夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

〝悲しみ、苦しみに負けるな〟〝東北よ、勝ち栄えよ〟11/2

2011-11-02 23:52:54 | 名字の言
「おにぎり、おいしかったよ」「忘れないよ。戦った人だもの。礎石をつくった人だもの」。平成6年8月、十和田の研修道場に着いた池田名誉会長はそう言って、出迎えた老夫妻の肩を抱きかかえた▼夫妻は、青森の初代支部長・婦人部長。昭和36年2月、若き名誉会長を迎えるため、青森駅に駆けつけたことがあった。手にいっぱいのおにぎりを持って。それを名誉会長は忘れていなかったのである。このエピソードは本年3月11日付の本紙1面で紹介された。大震災が起きた、その日の紙面だ▼安全宣言が出され、米の出荷が可能となった福島県。農村部の友が収穫を終え、新米を販売した。銘柄は「田舎のお米」。〝負けるものか。自身のいる場所で必ず勝ってみせる!〟という彼の心情と重なり、胸が熱くなる。その米を手にした県外避難の福島の同志も「うん、うん」とうなずき、目を潤ませた。「私も勝つよ」と▼被災者の不屈の一歩一歩は、新生・東北の礎石となっていく。そして、辛酸を嘗めながらも、信心で必死に戦い続けた人は、決して不幸の人生とはならない。それが仏法の教えである▼〝悲しみ、苦しみに負けるな〟〝東北よ、勝ち栄えよ〟――名誉会長の励ましを、友は抱きしめて進む。(城)

成仏とは、自分の可能性を限りなく発揮していくこと 11/1

2011-11-02 23:51:34 | 名字の言
「成仏」を『広辞苑』で引いてみる。「死ぬこと」という説明も載っている。日常会話でも使われよう。もちろんしかし、これが本来の意味ではない▼成仏とは、仏の生命を成くこと。自分の可能性を限りなく発揮していくことをいう。成仏への修行を、日蓮大聖人は「従藍而青」に譬えられた。藍よりして而も青し――藍からしぼった染料を何度も重ねることで、衣は鮮やかな青色に染まる。同じように、いよいよの決意で修行を重ね、自らの生命を仏界に染め抜けとの仰せである▼修行といっても特別なことではない。祈り、学び、支え合い、豊かな教養と思いやりの心を育んでいくことに尽きる。「教養」を英語でいうとカルチャー。原義は“耕す”。人間として成長するには、頭と心を耕すことが欠かせない▼ジャン・ラクロワいわく「教養の目的は、人間的なあらゆる可能性の完全な実現である」(P・フルキエ著『哲学講義』中村雄二郎訳、筑摩書房)。人間能力の全的開花という点において、成仏への歩みと、教養教育(リベラル・アーツ)には、通じるものがあるかもしれない▼創価学会の目的は、全ての人の成仏にある。それはまた、輝く21世紀を開く、リベラル・アーツの民衆運動ともいえるだろう。(克)

福光52

2011-11-02 23:50:29 | 小説「新・人間革命」
 この三月十二日、山本伸一のもとに、数種類の魚を盛りつけた木の舟が届いた。中央には、五キロ以上もある、大きなヒラメが配されていた。

 鈴村アイの夫である裕孝が、「浜通りのおいしい海の幸を、ぜひ、召し上がっていただきたい」と、手配したものであった。

 鈴村は、山本伸一が福島文化会館に到着する前から、知り合いの漁師に、冬から早春にかけてが美味とされる、ヒラメを手に入れたいと頼んでいたのだ。

 「どうしても、大物がほしいのだが……」

 「おっきいヒラメか。難しいべな」

 漁師の答えは、素っ気なかった。

 しかし、「大物が捕れたぁ!」と言って、ヒラメなど、数種類の魚を届けてくれたのだ。

 伸一は、数人の幹部らと、木の舟に盛られた魚を見て、声をあげた。

 「見事なヒラメだね! これは、どなたが届けてくださったの?」

 県幹部が答えた。

 「鈴村裕孝さんです。夫人のアイさんと一緒に、いいヒラメが手に入るように、真剣に唱題したそうです」

 「気を使わせてしまって申し訳ないね」

 そして、伸一は、色紙に歌を認めた。

  

  竜宮の

    ひらめか鯛か

        真心の

   題目海の

      君が幸みむ

  

 「この魚は、みんなでいただこう。鈴村さん夫妻には、県長から、『本当にありがとうございます。真心に感激いたしております』と言って、丁重に、色紙を渡してください。

 私の名代として、私の感謝を、私の真心を、伝え抜いてもらいたいんです。それが励ましになるんです。幹部が事務的になり、ただ渡せばよいという感覚に陥ってしまえば、私の心は伝わりません」

福光51

2011-11-02 23:49:23 | 小説「新・人間革命」
 山本伸一は、「大切なのは生命力ですよ。わかりますね」と、確認するように言い、壮年の反応を見ながら、言葉をついだ。

 「人間は、仕事がなくなってしまえば、落胆するし、ましてや、先が見えない状況になれば、無気力になったり、心がすさんでしまったりしがちです。

 その時に、生命力にあふれ、元気に、勇んで挑戦しようとする姿は、人びとに、かけがえのない勇気を与えます。勇気は、波動していきます。また、学会員の前向きで元気な、生き生きとした挑戦の姿は、仏法の力の証明になります。宗教の力は、人の生き方にこそ、表れるものなんです。

 転職して、新しい仕事に就くとなれば、炭鉱での技能や経験は生かされない場合が多いでしょう。それだけに、挑戦心に富み、元気で、粘り強く、はつらつとしていることが大事になります。企業側も、悲観的で無気力な人を雇おうとは思わないものです。

 つまり、厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という“心の財”は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、“心の財”は壊されません。なくなりもしません。そして、“心の財”から、すべてが築かれていきます。

 いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。

 人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。

 苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」

 「はい、ありがとうございます!」

 壮年は、ほおを紅潮させて答えた。

 オーストラリアの国民的作家で、詩人のヘンリー・ローソンは、うたっている。

 ――「時代は厳しい。しかし、怯んではいけない。勇気をもって戦い続ければ、いつの日か、今の苦しみを笑える時が、必ず来るのだから」(注)

 嵐のあとには、やがて青空が広がる!

■引用文献

 注 ローソンの言葉は、『オーストラリアの詩選集』ミード・アンド・ベケット出版社(英語)