問題は『どうなるのか』ではなくして、諸君が『どうするか』にかかっていることを熟知していただきたい。実際の革命の実践面は、すべて社会へ展開した諸君の手にゆだねられ、諸君の知恵と情熱とが、局面を左右するのであります。
『浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり』」(509ページ)という有名な一句がある。丈夫の心とは、われわれ凡夫においては信行学である。広宣流布によって、よりよき社会を作り出そうとする我々は勇気ある信心をもつならば、すべからく他人が困難と感じる分野へも決然と踏み込んで、そこへわが身をおくべきである、と私は思う。
このことは組織を担当するにあたっても、また将来、諸君が職業を選択するさいにも通ずる一つの原則ではないかと思う。人生の目的と職業の目的といった問題や、信仰と組織と社会の関係というような問題も、浅きを去って深きにつこう、という発心さえあれば、すなわち、この一念の強い姿勢さえあれば、しぜんに実践的に解決してくると訴えたい。
私の45年の人生を振り返ってみても、私は思索や思考にすがりついて、今日まで戦い抜いてきたのではけっしてありません。思索や思考も当然、必要であったが、より必要であったことは「深きにつこう」「丈夫の心でいこう」という決意の方であった。わが身を、まずそのようにおき定めることが、万事の原点である、私は思う。深きにつく、ということは、人生、社会に対する、そしてまた、人々に対する、そしてまた人々に尽くす偉大な姿勢でもあるし、自分自身の人間革命の原点の思想ともいえる。
そのように「深きにつこう」という〝境〟があれば、仏法という最高の法がある以上、そこで創造的な活力は発揮される。つまり、対境との対決において〝智〟と〝行〟とを発揮せざるをえなくなるともいえる。御本尊に祈り、しぜんのうちに自分自身の勝利をえたときには、同じく、しぜんのうちに、社会における自分の〝位〟というものが決まっていくものであります。
『浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり』」(509ページ)という有名な一句がある。丈夫の心とは、われわれ凡夫においては信行学である。広宣流布によって、よりよき社会を作り出そうとする我々は勇気ある信心をもつならば、すべからく他人が困難と感じる分野へも決然と踏み込んで、そこへわが身をおくべきである、と私は思う。
このことは組織を担当するにあたっても、また将来、諸君が職業を選択するさいにも通ずる一つの原則ではないかと思う。人生の目的と職業の目的といった問題や、信仰と組織と社会の関係というような問題も、浅きを去って深きにつこう、という発心さえあれば、すなわち、この一念の強い姿勢さえあれば、しぜんに実践的に解決してくると訴えたい。
私の45年の人生を振り返ってみても、私は思索や思考にすがりついて、今日まで戦い抜いてきたのではけっしてありません。思索や思考も当然、必要であったが、より必要であったことは「深きにつこう」「丈夫の心でいこう」という決意の方であった。わが身を、まずそのようにおき定めることが、万事の原点である、私は思う。深きにつく、ということは、人生、社会に対する、そしてまた、人々に対する、そしてまた人々に尽くす偉大な姿勢でもあるし、自分自身の人間革命の原点の思想ともいえる。
そのように「深きにつこう」という〝境〟があれば、仏法という最高の法がある以上、そこで創造的な活力は発揮される。つまり、対境との対決において〝智〟と〝行〟とを発揮せざるをえなくなるともいえる。御本尊に祈り、しぜんのうちに自分自身の勝利をえたときには、同じく、しぜんのうちに、社会における自分の〝位〟というものが決まっていくものであります。