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夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

竹を猫くなら、まず胸中に竹の姿を描かねばならない

2009-06-20 21:30:17 | 随筆
人生を左右するものは「思想」である。「考え方」である。
悲観主義者は、壁があれば後戻りして、その緒果、暗い未来を招き寄せる。
そして言う。「やっぱり、思ったとおりだ」

不屈の楽観主義者は、壁があれば壁を越えればいいだけだと、明るい未来を切り拓いていく。
そして言う。「やっぱり、思ったとおりだ」

中国の詩人・蘇職は絵の極意を教えた。
「竹を猫くなら、まず胸中に竹の姿を描かねばならない」

人生の絵も同じである。心に、未来のどんな絵を描くか。
ありありと、目前に見えるがごとく、希望に満ちた絵を描かねぱならぬ。
悲観した暗い絵を描けば、そのとおりの方向に現実も動いていく。
自分が不可能だと思えぱ、必ず不可能になる。
「もうダメだ」と思ったら、必ずダメになる。
「私は勝つ」そう決めた人間が勝つ。
ゆえに希望の絵を、具体的に、映像が浮かぶように、心に描き出すことだ。

「いつか何とかなる」ではなく、「いつまでに何とかする」。

決めた目標を紙に書いてもいい。声に出して読んでもいい。
勝利の映像を、心の底の底の無意識の層にまで、しみ通らせるのだ。

「できる。できるに決まっている。やるんだ。どんなことがあろうとも、やりとげるのだ」

実現した姿が、はっきりと確信できるところまで、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせることだ。
「希望」は、「確信」にまで固まってこそ、「現実」となる。

『先駆』とは、邪悪と戦う先駆

2008-03-05 22:34:26 | 随筆
何ゆえに、九州には、繰り返し、悪人や悪坊主が紛然として現れてきたのか。まさに、これこそ、大九州が邪悪な魔軍との攻防戦の主戦場であった証拠である。大聖人の受けられた大難について、「日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり」と御聖訓にある。広宣流布は、仏と魔との戦いである。ゆえに、仏の勢力が奮い立てば、魔も強く競い起こるのである。難があるから、信心が強くなる。魔と戦うからこそ仏の生命が現れるのだ。ともあれ、『先駆』とは、邪悪と戦う先駆だ!自らの戦いで魔を呼び起こしては、木っ端微塵に打ち破り、完勝の旗を高々と翻らせる! これが、わが九州の永遠の名誉の称号なのだ!

「日に日に新たに」

2006-11-30 01:36:29 | 随筆
1998年1月4日 随筆 新・人間革命 1 


 新しき年。偉大な境涯の旭日は昇る。
 正月二日――。
 東京牧口記念会館にて、敬愛するわが友と、「民衆勝利の年」の出発。
 この日は、私の七十歳の誕生日。個人的なことながら、世界の同志が祝福してくださった。申し訳なく、また嬉しい。
 小説『新・人間革命』第一巻の単行本も、この日付で発刊。少しでも皆の励みになればと願う。
 出版の労をとられた関係者の方々、そして、読者の皆様に心から感謝。


 かつて、三十歳の誕生日を約一ヶ月後に控えた、懐かしき日記に、私は、こう記していた。
 「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」病弱のため、医師から、三十歳まで生きられないだろうと言われたわが生命、戸田先生はそんな私を誰よりも心配され、厳愛の指導を続けてくださった。
 激しき法戦の明け暮れ。病に苦しみ、疲労困憊した私に、先生は言われた。
 「三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊にぶつかれ。そして、すべてを打開せよ」「いつ臨終になっても、悠然と、従容たる人生であれ、信心であれ」生命を貫く、厳父の声。
 また、ある時は、「私の命をやろう!生きぬけ、私に代わって、断じて生き抜け!」とも。

 師に生命を吹き込まれ、病魔の宿命に打ち勝ち、迎える三十歳。その感慨を胸に、十年ごとの人生の来し方と未来の指標を、日記につづっている。

 十歳まで ・・・・ 平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代
 二十歳まで ・・・・ 自我の目覚め、病魔との闘い
 三十歳まで ・・・・ 仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い
 四十歳まで ・・・・ 教学の完成と実践の完成
 五十歳まで ・・・・ 社会への宣言
 六十歳 ・・・・ 日本の広布の基盤完成

 しかし、日記には、六十歳から先のことは、触れていない。それ以上、生きぬけるとは、とうてい、考えられなかったからである。
 私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢五十八歳が、目前の晩秋であった。

 先生がご存命ならば、間もなく九十八歳。先生の命を分けていただいての、わが「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。
 かのユゴーは、七十歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、七十歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。
 牧口先生は、七十歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論戦の火蓋を切られた。
 法悟空も、『新・人間革命』第八巻の執筆に余念がない。間もなく、連載も再開となる。
 ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉。

 七十歳まで ・・・・ 新しき人間主義の哲理を確立
 八十歳まで ・・・・ 世界広布の基盤完成なる哉

 こにあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。

 ゲーテは、七十余歳の詩にうたった。
 「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』 なんでもないことさ、つねに大いなるものに喜びを感じることだ」(「不老長寿の薬」内藤道雄訳)
 わが生涯は、広宣流布への大いなる旅路。眼前には、二十一世紀の希望の山並み。
 ”第三の人生”とは、”第三の青春”の異名である。「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)
 この一年も、勇猛精進の日々をと、断固と誓う。

人に頼ろうとするから

2006-09-15 18:06:37 | 随筆
人に頼ろうとするから力がつかない。筆が弱くなる。甘えが生じる。大人数(おおにんずう)だから、恵まれた環境だから、優れた仕事ができるわけではない。実際は逆のケースが多い。「使命」を自覚したとき、力が出る。「責任」に徹したとき、智慧が涌く。

戦う勤行を

2006-03-19 18:04:20 | 随筆
日蓮仏法の「一念三千」の法理は、一念の偉大な転換が三千諸法の転換を可能にすることを教えている。一念が変われば、自分が変わる。自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる。この大変革の根源をたずねれば、御本尊に向かう自分自身の「祈り」の革命的深化にほかならない。祈りは、いわゆる「おすがり信仰」とは全く違うのだ。弱々しく、漠然と、誰かにお願いするものではないのだ。

祈りとは本来、「誓願」である。「必ずこうする」という誓いであり、明確な目標に挑み立つ宣言である。であるならば、自身の「人間革命」と、世界平和をめざしゆく「広宣流布」の誓願に勝るものがあろうか!自身の苦悩と戦いながら、友の幸福を祈り、創価の勝利を祈る。組織の活動の目標があれば、その達成を祈る。

「三類の強敵」との攻防戦では、正義なればこそ断じて勝つと、猛然と祈る。そして、勇んで打って出るのだ。この「誓願の祈り」「戦う勤行」を貫いてきたからこそ、学会は邪悪をすべて打ち破り、ありとあらゆる法戦に、一切勝ってきたのである。だから学会員には、無量の智慧と力がわき、勝利、また勝利の功徳が満ちあふれるのだ!

「祈る人間には退却というものはない」とは、マハトマ・ガンジーが叫んだ有名な言葉である。伝統の二月を、わが同志は意気高く走り始めた。思えば、あの広宣流布の突破口を開いた「二月闘争」を勝利した根源の力も、「絶対に勝つ!」と決めた真剣なる祈りであった。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(同一一九二ページ)今再び、我々は、この御聖訓を深く拝して、勝利と栄光と所願満足のために、立ち上がるのだ!

前進だ! 前進だ! 白馬が駆けるが如く、堂々と、生気はつらつたる勤行を原動力としながら、異体同心で戦おうではないか! 今日も、明日も、そして、この一年も、 戦い勝っていくのだ。戦いゆく人は幸福だ。勝利する人もまた幸福だ。これが人生である。かつて私は、戸田先生に、自身の誓いを込めて、一句を贈った。

猛然と 祈り動いて 弟子の道

涌出せよ! 新しき力 新しき闘士

2006-01-30 23:35:01 | 随筆
〝一カ月のうちに一世紀が過ぎた! 私たちのまわりのすべてが変わった!″ 一八四八年の二月二十二日、フランス・パリに勃発した「二月革命」について、歴史家ミシュレは、青年たちにこう語ったそっだ。

何がここまで、彼を感動させ、驚嘆させたのか。それは、怒涛のごとき、新しい力――名もなき「民衆」の台頭であった。 この「革命」が起こって間もなく、かの文豪ユゴーは、四十六歳の誕生日を迎えている(二月二十六日)。

彼、ユゴーは、革命のさなか、民衆に呼びかけ、治安を守るための自警団を結成した。  民衆同士が交代で、見張りや見回りをする組織である。 ある場所に、少年の面影を残す青年が、凛々しく見張りに立っていた。 驚いたことに、青年は、交代もせずに、十七時間連続で立ち続けていた。一睡もしていないという。

 心配したユゴーが、「食事は?」と聞くと、済ませたと言って、平然としている。  「そうか、食べ物を取りにいったんだね」  ユゴーが少し安心すると、青年はきっばりと答えた。  「いいえ! とんでもない! 見張りが持ち場を離れるわけがないでしょう」  自らの使命の場を、死守してみせる! まことに頼もしい決意の姿である。

 実は、青年は、空腹に我慢できなくなると、向かいの商店に大声を張り上げた。  「腹ぺこだよ!」  その声を聞くと、店の人が、快くパンを持ってきてくれたというのである。  民衆を厳護せんと、使命に燃える青年の姿は、まさに、われらが創価班、牙城会などの雄姿を彷彿させる。

 そして、その青年を温かく見守り、励ます人びと――わが壮年・婦人部を思わせる、なんと尊く、麗しき光景であろうか。  わが「創価の民衆運動」が大発展してきたのも、常に、青年が雄々しく立ち上がってきたからだ。そしてその青年を大事にし、励まし、青年を育成してきたからだ。

 「二月革命」は、当時のフランス政府の悪政に対して、生活苦にあえぐ民衆の怒りが爆発したことから始まる。  二月二十二日、激しいデモが起こり、二日後の二十四日には、民衆はパリの市庁舎などを占拠。さらに、議会にも立ち入り、「共和政」を要求するに至っている。

 ――この二十余年後に火災で焼失し、再建された今のパリ市庁舎で、一九八七年、私は、シラク首相(パリ市長兼務。現大統領)と会見した。  二十一世紀の「平和」と「文化」の道を語り合ったことが懐かしい。

 「二月革命」には、さまざまな評価があるが、最大の改革は、王政から共和政への移行に続く、普通選挙制の導入であったといわれる。  その結果、それまで二十五万人であった有権者は、九百万人にまで拡大された。

 まさに「民衆の声」が時代の闇に閃光を放ち、新時代を告げたのだ。  新しい力は、民衆のなかにある。その希望と創造のパワーを引き出すことだ。  それが、二十一世紀を正しく導く唯一の方途であると、私は信じている。

 思えば、五十年前の蒲田支部の「二月闘争」も、一つの「革命」であった。

 当時、戸田先生は、明確に「『組』が焦点だ!」とおっしゃっていた。「組」は今の「ブロック」である。  ところが、多くの幹部は、心のどこかに、〝「組」では戦えない。組長は信心が新しいし、経験も、力もない″という先入親があった。  だが、私は、先生が示された広布の指針には、必ず深い意味があると直感した。

 弟子が、師と心を一つにして戦ってこそ、師弟は不二となる。 私は、師の一言一句、軽々に聞き流すことは絶対にできなかった。  「組」中心とは、いかなる戦いなのか?  私は真剣に悩み、思索し、祈りに祈った。

 私が出した結論は、「組」が「地区」「支部」に従属するというような発想を変え、むしろ組織あげて「組」を支え、応援するということであった。  発想の革命であり、組織を貫く思想の革命である。  組長は信心が未熟だ、経験が浅いというなら、真剣に励まし、育成すればいいではないか! そのための組織ではないか!

 最前線に、陸続と「新しい闘士」が育っていかなければ、どうして広宣流布できようか。  皆が〝主役″となってこそ、民衆の革命ではないか。  徹して「一人」を大事にするには、むしろ「組」中心の活動こそふさわしい。

 大きい会合たと、幹部の話も一方通行になりがちたが、「組」なら、じつくり対話ができる。  ゆえに、幹部は、「人を集める」ことで、よしとするのではなく、自らが第一線に飛び込み、「直接、一人ひとりに会う」ことだ!

 新しい人材を見つけ、新しい人材を育てる道は、一対一の対話で、激励・指導を積み重ねる以外にない。  私は、自ら「対話」と「激励」の闘魂となって、蒲田支部中を走りに走った。  ある時は、同志の前に立ってリードし、ある時は、並んで肩を組み、またある時は、わが友の後ろから背中を押してあげながら。

 そのなかで、新しい力が、新しい顔が、生き生きと活躍し始めた。その歓喜がまた、怒涛の勢いを生んだ。 そこには、停滞も、行き詰まりもない。無限の広宣流布の発展がある。  やがて「二月闘争」の結果が出た。「弘教二百一世帯」という空前の拡大で、それまでの壁は、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。  また、「一人を大切に」という仏法の人間主義を、師の構想の正しさを、赫々と宣揚できたことが嬉しかった。

 革命の大波は、千波万波と拡大する。  フランスの「二月革命」の炎は、瞬く間にドイツ、オーストリアヘ飛び火し、「三月革命」が発生。さらに、イタリアをはじめ、チェコ、ハンガリーでは、民族独立運動が本格化していった。 「革命の年」といわれる、この一八四八年は、「諸国民の春」とも呼ばれる。

 われらの「二月闘争」も、「三月闘争」、さらに「四月闘争」へと、民衆勝利の潮流を拡大していった。この方程式は今も変わらない。  「さあ、哲学者たちよ」と、ユゴーは叫んだ。  「おしえよ、知識を与えよ、燃えたたせよ、考えていることをかくさず言え、大声で話せ、白日のもとを嬉々として駆けよ」「思想の竜巻を起こせ」(辻昶訳)

 慈悲と正義の宝剣を持つ、創価の哲人たちよ! 竜巻のごとく、いよいよ語り抜け、叫び抜け、走り抜け!  栄光と歓喜に輝く、新しき「創価の春」を開くのだ!

 2002.2.26 掲載

対談「媒介者」としてのメディアの意味。

2005-06-30 01:17:21 | 随筆
「憎しみの連鎖」が巻き起こる世界の中、
メディアの真のあり方を問う。

神戸女学院大学文学部総合文化学科教授  村上直之
フリー・ジャーナリスト 東 晋平

※対談者相互で了解し合った結果、雑誌掲載内容に一部加筆しました。

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コミュニケーションに不可欠な媒介者

東 村上先生が95年に世に問われた『近代ジャーナリズムの誕生』(岩波書店)は、ジャーナリストやメディア研究者にとって、既に〝古典的な〟名著でありながら、今もなお数多くの新鮮な示唆と刺激を与えてくれます。

村上 今日、メディアという言葉はハード面の〈媒体〉という意味でしか使われませんが、より根源的には〈媒介者〉という意味です。従来、ジャーナリズム論とメディア論は別々に論じられてきましたが、あの本を書いた当時も今も、私の関心はこの両者をいかにトータルに捉えるかにあります。

 マクロな視点からは、ジャーナリズムの規範原理として、政府と国民のあいだを媒介する、自由で独立したメディエーター(媒介者)という役割があります。他方、よりミクロな面では、人間関係における媒介者の役割があります。

 哲学は、しばしば自己と他者という二項関係を論じてきましたが、人間のコミュニケーションの成立には媒介者という第三項が不可欠であることを忘れてきたのです。

東 おっしゃるとおり、人間にとって、自身との内省的な対話や、他者との開かれた対話を促し、人と人とを結び合わせていく「善き友」の存在は不可欠です。そういう〈媒介者〉を得て、私たちは真の意味で、自分の人生を社会的に意味あるものへと開くことができます。

村上 97年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件をめぐって、東さんは亡くなった山下彩花ちゃんの遺族と対話を続け、母・山下京子さんと共に、今日まで3冊の手記を出され、社会に大きな反響と共感を呼びました。

 東さんはご遺族にとっても社会にとっても、まさに〈媒介者〉としてジャーナリズムの根源的な役割を果たされてきたと思います。

東 温かい評価をいただき、ありがとうございます。

村上 突然、わが娘を奪われた被害者が、加害者あるいは社会に、どう向かい合っていくのか。一連の手記は、今日の世界を覆っている「憎しみの連鎖」を断ち切る視座を内包しています。

 今やっと媒介者としてのジャーナリズムを考えることの重要性や緊急性が認識されはじめたと思います。


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「憎しみの連鎖」を超越するメディア

村上 ここで、2002年にイスラエルで公開された『マイ・テロリスト』というドキュメンタリーを紹介しましょう。銃撃テロに遭ったユーリー・ゲルステルという女性の20数年の軌跡を描いた60分ほどの映画です。

東 翌03年、アムステルダムで開催された国際ドキュメンタリー映画祭で銀狼賞を受賞し、世界各地で上映されていますね。日本では同年3月、NHK衛星第1で『テロリストと私――和解への願い』というタイトルで放映されました。

村上 1978年8月、ロンドンに到着したエルアル・イスラエル航空のスチュワーデスたちがバスで移動中、テロに遭います。ユーリーは右腕に被弾しただけで助かりますが、同僚の18歳のイリットは即死、合わせて死亡者2名、負傷者8名の惨事でした。

 犯人はパレスチナ解放戦線の、ファハドというイラク生れの22歳の男でした。終身刑を宣告され、イギリス国内の刑務所に服役します。

 それから22年、2人の娘の母親となったユーリーは、友人の写真家の仕事を手伝う中で、パレスチナ人の悲惨な実態にはじめて接します。彼女は、これがテロリストを生む土壌だと思い、ふとファハドのことが気になります。やがて彼の消息を知ったユーリーは、獄中のファハドに手紙を出します。

 彼との文通は、「なぜ生き残ったのが友達のイリットでなく自分なのか」という長年の罪責感からユーリーを解放します。と同時に、彼女は、イスラエルとアラブの「憎しみの連鎖」を断ち切るために、ファハドの釈放嘆願の運動を起こすのです。

東 ユーリーの運動を取り上げたテレビ局の討論番組で、「あなたは犯人をゆるすのか」という司会者の問いに、彼女がきっぱり「はい」と答えるシーンがありました。しかし、アラブを憎悪する同胞や、死んだイリットの母親からは拒絶されます。

村上 カメラは、中東戦争の和解への模索と挫折の歴史を織りまぜつつ、周囲の猛反発と非難を浴びながらも行動するユーリーを追います。

 ところが、2001年の同時多発テロのニュースは、ユーリーにファハドへの怒りと憎しみを甦らせ、「自分の行為は間違っているのではないか」と、恐怖と絶望に打ちのめされます。しかし結局、ユーリーは釈放嘆願書に署名します。そして最後に、次のような彼女の言葉を伝えます。

 「当初、私は、1人のテロリストを釈放することでテロそのものがなくなるのではないかと考えていました。しかし今、あらためて実感しています。テロをなくす唯一の希望は恐怖を克服し、互いに理解し合うことにあるのだ、と」。

 けれどカメラは、2人の娘の外出に異常なほど神経質な母親ユーリーの日常を淡々と映しながら終わります。彼女の心の傷は癒えてはいないのです。

東 ユーリーの内面で「対話の扉」が開くきっかけとなったのは、パレスチナ人の悲惨を告発する写真でした。写真というジャーナリズムが、パレスチナ人の置かれている悲惨な現実を、イスラエル人であるユーリーに教えたわけですね。

村上 そうです。さらに「9・11」テロで恐慌を来したユーリーと対話し、彼女の決意を新たにさせたのが、パレスチナ入植地を15年間取材してきたギデオン・レヴィというジャーナリストでした。

 彼は語ります。ユダヤ人はホロコーストという悲惨を経験した。だが、今、イスラエルはパレスチナに対して加害者なのだ。同時テロは、パレスチナ、イスラエルの問題とは直接かかわりはない。イスラエル人は常に被害者の立場に身を置こうとするが、それは間違っている、と。

東 つまり、これらジャーナリズムは、相手の立場に立つこと、客観的な目線で自分たちの姿を見ることを、ユーリーに気づかせました。

村上 しかも、ここで強調したいのは、このドキュメンタリーを制作したのがユーリー本人だということです。恐怖にさいなまれながらも、恐怖を克服して行動しようとする姿を示すことで、彼女自身がメディア(媒介者)になっています。

東 あたかも「メディアの連鎖」が「憎しみの連鎖」を超克しようとしているかのようです。揺れ動きながらも前に進もうとする。そこに人間ならではの光彩があるはずです。


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二元論の対立を乗り越えていくまなざし

村上 このドキュメンタリーが素晴らしいのは、ユーリーが周囲の猛反対の中で加害者を「ゆるす」という結論を出したあとでも、揺れ動く姿を伝えていることです。

 ひるがえって、近年のさまざまな事件報道を見ると、メディアの論調そのものが「ゆるす」「ゆるさない」という感情的で単純な二元論で思考停止しているようで、不気味です。

東 そのことは、逆にゆるす余地がないと思われるような相手に対する、徹底した憎悪と罵倒のキャンペーンとなって現れていますね。オウム真理教の教祖や大阪教育大学附属小学校乱入事件の犯人のような、改悛の情なき加害者に対してはもちろん、和歌山カレー事件の被告や酒鬼薔薇事件の加害男性に対しても、逮捕直後から凄まじい量で私刑まがいのバッシングがなされました。

村上 むしろ、「ゆるしたいけれども、ゆるせない」「ゆるせないけれど、憎み続けることはやめたい」という苦悩と葛藤に対してこそ、ジャーナリズムの役割があるはずです。揺れ動く心に寄り添いながら、葛藤や対立を乗り越えていくためにどうすべきか。『マイ・テロリスト』はその希望の指針を示しているのです。

東 今年の元日をもって、酒鬼薔薇事件の加害男性は少年院を正式に退院しました。それに先だって出された山下京子さんのコメントが、静かな反響を呼びました。

村上 そのコメントは、私も新聞で読みました。彼の中の善なるものを信じ、退院後の彼が善を引き出せる人と出会えることを願う――という内容に心打たれました。

東 「善を引き出せる人との出会い」とは、まさに善き媒介者との出会いということです。

村上 マスコミの多くが、加害男性の病理が完治したのか否かに拘泥する中で、まったく別の視点からアプローチをされたと思います。「完治したのか否か。再犯の可能性があるのかないのか」をいくら論じても不安や不信を煽るばかりで、現実的な解決にはなりません。山下さんと東さんの共同作業に『マイ・テロリスト』と同質の役割を感じたのです。

東 私と山下さん夫妻が尊重したのは、アメリカの宗教哲学者パウル・ティリッヒのいうところの「それにもかかわらず」という姿勢でした。抜き差しならない状況に追い込まれたときに、それにもかかわらず、勝利と価値の方向へ自身を転じてみせようとする一念。ここにこそ、勝れて人間的な善性の発露があると思うのです。

村上 『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)への寄稿で、東さんは「悲劇のままで過ぎ去らせては、彩花ちゃんの生きた時間が社会に悲しみと人間への絶望感を残すだけの人生で終わってしまうと考えた」と述べ、手記の出版企画は「最も絶望している側から社会に希望を発信するという、彩花ちゃんの逆転勝利のためへの挑戦でした」と告白されています。

 山下さんは、「東さんと出会えていなかったら、とても今日あるように蘇生できなかった」と折に触れて発言しておられますね。この逆転の論理はどうして可能だったのでしょう。


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絶望から希望へ――仏教思想の智慧

東 著者である山下京子さんと構成者である私との間で交わされたのは、仏教思想を基調とした「生と死」をめぐる対話でした。それはそのまま、京子さんと亡き彩花ちゃんとの内なる対話となりました。

 命と命の結びつきを見つめながら、彩花ちゃんの短い人生を忌まわしい〝宿命〟ではなく、深い意味のある〝使命〟へと捉え直していったのです。

 断固として希望を切り開いてみせる――それが、非道な犯罪に対する私たちの決意でした。

村上 東さんが単なる取材者ではなく、宗教への深い理解をもったジャーナリストだったことは、山下さんにとって幸運なことでした。

 逆に、これまでの犯罪や事故の被害者へのメディアの取材とは何だったのでしょう。取材者は、事件の悲惨さを伝えるために、被害者家族が悲しみや憎しみの感情を一生持ち続けることを要求するかのように、怒る被害者、悲しむ被害者という固定した役割を押しつけてきました。

 最近出版された『〈犯罪被害者〉が報道を変える』(高橋シズエ他編、岩波書店)はそうした紋切り型からの脱皮が試みていますが、社会と事件関係者に「希望」を媒介するという視点は見えません。

東 一般に、宗教の役割は何らかの教義を提示することにあり、信じたい人がそれを信じ、安らぎを得られればよいと考えられがちです。

 しかし私は、もはやそれでは現実の人間の苦悩や課題に対して、やはり無力の誹りを免れないと思います。

 もっと普遍的に万人が受容できる智慧を提供し、対話を通して人々が現実の人生を踏み出すことを可能にし、その自立を後押しするようなあり方こそ、今日に求められる「人間のための宗教」の役割ではないかと考えます。

 仏教はむしろ本来、「こう信じなければならない」という画一的な押しつけを避け、どうすれば目の前の人が希望と勇気を生み出せるかに力点を置く宗教です。われわれも、新しい価値創造の物語を生み出すために、どう考えていくことが賢明かという思索を慎重に重ねてきました。

村上 キリスト教には、「キリストのまねび(Imitation of Jesus)」という言葉があります。「ゆるす」ということでは、「ゆるすことができるのは神のみである」というのがキリスト教思想の根底にあります。裁くのも神だけだからです。信者はキリストにならって、自分もまた相手をゆるそうとします。キリストもまた媒介者なのです。

 四月二日に亡くなった教皇ヨハネ・パウロ二世が、〇二年の「世界平和の日」に宣言した「正義なしに平和はなく、ゆるしなしに正義はない」という言葉も、「キリストのまねび」ということを考えれば理解できるでしょう。高邁で美しい言葉ですが、普通の人間にはとても困難です。

東 ユーリーはユダヤ人ですが、そういう意味で「ゆるす」「ゆるさない」という二元論に常にとらわれていますね。これはアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に共通する伝統でしょうか。

 この点、仏教的思考においては「ゆるすか否か」という問題は、さほど重要ではないように思います。被害者がゆるそうがゆるすまいが、加害者は自身の生命に刻印した因果律から逃れることはできないからです。

 それよりも、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」という言葉に象徴されるように、一つの悲劇に遭遇した当事者が、マイナスをプラスに転じ、そこから再び勝利していけるのか否かのほうが、仏教ではより重要なテーマになるのだと思います。

村上 山下さん夫妻もまた当初は「ゆるすか否か」の前で葛藤し、「自分たちは幸福になってはいけない」とさえ思い詰めていました。それに対し、東さんは「親子一体と確信して、ご自分が幸福になっていくことが一番大事なのです」と語られます。

 やがて、ご夫妻は「もう憎まなくていいよ」という亡き娘の声を心に感じとり「憎しみ」の呪縛を断ち切っていきます。ここに、絶望から希望への転換点があったのですね。

 そこから、自分の人生を肯定し、社会を肯定するまなざしを得ていかれます。この「希望の哲学」が多くの読者に希望を与え、加害者に対しても深い感銘を与えているはずです。

東 縁起や業という仏教思想は、起きた出来事や他者を客体化せず、あえて自身の生命との深い連関上に位置づけようとします。

 たとえば無神論者は「すべては偶然だ」と考えるでしょうし、一神教の徒であれば「神の思し召しだ」と受け止めるでしょう。

 これに対し仏教思想は、今世だけではない三世を貫く時間軸の中で、過去において何らかの因をわが生命に刻印していた結果として、今の出来事なり他者との遭遇があるのだと見ていくのです。

 重要なことは、それが真実か否かということよりも、そういうふうに見ていった時に何が生まれるかということです。

 外なる出来事について、じつは自分の生命に何らかの因、何らかの接点が内包されているならば、事態を動かしていく力点もまたわが生命の内側に見出せるはずです。それは、あらゆる運命をわが内的必然と敢然と引き受けつつも、自身が主体者となり、自身の変革から新しい希望を切り開こうとする思想です。

 この自己規律の視点と発想はまた、とりわけジャーナリストという職業にとっても重要なものではないでしょうか。ジャーナリストが、自分の生命の痛みや錬磨とは無縁なところで単なる対象物として他者の身の上の事件や事故を眺めているところに、無責任な「劇場型メディア」や、さまざまな報道被害の生まれる陥穽が潜んでいるように思われるのです。

村上 東さんは信仰者であることとジャーナリストであることをいかに一致させるかに心を砕いてこられたようです。私は、今やすべての信仰者がジャーナリストとしての自覚をもつべき時代だと考えています。

 というのは、近代ジャーナリズムの誕生以前、宗教家がジャーナリストの役割を果たしていたという歴史的事実があるからです。

 イギリスでは、ブロードサイドという「犯罪者の告白」を語るバラッド詩の載った刷り物がよく売れました。監獄の教誨師が書いたものです。また、日曜の礼拝時、牧師は犯罪や災害について語りました。聖書は過去の古典ですが、説教の場で現実の事件とともに語ることによって、聖書の世界そのものをたえず更新していたわけです。

 日本でも同様で、中世には熊野比丘尼たちが辻々で曼荼羅図の絵解きというかたちで説法を行なっていたし、近世には因果応報を物語るかわら版が民衆に親しまれました。


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「現世教」としてのマス・メディアの終焉

東 宗教という言葉で思い起こしましたが、村上先生は、「現世教としてのマス・メディア」というアイロニーに満ちた、しかし本質を突いた指摘をなさっていますね。

 近代ジャーナリズムは常に新しさを追うため〈今〉〈ここ〉というまなざしのみで世の中を切り取っていく。あたかも「現世こそすべてだ」という教義を伝道する「現世教の司祭」だ、とする村上先生の描写は、多くの人びとに新鮮なインスピレーションを与えています。

村上 朝晩と更新される新聞やテレビのニュースと広告によって、私たちの感情と欲望がたえず更新されます。日々繰り返し行なっているこの営為は、教会のように人々を一つところに参集させないままに、〈今、ここ〉〈次は何?〉という刺激を与え続ける巨大な儀礼だということです。

 こうした感情と欲望の更新なしには産業社会は存立できません。じつは、近代ジャーナリズムの草創期に、哲学者のヘーゲルも同様の指摘をしていることをあとで知りました。

東 いわば朝晩という定時毎にニュースをリニューアルしてきた既存メディアに対し、インターネット上の情報は24時間、不定時にリニューアルされ続けます。先生は10年前から、ネット時代の到来によって、近代ジャーナリズムの儀礼性が崩壊するだろうと指摘されていました。

村上 ライブドアとニッポン放送・フジテレビそしてソフトバンクという新旧メディアの攻防は、それを象徴しています。8年前、ジャーナリストの柴山哲也氏も「日本型メディア・システムの崩壊」を予言しましたが、私たちは今やリアルタイムでその崩壊を経験しつつあります。

 それは大量生産・大量消費を支えてきた、巨大な儀礼としての近代ジャーナリズムの役割が終わって、より微分化され分散していく時代の到来といってよいでしょう。

 別の観点からすれば、半世紀前、言論弾圧で獄死した科学哲学者の戸坂潤が「現代は誰もがジャーナリストでなければならない」と語っていますが、そうした時代の到来でもあります。

東 重要なご指摘です。


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他者を受け入れようとする哲学の確立

村上 ところで、今日の哲学は「他者」とはいかに理解不能な存在かを証明しようと、思考の迷路めぐりを楽しんでいるかのような傾向があります。一方、メディアは、たとえば精神障害者をもっと厳しく隔離せよというように排除の論理を煽っています。これらは同じ時代の精神状況のなせるわざです。

東 その先鞭をつけている一つが、一部週刊誌に散見されるような、ジャーナリズムの体すらなさない中傷報道でしょう。責任ある批判と、悪意の中傷は、似て非なるものです。

 日本では、しばしば「寛容」と「悪への黙認」が混同されてきました。こうした精神性の弱点は、メディア相互における批判の欠如という現象にも現れています。しかし、メディアが媒介者として復権していくことは、表裏一体で、「分断と不信を煽る思想・言論」への容赦ない批判を伴う必要があると思います。

村上 メディアが媒介者であるどころか、逆に人々を分断する役割を果している背後には、他者と社会への不信感の蔓延があるでしょう。今や「他者」への寛容と信頼を育む思想哲学が衰弱しているのです。

 この数年、本屋に並ぶ啓蒙書の多くが「○○力」と題されていますが、この国の〝力〟崇拝の精神状況を端的に物語っています。その最たるものが「文化力」という言葉でしょう。文化は力(パワー)とは正反対のもののはずです。身体が力を渇望するのは衰弱の兆候です。衰えた身体が「異物」を受けつけないのはしかたないですが、精神が「他者」を受容できない状態はもっと深刻です。

 なぜなら〝力〟崇拝が個人から集団そして国家にいたるまで侵蝕している現状は、かつてナチス・ドイツに追われた社会哲学者アドルノたちが「ファシズム症候群」と名づけた状況そのものだからです。

東 宗教(Religion)という言葉の原義は〈再び結び合う〉ですね。今や神と人をではなく、人と人とを再び結び合う「対話の宗教」「対話の哲学」こそ時代の要請です。

 昨年お会いした平和学の父・ガルトゥング博士は、「ピース・ジャーナリズム」という概念を提唱しています。単なる紛争報道ではなく、対立の要因を探り、紛争を平和へと転換していく。対立でも妥協でもない、ジャーナリストが〈媒介者〉として関わることによって、双方が紛争の前よりもより善くなれる第三の道を開こうとするジャーナリズムです。博士は、「ピース・ジャーナリズム」の哲学的支柱としては、仏教思想が一番適していると述べていました。

 村上先生は冒頭でメディアも〈媒介者〉という、宗教と相通じ合う原義を有することを示されました。私たちは今こそメディアを原点に立ち返らせ、それがどこまでも〝人間のため〟にある、そのことへの自覚を強く促したいと思うのです。

村上 それを可能にするかどうかは、従来メディアの「受け手」と呼ばれてきた私たち一人ひとりにかかっているともいえます。日々の人間関係において、私たちは互いに〈媒介者〉つまりメディアであるということの自覚からすべては始まるのです。なんだか話が振りだしに戻ってしまいましたね。

「ありがとう」の言葉

2004-05-31 00:37:54 | 随筆
「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている。成長しているとき、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。家庭でも、「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と自分の思い通りに妻や子どもに変えようとしないで、まず「ありがとう」と言ってはどうだろう。(人生はすばらしい5/29)

わが心の大地にも確信の種をまこう

2004-05-31 00:37:12 | 随筆
 わが心の大地にも、まこう。「確信の種」を。「御本尊をたもった私は最高に福運があるんだ!」「私の祈りはいつだって叶うのだ!」確信の種をまけば、その種の中に、すでに幸福の花の実も包まれている。「自分なんか」と疑いの種をまけば、雑草が芽吹く。「もうこれまでだ」と、自分で自分の限界を決めてしまえば、幸福の木の成長はぴたっと止まる。
 育つ力。伸びゆく力。すべての行き詰まりを晴れ晴れと開き、荒野をも緑野に変えていく力。その希望の力は、あなた自身の胸にある。未来を疑わぬ、あなた自身の生命の大地から湧きたってくる。「もっとできる。もっと伸びる。もっと大きな自分になれる」生きるとは、信仰とは成長し続ける戦いである。(我がふるさとは世界5/9)