夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

聖教新聞の広告

2006-09-27 10:58:20 | 小説「新・人間革命」
――聖教新聞の広告は、創刊からしばらくの間は、ほとんど会員によって支えられていた。外部企業の広告といえば、仏壇と線香、ロウソクくらいのものであった。一九五六年(昭和三十一年)、戸田城聖は、大阪に指導に訪れた折、関西の広告担当者に語った。「新聞は広告を見れば、その信用がわかるんだ。会員の出してくれる広告はありがたいし、これからも大切にしていかなければならないが、それにすがっているだけでは、君たちの本当の戦いにはならない。

一流といわれる企業にもどんどんぶつかり、学会がいかなる団体であり、聖教新聞がいかにすごい新聞かを、認識・理解させ、広告を獲得していくのだ。営業が満足にできない者は、指導者にはなれんぞ」この時の戸田の指導は、東京の広告担当者にも伝えられた。戸田の指導を聞いた全国の広告担当者は、決意を新たにした。

広告の活動を通して、経済界に、学会を正しく認識させるのだ。その広布開拓の作業が、自分たちの使命だ!″しかし、彼らの前に立ちはだかる壁は厚かった。ある会社の宣伝部長は、聖教新聞を手にすると、線香とロウソクの広告が多いのに眉をしかめ、冷ややかに言った。「今にも煙が立ち込めてきそうな新聞ですな……」また、ある製薬会社では、無認識極まりない言葉が返ってきた。

「学会員は、みんな拝んで病気を治すことになっているんでしょ。薬や医療器具の広告を載せても、買う人はいないんじゃないですかね」ある自動車メーカーでは、応対に出た社員が「学会の会員で車を買うような人がいるんですか。オ-トバイでも、結構高いですからね」と、蔑むように言うのであった。

広告担当者は、壁が厚ければ厚いほど、闘志を燃え上がらせた。各企業の誤解と偏見を打ち破るために、粘り強く足を運んだ。そして、誠実にして、真剣な訴えに、各企業の学会への認識は、次第に改まり、大手企業の広告が、聖教新聞の紙面を飾るようになったのである――。

館山蔵造は、その敢闘の精神に立ち返り、今再び、新しい挑戦を開始しようと呼びかけたのであった。

広告担当者の胸には、日刊化という新たな歴史を開く誇りがあふれ、闘魂が燃え盛った。皆、必死であった。短期間のうちに、目覚ましい勢いで新規開拓が進められていった。そして、日刊化の直前には、万全の態勢が整ったのである。

人に頼ろうとするから

2006-09-15 18:06:37 | 随筆
人に頼ろうとするから力がつかない。筆が弱くなる。甘えが生じる。大人数(おおにんずう)だから、恵まれた環境だから、優れた仕事ができるわけではない。実際は逆のケースが多い。「使命」を自覚したとき、力が出る。「責任」に徹したとき、智慧が涌く。

まず構想を描く

2006-09-11 09:25:37 | 小説「新・人間革命」
「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ。現実は冷静に見つめなければならないが、大きな構想を持ち、向上への意欲を燃やして戦っていかなければ、何も開くことはできないだろう。戸田先生が敗戦の焼け野原に立った時、学会は壊滅していた。その現実に縛られてしまったら、七十五万世帯を達成しようなどという発想は出てこなかったにちがいない。結局、現実主義というのは、ともすれば保守的になってしまい、現状に追随し、諦めに生きることになりかねない。その現状追随的な意識を打ち破ることだ。幹部が常に新しい発想に立たなければ、学会の発展も、希望もなくなってしまう。大きな指標を定めて、戦いを起こそうとすることだよ」