智慧には菩薩の心が通っていなければなりません。自分を苦しめている壁が人である場合、それを揺り動かすものは心ある対応に尽きると思います。心が通じれば相手も心の扉を開く。実に菩薩の実践における智慧は、相手にも菩薩の心を引き出すことができるのです。(小林正博著「日蓮の真実」より)
大事なことは、創価魂です。創価魂とは、個人の幸福を妨げたり、広宣流布の運動を破壊しようとする悪を乗り越えることによってこそ真の幸せをつかむことができるということです。池田先生は最近、この重要なときに傍観者であってはいけないとおっしゃっています。私たち全員が、戦いに加わる必要があるのです。
唱題が楽しみであって、義務にはしないこと、そして満足いくまであげる必要があります。お題目を唱えようと努力することが、私たちの強い決意の現れです。お題目を唱えるとき、心からの深い祈りが必要です。しかし、忘れてはいけないのは、請い求めるのはだめです。常に御本尊に、「私は何が何でも目標にたどり着くと決意したのです!」と祈ることです。「これは私の宿業。目標が叶ったとき、それは私の歓喜だし、私の福運」と宣言しなければいけません。
日蓮大聖人の仏法を実践すると、私たちは、限りない智慧と生命力を引き出し、大きなものでも小さなものでも選んでは、好きなように叶えることができます。宇宙そのものが私たちの手の中にあるということを忘れないでください。大事なことは、「それを手に入れようという気があるか」ということです。
唱題が楽しみであって、義務にはしないこと、そして満足いくまであげる必要があります。お題目を唱えようと努力することが、私たちの強い決意の現れです。お題目を唱えるとき、心からの深い祈りが必要です。しかし、忘れてはいけないのは、請い求めるのはだめです。常に御本尊に、「私は何が何でも目標にたどり着くと決意したのです!」と祈ることです。「これは私の宿業。目標が叶ったとき、それは私の歓喜だし、私の福運」と宣言しなければいけません。
日蓮大聖人の仏法を実践すると、私たちは、限りない智慧と生命力を引き出し、大きなものでも小さなものでも選んでは、好きなように叶えることができます。宇宙そのものが私たちの手の中にあるということを忘れないでください。大事なことは、「それを手に入れようという気があるか」ということです。
大きな困難や、解決できない悩みにぶつかって、どうしようもない、というときには「もう御本尊にお願いするしかない」と決めて、極端なようですが「無理を承知で」「無理だからこそ」御本尊に「解決してください」と強く祈ることです。祈りの一念が強ければ願いは叶うのです。「どうせ無理だろうな」と思って祈ったのでは「御本尊不信」になるので、叶うわけはありません。
楽観主義とは、なんとかなるという無責任とは違う。苦しみに負けない。貧乏に負けない。非難中傷に負けない。何があっても「なんだ、こんなことぐらい!」と、はね返す強さ。希望に向かって前進する意志の力。これが楽観主義である。
昭和32年12月25日の本部幹部会で、75万世帯達成が発表された。その日の池田先生の日記にはこう記されている。「ひとり、御書拝読。勉強不足は幹部の恥なり。われ、求道者として、如何。慢心の人には断じてなるな。師の瞳、厳しく叱る」
大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへどもしげきゆへにとどむ、又又申すべし。