山本伸一は、仏法の法理のうえから、人間として生を受けた、尊い意味を訴えた。
山内光元は、悲観的にとらえていた宿命という問題の闇が払われる思いがした。
山口開拓指導には、全国の二十六支部から同志が派遣されていた。仙台など、東北から来た人もいる。それぞれの支部が、山口の各地に幸福の種を植えようと、先を争うようにして、勇んで活動を展開していった。
山内も、妻の照子も、派遣メンバーと一緒になって、弘教に奔走した。
派遣メンバーといっても、入会して、一、二年の人が多かった。皆、生活費を切り詰めに切り詰め、交通費、食費、宿泊費を捻出して、参加した人たちである。
それぞれが、家に帰れば、経済苦や家族の病苦、家庭不和などの問題をかかえていた。
しかし、“広宣流布のためには、何も惜しむまい”“この闘争で自身の生命を磨き、宿業を断ち切ろう”と、はやる心で駆けつけた健気な同志たちであった。
ところが、つてを頼りに訪問し、仏法の話をしても、聞く耳をもたぬ人ばかりであった。盛んだった意気は消沈した。
丘の上から街の明かりを眺めながら、“この街には、こんなにたくさんの人が暮らしているのに、一人も折伏することができないのか……”と、悔し涙を流す人もいた。
そんな、同志に、勇気の光を注ぎ、闘魂を燃え上がらせたのが、開拓指導の責任者である伸一であった。
弘教が実らぬと嘆く人には、こう諄々と訴えるのであった。
「折伏、すなわち成仏の種子を下ろす下種には、『聞法下種』と『発心下種』とがあります。『聞法下種』とは、仏法を説き聞かすことです。『発心下種』とは、その結果として信心を発し、御本尊を受持することです。
たとえ、相手が、すぐに信心しなくとも、仏法を語れば、心田に仏種を植えたんですから、いつか、必ず信心します。ゆえに、この『聞法下種』こそが折伏の根本なんです」
山内光元は、悲観的にとらえていた宿命という問題の闇が払われる思いがした。
山口開拓指導には、全国の二十六支部から同志が派遣されていた。仙台など、東北から来た人もいる。それぞれの支部が、山口の各地に幸福の種を植えようと、先を争うようにして、勇んで活動を展開していった。
山内も、妻の照子も、派遣メンバーと一緒になって、弘教に奔走した。
派遣メンバーといっても、入会して、一、二年の人が多かった。皆、生活費を切り詰めに切り詰め、交通費、食費、宿泊費を捻出して、参加した人たちである。
それぞれが、家に帰れば、経済苦や家族の病苦、家庭不和などの問題をかかえていた。
しかし、“広宣流布のためには、何も惜しむまい”“この闘争で自身の生命を磨き、宿業を断ち切ろう”と、はやる心で駆けつけた健気な同志たちであった。
ところが、つてを頼りに訪問し、仏法の話をしても、聞く耳をもたぬ人ばかりであった。盛んだった意気は消沈した。
丘の上から街の明かりを眺めながら、“この街には、こんなにたくさんの人が暮らしているのに、一人も折伏することができないのか……”と、悔し涙を流す人もいた。
そんな、同志に、勇気の光を注ぎ、闘魂を燃え上がらせたのが、開拓指導の責任者である伸一であった。
弘教が実らぬと嘆く人には、こう諄々と訴えるのであった。
「折伏、すなわち成仏の種子を下ろす下種には、『聞法下種』と『発心下種』とがあります。『聞法下種』とは、仏法を説き聞かすことです。『発心下種』とは、その結果として信心を発し、御本尊を受持することです。
たとえ、相手が、すぐに信心しなくとも、仏法を語れば、心田に仏種を植えたんですから、いつか、必ず信心します。ゆえに、この『聞法下種』こそが折伏の根本なんです」
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