夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

信心の要諦

2009-02-24 09:22:01 | 小説「新・人間革命」
「せっかくの機会ですので、信心の要諦について、話をさせていただきます。
 信心したからといっても、人生に平坦な道などありません。むしろ、苦楽の起伏があり、波浪も逆巻くのが、人間社会の実相です。苦しいこと、辛いこと、悲しいことがあって当然です。
 その時こそ、ただひたすら、題目を唱え抜いていくんです。そうすれば、仏法の法理に照らして、必ずや打開できることは間違いない。それを生涯にわたって繰り返し、広宣流布のために戦い続けていくなかに、人間革命があり、絶対的幸福境涯を築き上げていくことができる。それが信仰の道です。
 だから、何があっても、信心から離れるようなことがあってはならない。
 また、広宣流布を進めるうえで重要なのは団結です。ともすれば人間は、慣れてくるとわがままになり、自分のエゴが出てくる。そして、派閥をつくったり、組織を自分のために利用しようとするようになる。
 それが、大聖人が仰せの『外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし』(御書九五七ページ)の姿なんです。
 わがままな自分と戦い、広宣流布のために心を合わせ、団結していこうという一念のなかに、信心の血脈がある。仲良くしていくことが、信心の鉄則です。今日は、この点を確認しておきます」

民衆が自立し、自らの主張を堂々と展開する創価学会

2009-02-14 15:02:54 | 小説「新・人間革命」
言論部の第一回全国大会の会場となった、東京・神田の共立講堂は、全国から集った“言論の闘士”の熱気にわき返っていた。大会では、副理事長の森川一正から、これまで男女青年部によって言論部の第一部が構成されていたが、女子部が言論部の第四部としてスタートすることが発表された。

これによって言論部は、四部体制となった。

さらに、言論活動の報告や、「現代ジャーナリスト批判」「ゆがめられたマスコミ」と題した、言論界の腐敗を鋭く糾弾する主張の発表もあった。幹部指導に続いて、会長山本伸一の講演となった。彼は言論部のこの二年間の活動に敬意を表したあと、広宣流布における言論活動の意義について言及していった。

「言論による時代の建設こそ、民主主義の根本原理であります。私どもが進める広宣流布は、正義の言論を武器とし、民衆を守り、民衆が主役となる人間の勝利の時代を築く運動であります」

そして、彼は、「言論の自由」を永遠に守り続けていかなければならないと語るとともに、「言論の自由」を盾に、無責任で勝手気ままな言論や、真実を歪め、人をたぶらかす、邪悪な言論が横行していることを指摘していった。「言論の自由」とは「嘘やデマを流す自由」では断じてない。伸一は訴えた。

「悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、一部の評論家やジャーナリスト、あるいは指導者によって、日本が左右されてしまえば、いったいどうなるか。そうした邪悪な言論と戦い、その嘘を暴き、人間の“幸福”と真実の“平和”のための新しい世論をつくりあげていくことこそ、言論部の使命であります。

私は、一握りの評論家やジャーナリスト、あるいは一部の“偉い人”だけが、言論の自由を謳歌するような時代は、もはや去ったと叫びたい。また、本来、言論の自由とは、そういう特権階級のためのものではないはずであります。

私どもは、善良なる世論を結集し、燃え上がる民衆の言論戦をもって、新しき時代の幕を開いていこうではありませんか!」

民衆が、堂々と真実を語り、正義を叫ぶことこそ、「言論の自由」の画竜点睛である。「一」の暴言、中傷を聞いたならば、「十」の正論を語り抜く。その言論の戦いのなかにこそ、「声仏事を為す」(御書七〇八ページ)という精神も、生き生きと脈打つのである。伸一は、最後に、どこまでも民衆の味方として、人びとの心を揺り動かす情熱と理念、緻密な論理とを備えた大言論戦の勇者たれと呼びかけ、講演としたのである。

 創価学会の強さは、民衆を組織したことにあると見る識者は多い。しかし、組織したから、学会の強さがつくられたわけではない。その組織のなかで、民衆が自立し、自らの主張を堂々と展開する、社会建設の主役になっていったからこそ、いかなる権力にも屈しない、強靭な民衆の力の連帯が形成されたのである。

8巻 清流

言論を民衆の手に取り戻す

2009-02-14 15:00:19 | 小説「新・人間革命」
一九六二年(同三十七年)の十一月には、言論部の機関誌として月刊雑誌『言論』が創刊された。これは言論部員の意見の発表の場として発刊されたもので、時事問題への論評もあれば、マスコミの学会への批判に対する鋭い反論もあった。

山本伸一は、この第一号に「創刊のことば」を寄稿した。

そのなかで彼は、「文は武よりも強し」との信念のうえから、東西冷戦も、武力の抗争も、「正義の言論戦」によって方向転換させることが可能であると宣言している。

さらに、日蓮大聖人が民衆救済の大慈悲をもって著された御書こそ、「民主主義の大原則たる言論戦の火ぶたを切られた証左である」と強調し、「今こそ広宣流布のため、民衆救済のため、勇ましく正義の言論の剣をとって前進しようではないか」と訴えたのである。

言論の真実の担い手は民衆である。しかし、民衆が自ら、ものを考えることをやめ、自身の権利と尊厳を守るための言論を放棄してきたのが、日本の現実といえた。

伸一は、言論を民衆の手に取り戻すことを、この言論部の使命と考えていた。

言論の力は大きい。それは、人の意識を変え、時代を変える。ゆえに、民衆の支配を目論む権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。マスコミを使って、デマを流し、“極悪人”や“異常者”“狂気”等のレッテルを張り、改革者への嫌悪と恐れをいだかせるというのが、彼らの常套手段といってよい。

民衆の「喝采の時代」を開かんとする創価学会もまた、この言論の暴力に晒され続けて来た。それを打ち砕く、正義の言論を起こさずしては、真実は歪められ、踏みにじられていく。そうなれば、民衆の永遠の勝利はない。 

山本伸一が言論部の育成に力を注いできたのも、まさに、それゆえであった。

8巻 清流

悪を見逃さぬ目をもち、悪とは敢然と戦うこと

2009-02-14 14:57:10 | 小説「新・人間革命」
人間には、誰にも、名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと、懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした生命は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき性癖が噴き出し、心は邪心に染まっていく。ゆえに、大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書一一九〇ページ)と仰せなのである。

信仰とは、己心の魔と仏との戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。

自己の生命の魔性に敗れた、沼山広司・三重子夫婦は、学会の組織や会員を、自分のために利用することしか考えないようになっていったのであろう。

では、どうすれば、こうした問題を防ぐことができるのか。

少しでも、学会の指導に反する行為が見られたならば、相手が誰であろうと、すぐに指摘し、戒めていくという、勇気ある行動をとることである。それが根本的には、学会の組織を守り、相手を守ることにもなる。

ともかく、皆が聡明になることだ。悪を見逃さぬ目をもち、悪とは敢然と戦うことだ――それを訴え続けていく以外にないと、山本伸一は思った。

8巻 清流

“無私の心”で、会員に奉仕し抜くことだ

2009-02-14 14:54:52 | 小説「新・人間革命」
「信心が強盛で、立派なひと人だから、幹部になったんでしょう。それが、どうしてこんな問題を起こすのですか。誰を信じて信心をしていけばよいのですか」

そう考えるのも無理からぬことではあるが、御聖訓に照らしてみれば、不思議なことは何もなかった。御書には、この世界は第六天の魔王の領土であり、魔王は、広宣流布が進み、仏の軍勢にその領土を奪われることを恐れて、ありとあらゆる手を尽くし、法華経の行者を迫害することが述べられている。沼山夫婦の問題も、その一つの現れである。

「三沢抄」には、第六天の魔王が、法華経の行者を悩ませるために、自分の眷属に次のように命令したと仰せである。

「かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ」(御書一四八八ページ)

つまり、弟子檀那の心のなかに入って、仏子を惑わし、広宣流布の前進をとどめさせよというのである。それは、人びとの意表を突き、不信をいだかせるのに、極めて効果のある、魔の現れ方といえよう。

ゆえに、広宣流布が魔軍と仏の魔の戦いである限り、魔は、幹部の不祥事、退転、反逆というかたちとなって、永遠に現れ続けるにちがいない。

だが、何も恐れるには足りない。魔は魔であると見破った時に、打ち破ることができるからである。要は、現象に惑わせるのではなく、“信心の眼”を開き、御書に立ち返ることだ。一見、複雑そうに見える問題も、“信心の眼”で見るならば、すべては明瞭である。

派遣幹部は、必死になって、魔の狙いは信心の心を失わせることにあると、力説していった。

沼山夫婦の後任として派遣された大原清と、彼の妻の久子も、懸命に友の激励に走り抜いた。会員の心に生じた、不信感を拭うには、自分たちが本当の学会のリーダーの在り方を身をもって示し、信心の清流を伝えゆく以外にないというのが、大原夫妻の結論であった。

それには、“無私の心”で、会員に奉仕し抜くことだ。誠心誠意、一人ひとりと語り合うことだ――と彼らは思った。

大原清・久子夫妻の、地道な、そして、堅実な労作業が始まった。

当初、彼らを見る目は、決して、温かいものではなかった。だが、ここに仏道修行
があると心に決め、誠実に、粘り強く、活動を開始したのである。

山本伸一も、十一月初め、この方面を訪問した。

伸一は、友の心に生じた迷いの雲を払い、信仰の太陽が放つ希望の光を、一人ひとりの胸中に送りたかった。また、この地で、奮闘を重ねるメンバーを励ましたかったのである。伸一は、この方面に新たに誕生した会館を訪れ、そこで、幹部の姿勢について訴えていった。

「姿のうえでは、学会についてきているように見えても、心のなかでは自分のために学会を利用しようと考え、卑怯な態度で、信心をしている人もいます。過去にも、そういう人たちが何人かおり、結局は学会に迷惑をかけ、同志を裏切っていきました。だが、その人たちは、今になって、本当に悔いております。それが仏法の厳しさです。

大勢の幹部がおりますゆえに、これからも、学会を利用し、私利私欲を貪り、名聞名利のために、退転していく人も出るでしょう。しかし、皆様方は、絶対にそうなってはならない。あとになって、地獄の苦しみを受けるようでは、信心をしてきた意味がありません。

信心第一に、何があっても、御書に仰せの通りに、純粋に、一途に、自身の一生成仏のために、清らかな信心を貫いていっていただきたいのであります」

8巻 清流

「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心を

2009-02-14 14:31:19 | 小説「新・人間革命」
広布の行動あるところには喜びがあり、そこには功徳の光彩がある。

伸一は、この日の幹部会で、こう語りかけた。

「皆さんの元気いっぱいのお姿を拝見し、これほどの喜びはございません。元気なお姿でありますゆえに、皆さんは、一人残らず大功徳を受けていらっしゃると信じてよろしいでしょうか」

拍手が起こった。伸一は、会場の人びとに尋ねた。

「ちなみに、信心をして功徳を受けたという方は、どれぐらい、いらっしゃいますか。手をあげてみてください」

「はい!」という声とともに一斉に手があがった。

「はい、結構です。手を下ろしてください。これならば、もう私の話は終わらせてもいいんです。皆さんが功徳を受けることが、信心の目的ですから」

場内は、明るい笑いに包まれた。

自分が功徳を受けるための信仰である。また、そのための仏道修行であり、学会活動である。そして、皆に功徳を受けさせるための組織であり、幹部である。この目的を見失う時、組織はみずみずしい活力を失い、停滞し、活動は空転を始める。次いで、伸一は、中部第二本部の会館建設を発表した。参加者の喜びは、万雷の大拍手となって轟いた。

さらに彼は、幸福の要諦は自分の心に打ち勝つことであり、何があっても御本尊を信じ抜く、「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要であることを訴えていった。

「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子供が怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。

また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。

赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。

どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」

愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身の指導であった。

8巻 清流

君が立ち上がればいいんだ!

2009-02-14 14:26:04 | 小説「新・人間革命」
ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。

「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」

即座に、伸一の大きな声が響いた。

「君が立ち上がればいいんだ!」

場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。

「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。私もそうしてきた。戸田先生が亡くなったあと、学会は空中分解すると、世間は噂していた。古い幹部のなかには、先生が亡くなったのをいいことに、わがままになり、身勝手に振る舞う者もいた。学会を食い物にしようと企む者もいた。このままでは本当に空中分解してしまうと、私は思った。だから立ち上がった。そして、総務として、陰の力となって、学会のいっさいの責任を担った。当時、私は三十歳だった。事態が厳しければ、自分が一人立つ――常に、私はその精神でやってきた。

蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。?これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない″と、私は思った。

では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。

なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。?自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう〃と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。

私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」

まさに生命と生命の打ち合いであった。語らいの最後に、伸一はこう付け加えた。

「まだ、私が揮毫した色紙をもらってない人は、後で名前を男子部長の方に出しておきなさい。新しい出発の記念として、みんなへの激励のために、色紙を贈りたいんだ。私が頼りとするのは君たちだ。一緒に広宣流布をやろうじやないか!」

青年の心に触発をもたらしながら、天城での水滸会の夜は更けていった。

8巻 宝剣

学会活動の基本-個人指導

2009-02-14 14:17:31 | 小説「新・人間革命」
学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。また、見方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。

会合も大切であることはいうまでもないが、会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。いわば、個人指導なき活動は、画竜点晴を欠いているといってよい。

ひとくちに個人指導といっても、決して、容易なことではない。

会員のなかには、さまざまな人がいる。会って話すことを拒む人もいれば、子供のころに親と一緒に入会してはいるが、自分は信仰をした覚えはないという人もいるかもしれない。あるいは、学会に著しく批判的な人もいるだろう。さらに、病苦や経済苦などに悩み、未来への希望を見いだせずに悶々としている人もいる。そうした人びとの家を訪ね、知恵を絞って対話の糸口を探し、友情を結び、信仰の大切さを語り、勤行や教学を教えていくことは、並大抵のことではない。

それは、会合で話をしたり、行事の運営をすることより、はるかに難しいにちがいない。しかし、そこにこそ、自身の鍛錬がある。他者を育成するなかにこそ、自己の成長もあるからだ。また、その労作業のなかに、まことの仏道修行がある。

会合に集って来る人だけを相手に、活動を進めることは楽ではあるが、そこには本当の広宣流布の広がりはない。それでは、海の彼方の岸辺をめざしながら、入り江のなかを巡って満足しているに等しいといえよう。学会活動の主戦場となる舞台は、会合の先にこそあることを、幹部は深く認識しなければならない。

創価学会の真心のネットワークを形成してきたものも、家々を訪問しての個人指導であった。大樹が、網の目のように、地中深く張り巡らされた根によって支えられているごとく、学会を支えているものも、この地道な個人指導の積み重ねであるといってよい。

臆病で怠惰なスタンドプレーヤーには、この勇気と忍耐の労作業を成し遂げることはできない。民衆のなかへ、友のなかへ、人間のなかへと、個人指導の歩みを進める人こそが、仏の使いであり、まことの仏子であり、真正の勇者といえるのだ。

山本伸一は、青年部の幹部が、個人指導に徹していくならば、学会の未来は永遠に磐石であると確信していた。川が流れるにつれて川幅を広げ、水かさを増すように、時代を経るごとに、人の輪が広がり、数多の人材が輩出されていくことになるからである。

しかし、青年部の幹部がそれを怠るならば、学会という大樹の根を、自らの手で断ち切ることに等しい。ゆえに彼は、この女子部の幹部会で、個人指導の大切さを訴えたのである。

さらに伸一は、女子部の帰宅時間についても、言及していった。

「長い長い、広宣流布の旅路であります。無理をして帰宅時間が遅くなり、疲労がたまったり、生活のリズムが狂うようであればマイナスです。また、社会性、常識ということも、十分に考慮していかなくてはなりません。もし、遅くなって、事故に遭いでもしたら、お父さん、お母さんにも申し訳ない限りです。その意味から、女子部は遅くとも、十時には帰宅しているようにしたいと思うのであります。先輩幹部の皆さんも、必ずその時間には帰宅できるように、気を配っていただきたいし、それが守られない場合には、厳重に注意もしていただきたい」

真剣に活動に励めば、あっという間に時間は過ぎ去ってしまうものである。しかし、時間にけじめをつけることによって、有効に時間を活用するための創意工夫も生まれるし、惰性を排することもできる。また、事故も未然に防くことができる。そこに価値の創造がある。

山本伸一は、この女子部幹部会で、未来への指標を与え、学会への的外れな批判を自ら論破し、個人指導という活動の要諦を語り、さらに帰宅時間についてまで、具体的に指導したのである。

8巻 宝剣

幹部は常に自己教育を

2009-02-14 14:11:34 | 小説「新・人間革命」
本部総会が終わって間もなく、伸一は、理事の代表と、戸田城聖の七回忌までの活動の打ち合わせを行った。まず、統監部長の山際洋が、組織の実態を知る資料として、総支部や支部ごとの世帯の伸び率の一覧表を配布した。それを参考にしながら、各組織の検討が始まった。

一人の副理事長が、つぶやくように語った。

「これを見ると、伸びているところと、停滞しているところの差が、だんだん大きくなってきている。全体的に都市部は発展しているが、農村部はかなり遅れが目立つな」

すると、別の副理事長が言った。

「農村部は旧習が探く、折伏が難しいという面もあるが、要は支部長だな。支部長が駄目だと、どうしても組織は伸びない」

その言葉を聞くと、伸一は、この二人の副理事長に尋ねた。

「それでは、あなたたちは、副理事長として、その支部に対して、何をしてきたのですか」

厳しい口調であった。

二人驚いた様子で、気まずそうに、上目遣いで伸一を見た。

「牧口先生は高齢になってからも、たった一人でも会員がいれば、日本中、どこまでも足を運ばれた。そして、そこで折伏を行じられた。これが、学会の幹部の精神であり、幹部の行動であらねばならない。

全国どこへ行っても、支部長も、支部婦人部長も、また、地区部長も、地区担も、皆、必死です。悩みに悩んで、懸命に活動しています。それを、最高幹部でありながら、自らは何もせず、野球でも観戦するかのように、どこの支部が強いとか、弱いとか言っているのは、低級な評論家ではないですか。

自分は苦労もしないで、高みから見下ろし、あれこれ言うのは、官僚主義に毒されている。自分では気づかなくとも、堕落が始まっているんです。

私は、そういう幹部とは、徹底して戦ってきましたが、これからも、断固、戦います。そうでなければ、会員がかわいそうだからです。

戸田先生の七回忌への総仕上げにあたり、まず、なさねばならないことは、全幹部が学会精神に、草創の心に立ち返ることだ。戸田先生は、逝去された年の二月十一日、ご自身の快気祝いと誕生祝いを兼ねた祝宴をもってくださったが、その時に、先生は、なんと言われたか覚えていますか」

伸一は、皆の顔を見渡した。誰も、答える者はいなかった。

「戸田先生は、あの日、最近は指導の成果が出ていないようだと語られた。そして、それは会員のせいではなく、むしろ、根本となる幹部の信心の問題であり、幹部に成長がないことが、その原因であると指摘された。

しかも、その後で、『学会の発展のためには、まず会長である私自身が、しっかりしなければならん。私自身が自分を教育し、磨いていかねばならんと思っている』と言われた。

そのうえで、同様に、各組織にあっては、幹部がしっかりしなければならないと、指導してくださった。つまり、戸田先生は、ご自身の、また、幹部の?自己教育″ということを、叫ばれた。これは、先生の遺言です。常に?自己教育″していける人でなければ、本当の幹部とはいえません。

今、私も、戸田先生と同じ気持ちであり、同じ決意でいます。日々、学び、日々、自分を戒めながら、日々、自己に挑戦し、?自己教育″しています。学会のいっさいは、私の責任であり、私の問題であるからです。その強い自覚があるがゆえに、私は、評論家のような、傍観者のような、無責任な発言は絶対にできないんです。

皆さんも、副理事長ならば、あるいは、理事であるならば、私と同じ決意に立っていただきたい。そうでなければ、何人、理事が増えようが、広宣流布の力にはなりません。かえって足手まといになるだけです。

戸田先生が第二代会長に就任された時、学会は十二支部であり、その十二人の支部長は、命をなげうつ思いで、先生とともに、広宣流布に生き抜こうと心を定めた。清流のごとき清らかさと、滝のごとき勢いで、戦いを開始した。

皆、?地位も、名誉も、財宝もいらない。ただ、ただ広布に走り、この世の使命を果たしていこう″と決意していた。それが学会精神であり、草創の心です。その決意が、広布の原動力となっていった。

このなかには、その時の支部長もいるし、みんな草創からの幹部なんだから、あの生き生きとした心意気を思い起こしていただきたい。そして、まず、ここにいる私たちが、学会精神に、草創の心に帰ろうではありませんか!」

皆の目に決意が光った。伸一は、一人ひとりに、鋭い視線を注ぎながら言った。

「戸田先生の七回忌をめざし、最高幹部が草創の精神を体現していくうえからも、理事長の原山さんをはじめ、全副理事長が本部長として、組織の責任をもっていくようにしたい。責任が明確でないと、どうしても、組織から浮き上がってしまう。そして、そこから、無責任な体質がつくられていく。私は、そうした風潮を、学会から一掃していきたいんです。この人事は、今月の本部幹部会で発表します。もちろん、皆さんだけでなく、私も会長として、これまでの何倍も働きます。徹して、仏子である会員に尽くしていきます。見ていてください」

8巻 布陣