夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

8月25日(木)のつぶやき

2011-08-26 01:47:55 | 小説「新・人間革命」
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広布に生きゆく偉大な人生を #goo_ningenkakumei http://t.co/3iduvzN
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方針は“型にはめない”8/18 #goo_ningenkakumei http://t.co/dzwrRZL
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「希望帳」と題した御祈念帳 8/19 #goo_ningenkakumei http://t.co/17emtyp
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自然がずんずん 体のなかを通過する 山、山、山 8/20 #goo_ningenkakumei http://t.co/0zcKZbH
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甲子園球場の熱戦が20日、幕を閉じた。8/21 #goo_ningenkakumei http://t.co/LjzwxQZ
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自信過剰な男性を「俺様」と呼ぶらしい 8/22 #goo_ningenkakumei http://t.co/1g3t3xX
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ひとまず口と頭〈主張と理屈〉は休ませ、耳と心〈理解と祈り〉を大事にしよう 8/23 #goo_ningenkakumei http://t.co/HoPFIHO
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ひとまず口と頭〈主張と理屈〉は休ませ、耳と心〈理解と祈り〉を大事にしよう 8/23

2011-08-25 01:58:30 | 名字の言
 ふとしたことで意見が対立する場合がある。そんな時は、どんなに自分の意見が正しいと思っても、一方的に主張するばかりでは相互理解は難しい▼意地の張り合いになると、さらに収拾がつかなくなる。最初は言葉の綾に感情が高ぶっただけなのに……ということも多いはず▼人間関係を専門とする成人教育で有名なデール・カーネギーは綴る。「わたしは、残念ながら、四十近くになってやっと、人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだということが、わかりかけてきた」。そして「他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう」(『人を動かす』山口博訳)と、人が陥りがちな傾向性を指摘する▼日蓮大聖人は「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)と仰せ。不用意な言葉で信用をなくしてはならない。人々の幸福を願い行動することで、自身を輝かせていきたいものだ▼意見が対立した時、ひとまず口と頭〈主張と理屈〉は休ませ、耳と心〈理解と祈り〉を大事にしよう。自説を主張するのは、相手の気持ちが和らいでからでも遅くない。(悠)

自信過剰な男性を「俺様」と呼ぶらしい 8/22

2011-08-25 01:57:38 | 名字の言
 若い世代では、自信過剰な男性を「俺様」と呼ぶらしい。「あの人、ちょっと俺様ね」と言えば、〝自信家で鼻持ちならない〟の意味とか▼フランスの思想家モンテーニュは「自惚は我々の持って生まれた病である」(『随想録』関根秀雄訳)と述べた。仏教で説く修羅の生命といえよう▼御書に仏と修羅の比較がある(957㌻等)。修羅は〝勝他の心〟。他者を見下す。仏は〝利他の心〟。人々の幸福のため、師子となって戦う。両者には、自分中心か、民衆中心かという根本的な違いがある▼かつて取材した壮年の体験を思い出した。当時、寝具関係の会社社長。張り切るが、職場の人間関係は悪化。負債がふくらむばかり。学会の先輩が見かねて言った。「今のあなたは〝反り返ったベニヤ板〟みたい」と。「慢心だったと気づきました。それからは懸命に学会活動にも励み、誠実、謙虚に祈り動いて……」。負債を完済し、さらに大きな営業結果を残した▼自身の生命の傾向性を客観視することは難しい。だからこそ、御書に照らして自省し、良き先輩・同志から指摘を受けられることが、どれほど有り難いか。他者への献身を通じて自身の境涯を開く――この「人間革命」運動に大いに励み、社会に広げていきたい。(立)

甲子園球場の熱戦が20日、幕を閉じた。8/21

2011-08-25 01:57:01 | 名字の言
 甲子園球場の熱戦が20日、幕を閉じた。高校球児たちの全力プレーは、全国に希望を与え、東日本大震災の被災地にも勇気と感動を届けたことだろう▼準優勝に輝いたのは、被災地からの代表校の一つ、青森・光星学院。学校のある八戸市は津波で被害を受けた。チームは、春の選抜大会に出場後、津波に襲われた地域の泥かきを手伝ったり、避難所に救援物資を届けるなど、支援にも尽くしてきた▼副キャプテンを務めた背番号15の川サキ貴之君(3年)は高等部員。代打の切り札で、ベンチではひときわ大きな声でナインを鼓舞した。19日の準決勝。途中出場し、7回の打席でレフト線に二塁打を放った。甲子園初のヒットだ▼川サキ君が心に期していたことがあった。「同じく甲子園を目指したが、出場できなかった父と兄の分まで頑張りたい」。そして「震災で大変な中、支えてくれた多くの人に応えるため、一瞬もムダにせず、全力でプレーをしたい」と。「恩返し」の心で黙々とバットを振り続けてきた。その努力が大舞台で花開いた▼白熱した好ゲームが続いた今大会。逆境でも諦めない姿から、仲間を信じ、支え合う絆の素晴らしさを教わった。すべての選手、関係者の皆さんに「ありがとう」と伝えたい。(進)

自然がずんずん 体のなかを通過する 山、山、山 8/20

2011-08-25 01:56:18 | 名字の言
 「自然がずんずん 体のなかを通過する 山、山、山」――歌人・前田夕暮が初めて飛行機に乗った感慨を詠じた一首。故郷の神奈川・秦野市に歌碑が立っている。定型音数にとらわれない口語自由律短歌で、大胆かつ現代的な表現が光る。とても82年前の作とは思えない▼自らの歌風を模索した前田夕暮は、つねに〝新しい「次」〟を目指す挑戦の歌人であった。3万5千を超える作品の中に、日蓮大聖人を詠んだ数首がある。「日蓮の強きこころにひびきけむ 外海の波、風にとも鳴る」などだ▼また、別の歌人・太田水穂には、「旃陀羅の蜑の子なれど日蓮は いのちまともに国をうれひき」との一作がある▼大聖人は、御自身で「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をます」(御書202ページ)と綴られたように、大難に次ぐ大難を乗り越え、法のために戦い抜いた御生涯であられた。まさに命がけの闘争の中、苦しむ民衆に太陽の励ましを送り続けられたのである。歌人たちは、そうした大聖人の透徹した不屈の生き方に心打たれ、一首に昇華させたのであろう▼鍛えの夏。大聖人直結のわれら創価の門下は、行学に励み、宿命に打ち勝って、正義と平和の叙事詩を綴り残していきたい。(杏)

「希望帳」と題した御祈念帳 8/19

2011-08-25 01:55:17 | 名字の言
取材先を辞そうとした時、婦人に肩をたたかれた。「孫が書いたものです」。手にはオレンジ色のノート。「希望帳」と題した御祈念帳は、7歳のお孫さんの宝物だという▼岩手のその一家はワカメなどの養殖をしていたが、津波で船を失った。手渡されたノートをめくると、かわいい大きな文字が目に飛び込む。「みんなのえがおが見られますように」「みんなのゆめがかないますように」「みんながしあわせになりますように」。目の奥が熱くなり、動けなくなった▼「勇気の方が理性よりも不遇に対して一層の力を持っている」と、フランスの思想家ヴォーヴナルグは言った(『不遇なる一天才の手記』関根秀雄訳、岩波書店)。人間は、困難な現実に圧倒され、自身の可能性に目を閉ざしてしまいがち。日蓮仏法は、自行化他の祈りによって自身に仏の生命を顕現し、その弱気の生命を打ち破ることを教える▼「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる」とは、池田名誉会長がたびたび引く戸田会長の指導。どんな苦難にも勇気を奮い起こし、自他共の幸福へ進む被災地の同志に“創価の精神”が輝いている▼少女の文字は、それを静かに、厳と教えてくれた。(速)

方針は“型にはめない”8/18

2011-08-25 01:54:30 | 名字の言
 女子100メートルと200メートルの日本記録保持者・福島千里選手が滑るようにトラックを駆ける。「あれでいいの?」。走りを見ていた小学生から声が上がった。個性的な走りに驚いたのだ▼指導する中村宏之監督の方針は“型にはめない”。人間はDNAも骨格も違う。だから、走るフォームも違って当然。選手に合ったものを引き出すのが指導者の力という▼練習内容もユニーク。例えば、冬にも脚を速く動かす。これは、速度を緩めて長い距離を走る、日本の冬季練習の常識を覆した。今や寒さの厳しい北の大地からも、強い選手が育つ(『日本人が五輪100mの決勝に立つ日』日文新書)▼既成観念や常識の枠にとらわれない。そこから、思ってもみない変化がもたらされることがある。時代を動かす大きな流れも、時として柔軟な思考から生まれた発想がつくり出す▼創価の文化運動の世界的な広がりは、池田名誉会長の発案が礎である。文化祭の淵源となった体育大会の開催や、音楽隊の結成など、当時では斬新な提案に、周りから“広宣流布と関係ない”との声も。が、それらは青年の可能性を開き、人々の心を結ぶ広布のシンボルとなった▼青年の創造性は学会の命脈である。青年を信じ、励まし、共々に前進したい。(馨)

広布に生きゆく偉大な人生を 8/24

2011-08-25 01:52:33 | 社説
終戦から2年、日本が復興の緒に就いた1947年のきょう8月24日、若き池田名誉会長は入信した。戸田第2代会長を人生の師と仰ぎ、広宣流布の大道を歩み始めた日である。第2代会長と、東京・蒲田の座談会場で出会って、10日後のことであった。

 名誉会長は、稀有なる出会いの萌芽を、192カ国・地域に広がる世界宗教の大樹へと育て上げた。師弟を貫く人生を、こう述懐したことがある。「19歳の青春の誓いを、いっときも忘れることなく戦ってきた。恩師の遺言も、すべて達成してきたつもりである。ゆえに、何の悔いもない」。この64年の歩みは、師の夢を実現してきた弟子の軌跡でもある。

 デューイ協会元会長のジム・ガリソン博士は、恩師との出会いを語る名誉会長の表情を、このように振り返る。

 「戸田第2代会長との初めての出会いを語った時、80歳の池田SGI会長の瞳が19歳の青年の輝きを放ち始めたことに、深い感動を覚えました」

 博士は後に、「師弟について“語ってこられた”というのではなく、瞬間、瞬間、師弟に“生きてこられた”」とも指摘している。

 価値創造の源には、師弟の交わりがある――青春の誓いを果たしてきた名誉会長の人生が、それを雄弁に物語る。創価学会の発展の底流を見つめるとき、そこには名誉会長と会員が織りなす無数の絆が脈動している。

 弟子が立ち、弟子が舞い、弟子が勝ちゆく、創価青年学会の新時代が開幕した。若い世代も陸続と登場している。名誉会長は、勝利への方程式を自らの戦いで示してきた。その偉大な人生に学び、師匠の大恩に応える時は、今をおいてほかにない。

 「年齢はどうあれ、一日一日、進歩する人が、青年である」とは、牧口初代会長の言葉である。決意に燃え、実践する人は、誰もが盤石な創価青年学会を築く担い手だ。近隣の友に信頼の輪を広げる。後継の友の育成に汗を流す。社会や地域で「さすが」と言われる実証を示していく。新しい創価の歴史は、一人一人の人間革命から始まるのだ。

 「師匠なら、どう戦うか」――師弟の対話を重ねながら、学会創立100周年、2030年の勝利の峰を目指し、己心の壁を一つ一つ破って進む。その一歩を踏み出す“誓いの日”としたい。

夏休みは子どもと関わる絶好の機会 8/17

2011-08-17 20:49:52 | 名字の言
人は人との関わりを通して成長していく。家族も同じ。夏休みは子どもと関わる絶好の機会だろう▼「たとえ父母が子を産み、その子に眼、耳が備わっていても物を教える師匠がいなければ、それは動物の眼や耳と等しいというべきであろう」(御書1248ページ、通解)。5人の子育てに奮闘していた女性が、この御文に出合った。人生の師匠を教えることは親の大切な役割であると思った▼できる限り、家族で一緒に勤行をした。親子の対話の時間を割いた。子どもたちは全員、創価の学びやへ。今、広布の最前線で活躍する。3年前からは毎月、9人の孫を合わせて家族未来部員会を始めた。未来部の新聞などを活用して学会の歴史や師弟を学ぶ。「おばあちゃんとしてではなく、人生の先輩、信心の先輩として孫から信頼されるように日々、成長を」と▼「家庭の絆が『タテ』であれば、地区を舞台とする学会活動は『ヨコ』の継承」と池田名誉会長。この二つの糸が相まって人材は育ち、広布は進む▼信心の継承は、一家一族の繁栄の礎である。継承するには、親自身が信心で成長していくことだ。その姿に子どもが連なっていく。時間の許す限り、一緒に祈り、一緒に語り合いたい。未来の宝の成長を祈りつつ。(敬)