夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

人のために行動することで、人は強くなる。11/30

2011-11-30 23:54:43 | 名字の言
沖縄芝居の著名な役者・仲田幸子氏を取り上げたドキュメンタリー映画「オバアは喜劇の女王」。沖縄戦を生き抜き、貧乏のどん底から這い上がった彼女の舞台人生を追った作品である▼戦後、「笑い」で沖縄の人々の心に希望を与え続け、この道60年を超える彼女だが、笑いの陰で、激しい苦悩と戦っていた時期がある。相棒だった役者が他界するなどの暗い出来事に、生きることの辛さ、苦しさを味わった。ラジオの生放送を”ドタキャン”したエピソードも明かされている▼舞台一筋の彼女を支えた言葉があるという。それは「サチコーの芝居を見るためには長生きしないといけない」と語った、90代の老婦人の声だった。”おばあちゃんたちのためにも芝居を頑張ろう”と思えた。そして、78歳になった今も、舞台に立ち「笑い」を届け続ける▼ドクター部の友が語っていた。自身が悩みや病気を抱えていても、「他者に尽くす」生き方を貫けば、生命力が湧き、ストレスを”追い風”にできる、と▼人が人のために動き、互いに支え合う。それは弱い生き方ではない。反対に、人のために行動することで、人は強くなる。その”真実”を知る私たちこそが、「励ましの社会」を開いていきたい。(碧)

日本の映画館では、外国映画は吹き替えよりも字幕のほうが一般的だ 11/29

2011-11-30 23:53:32 | 名字の言
 日本の映画館では、外国映画は吹き替えよりも字幕のほうが一般的だ。スクリーンの右や下に出てくる字幕の文字は、独特な字形をしている。デジタル時代の今でも往時と変わらないのは、手書き時代の書体が写植として登録されているから。人間的な手の温もりが今も息づいているのだ。まさに文化継承の妙である▼人が文字を読むスピードには限界がある。限られた字数で、いかに訳すか、翻訳者の腕の見せ所である。字幕翻訳の第一人者は、日本の字幕文化について、日本の識字率の高さとともに、「本物志向が強いこと」を理由に挙げている(戸田奈津子著『字幕の花園』集英社文庫)。その国の言葉を耳で聞きながら、活字を目で追い、声と映像の両方から“本場の雰囲気”を味わうことができる▼現在、本部幹部会の衛星中継でも、画面に字幕が流れ、耳の不自由な方に喜ばれている。未入会の友人や新入会者にとっては、聞き慣れない仏法用語も、文字を見れば理解できることがある。また、耳で聞いて分かっていても、字幕の文字を目で追えば、理解はより深まろう▼御書に「仏は文字に依って衆生を度し給う」(153ページ)と。文字の持つ不思議で偉大な力。それを、友の幸福のために使っていきたい。(杏)

共戦16

2011-11-30 23:52:40 | 小説「新・人間革命」
 山口開拓指導に参加し、懸命に折伏に励みながら、相手を入会させることができずに悩んでいる同志のことを思うと、山本伸一は、胸が痛んでならなかった。彼は力説した。

 「私たちは、必死になって仏法を語ったのに、相手が信心しないと、がっかりして、落ち込んでしまいがちです。しかし、『聞法下種』も『発心下種』も功徳は同じなんです。

 大事なことは、正法を皆に語り抜いていくことなんです。

 皆さんは、不軽菩薩のことを学んだでしょう。私たちの下種活動は、現代において、不軽菩薩の行を実践しているんです。すごいことではないですか!」

 法華経の常不軽菩薩品には、次のように説かれている。

 過去世の威音王仏の滅後、像法に、不軽菩薩が出現する。

 不軽は、会う人ごとに、二十四文字の法華経を説き、礼拝・讃歎して歩いた。

 「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)

 <私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです>

 不軽菩薩は、一切衆生に仏性があると確信し、こう訴え、人びとにひざまずき、合掌していったのである。

 しかし、彼の言葉を聞くと、むしろ、人びとは、怒り、憎悪の心を燃え上がらせた。不軽の言うことは虚言であるとして、悪口し、罵り、さらに、杖や棒で打ち、瓦のかけらや石を投げつけたのである。

 それでも不軽菩薩は、「我れは深く汝等を敬い……」と言って、人びとを礼拝することをやめなかった。

 この時、不軽を軽んじ、迫害を加えた者は千劫の間、無間地獄に堕ちる。しかし、最後は、正法を聞いた縁によって救われるのである。

共戦15

2011-11-30 23:51:32 | 小説「新・人間革命」
 山本伸一は、仏法の法理のうえから、人間として生を受けた、尊い意味を訴えた。

 山内光元は、悲観的にとらえていた宿命という問題の闇が払われる思いがした。

 山口開拓指導には、全国の二十六支部から同志が派遣されていた。仙台など、東北から来た人もいる。それぞれの支部が、山口の各地に幸福の種を植えようと、先を争うようにして、勇んで活動を展開していった。

 山内も、妻の照子も、派遣メンバーと一緒になって、弘教に奔走した。

 派遣メンバーといっても、入会して、一、二年の人が多かった。皆、生活費を切り詰めに切り詰め、交通費、食費、宿泊費を捻出して、参加した人たちである。

 それぞれが、家に帰れば、経済苦や家族の病苦、家庭不和などの問題をかかえていた。

 しかし、“広宣流布のためには、何も惜しむまい”“この闘争で自身の生命を磨き、宿業を断ち切ろう”と、はやる心で駆けつけた健気な同志たちであった。

 ところが、つてを頼りに訪問し、仏法の話をしても、聞く耳をもたぬ人ばかりであった。盛んだった意気は消沈した。

 丘の上から街の明かりを眺めながら、“この街には、こんなにたくさんの人が暮らしているのに、一人も折伏することができないのか……”と、悔し涙を流す人もいた。

 そんな、同志に、勇気の光を注ぎ、闘魂を燃え上がらせたのが、開拓指導の責任者である伸一であった。

 弘教が実らぬと嘆く人には、こう諄々と訴えるのであった。

 「折伏、すなわち成仏の種子を下ろす下種には、『聞法下種』と『発心下種』とがあります。『聞法下種』とは、仏法を説き聞かすことです。『発心下種』とは、その結果として信心を発し、御本尊を受持することです。

 たとえ、相手が、すぐに信心しなくとも、仏法を語れば、心田に仏種を植えたんですから、いつか、必ず信心します。ゆえに、この『聞法下種』こそが折伏の根本なんです」

共戦14

2011-11-30 23:50:52 | 小説「新・人間革命」
山内光元は、妻の照子の話に、口元をほころばせた。

 「ほう、神札は駄目だというのか! 面白いことを言う宗教だな。それは、正しいぞ。愉快だ。実に愉快だ。

 俺は子どものころ、よく神札を作っていたから知っているが、ああいうものでは救われるわけがない。

 神札や、ほかの対象物など、さっさと処分すればよい」

 すると、妻は、安堵の表情を浮かべた。

 「ああ、よかった。あなたが、そう言うと思って、もう燃やしておきました」

 「そうか。一家で信仰がバラバラというのもよくないから、お前が信心をするなら、私もやろう」

 山内夫妻が入会したのは、一九五六年(昭和三十一年)三月のことである。

 妻の照子は、その日から、一生懸命に信心に励んだ。すると、いつも床に就き、生気のなかった彼女が、日ごとに元気になり、活動にも、はつらつと参加できるようになっていったのである。この体験が、仏法への確信となった。

 山内光元は、入会したといっても、真剣に信心に励むつもりはなかった。しかし、妻の姿を見て、少しずつ心は動いていった。

 学会の出版物をむさぼるように読み始めた。宗教には、浅深、高低、正邪があることも理解できた。何を信ずるかによって、人間の幸・不幸が決していくということも納得できた。人間の宿命は三世にわたり、過去世からの自身の行動、発言、意思によってつくられてきたことも学んだ。

 入会から七カ月後の十月、山口開拓指導で山本伸一が下関を訪れ、座談会に出席した。

 「皆、私たちは貧しい庶民かもしれない。しかし、本来の姿は、地涌の菩薩です。末法の人びとを幸福にするという広宣流布の聖業を果たすために、あえて宿業を背負って、この世に出現してきたんです」

 その指導に、山内は息をのんだ。