料の瓶の中をさっとのぞいた程度に染めたのが、瓶のぞきです」と、教師が解説。学生「へぇ、そうなんだ」
 みな、初めて知る色の名前がつぎつぎに出てきます。

 縹色(はなだいろ)がでたところで、この色が薄い青色であることを解説し、ついでに「ポケモンのハナダタウン、トキワタウンなどは、色彩名詞からきていることを解説すると、ゲームのポケモン、アニメのポケモンとともに育ってきた世代である学生たちに大受け。
 ハナダタウンは縹色、トキワタウンは常磐色(深緑)、ニビシティは鈍色(灰色)と説明していくと、クチバシティ朽ち葉色(くすんだオレンジ色)シオンタウン紫苑色(紫)、セキチクシティ石竹色(淡いピンク)グレンシティ紅蓮色、ヤマブキシティ山吹色など、色の名前もなじみのものに思えてきます。「セキチクシティって、知ってたけれど、それが石竹色という色の名前だってこと、初めて知った」と、学生たち。

 課題4「虹の色はいくつ」では、学生皆が7色と答えました。予定通りです。東アジアでは虹の色を7色に分類してきました。しかし、虹の色には境目はありません。日本語では、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7つに分けるけれど、欧米語では、科学的な本などには7色分類されているけれど、民衆の表現では7色ではない。「藍」は区別しないで6色に分類すると話すと、「へぇ、虹は6色と言う国もあるんだ」と学生たち。
 アメリカでは市販の子供の絵本を見ると虹は六色で印刷されているのが普通。どこの幼稚園に行っても子供たちは六色の虹を描くといいます。「藍」の色はない。ドイツやフランスでも同じ。

 世界中で7色なんだと思っていた、という学生たちに「虹は3色という国もありますよ」
 H.A.グリースン著『記述言語学入門』(大修館書店)によると、アフリカのジンバブエの言語Shona語では虹の色は3色。西アフリカのカメルーンの言語Bassa語では2色。

 色彩語の確認のためにジョン・ライアンズの『言語と言語学』の「色彩用語」の項を読んでいたら、20年前に読んだはずなのに、すっかり忘れていたことばかりなので、復習いたしました。ライアンズは、翻訳の問題として、「英語でMy favourite colour is blue.をロシア語にする場合、ロシア語にはblue一語に相当する単語がないので、sinji(dark blue)か、goluboj(light blue)のどちらかを選ぶしかない、と述べています。(ライアンズ1987,347)

 日本語には英語のblueに青を対応させて使っていますが、青色ダイオードが普及していなかったころには、信号の青信号は緑色に光っていました。「青信号」というと、英語圏留学生は「先生、信号の色は青ではなく、緑です」と言うので、いちいち、日本語古代語では青色は、灰色も緑色も含んだ「その他の色」だったことを説明したものでした。今、東京の信号はほとんどが青になりました。

 羊や雨と同じく、言葉を分類するのは文化によるのであり、区別をどこで細分するのかについて、優劣はないことを述べます。色の名を4つに区切っても500に区切っても、日常生活は不自由なく、虹の色は3色という言語の国の文化も、それで十分なのです。日本語には羊を表すことばが「ひつじ」ひとつしかなくても、不自由なく生活しています。海にいる生き物に対して、鮪も鯉も鮹も鯨も「魚」という一語で表すとしても、まったく不自由しない生活もあります。

 文化によることばの区切り方の違いについて、さらに親族名称を取り上げます。日本では兄と弟、姉と妹を区別するけれど、英語ではbrotherとsisterの区別しかありません。日本では父方の祖父母と母方の祖父母はおなじように「おじいさん、おばあさん」と呼びますが、中国語では父方と母方では呼び方が異なります。父方のおばあさんは奶奶(ナイナイ)、母方の祖母は姥姥(ラオラオ)です。

<つづく>

2009/09/16
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座復習編>ことばの基礎(11)ことばと社会制度

 親族名称の話のついでに、文化による親族の親疎について話しておきます。日本ではいとこ結婚は法的に許されています。四等親以上は許されるので。しかし、いとこ結婚は兄弟姉妹結婚と同じように禁じられている地域もあります。たとえば、アメリカの例だと、いとことの結婚は25の州で禁止されています。ユタ州は双方とも年齢65歳以上であるか、55歳以上の性的不能の場合のみ、つまり、子をなさないという条件で許可される。

 日本人がイトコと結婚するというと、兄と妹が結婚するような「近親結婚」のタブーを犯しているように受け取られるのです。逆に、イスラム圏ではいとこ結婚は普通に行われる。文化によってことばも社会習慣もさまざまであることを、学生たちに伝えます。

 アフリカのある地方では、一夫多妻の生活が普通です。妻たちは生まれた子供たち全員に平等に接して共同で育てており、子供たちは父の妻全員を「母」と呼ぶ。家の中で「お母さん」はいつも複数という暮らしもあります。
 日本の週刊誌などでは、芸能人の母親について「戸籍上の母と生みの母と育ての母と、三人の母がいる」などと話題にすることがありますが、これは「母というのは自分にとってただ一人」という社会通念があるから話題にされるのであって、アフリカのある地域では、母が複数いるというのが「常識」となります。日本人が「私の母はたった一人」と言ったら、なんぞ問題を抱えている家庭なのか「欠損家庭」なのか、と同情されるでしょう。

 一夫一婦制の社会の人から見ると一夫多妻に違和感がありますが、日本の家庭で、両親が複数の子供を持ったとして、どの子も平等に育てていて、どの子も同じようにかわいい、というのと、一夫多妻の社会では夫にとって、どの妻も平等に同じように愛している、というのと、違いはありません。兄弟が仲良くたすけあって成長する家庭もあり、仲が悪い兄弟姉妹もいるのと同じく、妻たちが仲良く助け合って家庭を守る家もあれば、仲が悪い妻同士もいるってだけです。

 昔の日本や昔の中国のように、一夫多妻の妻たちに序列がつけられているような場合だと妻同士の間に争いも起こりますが、たとえば、イスラム教の4人の妻の間には身分上の差はなく、1番目の妻も4番目の妻もまったく平等です。平等に接することができないなら、複数の妻を持つことはできません。物を買い与えるのも、夜のお泊まり回数も等しくないと。若い方の妻がいいからと、年老いた最初の妻をないがしろにするような男は、非難囂々、男の風上にも置けぬと不名誉を背負い、人々からの信用を失って生きなければなりません。

 一家の中に買いそろえるべき家財も増えた現代では、一夫多妻生活も楽ではないので、最近の若い人は一夫一婦の暮らしを選ぶ人も多くなり「妻が一人だけでは肩身が狭い」という風潮も薄れてきたのだと、これはイスラム圏の留学生から聞いた話。
 ヒマラヤ山脈近辺の山岳地帯では一妻多夫の社会もあります。 妻は家を守り、夫は交代で出稼ぎに出る家庭が多い。夫にとっては妻が生んだ子は分け隔てなくみな我が子。

 「自分たちの文化や社会制度の尺度で、世界の多様な社会について価値判断を決めつけてはいけない」ということを、日本語教師志望者に教え込む。欧米の文化は進んでいるけれど、アフリカの文化は遅れている、あるいは先進文化と野蛮な文化がある、というような受け止め方をするのは、異文化理解を前提とすべき日本語教師の態度ではありません。
 異文化に対するときに、どの文化も等しく尊重すべきであるということは、日本語教師にとって、もっとも必要な態度です。

 自分たちにとって常識と思うことでも、他の文化ではタブーであったり、自分たちが嫌っていることでも、他の文化にとっては当然の行動であったりすることを理解しつつ、日本語教師になりたい人は、言葉の勉強と文化の勉強をしていかなくてはならないことを学生に教えます。

<つづく>






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